2012年04月

吉本ばなな「Tsugumi」感想(バレなし)

評価は A。

とても優れたキャラクター小説だと感じた。

物語は単純。
ある海辺の街に帰省した、主人公と、その従妹のつぐみを中心にした物語だ。
この、つぐみというキャラクターがなかなか強烈で、本書の魅力の80%は彼女の魅力と言ってもいい。

病弱でありながら口が悪く、活力に溢れた美少女。それがつぐみだ。 
全身から若さを発散しているつぐみと、一緒に過ごす夏。
本を読んでいると、不思議と、自分が主人公になってつぐみと遊んでいるような感覚に陥るのだから不思議だ。


いくら美少女とはいえ、ちょっとこの子と恋愛は出来ない。
けれど、 一生の友だちにはなれるかもしれないし、ぜひなってみたい。

そんな素敵な女の子と出会えた、素敵な読書体験でした。 


惜しむらくは、この本に出会うのが遅すぎたこと。
もちろん、大人になってからでも十分楽しむことはできる。
できるのだけど、もしも多感な中学生くらいの時にこの作品に出会えていたら、
一生忘れられない作品になっていたかもしれないと感じる。

それくらい、つぐみは強烈なインパクトを持ったキャラクターでした。

東野圭吾「さまよう刃」読了(バレあり)

評価は A-

東野圭吾さんは、名前は知っていたのですが、読んだのは初めてです。
「さまよう刃」を読んで、彼が売れている理由が何となくわかりました。


まず、文章が非常に読みやすい。
次に、キャラクターの心理描写が自然で、感情移入しやすい。
そして、明確なメッセージ性がある。
この3点が揃っているため、どんどん読み進めていくことができました。


テーマは、『復讐は是か非か』。そして、『少年法』 。


自分の子供がレイプされ、父親が復讐に乗り出すというのは、割とよくあるプロットと言えます。
たとえば、ジョン・グリシャムのデビュー作である「評決のとき」。

そして、これはまだ読んでいないのでわかりませんが、全米1000万部を突破した
アリス・シーボルトの「ラブリーボーン」もその流れの作品であると聞きました(今度読みます。間違っていたらごめんなさい)。
 

お国柄の違いかもしれませんが、「評決のとき」では、『犯人がクズすぎるし、無罪でいいじゃん』ということで、
復讐の鬼と化した父親が無罪になるというプロットで、カタルシスを得る娯楽小説でした
(そんなご都合主義でいいのかよ、と思い、ちょっと呆れましたが)。


 今回の「さまよう刃」は、復讐の鬼と化した父親が、結局警察の手に撃たれ、捕まった少年は懲役3年ほどという、読んでいる者の心にやるせなさを植え付ける、後味の悪い作品となっています。

少年法の問題点を訴えるには、最高の終わり方であると思います。


個人的には、『更生の見込みのある人間』は、裁くのではなく導いてあげてほしいと思います。
それは、作中でも理想論と言われており、僕自身や僕の周囲がそういった犯罪被害に遭っていないからこそ
言えるということは自覚しております。


ですが、この小説の少年のように、『問答無用の屑』に至っては、年齢関係なく極刑でも良いのではないか、
などと法のド素人としては考えてしまいます。
『更生の見込み』があるかないか、それを判断するのも人間なので、土台無理なのは百も承知なのですが、
それでもそう考えてしまいます。


今回の物語では、何と言っても、復讐鬼となった主人公の長峰さんの造形が素晴らしいです。
後は、超ヘタレな誠君や、和佳子と、和佳子を見守るパパの隆明も良い味を出しています。

(隆明が、和佳子に「お前のことを愛してる」と言うシーンが良かったです)



反面、気になったのは、犯人のカイジの描写が少ないところ。
キチガイ乙、としか言いようのないドアホウなので、書くこともなかったのかもしれませんが、
彼視点の文章がほとんどないのは、物語の重要人物としてはあまりに薄っぺらい存在だったかなと。

もっとも、カイジ視点の文章が延々と続けば、不愉快な上に面白くなく、中だるみの原因になるかもしれないので、東野さんの判断が間違っていたとは思いません。
ただ、ほんの数ページでいいから、彼のことや、逃避行に付き合わされたユウカのことも、もう少し教えてほしかったなと思います。


