2015年11月

幼馴染の心が読めたらどうするか(バレ有)

同人サークル「夜のひつじ」さんの作品を、しばらく一気にプレイしようかと思っています。
今回はその第一弾として「幼馴染の心が読めたらどうするか」の感想を。

評価は B+。



雅貴と杞沙は6年ぶりに再会した幼馴染。
過去の事件や久しぶりの再会もあって、お互いにぎこちないやりとりを交わす二人だが、
雅貴に「心を読む」能力が備わったことから、杞沙が雅貴のことを想っていることがわかり、急接近。
二人は結ばれる。

というお話が1章、夏休み編。

実はここが一番面白かった。
杞沙はいわゆるチョロインの部類に入るような、主人公大好きっ子なわけですが、それが外面には表れていない。
また、「心を読む」ことが本質的には『チート=あまり良くない事』というルールを雅貴がきちんと持っているため、好き放題に心を読んでウッヒャウッヒャというバカゲー的な物語ではなく、あくまでも「本当は良くない」けど「使いたい」というこの後ろめたさ、そしてその後ろめたさを乗り越えて読んだ末に読み取れる杞沙のかわいらしい内面を、プレイヤーと雅貴で共有することができる。
ハートマークが出るたびに、「ここは心を読まなくてもいいかな……でも、(野次馬根性的な意味で)読んでみたい」とか、「誤解が生まれかかっているし、ここは読むべきだろう」みたいな事を頭の中でグルグル考えながらプレイしていました。
ま、まぁ1、2度セーブ&ロードして、心の中を読むだけ読むというチートもしたんですが……。
この、『心を読む』システムがとても面白かったので、1章がピークだったかなという気がします。
また、普通は心の内面なんてドロドロと汚いものも渦巻いていると思うのですが、あくまでも『かわいらしい』内面を全開にしている杞沙のおかげで、安心してニヤニヤできる雰囲気ができあがっています。


2章 With Love。
ここでは杞沙視点の物語が描かれるのですが、「なるほど」と。
1章の伏線をうまく回収していて、「ただのイチャイチャゲーに終わらせない」という作者の意思が伝わってきます。


3章の二学期編は、心を読むというチート能力によって結ばれた二人が、
そのチート能力をなくしても恋人でいつづけられるのか~という物語で、シリアス色も割と強め。
丁寧かつ普遍的な問題提起で、物語に対する作者の真摯さが伝わってきます。
反面、「ちょっと二人とも、コミュ障すぎるぞ?」という疑問もありまして。


恋人同士は、常に……は大げさでも、定期的にお互いの気持ちを確認しあって進んでいくものだと思います。
それは本当に自然な事で、何も特別なプレゼントだとかそういうのではなく、キスをすること、メールで連絡をとること、電話をすること、Hをすること、デートをすること、好きだよということ、抱き合う事、まぁそんな感じですね。
これができない恋愛送信能力の低い人(能力的にできない場合と、忙しすぎる仕事や遠距離恋愛など、環境的にできない場合はあると思います)はやはり恋愛を続けるのは難しいし、相手を信じられずに過剰な恋愛送信を求める人はやはり恋愛する事は難しい。
恋愛送信能力と恋愛受信能力がぴたりと合わさって初めて、長期的な恋愛ができるのだと思います。


雅貴と杞沙は恋愛送信能力、受信能力がMAXの状態から、急激に普通人のレベルに落ちてしまうわけです。
が、普通人とはいえど、一度はお互いの心の中を共有しあっているわけですので、普通人よりもアドバンテージがあるはずなんです。
「相手は、自分を本当に愛してくれている」から付き合った、という大前提は保たれているわけですので、後はその感情を更新し合っていけばいいわけですから。
結局そこからは二人の努力次第、ということなんですけど、
プレイが終わっても「この二人、この先大丈夫かな?」という気持ちはぬぐえませんでした。
永遠に一緒にいることができるのか……少なくとも、その確信は掴めませんでした。


