2019年10月

うたわれるもの「二人の白皇」(ネタバレ感想)

☆前置き

「うたわれるもの2」は、「偽りの仮面」と本作「二人の白皇」に分かれています。
「偽りの仮面」が上巻、そして「二人の白皇」が下巻になっております。

「偽りの仮面」は終盤以外は非常につまらない作品なのですが、そのつまらなさを乗り越えれば、ようやく本作に辿りつけます。
「二人の白皇」は87点なのですが、分割商法が少し気になるので1点だけ下げました。
「偽りの仮面」はかなり間延びした作品ですので、ボリュームを半分にした上で2本を1つにまとめて、
発売できなかったのかなぁ。
まぁ、商法的には成功だと思うんですが……。

「ひぐらしのなく頃に」を知らない方には何のことだかわからないかもですが、
綿流し前の部活シーンに当たるのが「偽りの仮面」、綿流し後が「二人の白皇」みたいな感じでした。


あと、こんなに素敵な作品に言うのもなんだけど、18禁で出してよ!
クオンとノスリ、アトゥイにルルティエあたりは自然にHシーン入れられたでしょ!
はい、まぁそんな事はどうでもいいですね。



☆「子供から大人へ」仲間side

「子供から大人へ」。それが、うたわれるもの2のメインテーマになります。
とりわけ「偽りの仮面」で子供だったアンジュとネコネにそれは顕著です。

ぐうたらで甘やかされた『ガキ』だったアンジュは、父の死を乗り越え、力強く成長していきます。
クオンとの対決は本作の中でも特筆すべき名シーンで、あそこから物語にグイグイと引き込まれていきました。

同じく、「偽りの仮面」ではハクを毛嫌いするある種ヒステリックなブラコンだったネコネもまた、
兄の死を乗り越え、『オシュトル(ハク)』をしっかりと支える魅力的な妹に成長していきます。
個人的にはネコネこそ、本作のメインヒロインだったと思っています。

ハクは、兄(帝)、そしてクオンという保護者から離れ、オシュトルを演じることで、
少しずつ成熟し、ネコネの頼れる兄として成長していきます。

ルルティエは押し出しの強い姉シスの影から自立し、自らの意志で戦乱へ赴いていきます。

本作をプレイして一番印象に残ったのは、こうした前作では未熟だったキャラクター達が、目覚ましく成長していく姿でした。


☆「子供から大人へ」その2

仲間キャラクターだけではなく、「うたわれるもの2」の世界観自体がそのまま、「子供から大人へ」のテーマを表しています。

帝という偉大なる父の庇護の元、ヤマトは繁栄を迎えています。
その帝が亡くなった後、朝廷軍のリーダーとなったライコウは

『俺達は、帝が造りだした揺り籠から巣立ち 自分達の力で羽ばたき、自分達の足で立ち上がり、歩かねばならない』と語ります。
このライコウの思想信条は、まさに「子供から大人へ」のテーマを表現していると思います。

もう一人の悪役、ウォシスは父の愛を信じられず、大人になれなかった子供として暗躍します。
そんな彼を傍らで支えたのが、彼の子供役であるヤタナワラべたち。
そして、ウォシスは帝のように、神として振る舞い始めます。

ウォシスを父として、神のように崇めたヤタナワラべたち。
帝を父として、神のように崇めたヤマトの民たち。
そして何より、滅びてしまった旧人類やノロイに変化した人民たち。

自らの意志決定と責任を、絶大なる他者に預け、揺り篭の中に留まろうとする人々は、
本作の中で大きな代償を払うことになります。
自らの意志決定と責任を、絶大なる他者に預け、揺り篭の中に留まろうとする人々は、
本作の中で大きな代償を払うことになります。

本作の素晴らしいところは、単なるキャラクターの成長物語で終わらないところ。
そこから一歩進めて、『自己を持たない』未熟な大人を描いているところです。

現実世界に即して言えば、カリスマ的な人物の信者になってしまう人(それは、社長や上司でも良いし、政治家でも良いし、恋人とか親とかでも良いし、新興宗教の教祖的な人でも良いし、ユーチューバーとかでも良い。
とにかく、何らかの他者に決定権と責任を丸投げにし、その庇護の元でぬくぬくと過ごす人々)。

このような、『自分の意思を捨ててしまう人』全般を揺り篭の中の赤子にたとえ、
そうした種族・国家はやがて滅びていく。
それらを、タタリ・ノロイという形で表現しているという意味で、かなりラディカルで妥協のない成長物語だと感じました。
自らオシュトルの意思を継ぎ、責任を引き受けて成長していったハクと、
鮮やかなコントラストを描くウォシス。

