評価は A+。
本書は作者が25歳の時に出版された作品だが、とても信じられない。
文章は重厚かつ抑制が効いており、青臭い感傷とは無縁だ(注:私は青臭い感傷めいた描写も大好きですが)。
描かれる登場人物は30代、40代の妻子持ち男性が中心。
娘への愛や、娘を失う悲しみがリアリティを持って描かれている。
熟練の中堅、ベテラン作家が描きそうな作風であり、安定感なのである。
内容については何を書いてもネタバレになるので、未読かつこれから本書を読まれる方は、
ここで引き返してください。
本書の形式的な特徴は、『警官視点』と『犯人視点』が交互に描かれることだ。
警官は佐伯という男で、いかにも厳格で頼りになる警官という風情。
犯人は松本という男。娘を失い、新興宗教に通う、思考力の足りない男という印象だ。
本書を読み進めていくうちに、とある疑惑が頭に浮かぶ。
どうも、時間軸がズレているような気がするのだ。
正確にどれぐらいズレているのかはわからないのだが、『警官視点』と『犯人視点』で流れている時間がズレている。そんな違和感は確かにあった。
しかしもし、『警官視点』で扱われている誘拐事件と『犯人視点』で扱われている誘拐事件が別個の事件だとしたら、犯人は二人いることになる。そうでないと、辻褄が合わない。
と、ここまでは僕も推理できた。
しかし、肝心の犯人がまさか、当の警官本人だったとは……。
名字が違うこともあり、全く思い至らなかったが、再読してみれば、「確かに」と頷ける部分がある。
婿養子だという設定もそうだし、松本の下の名前が呼ばれないのもそうだろう。
佐伯視点では妻とうまくいかなくなっていたし、離婚していてもおかしくはない。
松本について、「見覚えがある」と語る人物が複数名存在するのも伏線だろう。
そうした叙述トリックの見事さだけでなく、娘を失い抜け殻となった佐伯の痛ましさ。
声なき彼の慟哭が読み手の心に深く刻まれる。
本書はミステリとしてもドラマとしても、忘れられない作品になるだろう。
本書は作者が25歳の時に出版された作品だが、とても信じられない。
文章は重厚かつ抑制が効いており、青臭い感傷とは無縁だ(注:私は青臭い感傷めいた描写も大好きですが)。
描かれる登場人物は30代、40代の妻子持ち男性が中心。
娘への愛や、娘を失う悲しみがリアリティを持って描かれている。
熟練の中堅、ベテラン作家が描きそうな作風であり、安定感なのである。
内容については何を書いてもネタバレになるので、未読かつこれから本書を読まれる方は、
ここで引き返してください。
本書の形式的な特徴は、『警官視点』と『犯人視点』が交互に描かれることだ。
警官は佐伯という男で、いかにも厳格で頼りになる警官という風情。
犯人は松本という男。娘を失い、新興宗教に通う、思考力の足りない男という印象だ。
本書を読み進めていくうちに、とある疑惑が頭に浮かぶ。
どうも、時間軸がズレているような気がするのだ。
正確にどれぐらいズレているのかはわからないのだが、『警官視点』と『犯人視点』で流れている時間がズレている。そんな違和感は確かにあった。
しかしもし、『警官視点』で扱われている誘拐事件と『犯人視点』で扱われている誘拐事件が別個の事件だとしたら、犯人は二人いることになる。そうでないと、辻褄が合わない。
と、ここまでは僕も推理できた。
しかし、肝心の犯人がまさか、当の警官本人だったとは……。
名字が違うこともあり、全く思い至らなかったが、再読してみれば、「確かに」と頷ける部分がある。
婿養子だという設定もそうだし、松本の下の名前が呼ばれないのもそうだろう。
佐伯視点では妻とうまくいかなくなっていたし、離婚していてもおかしくはない。
松本について、「見覚えがある」と語る人物が複数名存在するのも伏線だろう。
そうした叙述トリックの見事さだけでなく、娘を失い抜け殻となった佐伯の痛ましさ。
声なき彼の慟哭が読み手の心に深く刻まれる。
本書はミステリとしてもドラマとしても、忘れられない作品になるだろう。