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西ドイツ代表。1次リーグ:2勝1敗。
VSチリ ○1-0 VSオーストラリア ○3-0 VS東ドイツ ×0-1

2次リーグ:3勝。
VSユーゴスラビア ○2-0 VSスウェーデン ○4-2 
VSポーランド○1-0

決勝VSオランダ ○2-1

7試合、得点13 失点4。

攻撃 A 守備 A スペクタクル A- 総合 A。



総評。


西ドイツは、逆境に強い。
54年ワールドカップ、神話の世界の住人、3年間無敗を誇っていたハンガリー代表に土をつけ優勝をもぎとったのは彼らだった。
そして、74年。またもや神話の世界から降臨したオランダ代表を、打ち倒したのも彼らだった。


72年の欧州選手権。74~76年のチャンピオンズカップのバイエルン三連覇。
西ドイツは黄金時代の真っ只中であった。
それでも、西ドイツは神話のチームではなかった。
ブライトナー、ベッケンバウアーに代表される華麗なポジションチェンジは斬新ではあったものの、オランダのトータルフットボールはその上を行っていた。
西ドイツは地上のチームのチャンピオンであり、天上のチームではなかった。
にも関わらず、しばしば天上の国のチャンピオンたちを打ち倒す。
西ドイツはそんな、奇跡のチームなのだ。


チームの中心は皇帝ベッケンバウアー。彼の指揮のもと、チームは有機的に動く。だが、このチームの真の強みは、偉大なストライカーと偉大な守護神、偉大なストッパーを抱えていたことにある。


ゼップ・マイヤーは、敵の猛攻をことごとくシャットアウトする”タイタン”だ。彼が守る限り落城はなく、彼がいる限り勝利は西ドイツにある。
彼の伝統は脈々と受け継がれ、現在へと続いていく。マイヤーの教え子であり、プレイスタイル、風貌から受ける印象までもマイヤーに生き写しのGKオリバー・カーンは、2002年ワールドカップでドイツのゴールを守った偉大なる巨人であった。


偉大なるストライカー、ゲルト・ミュラーはこぼれ球への反応が世界一鋭いストライカーだ。彼のいるところにボールは流れ、誰もがボールの行方を見送っているときに一人、彼は走り出している。
ミュラーの挙げたゴールは、今大会4ゴール。だが、準決勝のポーランド戦、決勝のオランダ戦と最も大切なゴールで、西ドイツの勝利に大きく貢献している。


もう一人、偉大なるストッパー、闘犬と呼ばれたベルティ・フォクツは決勝でクライフに徹底的にまとわりつき、彼を試合から殺した。
彼はエース殺しの達人で、ユーゴ戦では同様にジャイッチ抹殺に成功している。「トイレにまでついていく」と揶揄された彼だが、それはもちろん真実ではない。
それどころか、チャンスとみるや果敢に攻め上がり惜しいシュートも放っている。


西ドイツの偉人たちは、現在でも現場に大きな影響力を残す。
ベッケンバウアーは2006年ワールドカップ組織委員会の会長を務めている。
マイヤーはバイエルンのGKコーチで、カーンを育てた実績がある。レーマンへの「首でも吊ればいい」発言により、ドイツ代表のGKコーチは解任された。
フォクツは90年から98年までドイツ代表の監督を務め、スコットランド代表監督にもなった。
ゲルト・ミュラーはバイエルンのFWコーチを務め、ゲレーロを自らの後継者だと目を細めているという。
オベラートはケルンの会長となり、2部に落ちたチームを必死で立て直している。
へーネスはバイエルンのゼネラル・マネージャーとなり、一言多い男として悪名を轟かせている。
ネッツァーは解説者として人気を博している。
 



勝者の歴史は、一人の英雄の姿を隠す。
真なる西ドイツの皇帝、ボールの芸術家と呼ばれたギュンター・ネッツァーは、ベッケンバウアーとの権力闘争に敗れ、終始ベンチを暖め続けた。
CBのパートナー、シュベルツェンベックは言う。
「ベック(ベッケンバウアー)は独裁者だ。だが、彼の言うとおりにしていれば、間違いはない」。



後にネッツァーと同じ道を辿ることになる、毛沢東主義者のブライトナーはこの時はまだベックと肩を抱き合っていた。ここに、西ドイツ優勝の秘密がある。
ブライトナーが抜けた78年、ベッケンバウアーが抜けた82年ともに、西ドイツは優勝をつかんではいない。