2011年08月

ジョージ・オーウェル著 「1984年」読了(重バレあり)

評価はA+。

超一級の近未来思想小説。 独裁者、ビッグ・ブラザーの支配する国家の物語。
その最大の特徴は、徹底した世界観の作り込みにある。

徹底した監視体制、密告を奨励する制度、教育・メディアを通じて徹底的に行われる洗脳。
秘密警察。

『良い』という単語のみが残され、『悪い・素晴らしい・最高・綺麗・カッコいい・気持ち悪い・汚い・美しい・美味しい』などなどの単語が全て“党”によって排された世界。
『良い・超良い・倍良い・良くない』の4つでしか物事を表せず、思考が単純化された世界。
何も考える能力を持たず、政府に良いように操られる庶民たち。
過去の歴史に至るまで、何もかもが改ざんされ、そのことにほとんどの者が全く気づけずにいる世界。


この小説の欠点は、二つ。
メッセージ性を伝えるために、後半ひたすら気の滅入る展開が続くところ。
そして、受け取り手が慎重に、この小説を読まない限り、誤った思考を植え付けられてしまう点にある。


後者の欠点を、意図的に使ったのが、反共時代のアメリカだった。
(そう読める部分はあるにせよ)、意図的にこのビッグ・ブラザーを、スターリンと重ね合わせ、
ソ連への憎悪を生み出すために、本書を利用したのだ。


”何も考える能力を持たず、政府に良いように操られる庶民たち”を地で行ってしまうとは、
まさに恐るべき皮肉である。


本書は、”まともに考える頭を持った方のみ”に、読んでいただきたいと思う、危険な思想小説である。


付言しておくと、小説自体はさして難しい内容ではない。
読みにくい内容ではないし、ラストの方は鬱展開が続くとはいえ、小説としても面白いと思う。
なので、↑を読んで、「なんか難しそうだな」と感じた方もいるかもしれないが、心配は無用である。

ケン・フォレット 針の眼 読了(重バレ注意)

評価は A-。


でも、この小説がA-というのは、僕にとっては実は凄いことなのです。
というのも、僕は冒険小説・スパイ小説というものが大の苦手で、この本も実はちっとも期待せずに手を取ったからです。
アリステア・マクリーン、デズモンド・バグリィ、ジャック・ヒギンズ、ハモンド・イネス。
彼らの作品を20冊弱は読んでいますが、A-以上の評価をつけたことってあったかしら。
大半がCやDなのです。


何が原因かと言いますと、どうも『男くさすぎる』、『硬派すぎる(公私で言うなら、公の部分ばかりで私がほとんどないキャラ設定)』、『基本的にバトルものだけど、僕はバトル自体にはさほど興味がない』という3点セットがネックになっており、どうにも感情移入が出来ないのですね。


そんな僕の好きな冒険小説・スパイ小説作家といえば、ディック・フランシスやロバート・ラドラムあたりでしょうか。
ただ、僕が好きな彼らの作品は軍隊モノではないのです。


そこで、今作なのですが、主人公の設定が素晴らしかったです。
冷酷無比な殺し屋でありながら、惚れた女を殺すことができないという人間味が、際立っていました。
どんな相手をも殺してきたのに、まさか非力(なはずの)民間人女性に殺されてしまうなんて、と読んだ後しみじみとしてしまいました。

ところどころ挟まる、ヒトラーとドイツ情報部&軍のやりとりも、作品の緊迫感を高めてくれていますし、
主人公視点で描かれている部分は主人公に共感でき、ヒロイン視点で描かれている部分は逆に主人公を恐るべき敵として、ハラハラしながら読めたりと、「一体どっちを応援して読んでるんだよ!」と我ながらツッコミたくなる稀有な体験もさせていただけました。
面白かったです、本当に。

天使と悪魔 読了(バレあり)

著者はダン・ブラウン。評価はA+


数年前、「ダヴィンチコード」に魅せられて、ダン・ブラウンの前作に取り掛かってみました。
今作もまた、「薀蓄で知的好奇心を満足させてくれ」、「サスペンスシーンでスリルを味わわせてくれ」、
「考えさせられるテーマ性も持っている」、上質のエンターテイメント作品であると感じました。


うんちくに関しては、インターネットの発祥を知らなかったので、何だか一つ頭が良くなったような気がします。
それとイルミナティ・ダイアモンドの演出もカッコイイです。思わず本を逆さまにしてしまいました。
『聖女テレサの法悦』はエロすぎて笑いました。


