気づけば夜のひつじ作品をプレイするのは今回で9作目ですね。
というわけで、まず最初に以前書いたものの流用ですが、ほい。
夜のひつじ作品について知らない方は↓は飛ばして本文をお読みください。
(殿堂入り):なし
(かなり好き):「相思相愛ロリータ」
「義妹ホールと妹ホールド」
「ゆびきり婚約ロリイタ」←NEW
(好き):「彼女、甘い彼女」
(まぁまぁ好き):
「幼馴染と10年、夏」
「幼馴染の心が読めたらどうするか」
「妹『お姉ちゃんクソビッチなので私にしませんか』」
「好き好き大好き超管理してあげる」
(好みからはずれた):
「純情セックスフレンド」
【本文】
さて、本作「ゆびきり婚約ロリイタ」である。
僕は特にロリコンというわけではないはずなのだけど、pororiさんの描くロリータものは面白い。
pororiさんはきっと*1 ロリータが好きで好きで仕方ないのではあるまいか。
子供というのは、周囲の庇護を必要とする生き物だ。
与えられた環境の影響は大きく、無垢な反面、危なっかしい。
この危なっかしさは形を変えて、ロリータだけでなく思春期に入ったばかりの*2少年少女にも存在する。
つまり、ロリータだけの専売特許ではないのだが、あまり脱線するのもなんなので本作の話をしよう。
「相思相愛ロリータ」でも言える事なのだが、僕にはこの作品もまた、ハッピーエンドであるようには見えない。
本作のジャンルは『縁組み性愛ロリユートピアノベル』である。
それは確かに「ユートピア」ではあるのだが、しかし「砂上の楼閣」でもある。
古傷を癒すため寄り添える相手が欲しい啓人と、庇護者の欲しい鈴佳。
鈴佳が啓人を求めるのは、単純な「愛」というよりも「生存戦略」であるように僕には思えてしまう。
「ここにいてもいい」という安心のために鈴佳は身体を提供する。
そして、啓人はそんな鈴佳に溺れていく。
己が生存するために、鈴佳は啓人に「中出し」を迫り、*3既成事実を作り上げていく。
その手管は割と恐ろしいものだと思う。
とはいえ、鈴佳を責めようとは思わない。彼女は、生きることに「必死」なのだ。
3年前に一度会っただけの男、寝ながら泣いていたという程度の触れあいしかない彼に、
縋りつかなければならないほど、追い詰められているのだ。
それも当然だろう。唯一頼りにしていた、大おばが認知症になってしまったのだから。
それにもちろん、啓人のことを「好き」だという事自体が偽りだとは、僕もさすがに思っていない。
ただ、「好き」にはいろいろあるし、そこに滲むものは単なる「好意」だけではない。
啓人はまだ20代半ばであり、鈴佳とその子供。
2人の未成年を1人で支えるには絶対的に力が足りないだろう。
頼りは資産家の「大おば」なのだが、彼女には親族が沢山おり、それなりの名家でもあるようだ。
小○生の少女を孕ませた主人公に、ほいほいと遺産が残されるだろうか?
認知症にかかる前に大おばが何かしらの手を打っていてくれたとは思うのだが、もしそうでないならば
腕の立つ弁護士の用意なども含め、相当厳しい戦いになることは覚悟した方が良いと思う。
鈴佳もまた、「大丈夫」という確信はないはずだ。まだ働ける年齢ではないから、家計の足しにパートに出ることもできないし、それどころか学校にも通わなければならないから、付きっきりで子供の面倒を見る事もできない。
砂上の楼閣のまま、そんな周囲の事に目を背けながら、彼らは走り出そうとしている。
茨の道だ。決して甘いだけのユートピアではない。
互いへの甘い感情が癒してくれるとはいえ、その生活は闘争の連続であるはずだ。
啓人も鈴佳も、将来後悔することがないと良い、と思う。
とはいえ、そういった「安易な孕ませ」をして主人公はバカだなーと言いたいわけでは勿論なくて、
一時の安寧のために、将来を「見てみない振りができる」その能力はある意味羨ましく思ってしまう。
本当はやりたい事がたくさんあるのに、リスクを考えて躊躇してしまう僕だから、こうして平穏に生きていられるわけだけど、しかしそこに「冒険」はない。
「冒険」しないからこそ、万が一僕の周囲に鈴佳ちゃんが現れて僕を慕ってくれたとしても、啓人と同じ行動はとれないだろうし、そうすればこのロリータとの甘いひとときを味わうこともできないだろう。
安全な立ち位置から、自分にはできない経験をする。これもまた、エロゲに限らず創作物全般が備える大きな価値である。
安全で平穏でつまらない人生を歩む僕が、そのつまらない「リスクマネージメント」を投げ捨てることで、ひょっとしたら得られたかもしれない波乱万丈の鈴佳との人生を、短い時間ながらも追体験させてくれた作品。