「うたわれるもの2」はそういった、一作丸ごと成長物語に全振りした、骨太の物語でした。

トッテナムVSバイエルン(2-7)

とても面白かったです。

トッテナムはGKがロリス。
右SBにオーリエ。CBアルデルワイレルド、ヴェルトンゲンのベルギー代表コンビを置いて、左SBにローズの4バック。
中盤は司令塔のウィンクスと、それをフィジカル面で補佐するシソッコ&ヌドンベレ。トップ下にアリ、
2トップにソン・フンミンとケインです。

対するバイエルンはGKがノイアー。
左SBにアラバ、CBはジューレとボアテングのドイツ人コンビで、右SBにパヴァ―ル。
中盤はトリッソとキンミッヒを守備的に置いて、前にコウチーニョ。両翼は左がニャブリ、右がコマン。前線には脅威のストライカー、レバンドフスキ。


この両チームですが、攻撃面での長所と守備面での短所がかみ合いまくっていて、実に面白かったです。前半は完全にノーガードの打ち合いになりました。


バイエルンの攻撃は両翼、特に右サイドのキングズリー・コマンからの突破が多いのですが、
トッテナムの左サイドバック、ダニー・ローズではコマンを止められません。
そこから上がるクロスを、キンミッヒ、トリッソ、コウチーニョ、それにもちろんレバンドフスキが待ち構えます。
1点目はキンミッヒのミドル、2点目もレバンドフスキのミドルと、サイドでの劣勢で守備陣形が崩れたまま中央に折り返され、中央も分厚いバイエルンにゴールを決められる展開でした。


しかし、前半を通じて優勢に進めたのは実はトッテナムの方です。
彼らの縦に速いワンタッチパス、局面を大きく変える、横の揺さぶりにバイエルンの浅い最終ラインは崩壊一歩手前。
トッテナムはダイレクトプレーで、バイエルンの中盤の守備を完全に無効化し、面白いようにソン・フンミンが突破し、シュートを打ちまくりました。
守護神ノイアーやアラバのゴールカバーなどで失点を1に抑えましたが、大量失点してもおかしくない流れ。
バイエルンのジューレ、ボアテングは裏への抜け出しに弱く、ソン・フンミンに走られると追いつけません。そこをカバーするのがノイアーの飛び出しですが、ノイアーも全盛期に比べるとスピードは落ちているように感じられます。これは、この試合だけに限らず、今シーズンのバイエルンにとって『致命的』ともなりうる欠陥のように感じました。

この流れで……なんで1-2で折り返すかなぁ、というのが率直な感想です。
トッテナムのゴール直後にキンミッヒが同点に追いつき、前半終了直前にレバンドフスキが決める。
本当に、ここぞという時間に決めてきました。

☆後半、そして総評

後半は、前半から見えていた……いや、もっと言ってしまえば開幕前から見えていた、トッテナムの最大の弱点を面白いように突かれまくった、トッテナムにとって惨劇とも呼べる内容になりました。

左サイドバックのダニー・ローズ。右サイドバックのセルジュ・オーリエ。CBのヤン・ヴェルトンゲン。中盤底のハリー・ウィンクス。
この4人が今日の戦犯であり、ヴェルトンゲンを除いた3人は、そもそもこのレベルでは明らかに見劣りする選手たちです。

まず、オーリエとローズ。この2人はもはや守備をしておりません。
コマンとニャブリを止めたシーンが、ほとんど記憶にありません。
ローズは恐ろしいほどにスライディングタックルを多用し、たまたまコマンを止められたシーンはありましたが、そもそもスライディングというのは緊急事態における『一か八か』のタックルであって、
多用すべきではないし、何故か審判にお目こぼししてもらいましたが、どう見てもPKのシーンが1回ありました。
オーリエは攻撃面では顔を出していましたが、守備面では惨憺たる出来。
なぜシーズン開幕前にトリッピアーを放出した穴を埋めなかったのか、理解できません。
トッテナムは一昨年カイル・ウォーカーを、去年はキーラン・トリッピアーと2年連続で右SBの主軸を失っているのに、何故補強しなかったのでしょうか? 
オーリエに彼らの代わりが務まると、思っていた愉快な人がフロントにいたのでしょうか? 