しかしまぁ、考えてみれば現在付き合っているカップルのこの先が大丈夫かどうかなんて普通は解りません。
エロゲを始め、「ハッピーエンドを迎えたら、死ぬまで一緒」な物語の世界が異常なような気がします。
そう考えれば、これ自体も普通のこと。
この先が大丈夫かわからないからこそ、お互いがお互いに「好き」の気持ちを定期的に伝えあっていく。
そうして、いつの間にか長く一緒にいる。
長く続いていく恋愛とはまた、そういうものでもあるのかな、などと思いながらプレイを終えました。


サクラノ詩 感想(バレあり)

シナリオ 135/150 キャラ 120/150  絵80/100 音90/100 その他システム 80/100 印象 45/50

合計 550/650(19位/約160ゲーム中)   ESにつける点数 90


約40時間もの作品をほぼダレなく読ませたのは見事。
学生時代に夢を持ち、それを昇華できず半端に抱えたまま、年齢だけは大人になってしまった身だけに
Ⅵ章の描写は刺さるものがある。
自分が受け取ったテーマは「生き方」と「才能」。
やや気になる部分もあるものの、非常に力の入った作品。

 
本感想では、最初に直哉を中心とした物語の整理を。
次に、各ルートの感想を、
最後に↑2つで書ききれなかった点を書いていきたいと思います。


【直哉を中心に時系列順に振り返る】

感想に移る前に、まずはストーリーを振り返りましょう。


本作は、草薙直哉という一人の芸術家志望の少年/青年と、それを取り巻く人々を描いた作品です。
幼き日に天才と謳われた彼は、ある事件をきっかけに利き腕を壊してしまいます。
その後も未発表の習作だけは絶やさず描き続けたものの、表舞台からは姿を消します。
最後に描いたのは、公園で、氷川里奈の『糸杉』を下地として描いた、生気に満ちた櫻の絵でした。


そんな彼が、再び筆をとったのは、草薙健一郎の死の直前。
健一郎の『横たわる櫻』から続く、六部作でした。
次の活躍は、明石主導の教会壁画、『櫻たちの足跡』への参加。
この作品は明石が中心となって作り上げたものですが、直哉の名前で世に出ることとなります。


ここまでが共通ルート……というか、共通の過去ということになります。
TRUEルートではこの後、直哉はムーア展へと出品。惜しくも受賞は逃すものの、ノミネートされるという快挙を成し遂げます。
しかしその後、親友でありライバルでもある圭の死をキッカケとして迷走し、10年が経過。
藝大を出て非常勤講師として、うだつの上がらない日々を過ごすことに。
そんな日々に終止符を打つ(かもしれない)のが、彼が、教え子とともに完成させた、ブルバギの絵を下地にした、光の芸術でした。
教師として正規採用され、美術部顧問として、10年間止まっていた彼の時間が動き出す。
そんな前向きな予感を漂わせたところで、本編は終了となります。
10年遅れではありますが、これから始まるであろう彼の第二の青春を祝福したいと思います。


【芸術を取るか、幸福を取るか】

本編において、執拗に繰り返されているのは『芸術』を取るか、それとも『幸福』を取るかという選択です。
あるいは、『芸術』を取るか、『恋愛』を取るかと言い換えても構いません。

よく言われる概念として、「芸術は幸福からは生まれない」というものがあります。
生きることに「満足」している状態では、芸術に対する「飢餓感」は生まれないということです。
ヒロインと結ばれた直哉は、そして直哉と結ばれたヒロインは、それぞれ芸術家として開花する事はありません。


象徴的なのが、真琴ルートの

『真琴は愛以外を手に入れることはできなかった。
だが、その愛こそが、俺にとってのなんでもない時をもたらしてくれたような気がする』

という一文です。
これは、主語を真琴から直哉に変えて

『直哉は愛以外を手に入れることはできなかった。
だが、その愛こそが、真琴にとってのなんでもない時をもたらしてくれたような気がする』とも言えます。
稟や里奈、雫ルートでも同じです。




稟ルート、里奈ルート、雫ルートにおいて主人公は結局、幸福に生きる代償として、
世界的芸術家への道を諦めることになります。
世界に名を残さずとも、傍らに最愛の人がいればそれで満足、ということなのでしょうか。
少し寂しい気もしますが、これはこれで一つの幸せだと思います。
藍ルートに関しても、藍と結ばれてからはそうですね。


