著者はフィリップ・K・ディック。評価はS。


麻薬を取り締まるため、麻薬中毒者の振りをする捜査官。
しかし、そのうち麻薬を吸い始めた彼は、二重人格のような症状を呈し始める。「捜査官」モードの自分と、「中毒者」モードの自分が、同一人物であることを認識できなくなり、急速に脳が焼きついていく。
自身、覚せい剤中毒が原因で死去する作者が、死の五年前に正面から麻薬問題と取り組んだ一冊です。


いや、これが実に面白かった。面白かったという単語は非常に不謹慎だと思うのだけれど、強い「メッセージ性」があるだけじゃなく、「娯楽」としても面白かったから、面白かったと書かせてほしい。
ジャンキーたちのバカ話が非常に滑稽で、何度も笑わせていただきました。ディックって、こんなにギャグセンスがあったのか。知らなかった。


「自分とは何か」といったテーマを描いた小説は数多くあると思いますが、
それを前面に出さずに、「麻薬」というもう1つの重大なテーマをきちんと描ききった上で、しっかりと読者に伝えてみせたことに感嘆しました。
2つのテーマが共存し、齟齬をきたすことなく描ける作品って、なかなかないんですよね。それだけでなく前述のように笑えるシーンもあり、あっと驚く種明かしもありで、娯楽小説としても十分面白かった。


麻薬を吸っていい気分になっているジャンキーたちの、「多幸感」と、
現実に生きる人々(麻薬を吸っていない人々+「捜査官モード」の主人公)の「閉塞した憂鬱感」の対照的な描かれ方もポイント。そりゃ薬も吸いたくなるよ……というくらいの重苦しい雰囲気が、伝わってきます。名称は忘れましたが、自分の姿と声を変容させてしまうスーツも、曖昧で陰鬱な雰囲気に一役買っていますね。


麻薬に対する憎しみ、恐怖。麻薬を取り締まるためなら、捜査官の人生を台無しにするのも辞さない冷酷な組織。そして、多くのジャンキーは「怪物」ではなく、「犠牲者」であること。


「麻薬更生施設」で主人公が皆から拍手をもらうシーンに、感動するとともに、その「更生施設」が「麻薬を栽培している」という疑惑を生むラストも秀逸でした。


今まで2作読んで、フィリップ・K・ディックは(自分にとって)外れ作家だと思っていましたが、こんなに面白い小説が読めるとは思ってもいませんでした。