真犯人は、可哀想でしたね。
「科学から恩恵を受けた、祝福された子供」(天使)が、「試験管で生を受けた、呪われた子供」(悪魔)に変貌してしまったということでしょうか。
狂信者は恐ろしい、頭おかしい、というのも確かなのですが、彼の言葉
「科学は人を破滅に追いやる」というのは、これが一片の真理であることは、
核兵器を考えれば、あるいは福島原発を考えれば理解できると思います。
同時に、科学の進歩によって癒されるようになった病気もあり、救われる命もあります。
宗教も同じこと。
宗教もまた、人の心を救い、壊してきました。
「宗教」や「科学」について、そしてこの二つの共存について考えさせられる小説でもありました。


まだ手元にはありませんが、最新作「ロスト・シンボル」を読むのが楽しみです。

私信:「智代アフター試論」を読んで

Twitterで関わりのあるthen-dさんの、「智代アフター試論」を読んで。
以下、氏への私信となります。
Twitterでは140文字という制限がありますので、ブログにてということにしました。


then-dさん「智代アフター試論」
http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/tomoyo_after.html



『智代アフター試論』拝読させていただきました。
僕がまるで考えていなかった新しい見方を提示していただき、とても参考になりました。
特に智代が『勝負にこだわり続ける性格』というのは、少し考えればわかりそうなものですが、
僕にはあまり見えていなかった部分だったので、目から鱗が落ちる思いがしました。
してみると、マラソン大会で「勝て勝てとうるさい智代」をウザく感じたのも、ライターは意図していたのかもしれませんね。


個人的に、ともの件では朋也もまた、『客観的』とは言い難かったように感じています。
智代も朋也もお互いともの意見を顧みず、自分の考えを相手(とも+お互いのパートナー)に押しつけ、従わせようとしているふうに見えたのです。
この試論で挙げられている「強さ」というのは確かにわかるのですが、それを納得していない相手(智代)や、
いまいち意思がわからないとも(恐らく作中に描写はなかった……と思う。あったらごめんなさい)に強いるのは
これもまた、朋也の思い上がりだろうと思うからです。


朋也に対して感じていた苛立ちもまた、この試論を読ませていただいて、自分の中で明確な形になったように感じます。
それは僕が、第三者視点ではなく、朋也視点でもなく、『智代視点』でこの物語を読んでいたからなのかなぁと。
だからごく一部のシーンを除いて、どうにも朋也が鼻について仕方がなかった。


それは、読者である僕自身が、自分で良いとも思っていないことを他人から強制し、押し付けられることが本当に嫌いだから。
記憶喪失になった朋也は率直に言って可愛らしかった。
自分が守ってあげなくちゃ、と自発的に感じた時に、読者である僕自身、強くなれた経験があるから。
そして、ラストの『永遠の愛』についても、自分の献身(滞留ではありましたが)が身を結び、一時とはいえ、*1失われた(?)はずの愛が姿を見せたこと。
それだけで心が満たされたこと、そしてその瞬間を知った智代が、それ以降朋也を支える上で挫けない強さを手に入れたことを読み、
「鬱な話というよりも、優しい話」だと僕は感じたのでした。

 
恐らくこのゲームを鬱ゲーと感じる人は、智代視点ではなく、朋也視点か第三者視点で読んでいた方なのかなと思ったりもしました。


そういう意味で、論自体とは関係がないかもしれませんが、自分の感想を深める上でも参考になりました。
ありがとうございました。


これは私信というよりも単なる独り言ですが、たまに『主人公=プレイヤー』であるということを自明の前提として挙げる方がいます。
ですが、私自身今回の『智代アフター』を引き合いに出すまでもなく、主人公視点で読むこともあればヒロイン視点で読むこともあり、第三者視点で読むこともあります。
節操のない話ですが、入り込みやすいキャラクターと同化して読む感じです。
主人公=プレイヤー論や、「第三者視点」で読む人はいるけれど、ヒロイン視点で読むという人は何故か
あまり見かけないので、少し疑問に感じました。


*1「失われたはずの愛」というのは、僕が読んでいた時に感じた感想のこと。
「0から作った新しい愛」である、という見方が試論では示されていると思うし、プレイ直後に感じた僕の感想は誤りであるかもしれない。
 
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