本作が皮肉に満ちているのはここからで、Ⅵ章、「誰とも結ばれない」エンドを迎えたとしても、
世界的芸術家になれるとは限らないというのは、ごくごく当たり前の事ではあるのですが、
ナイフのような切れ味を持って、心に突き刺さりました。
個人的に、真琴ルートをプレイしていた時は、TRUEルートでは直哉は「世界的芸術家として活躍する」ものとばかり思っていました。
TRUEルートではヒロインと結ばれないという情報を得た時には「先が読めた」と半ば確信していたのですが……予想が外れて良かったです。


幸福を取るか、芸術を取るか。
もちろん本音を言えば両方を取りたいところなのでしょうが、もしどちらかしか取れないならば、どちらを取るのか。
一度は芸術を志した人間ならば、このような問いかけに、即答するのは難しいのではないでしょうか?
世界的な芸術家として後世に作品を、名を残すチャンスがある。
しかし、それを達成するにはありとあらゆる幸せを捨てなければならないというのは、やはり少し考えてしまいます。


フィクションの世界では、主人公は両方を手に入れてしまうか、片方を手に入れ、片方を失うかがほとんどだと思います。
しかし本作で描かれた、片方を棄ててももう片方を得られる保証などないという冷厳な真実には唸らされました。


【Ⅰ Frühlingsbeginn】

共通ルート最初のシナリオ。一番微妙だったのが、ここでした。
特に男性陣、圭とトーマスがウザくて中だるみし、先行きがとても不安だったのを覚えています。
こんなの40時間(批評空間プレイ時間中央値)も読んでられねーよっていう。
しかし、圭もトーマスもI章以外はあまりウザくない(トーマスは最終章もウザいですが、これは悪役なのでまぁ)ので杞憂に終わりました。
……にしても、破れる服騒動とか、なんで入れたんだろ……。こんなの、普通に性犯罪じゃないですか。
これでトーマスを入部させるとか、冗談もほどほどにしてほしいと思いました。その後もトーマスは結局いいところないし……。

後はまぁ、個人的に「外人」表記はやめて「外国人」と書けばいいのになぁと思って読んでいました。
僕らは特に差別意識とかもなしに外人と言いますが、割と嫌な気分になる外国の方は多いらしいので。
似非外人、はそのままでいいとは思いますけど、(似非外国人より語呂も良いし)地の文で外人乱発はちょっとあれかなと。というような、どうでもいいところを含めて、やっぱりトーマスはイラネ。


【Ⅱ Abend】

つまらなかったⅠが終わり、作品にハマりこむキッカケになった章。
特に、『櫻たちの足跡』 を皆で作るシーンは本当に胸が熱くなりました。
明石の格好良さも見所ですけど、これ以降明石の出番が少ないのが少々残念でした。
冒頭の、里奈と優美のやりとりも良いですね。

TRUEルートを進む場合、時系列ではⅠ→Ⅱ→Ⅴ→Ⅵとなります。
Ⅴが主に、ムーア展と夏目家の物語であることからも、大人になった直哉が懐かしく思い出す『美術部としての青春』はこのⅡが頂点ということになります。
非常にキラキラと輝く青春が描かれている章で、大好きです。


【Ⅲ PicaPica】

真琴ルート。
このルートでは、中村家の複雑な人間関係が描かれますが、個人的には上述した『真琴は愛以外を手に入れることが~』に尽きる感じ。
中村家関連は、まぁそんなこともあったよというだけの話で、要は真琴と直哉が距離を徐々に縮めていく恋物語ということになります。
つまらなくはなかったですが、ちょっと長かったなと感じました。

全く関係ないですが、エロゲヒロインで陥没乳首ってほとんど見た事がありません。
僕は陥没乳首が殊更好きというわけでもないんですが、たまにはいてもいいんじゃないかなと思います。
一人ひとり顔が違うように、おっぱいだって、一人ひとり違います。
バストサイズだけじゃなく、感度、乳輪の色や大きさ、乳首の形など、個性豊かなおっぱいが見たいです。

(……これ、真琴ルートの感想なのか?)