若手の司令塔ということで、ウィンクスは辛抱強く成長を見守りたい選手ではあります。
しかしビッグクラブの中盤の底を任せるには、あまりに頼りないと言わざるを得ません。
不用意なボールロスト、流れを相手に渡すミスパス、酷いモノです。
もっと酷いのは、それでもウィンクスぐらいしか、トッテナムの中盤には配給役がいない事です。

ヴェルトンゲンは、普段は特に悪いとは思いませんが、今日の6失点目の気の抜けたようなミス。
2失点目のファウルの原因も、ヴェルトンゲンのパスミスが発端だったように記憶しています(こちらは記憶違いかも)。

と、4人も穴がいるようでは、このクラスでは勝てません。
今年のトッテナムは、いよいよダメみたいです。
シソッコ&ヌドンベレのダイナミズムを活かした中盤から前は、今日も形を作れていただけに
守備組織の再編ができれば良いのですが……。
SBがあまりに脆いので、いっそのことサンチェス、デイビス、アルデルワイレルド、ヴェルトンゲン、シソッコの5バックという案はいかがでしょうか? 
開幕当初から右SBの酷さとウィンクスの物足りなさは感じていましたが、ローズもこんなにひどかったんやね……。








夜のひつじ「男性を癒しぬく機械」読了(バレほぼなし)74点

静的・性的・思弁的な哲学問答。

閉じられた世界で、私は「問い」、あなたは「答える」。
そのことが私には「嬉しい」と感じられる。
つまり、「嬉しい」と感じる電気信号を受信する。
私が「笑う」、その事で「嬉しいという情報」をあなたに「送信」すると、あなたの心にも「嬉しい」という電気信号が発生し、あなたも「笑顔」になる。


最後の一ひねりを除けば徹頭徹尾、閉じられた世界での静的な哲学問答に終始している。
居心地の良さや、pororiさんの浸れる文章はあれど、さすがに「ゆびきり婚約ロリイタ」以降の4年間ほぼずっと、これをやり続けるのもさすがにマンネリ感はある。

本作はさしずめ「聖天使☆レベルドレイン2」と言ったところ。
天使ヒロインをロボットヒロインに移し替えれば、こんな感じになるだろう。
疲れ切った主人公が、ただ何も考えず、ひたすらエッチに甘えられる物語。
過剰なまでに庇護された居心地の良い世界。そういうのは、僕だって、嫌いじゃない。
全然、嫌いじゃない。


しかし、まぁ、それでも。
そろそろまた、もう少し物語を活発に動かし、アクションを持って描く作品を書いてくれてもいいんじゃないかな、とも思うのだった。

まー、なんだかんだで次も買いますw

SFオールタイムベスト

ミステリの時と同じ要領で。

S 何を措いてでも読むべき作品
A とても面白かった作品
B まずまず面白かった作品
C あまり面白くなかった作品
D 良さがわからなかった作品



(SFマガジン98年版)

1 果てしなき流れの果に

2 百億の昼と千億の夜
3 夏への扉 
4 火星年代記 

5 ソラリスの陽のもとに 
6 虎よ、虎よ 
6 幼年期の終わり

8 ハイペリオン

9 妖星伝
10 ファウンデーションシリーズ (ファウンデーションの彼方へ、まで)

11 地球の長い午後
12 星を継ぐもの

13  星界の紋章
14 アルジャーノンに花束を

14 あなたの魂に安らぎあれ
14 マイナスゼロ
17 ハイブリッドチャイルド
17 復活の日
19 銀河英雄伝説
20 ハイペリオン二部作
 ハイペリオン ハイペリオンの没落
21 アンドロイドは電気羊の夢を見るか
21 石の血脈
23 ブラッドミュージック
24 戦闘妖精雪風
25 日本沈没
26 たそがれに還る
26 ノーストリリア
28 リングワールド
29 神狩り
30 上弦の月を喰べる獅子
31 月は無慈悲な夜の女王
32 ニューロマンサー

32 消滅の光輪
34 竜の卵
34 産霊山秘録
34 虚構船団
37 グインサーガ
37 継ぐのは誰か?
39 旅のラゴス
40 宇宙船ビーグル号

41 第四間氷期
41 エンダーのゲーム

41 楽園の泉

44 終わりなき索敵
44 銀河乞食軍団
44 ユービック
47 スキャナーダークリー

47 闇の左手

49 都市と星
50 エンパイアスター
51 デューンシリーズ (砂漠の神皇帝まで)

51 さよならジュピター
53 兇天使
54 脱走と追跡のサンバ

55 結晶世界
55 猶予の月
55 ヴィーナス・シティ
55 虚無回廊
55 パプリカ
60 新しい太陽の書4部作
60 カエアンの聖衣
62 鋼鉄都市
62 引き潮のとき
62 スタータイドライジング

