2022年09月

1534年里見家プレイ 追記あり(クリア)

里見八犬士をONにして、里見伏を大名にする八犬士プレイです。
問題は僕が「南総里見八犬伝」を全く知らないことなんですが……。

北条家が肥大する前に勢力拡大しないと手に負えなくなるので、
犬江新兵衛、犬塚信乃あたりをエースに、
佐竹家、宇都宮家などに積極的に侵攻し、調子に乗っていたら
反里見連合を組まれてしまいました。

北条・武田・今川・伊達・扇谷上杉などに攻め込まれるピンチでしたが、長尾家の助けも借りて、
何とか上杉を撃破。

連合解散後、北条を倒し関東の王者になりました。その流れで武田も撃破。
これは勝ち確の流れですね!
武田家臣団が強く、武田信玄・馬場信春・山県昌景あたりが早くもエース格になっていますし、
北条氏康・北条綱成も頼りになります。

ただ、できれば里見でやっているので八犬士を中心に使っていきたいんですがw


今川・長尾あたりが近隣の大勢力なんですが、婚姻同盟を結んでしまったので
とりあえず伊達あたりを攻めようかしら。
行きたい方向とは逆になっちゃいますが、1534年で始めると時間の猶予があるのが助かりますね。


(追記)

クリアしました。
最後まで今川・長尾とは婚姻を結んだままやりました。

伊達・南部など東北地方を制圧し、
その後、畿内の筒井・(なぜか伊勢に逃げ込んでいた)松平・浅井・朝倉・本願寺・足利といった小勢力を併呑し、クリアに達しました。

8犬士以上に、信玄を筆頭に武田家臣が有能すぎて、途中から武田家プレイみたいになっちゃいましたw

それにしても本当に1534年(というか1582以前)は優しい世界だ……


もうやりすぎなのでさすがにやりませんが、未プレイ大名で言えば、
今川・大友あたりでもクリアできそうだし、
政宗以前の伊達晴宗とかでもクリアできそうだなぁと思いました。
全部やってたらキリがないけどw

意外と足利幕府プレイも面白いかも……いかん、これ以上は沼なので撤退!




重松清「小学五年生」(短編集) 途中まで感想

小学5年生の男子を主人公にした17の短編を集めたエピソード集。
壮大な話ではなく、「あるある」と小学生の頃を思い出すような短編集になっています。

全体の評価は全部読んでからだけど、今のところ80点台前半は狙えそう。

☆「葉桜」 A

転校してしまった主人公が、同じく主人公とは別の学校に転校してしまった少女に片想いしながら、少しずつ転校前の学校を忘れていくお話。


☆「おとうと」 A₋

明日、入院してしまう弟と遊ぶ一日を描いた物語。


☆「友だちの友だち」 A

転入してきた主人公は、「やらかして」しまい、新しい学校に溶け込めずにいた。
そんな中、二年前に亡くなった少年(の母)を仲立ちに、新しい学校で友だちを作り出す。


☆「カンダさん」 A

近所のお姉さんに淡い思いを抱く主人公は、お姉さんの婚約者、カンダさんとも仲良くなる。
しかし、実家の反対や実家の家業を継ぐことと、お姉さんとの板挟みになったカンダさんは故郷へ帰ってしまうのだった。
2年後、お姉さんは別の男性と結婚したが、主人公は中学生になり、お姉さんとは疎遠になっていた。


☆「雨宿り」 B₋

突然の雨に翻弄される、少年数人のエピソード
(正直、このページ数で複数主人公じゃ中身もほとんどない)


☆「もこちん」 A

性の目覚めに戸惑う少年が主人公。
僕、中1ぐらいまで色気づいてなかったから、主人公の方が早いな。僕が遅いだけかなw


☆「南小、フォーエバー」 A₋

作品としてはA₋だけど、ミカミくんがクズすぎてちょっとしんどい。


☆「プラネタリウム」 A₋

こちらも自意識過剰の主人公の淡い片想い話。


☆「ケンタのたそがれ」 B₋

ちょっと暗すぎひん?