【Ⅲ Olympia】

稟ルート。
稟ちゃんがエロかわいすぎてたまりません。
こんな恋人と一生いられるなら、芸術家になれなくてもいいです……。

『幸福な王子』において、王子の側に留まったツバメは、最後死んでしまいます。
これは、「芸術家としての死」を暗示しているのでしょう。
一方、Ⅵ章の稟は才能を取り戻した代わりに、直哉の元を離れていきます。
稟にとって、直哉の元にいるⅢ章とⅥ章、どちらがより彼女が希望する未来に近いのでしょうか。
作中の記述を読む限り、Ⅲ章の方が稟の希望に近いと思っていたので、TRUEルートでの彼女の決断が解せませんでした。


Ⅲ章のストーリーとしては、稟と直哉の過去バナですね。
Olympiaをホフマン物語にかけてきたのはとても良かったです。



【Ⅲ ZYPRESSEN】
【Ⅲ Merchen】

ZYPRESSENが里奈ルート、Merchenが優美&里奈ルートですね。
途中までの展開は一緒です。

優美と里奈の子供時代の邂逅はかなり良かったです。
優美が本当に里奈のことを大切に想っているのが伝わってきました。
なのでZYPRESSENよりもMerchenが好きです。
優美と里奈の初めてのキスシーン、泣いてしまう優美のあたりは本当にジーンときました。


ZYPRESSENは……Merchenを読んだ後で読むと、複雑な気分になります。
複雑というか……里奈が悪女に見えるんですよね。
里奈自身はバイセクシャルで、本命の直哉はライバルが多いから、優美をキープしているようにしか見えませんでした。
優美に最初にアプローチをかけたのは里奈ですし、直哉と結ばれないと割とあっさり優美に転びますし。


余談ですが、直哉とのHではすぐにイッてしまう里奈が、優美とのHシーンでは3回しかイカないこと(3回イケば十分な気もしますが)。
10回もイッテる優美とは、やはり温度差を感じてしまうんですよね。
単に、感度やテクニックの問題なのかもしれませんが、愛情の深さなのかなぁと思ってしまうと優美が不憫で不憫で……。
個人的に、里奈の隣は直哉のものではなく、優美の席だと思っています。


なんにせよ、『白い傘と白いドレスの少女』を『毒キノコ』になぞらえる発想が素晴らしい。
このアイディアが浮かんだ瞬間、このシナリオの成功は半ば約束されたようなものでしょう。
本編で明かされる大切な情報は、里奈の糸杉を改変した直哉の櫻の絵画でしょうか。



【Ⅲ A Nice Derangement of Epitaphs】

雫ルート。
正直に言えば、Ⅰの次につまらないパートでした。

このルートで重要なのは、『櫻七相図』でしょうか。
草薙健一郎の遺作である、『櫻たちの足跡』。
里奈ルートで明かされた、糸杉を改変した櫻。
そして、本編の草薙健一郎の『横たわる櫻』を題材にした『櫻七相図』。


これだけ反復して描かれるのは、草薙直哉の芸術家としての特性でしょう。
それは、「人と人とが交わるように、他者の作品と交流することで紡がれる才能」とでも言えるでしょうか。
作中の……というか宮沢賢治の単語を使うなら、「因果交流電燈」と言っても構いません。


【Ⅳ What is mind? No matter. What is matter? Never mind】

過去編。
水菜のオランピアを描くことで中村家に復讐をする、というアイディアは面白かった。
ただ、なんで水菜のHシーンがないんですかね……。
若田先生に語る、という形式のため、仕方ない面もあるのかもしれませんが、
そもそも若田先生に語るという形式を取る必要もあまりないといえばないですし。


【Ⅴ The Happy Prince and Other Tales.】

周囲の女の子をぶっちぎって、直哉が芸術に精を出すルート。あるいは、藍ルート。
プールの底で行われた吹との絵画対決、そしてムーア展での「蝶を夢む」VS「向日葵」のシーンはやはり面白かったです。
最後の、稟と交わされる芸術論の話はあんまり。
ゲーム内で稟の作品が見られないのに、言葉だけでそんなふうに語られても……って思いました。

