評価はA+。


本書はアイザック・アシモフの中篇「バイセンテニアル・マン」を、ロバート・シルヴァーバーグが長編化したものになります。
とはいえ、シルヴァーバーグ色は非常に薄いため、前情報を知らなければ長編版も「アシモフが書いたもの」だと
思ってしまいそうな、それぐらいアシモフ色の強い作品です。


マーティン家に送られてきた『一人』のロボット、アンドリューの物語。
人間と共に長く暮らしていくうちに、彼は少しずつ『人間になりたい』と思うようになります。
喜怒哀楽を持ち、ロボットの形状から人間の形状へと見た目を変え、服を着ます。
芸術作品を作り、人間を慈しむ彼の姿は、もうどこから見ても人間そのもの。
それでも、法的には彼はロボット。人間が「壊したい」と思えば壊されてしまう、そんな脆弱な立場のままなのです。


本書では、人間とロボットとの境界線について、非常に詳細に語られていきます。


ロボットとは行動をプログラムされた存在である。
しかし人間もまた、生存本能や種の歴史、あるいは親の教育によってプログラムされた存在ではないだろうか。

ロボットとは、工場で作られた鋼鉄の塊である。
しかし体に機械を埋め込んだ人間は、ロボットとはどう違うのか?

人間とは何か。それはロボットとはどう違うのか。
なぜロボットが服を着てはいけないのか。なぜロボットが労働の対価として賃金をもらってはいけないのか。
なぜロボットには参政権がないのか。なぜロボットには……


アンドリューはついに結論に達します。
それは、人間とは『非合理的なもの』であるということ。そして人間とは『不完全なもの』であること。
彼は、人間になるために、自ら死を選びます。


それは、究極的に『非合理的な』選択であり、永遠の生を得られるロボットという器を捨て、『死』を迎える人間になるという選択でした。
そんなアンドリューを、人々はようやく『人間』として認めたのです。


ざっと振り返ればこんなお話ですが、哲学的な小難しいだけの小説ではありません。
アンドリューと、マーティン家の人々。『サー』や『リトル・ミス』とのふれあいは、心が温まるものでした。


「自由になりたい」と願うアンドリューに、激昂し癇癪を起こすサー。
「ロボットのくせに」と口走る彼ですが、彼の本心はアンドリューに去られたくない、一緒にいてほしいというものでした。
自由意志により妻に去られ、一人ぼっちで家に暮らすサーは、自由を与えたアンドリューが去ってしまうことを恐れたのです。
「アンドリューに出ていってほしくないんだ」というP104の台詞には思わず胸が詰まる思いでした。


サーに何とかしてお金を渡そうとするアンドリュー。この時のアンドリューにはまだ「非人間的」なものを感じます。
アンドリューから決してお金を受け取ろうとしないサーの気持ちは、この時の彼にはまだわからなかったでしょう。


P364、死を決めたアンドリューの、
「ロボットとして永遠に生きるくらいなら、人間として死ぬほうを選ぶよ」もまた、印象的な台詞でした。



ここまでしなくては、彼は「人間」として扱ってもらえないのでしょうか?
どんな人間よりも善良で、心の暖かな彼のたった一つの願い。
誰に迷惑をかけることもなく、ただ「人間」として扱われたい。それだけのことなのに。


人間は「未知」を恐れます。「力のある者」を恐れます。
そして議会は「前例」を作ることを恐れます。
それは、「無知蒙昧な人間」として、私にもよく解ります。
アンドリューのことをよく知っていれば、私も彼の「人間になりたい」という願いを理解するでしょう。

しかし彼のことを知らなければ、「よくわからないけど、なんだか怖い」というぼんやりとした理由で、
「ロボットを人間として扱う」法案に反対する事でしょう。
人間の……というと語弊があるかもしれませんが、それが私の限界かなと思います。


本書は哲学的な面でも深く考えさせられますし、ある一人のロボットの人生を描いたドラマとしても面白く読めました。
アシモフのロボット作品に共通することですが、彼が描くロボットストーリーは本当に暖かいんですよね。
そんなアシモフの良さを全く殺さずに、長編化をなしとげたシルヴァーバーグの手腕も評価したいところです。
これは、アシモフの意図、アシモフの考え方、アシモフ作品の良さを知り尽くしていないとできない芸当です。
「自分ならこうした」という欲を捨て、アシモフ作品の持つ良さを最大限に大切にしたシルヴァーバーグの貢献も忘れてはいけないポイントでしょう。




*ストーリーについて一つ野暮なことを言うなら、私がアンドリューなら「地球で、人間として認められる」事にそこまではこだわらなかっただろうなと思います。
月世界では、アンドリューは「人間」として認められていたからです。
私なら月世界で、永遠に楽しく暮らすだろうなと思ってしまいました。

これはアンドリューの「故郷への感傷」によるものでしょう。
あるいは、身も蓋もないことを言えば物語上の都合と言えるかもしれません。

(人間になるために死を選ぶロボットの物語はとても印象的ですが、嫌な地球世界から逃げ出し、月世界でいつまでも楽しく暮らすロボットの物語では、本書のテーマは十分に伝わらないような気がします)


しかしまぁ、快適な環境に行けるのなら、不愉快な環境を変えようと力を尽くすよりも、快適な環境に逃げ込んじゃった方がいいとは思います。