☆「バスに乗って」 B

なんか暗い話が続くなw

☆「ライギョ」 B

今度はいじめの話……。


☆「すねぽんさん」 B₋

暗い。

☆「川湯にて」 B₋

いや、マジで暗い。暗い話が入っているのはいいけど、5作連続で暗くて嫌気がさしてきた。
ここで挫折中断しちゃっていいですか……

☆「おこた」

☆「正」

☆「どきどき」

☆「タオル」


残響さんへのコメントレス、の体裁を借りて全然関係ない事を喋る

まずはコメントありがとうございます。
先週月曜日に歯の詰め物が取れたことから始まって、祖母の死や、1年ほど通話で繋がっていた友だちとの喧嘩別れなど、なかなかヘヴィな10日間でしたが、
少なくとも発病直後の脳に綿が詰まったような激鬱ではないので大丈夫です。
むしろ、1か月後に迫った誕生日の方が鬱ですね。


世界には「自分探し」だとか「生きる意味」だとか、そういった言葉があります。
大体思春期頃に真剣に考えて、大抵の人は大人になると見つけてしまうのか、
それとも「そんな事考えても仕方がない」と日々の生活に汲々としてうっちゃってしまうのかはわかりませんが、大体そんなようなやつです。

僕にとって、「自分探し」というものは最初から必要ありませんでした。
何故なら発達障害を抱えていることもあって、そもそも「自分」が強すぎるからでした。
社会不適合者と言い換えてもいいと思いますが、そもそも社会に合わせる気が全くありませんでした。


僕の知っている社会は、小学校で、僕をいじめていた社会でした。
そして同じ時期、習い事では僕はいじめられず、違う、もっと弱い子がいじめられていました。
それが僕にとっての「『狭い』社会」でした。
こんな社会に合わせるのもバカらしいと感じていましたし、大人になっていじめられなくなった今も、
根っこは変わりません。

全世界の富を大体公平に分配すれば、貧困問題も解消されるのに、ごく一部の人間が富を独占し、
別の場所では餓死する人間が出る。
僕は歴史が好きなので、人間の愚かさというものをある程度知っています。
ネットの、特に治安が悪いところを見れば、気持ちの悪い、頭のおかしな人がたくさんいます。

(別に自分が高潔だというわけではなく、そんな人間という種である、自分自身の醜さについても自覚はしています)


さて、そんな社会が作ったルールを下らないと考えている人間なので、当然流行にも興味はありませんし、結局自分が作ったルールを守り、
自分の『センス・美意識』で良いと思った事をするというのが自分の行動原理になります。
いわば、『異邦人(カミュ的な意味で)』なので、「個性」だとかそういったもので悩むことはありませんでした。


一方の「生きる意味」はどうでしょう。
こちらは、簡単に言いきる事は出来ません。

ただ、僕には二つの願望があります。
それは、A『楽しい時間をなるべく長く生きる事
(自分にとっての人生の宝物を、なるべくたくさん収拾する事)』と、

B『(自分を偽らずに)何かポジティブなものを相手に伝え、後世(と言っても死後10年とかかもしれませんが)残す事』です。


僕は、昭和の価値観である「結婚して子供を残す」といった幸せのカタチに逃げ込む事はできません。
なぜなら、「こんなクソみたいな世界」に、「クソみたいな人間」を再生産して、何が楽しいのか本気でわからないからです。
だから、何も頭を使わずに昭和の価値観で「どうして子供が欲しくないの?」と聞かれると、
「どうして子供が欲しいんですか?」と質問を返したくなります。


子供はかわいい? そうかもしれません。でもかわいいのは、小さいうちだけでしょう?
それとも老後の面倒を子供に見てもらうつもりでしょうか。
子供という形で、自分を後世に遺すことができるからでしょうか?