本作に限っては、『作品を描くシーン(実作)』が熱い事もあり、『言葉だけで立ち位置を示すシーン(芸術論)』はイマイチだったように思います。
言葉で語るのではなく、実作シーンを経て語ってほしいと感じました。


【Ⅵ 櫻の森の下を歩む】

Ⅴ以降、停滞していた直哉。
昔の仲間とも疎遠になり冴えない日々を送っていた彼が、ブルバギの事件を経て、
新世代の仲間とともに芸術の楽しさを再び思い出すお話。
学生時代に夢を持ち、それを昇華できず半端に抱えたまま、年齢だけは大人になってしまった身だけに
Ⅵ章の描写は刺さるものがありました。
「毎年新しい学生が入ってきて、卒業生はいなくなる。毎年同じ授業の繰り返し。そして自分は一つずつ歳をとっていく」というような文章があって、本当にグサっときましたよ……。



本ルートを蛇足と書いている方もいらっしゃいましたが、私は、本作を締めくくるにふさわしい必要不可欠なルートだと思います。
テーマ的にも物語としても、ここで終わるのがベストだと思いますが、主人公の今後も気になりますし、
Ⅵ章で主人公の周囲にいるヒロイン達、中でも桜子、栗山さん、川内野妹(ごめんなさい、名前を忘れてしまいました!)は是非クリアしたい……という希望も。
続編「サクラノ刻」が出たら、間違いなく買ってしまうでしょう。


でもやっぱり、物語的にはここで終わりが良いと思います。
少なくとも、ここから直哉が復活して芸術家として大成したりしたら、いろいろ台無しだと思いますし。
新世代の娘たちとの、モテモテハーレムめいた楽しい部活生活なら読みたいけれど、それはそれで盛り上がりには欠けるし……。


個人的に少々不満だったのは、その新世代の仲間たちとの作業シーンがカットされていること。
このシーンは2章の『櫻たちの足跡』の焼き直しというか、それこそリメイクなんですが、
是非新しい仲間たちと活き活きと作業する直哉の、桜子に栗山、ルリヲに川内野妹たちの姿が見たかったです。


【気になること】

本当に楽しい作品で、40時間ほぼダレることなくプレイできたんですが、
私の読解力不足なのかなんなのか、腑に落ちないシーンが幾つもありました。
ここでは、それらについて書いていこうと思います。


1:伯奇の設定が浮いている

私は、本作を「芸術家を志した青年とそれを取り巻く人々の物語」と書きました。
そこでは、(常識はずれの天才や、奇抜なアイディアは存在するものの)ファンタジーではなく、
あくまでもリアル路線での、芸術活動の楽しみや苦悩が描かれていました。

しかし一点、雫=伯奇というファンタジー設定だけが明らかに浮いているのです。
この設定、恐らくは稟の『才能覚醒』の理由付けとして導入されたものだと思うのですが、
もう少しまともな理由付けはできなかったのでしょうか?
どうせファンタジーでやるなら、「圭の死がきっかけで突然開花した」だけで十分でした。


あ、里奈&優美が見る、1000年前の伯奇の夢に関しては特に不満はないです。
芸術に関係ない部分での、心の結びつきを描くシーンなので。「単に夢でした」でも流せます。


2:稟

直哉が『因果交流電燈』の才能を持つことは、作中で何度も明示されています。
また、圭が寝る間も惜しんで絵に集中できる人物であることは作中で描かれており、それが『向日葵』という作品として結実しています。
しかし、稟が『美に呪われた天才』であることについては、彼女の作品自体が作中に登場しない事もあり、
サッパリわからないままとなっています。

また、「天才」となった稟は、今までのホヤホヤした稟とは人格そのものが違っているようにも見えるのですが、これも謎。
というのも、才能と記憶は明確に分けられているからです(稟ルートでは、稟の記憶は蘇るが才能は蘇らない。性格は以前の稟のまま)。
稟の性格に激変をもたらすのは記憶ではなく、才能の方なのでしょうか?
そもそも覚醒後の稟の登場シーンが少なすぎて、イマイチわかりません。