この小説に出てくる未成年が、ほとんど全員、頭があまりにも悪かったのもちょっと気にはなりました。
「この年頃の奴らが何を考えているかわからない」というフレーズが頻繁に登場しますが、
ある程度は事実としても、揃いも揃ってここまでバカではないのでは? と思うのですがどうでしょう。
一人くらい、未成年で良識人がいればバランスも良くなったのですが……難しいか。


ヘタレ君ではあるけれど、『理解できる』 誠や娘の恵麻は漢字表記で書かれ、『理解不能』な若年者であるカイジ、アツヤ、ユウカがカタカナで書かれているあたりからも、
この作品の若年者は、基本的には『理解不能なクリーチャー』のような扱いなんだなーと思いました。

リスカ ポエム

「リストカット」

踏みしめた土の感触が 罪を刻みつけていく
金星の影が横切る夕べに 先鋭な硝子が朱を流す

車のクラクション 無機質な雑踏の中で
自分の形が薄まっていく

月に照らされ 砕け散ってしまえ
あたしの核が形をなくすまで
流れる血の温もりなど 要らない
ただ 欲しいのは赦し


吐息が全てを汚していくようで 呼吸をするたび怯えていた
穢れた血が染み渡り 咎が身体を這い回る

痛みで心を満たしても 自分で自分を裁いても
あたしが息をするだけで いつも誰かを傷つける

刃先を沈めて 抉りとれ
あたしの核が流れきるまで
モルタルを穢れが覆い尽くすとき
罪もまた浄化されるから


あらゆる肉体が 罪で汚されていく
魂だけでも 守れますように
かみさま かみさま かみさま

あらゆる命が 罪を持ち生まれゆく
豊穣な大地が無限に若葉を芽吹かせるように
かみさま どうしてあたしを造った?


踏みしめた熱砂の痛みが 魂に焼き鏝を当てる
金星の影が横切る夕べに 何度目かの試みを始める


だいじょうぶ 罪が全て流れきったら
きっと綺麗な あたしに戻れるから
流れる血の温もりが今は 愛しい

肉体は残され 魂は消える
罪が赦され あたしは消える





むしゃくしゃして書いた。後悔はしていない。

テリー・ケイ「白い犬とワルツを」読了(軽バレあり) 

評価は A-。

読んで良かった。
ただし、面白くてページをめくる指が止まらないタイプの小説ではないし、
解りやすい山場を設定して『泣かせ』に走るタイプの作品でもない。
泣ける小説の中でも、硬派な作品と言えるかもしれない。


この本には、(恐らく世間一般としては)幸福な老人が主人公である。
家族に恵まれ、孫は27人(だったかな?)もいる。
ちょっと鬱陶しい部分もあるが、彼を心配する娘が近所に住んでいて、毎日のように様子を見に来る。  
貧乏な様子も全くない。


そんな老人が主人公なのだけど、『老い』というのはそれだけで一つの不幸なのかもしれないと感じる。
僕がこの小説に心を奪われたのは、P245のマーサの台詞である。


「瞬きしたら何もかももとに、子供時代に戻らないかなって思うことがあるわ。
また走り回りたいし、踊りも踊りたいし、好きなことも何でもしたいわ。
でもそれは無理よね。
そんなとき、わたしはどうすると思う?
アルバムを出してきてね、一枚貼ってある写真を眺めながら、この写真は昨日撮ったばかりだって思うわけ。
そうすると、また本当に若い気分になるのよ。

その後、鏡を見たり、自分の手を見たりして……(中略)
こんなことしててもしょうがないなって思うの」


この文章を読んで、涙を流す人はそうはいないだろうと思う。
けれど、何とも 言えない寂しさ、哀しさを感じはしないだろうか。

この小説は、劇的な作品ではない。ドラマチックに号泣させるようなタイプの作品ではない。
(僕はそういう、号泣作品も好きだけど)、この作品はそういう泣かせテクニックに与せず、
淡々とした描写を積み重ねて寂寥感を演出している。


そんな作者も、ラストの一文では、バランスを崩さない範囲で泣かせに来ている。
彼ならきっと、山場を前面に出して号泣作品も書けただろうな、と思わせる一文だ。 
敢えて、それを選ばなかった作者の選択は、正しかったように思う。
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