確かにB「何かポジティブなものを遺す」ことができるかもしれませんが、子供は親である僕の持ち物ではありませんし、それ以前にネガティブなものを遺す可能性の方が高そうです。


Aについては説明不要な気はします。誰だって楽しい時間が長い方が嬉しいと思います。

さて、翻って僕が楽しいと感じていたのは、中学2・3年、予備校時代、大学1~3年、それから簿記の勉強をしていた半年間です。
予備校時代は例外ですが、他の期間はどれも「気の置けない友だちグループに囲まれて、わいわいやっていた」時期です。
つまり、僕にとっては「友だちグループに囲まれて、日々を暮らす」事が幸せなのだと思います。
しかし僕はいわゆる変人ですし、大人になるとなかなかそういう機会が減ってくるのが残念ではあります。

また、幸せとは別に、他人との交流は自分の世界を拡げてくれるので、
大人になって友だちがほぼ皆無の今の自分は、それを切実に望んでいます。

ただ問題なのは、人間の好き嫌いは激しいので、「誰でもいいから誰かとつるみたい」願望はありません。というよりこの世に生きる人間の7割は、僕にとってくだらない人間ですから。
(向こうもきっとそう思っている事でしょう)。
だから、わかりあえる3割の人間との交わりを深くしたいというのが願望です。
この夢はかなうのでしょうか。不可能ではないと思いますが、難しいですね。

もう一つ、「他人との交流」ほどではありませんが、「心を打つ物語・音楽』などに出会う事も幸せのカタチ(人生の宝物)ですし、こちらに関してはぼっちインドア趣味でもある程度は達成できていると思います。


B『(自分を偽らずに)何かポジティブなものを相手に伝え、後世(と言っても死後10年とかかもしれませんが)残す事』について。

これは、僕にとっては本当に何でも良いのです。
一時期彼女がいたときは、彼女の記憶の中に自分が残ればそれでいいと思っていました。
まぁ、それはおいといて、今の自分にとっては「文章」ということになりますし、
その究極の形は、今現在の自分にとっては『自作小説』ということになります。

自分で書いていても自己欺瞞めいていると思いますが、画家には死後評価された方がたくさんいますし、文学でも宮沢賢治さんやエミリー・ブロンテなどはそうです。
だから、僕が書いた小説が、死後にでも読まれ、読んだ少数の人にポジティブな影響を与えられればいいなと思っています。
が、小説は著しく体力を消耗するので最近ずっとサボっています。

残響さんは、音楽活動に漫画執筆など旺盛に活動されていて、個人的にはとてもリスペクトしています。


小説の代替として、小説感想、ゲーム(できれば物語性の強いもの)感想があります。
これは自作小説執筆に比べれば充実感は3割程度ですが、労力は1割未満です。
今の自分は小説を読み、その感想文を書くことで、自作小説へのエネルギーを貯めつつ、Bの活動を消極的に行なっているところです。

ちなみに、中断中の小説は絶対に完成させます。
僕は、「いつ死んでもいい」「死にたい」と思っているうつ病患者ですが、今は死ねません。

少なくとも2年前に前半部を書いた(まだネットには公開していない)、
主人公の少女システィーナの生涯を描き終わるまでは、死んでも死にきれないので、これだけは絶対に書きます。
そしてそれを書いたら、また次の題材・次の夢を探すという感じでしょうか。


僕にとっては小説は「魂を削り、自分の内面を抉っていき」、
それを「読者が読みやすく彫琢していく」作業でもあるので、こればかりはぽんぽん多筆できないのです。
だからきっと職業作家には一生なれませんね。そんな年間何冊も書けませんもんw

でもそれでいいのです。
僕が目指すのは、宮沢賢治であり、エミリー・ブロンテですし、突き詰めれば『人生とは自己満足』に他ならないのですから。


と、たまにはこんなシリアス風味な記事も書いてみましたが、
そんなことよりも、今読んでいるカズオ・イシグロの「わたしを離さないで」がマジ名作なので、
読書生活は充実しています。
こんな小説、生涯に一作でいいから書いてから死にてぇなぁ……


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