本作の攻略ヒロイン中では、稟は藍と並んで一、二を争うぐらい好きなので、ちょっと納得いかないんですよね。
今まで描かれてきた稟の性格ならば、落ち込んでいる状態の直哉を置いて、海外に飛び立つというのは考えにくいのですが(直哉を支えてくれる恋人に後を託して~というのなら、稟の行動原理的にしっくりきますが、圭を失い、恋もせず、腑抜けになった直哉を見捨てていくかなぁ)。


3:直哉

他人との交流を通して、力を発揮する直哉。
芸術活動においては、散々上述してきたように「因果交流電燈」の才能。
あるいは、ほうぼうでいろんな人の事情に首を突っ込み、様々な人のフラグを立てているというエピソード。

しかし……そんな彼が、クラスメイトの事をA、B、C扱いしたり、名前をちっとも憶えないというのは個人的に
不可解でした。
他人と交流をし、ほうぼうに首を突っ込むのは、他人に興味を持ち、他人を愛するからだと思っていたのですが、
興味のない人間をモブキャラ扱いしたりする行為はその真逆、他人への無関心を表しています。
この乖離がどうにも解せませんでした。


あまり直哉を悪く考えたくはないのですが、直哉の周囲の人間が皆、優秀な人間ばかりであることを考えるに、
直哉は才能のある人間だけに興味を持ち、才能のない人間には興味がない、というふうに邪推できてしまうのが、ちょっと辛いところです。
邪推ついでに、更に妄想を展開するならば、そんな人格だからこそ、腑抜けのようになってしまったⅥ章の直哉に対して、昔の仲間はほとんど連絡を取ってこないのだろうか?とも思ってしまいます。
コミュニティも変わり、遠距離になったのはわかりますが、それにしてもほぼ音信不通なのはちょっと冷たすぎるでしょう。

たとえば里奈&優美は東京で暮らしているとのこと。
サクラノ詩の舞台は、相模国中村氏の話を考えるに、小田原付近だと思います。
東京、といってもいろいろあると思いますが、たとえば東京駅から小田原駅ですと、
電車で1時間ちょっとぐらいの距離です。毎週のように~は無理にしても、そんなに遠いわけでもないでしょう。
「皆に愛されているのですね」とは、Ⅵ章において周囲の人間が直哉にかける言葉ですが、モテるのはともかくとして、直哉が本当の意味で愛されているのかは、個人的には少々疑問でした。


4:血筋

直哉と藍は「血が繋がっていないけど家族だ」という文章を2~3回見た記憶があるんですが、
血は繋がっていますよね?

中村章一繋がりで、小母と甥の関係のはずですし。
単なるミスでしょうか? 



【総評】

一人の芸術家志望の青年の青春物語として、非常によくできた作品だったと思います。
睡眠を削ってプレイしても10日以上かかりましたが、ほとんどダレることもなく、
終盤には「もっとプレイしていたい。この世界にずっと浸っていたい」と感じ、
エンディングロールでは感無量になりました。

こういう作品がまだ存在する事、そして高い評価を受ける事をとても嬉しく思います。
最近、似たようなエロゲが多いな、適度に面白いけど飛びぬけて面白い作品が少ないなと退屈に感じていたのですが、エロゲもまだまだ捨てたもんじゃないと思い直せるような、
そんな力作でした。
プレイできて本当に良かったです。

Crescendo 永遠だと思っていたあの頃 フルボイス版 感想(重バレあり)

88点。


私たちは日々、繰り返す日常を生きている。今日も明日も明後日も、大して変わる事のない日々。
けれど、そんな日々の中にぽつんと眠る、特別な1日。
たとえば、前から「いいな」と思っていた娘に、突然プレゼントをもらった日。
たとえば、大切な姉を傷つけてしまった日。あるいは、ほとんど話した事がないクラスメイトと言葉を交わした日。
記憶を振り返ると、そんないくつもの特別な1日が想い出になり、胸に残っていることに気がつく。
このゲームは、卒業を4日後に控えた主人公が、そんな特別な1日たちの事を思い返しながら、最後に残された4日間を特別にしていく物語である。
三人称の落ち着いたテキストと、コンパクトに引き締められた無駄のないストーリー展開で、ほぼ飽きることなく存分に浸ることができた。
ノスタルジアに満ちた作品で、自らの学生生活を振り返り「こんな青春を送りたかった」としみじみと感じた。