62 パヴァーヌ
66 朝のガスパール
66 スキズマトリックス
66 航空宇宙軍史シリーズ
69 逆転世界
69 都市
69 人間以上
69 猫のゆりかご(多分読んでる。自信がない)

69 日本アパッチ族
74 幻詩狩り
74 キャッチワールド
74 キャプテンフューチャー
74 バベル17
74 レンズマン
79 黙示録3174年
79 エイタ
79 敵は海賊・海賊版
82 火星のタイムスリップ

82 発狂した宇宙
82 帝都物語
85 タウゼロ

85 星からの帰還
85 ドグラマグラ

85 光の塔
85 プリズム
90 敵は海賊シリーズ
90 バベルの薫り
90 宇宙戦争
90 さよならダイノサウルス

94 時間衝突
94 所有せざる人々

94 ハローサマーグッドバイ
94 分解された男


宮部みゆき「理由」(バレなし感想)83点



社会派作品を読むと、いつも心がざわついてしまう。
凄惨な現実を知り不安になっても、どうすることもできない。あるいは胸の中が怒りでいっぱいになったとしても、社会を変える事などできはしない。
私には関係ない事だ、と切り離すには身近すぎるし、どうせ関係がないならば楽しい話を読みたいと思う。
現代に近い時代の、日本の物語なら猶更だ。

けれどきっと、社会にはこういう作品が必要なのだ。と、言ってみてもやはり釈然としない。もちろん、子供にとっては必要だと思う。
悪い事をしないように、危ないところに近づかないように、そういう注意喚起のために。
けれどある程度の知識を蓄えた大人にとって、必要なのかと聞かれると、私にはやはりよくわからない。
新聞やテレビのニュース、特にショッキングな殺人事件について知らないと、何か問題が生じるだろうか? スポーツのニュースなど、本当にいい迷惑だ。大好きなスポーツの結果をバラされたくないばかりに、出勤前に徹夜しなければならない。知りたい人は自分で調べればいいではないか。芸能人がどうしたとか、そんなのもどうでもいい。
僕が知りたいのはお天気情報と道路交通情報くらいだ。

通り魔事件が発生したとして、それを知っていれば防げるというものでもないだろう。
生活のために外に出ればやはり通り魔に遭ってしまう可能性はあるし、なけなしの防犯グッズを使いこなし、護身術を習いに道場に通っても、結局何も起こらなかったりするのだ(その方が良い)。
犯人の実像に迫ったって、大抵そこには犯人の破滅の物語があるだけで、犯人への憎しみを駆り立てられるか、犯人への同情を駆り立てられるかどちらかであり、そこに救いはない。

「理由」はヴァンダール千住北ニューシティという超高層マンションで起きた一家殺人事件の物語だ。細部まで行き届いたマンションの規則や
事件リポーターのような独特な文体で、まるでノンフィクションのルポルタージュと見紛う、迫真のフィクション小説である。
実際にこういうマンションが存在してそのまま規則を持ってきたのか、ある程度の材料を元に宮部さんが創作したのかはわからないが、高層マンションに住む人々の息遣いが聞こえてくる、そんな作品だ。この文体に触れられただけで、個人的には読んだ価値があった。

しかしこの作品もまた、社会派の例にもれず読んで心が晴れるとは言いがたい。殊に、キャラクターの大半が結婚生活に絶望を抱き、家庭で孤立している有様など、暗澹たる思いがしてしまう。
私は結婚したい、と思いつつきっとできないだろうと考えている人間なのだが、こんな結婚生活ばかりを読まされた日には、結婚なんて愚か者の選択だと感じずにはいられない。
嬉しい・楽しい・好きといった感情や、数々の思い出を共に分かち合い、手を取り合い、お互いの不足を補いあえるパートナーと共に暮らせれば、こんなに素敵な事はないよなぁと思うのだが、どうも「理由」を読んでいると、いや、読まずともわかるが、世間の多くの家庭はそんなに甘いモノではないらしい。