*この感想はポエムチックなものになっているので、そういうのが嫌な人は読まないでください。


★優佳、香織、美夢シナリオについて


なぜ過去を思い返すとき、何でもなかったはずの思い出が光り輝き、胸を打つのだろう。
永遠に続くように思える退屈な日常を、なぜもっと大切にできなかったのだろうと、過ぎ去ってから思う事がある。
自分語りで恐縮だが、少し高校時代の記憶を書かせていただくと、たとえばあのクラスメイト。
ギャルメイクをばっちりに決めていた彼女が少し目を潤ませて読んでいた漫画は、僕が何度も感動した作品でもあった。
あの時、気後れせずに話しかけたなら、ひょっとしたら友達になれただろうか?  
あるいは、音楽の選択授業で毎回席が隣だったあの子。
奥手だった僕はこちらからはろくに話しかけられなかったのだが、よく向こうから話しかけてくれた子がいた。
しかし、選択授業以外で積極的に話そうとしなかった結果、彼女はある日突然高校を中退してしまい、その後どうなったかはわからない。
そんなふうに、ちょっとした接点があったにもかかわらず、結べなかった縁というものがある。  
本作の優佳、美夢、あるいは香織シナリオをプレイしていると、そんな彼女たちのことを思い出す。
 

どんなに望んでも、時は巻き戻せない。
だが、そこを敢えて巻き戻してみせたのが、フルボイス版にて新たに導入されたアナザーストーリーだ。
このアナザーストーリーは一部蛇足めいたルートも見受けられるが、優佳、そして美夢ルートについては、やはりアナザー込みで評価したいところだ。


主人公の涼は、美夢の体調について、何かがおかしいと察知するも放置してしまう。
その結果、美夢は死ぬ。
もしもあの時、強く検査に行くことを薦めていたら?
それが描かれるのが美夢のアナザーストーリーになる。


本編、優佳シナリオの位置づけは特に面白い。
卒業まで残り4日になるまで、ろくに話したことのなかった少女と、想いを交わすルートだ。
僕が学校を卒業する4日前には、新しい友達を作るなんて思いつきもしなかった。
けれど、ひょっとしたらできたのかもしれない。もちろん優佳ルートがフィクションなのは重々承知しているが、
もっと積極的に行動すれば、たった4日でも大切な思い出を作れたのかもしれない。そんなことを考える。
なお優佳に関しては、同窓会で再開する別エンディングも味わい深い。

それにしても、昨今の商業エロゲではこういうシナリオはまだ作れるのだろうか?
仮にもし作れないのだとしたら、非常に大きな損失だと思うし、率直に言ってしまえばつまらないなと思う。
勿論、ヒロインが援助交際の娘だらけになったら僕だって嫌だけど、たまにはこんな話があってもいいんじゃないだろうか。
そして願わくばそのシナリオが、本作のように質の高いものであってほしいと思う。


香織シナリオの、付かず離れずの関係も面白い。
せっかく親しくなっても、環境が変わると会わなくなってしまう。
中にはそれでも残る絆もあるが、多くの人間関係は環境によって左右されてしまうだろう。
特に本編の涼と香織は、最後の4日間で涼が手を打たなかったならば、きっとそうなったことだろうと思う。 


そういえば、高校一年生の時の担任の先生を、僕は信頼していた。
今思えば、本当に出来の悪い小説もどきを読ませては感想をいただいていたのだ。 
ただでさえ忙しい教師に対し、今の僕ですら読むのを躊躇する稚拙な自己満足の駄文、
とどめは芋虫がのたくるような手書き小説である。
とんでもない黒歴史だ。 
 
しかしそんな恥ずかしい行為はともかくとして、僕はその小説を2人にしか見せていない。
当時の友達1人と、その先生だ。
見たがるクラスメイトもいたのだが、断ったのだ。自分の心を読まれるようで、恥ずかしかったから。
笑われるんじゃないかと怖かった。そんな僕が、その2人には見せた。
つまり僕はそれだけ、その友達を、そしてその先生を信頼していたということだ。


そして、卒業の時。「また遊びに来ます」と言ったのだ。口では。
何を勘違いしたのか、「新作を書いたら持っていきます」とも言った。先生は笑顔で応援してくれた。
結局、高校卒業以来、一度も遊びに行っていない。
香織先生とは違って、(ルックス的にも年齢的にも。失礼)恋愛対象にはなりようがない先生ではあったけれど、好きな先生だった。
 
 
香織に関しては、アナザーストーリーの方が面白かった。
本編だととっつきにくさを感じた香織だったが、アナザーでは彼女の心理描写が丁寧に描かれていた分、親しみやすく感じたのだ。


★杏子、歌穂シナリオについて 


以上の3人のシナリオとは違い、杏子と歌穂の文芸部シナリオはより「理想」に近い。
この両ルートで描かれる『青春』は、本当に読んでいて羨ましかった。
作中で取り上げられていたフィリップ・K・ディックやロアルド・ダールといった作家は、僕も読んでいる。
なのに何故、僕の通っていた学校には、美少女2人と一緒に本を読みあう部活がなかったのだろう……。
そんな羨ましい部活があったならば、帰宅部なんてやっていなかったのに。
早く帰ってゲームをやる、早く帰って漫画を読む。アニメを見る。
それはそれで楽しかったのかもしれないが、やはりもっと『リア充』したかったと思う。


杏子と歌穂、どちらも素敵な子で捨てがたいが、敢えてどちらかを取るというなら僕は杏子を選ぶ。
探していた絶版本に挟まれたラブレターは反則だ。
そんな趣向をこらされたら、チョロい僕はそれだけでときめいてしまう。
まして杏子のような女の子だ。きっと僕は即座にOKしてしまうことだろう。


もちろん、歌穂だっていい。
歌穂は、優佳ほどではないにせよこれまた昨今あまりお目にかからないであろう、『親友の彼女』という立ち位置だが、切なくて実に良い。
僕も学生時代、(親友じゃないけど)『友達の彼女』を好きになった事がある。
優佳同様こういった設定の物語も、僕はもっと見たいと思う。 


ただ、この2ルートは割と展開が似ているので、後に回したヒロインのルートはどうしてもややダレ気味にはなる。
また、この2人のアナザーストーリーに関しては正直に言うと、あまり面白くない。
というのも本編と、大して変わらないからだ。本編と違うのは、主人公とヒロインが付き合う時期ぐらいのものである。
もっとも、卒業まで残り4日になってから結ばれるよりも、卒業までのある程度の時間、ラブラブでいた方が楽しいことは確かだろうが。


ところが、結ばれるタイミングというものは重要なもので、優佳アナザーではむしろ、早い時期に結ばれた方がうまくいかないのだから面白い。
しかしあのビターなエンドも、あれはあれでなかなかクるものがあった。


★あやめシナリオと総評


さて、ここまでの5ルートは多分に僕のノスタルジーを刺激してくれたが、ねーちゃんことあやめシナリオは少し趣が異なる。
あやめシナリオは唯一、学校とは無関係のシナリオである。
ここで語られるのは姉弟の絆、自立、子供時代からの卒業である。
このシナリオを読むと、数ある涼を思うヒロイン勢の中でも、ねーちゃんとの絆は特別なのだなぁと思う。
ねーちゃんと結ばれなきゃ嘘だ、とすら思う、非常に印象的なシナリオである。
このシナリオも僕は好きだ。
好きなのだが……上の5ルートとは違い、このシナリオはあまりにも僕の学生生活とは違いすぎて、ノスタルジーを感じることはできなかったし、
特に羨ましいとも思わなかった。


やはり僕は、文芸部に所属して杏子と歌穂に挟まれてどちらかを選ぶ学生生活が羨ましい。
とても羨ましい。こんなに主人公が羨ましいと思うゲームは、滅多にない。
そういう意味で、あやめシナリオのインパクトは強烈だけれども、僕にとっては本作を代表するルートはあやめではなく、文芸部二人のルートである。  


永遠だと思っていたあの頃は、実際には永遠ではなかった。
しかし、特別な日々たちは、思い出として『永遠に』胸に残り続けるだろう。
そんな『永遠』が綴られる作品、それこそが本作「Crescendo」である。

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