姑がどうのプライドがどうの見栄がどうのと、私からすると本当にくだらない事ばかりにエネルギーとお金を使い、破産してしまったり、もっと酷いときには自殺してしまう人が後を絶たないようだ。殊にこの作品の小糸夫妻など、個人的には犯人よりもよほど腹立たしく、胸がざわついてしまう。
しかしそれだけならまだいいのだ。もっと困るのが、小糸夫妻のようないわゆる厭な役回りのキャラクターだけでなく、もっとごく普通の、たとえば片倉信子のような「厭な役回りではないであろう」キャラクターも含めて、ほとんどのキャラクターが好きになれない。また、小糸夫妻は極端にしても、恐らく現実社会にもこのような人々はたくさんいるだろう、と感じてしまうと、人間社会がたまらなく厭になってしまう。

格好やら見栄やらなど気にせず暮らせればお金だって大してかからないかもしれないし、週40時間+αもあくせく働かずに暮らせる気がするし、その分の時間を趣味なり交友なりに充てた方がよほど幸福になれると思うけれど。現実問題としてダッサダサのパジャマにサンダルやら、ボロボロに着古した古服で交友の場に向かえばモテるどころか、奇異の視線に出迎えられ相手にされないのがオチだろう。
スーツにネクタイなど首周りは息苦しいし身体がこわばる無駄に疲れる服を日常的に着て、格好をつけるのが人間社会の多数であり、「パジャマの方が身体が楽で疲れにくいから、仕事もはかどりますよ」などと言ったって、結局誰にも相手にされないのは目に見えている。
だから仕方なくまともな人間を装うこの無駄かつ不毛な営みを、これからもずっと続けていくのだなぁ、などと考える。
互いに相手のステータスを図って、自分よりも劣った人間を見下すのが大好きな人間界で生きるには、こちらも見栄を張りとおすか、散々バカにされても気にせず襤褸を着るか、はたまた引きこもりの世捨て人にでもなるか。しかしいずれも満足にできない私は、中途半端に見栄を張り、中途半端にバカにされ、中途半端に引きこもって生きるのである。できれば、私などと付き合うパートナーがいるとすれば、あまり見栄を張らない人を望みたいし、そういう人としか暮らせない気がする。

見栄張り競争がエスカレートして、止められなくなったのが小糸一家だと思うと、なんだか途方もなく虚しい気持ちになってしまう。
人間の欲は止めどないものなのだから、贅沢など知らない方が賢明だと感じるし、どうせ世界で一番贅沢な人間になどなれないのだから、お隣の〇〇さんや友達の××くん、あるいは社内の同僚と優劣を争ったって無駄でしかなく、くだらなく感じてしまう。
人間社会を生きづらくしているのは人間自身。
それも本当に邪悪な人間ではなく、ごく普通に暮らしている人たち、私もきっと持っているであろう「くだらなさ」の塊が、自他問わず人を窒息させていく。
その事にただただ絶望してしまうのだ。

結局のところ、こんな私は独りぼっちで生きる方が楽なのかもしれないが、それではあまりにも寂しく、しかし何かの幸運で結婚などしても「理由」に出てくる夫婦のようになってしまうのでは、それは幸運ではなく不運でしかない。
夫婦間で見下したり見下されたり、何というバカバカしさであろうか。
嗚呼、厭だなぁと思い、布団の中で本をめくりながら、もうこの手の話は読むまいと思う。私はお花畑の中で生きたい。
月光に照らされた花畑に寝転んで、月明かりを頼りに本が読めればそれでいい。手元にはイチゴの載ったショートケーキと紅茶。それが贅沢ならいっそ飲料水だけで良い。問題ない。
もう、俗な世間で生きるのは疲れてしまった。

大した事はしていないのに何故か女性にモテモテでハーレムを作っちゃう話でも読んで、ずっとそんな妄想に浸って人生を過ごせれば、それが一番楽しいような気がする。
それは傍目には気持ち悪い男かもしれないが、楽しく妄想に耽っている人間を捕まえて気持ち悪いのなんだのと指摘する人間とは関わりたくない。
どこまでも作り物の優しい世界に浸りきって、ただ眠り続けたいというのが本音だったりするのだ。

社会派小説などを読むと、いつもこんなふうに嫌気が差してしまう。とにかく、生きている事が、この世界が、果てしなく嫌になる。こういった作品の感想などを読んでも、やれ××という登場人物が気持ち悪い、やれ〇〇が嫌いだ、と粗探しばかりをしたり、嗚呼もうこんな世界は嫌だ厭だと病み爛れた毒素に触れて読者まで厭な気持ちになるわけで、一向に優しく暖かく朗らかな気持ちになることはない。

だからもう当分は読むまいと思うし実際読みたくないのだが、なぜ私の手元には「模倣犯」などという小説があるのか理解に苦しむ。
ツンデレやフリではなく、本当に社会派小説は好きではないのに。





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