それが僕にとっての本作、「ゆびきり婚約ロリイタ」である。
*1反面、氏の書く幼馴染モノは個人的にはイマイチである。氏が幼馴染に思い入れがないのか、僕の考える幼馴染モノの理想と離れているのかは知らない。
*2 「義妹ホールと妹ホールド」、「純情セックスフレンド」の二作は、『性』への目覚めと思春期の脆さから、
ヒロインが堕ちてしまうバッドエンドがある。これは、繊細な心理描写がなされている事もあり、よくあるエロゲの『快楽堕ち』とは一線を画する。
僕が「義妹ホール~」を高評価するのは、ヒロイン千穂の清らかさと脆さが、周囲の環境によって「淫らさ」へと染められ、書き換えられていくさまが非常にエロく、かつ切なく。「ストーリーだけ」でも「エロだけ」でもない、両者を兼ね備えた上で、それが「作品全体のテーマ」と密接に絡んでいる好例だと思うからである。
*3 「いつか別れが来るかもしれない」、「でも、今は好き」、「その今をずっと更新していくことで、それが永遠となればいい」。
男女間(だけに限らないとは思うが)のこうした機微を、porori氏は以前からくり返し書いている。
これは、ポップなキャラゲー路線に見える「幼馴染の心が読めたらどうするか」の中にすら、そうした思想が
挿入されている。
本作の鈴佳もまた、非常に疑い深い人間である。
だからこそ、「いつまでも一緒」という口約束(形のないもの)ではなく、常に何らかの体験や事物によって、相手の心を繋ぎとめようとしていた事を思い出してみよう。
それは「ゆびきり」であり、「指輪」である。そして、「SEX」、とくればその次は……?
もちろんこれは、「体験や事物そのもの」を求めるのではなく、
「SEXをしてしまった」=「悪いこと」、「子供を作ってしまった」=「悪いこと」
→「悪い事をした啓人は、鈴佳を捨ててはいけない」という一種の暗示として働いている。
つまり、鈴佳は啓人に次々と「枷」をはめ込んでいっているわけで、
ただ甘い日常をロリと過ごして幸せ~~というだけの物語ではないと思う。
というわけで、まず最初に以前書いたものの流用ですが、ほい。
夜のひつじ作品について知らない方は↓は飛ばして本文をお読みください。
(殿堂入り):なし
(かなり好き):「相思相愛ロリータ」
「義妹ホールと妹ホールド」
「ゆびきり婚約ロリイタ」←NEW
(好き):「彼女、甘い彼女」
(まぁまぁ好き):
「幼馴染と10年、夏」
「幼馴染の心が読めたらどうするか」
「妹『お姉ちゃんクソビッチなので私にしませんか』」
「好き好き大好き超管理してあげる」
(好みからはずれた):
「純情セックスフレンド」
【本文】
さて、本作「ゆびきり婚約ロリイタ」である。
僕は特にロリコンというわけではないはずなのだけど、pororiさんの描くロリータものは面白い。
pororiさんはきっと*1 ロリータが好きで好きで仕方ないのではあるまいか。
子供というのは、周囲の庇護を必要とする生き物だ。
与えられた環境の影響は大きく、無垢な反面、危なっかしい。
この危なっかしさは形を変えて、ロリータだけでなく思春期に入ったばかりの*2少年少女にも存在する。
つまり、ロリータだけの専売特許ではないのだが、あまり脱線するのもなんなので本作の話をしよう。
「相思相愛ロリータ」でも言える事なのだが、僕にはこの作品もまた、ハッピーエンドであるようには見えない。
本作のジャンルは『縁組み性愛ロリユートピアノベル』である。
それは確かに「ユートピア」ではあるのだが、しかし「砂上の楼閣」でもある。
古傷を癒すため寄り添える相手が欲しい啓人と、庇護者の欲しい鈴佳。
鈴佳が啓人を求めるのは、単純な「愛」というよりも「生存戦略」であるように僕には思えてしまう。
「ここにいてもいい」という安心のために鈴佳は身体を提供する。
そして、啓人はそんな鈴佳に溺れていく。
己が生存するために、鈴佳は啓人に「中出し」を迫り、*3既成事実を作り上げていく。
その手管は割と恐ろしいものだと思う。
とはいえ、鈴佳を責めようとは思わない。彼女は、生きることに「必死」なのだ。
3年前に一度会っただけの男、寝ながら泣いていたという程度の触れあいしかない彼に、
縋りつかなければならないほど、追い詰められているのだ。
それも当然だろう。唯一頼りにしていた、大おばが認知症になってしまったのだから。
それにもちろん、啓人のことを「好き」だという事自体が偽りだとは、僕もさすがに思っていない。
ただ、「好き」にはいろいろあるし、そこに滲むものは単なる「好意」だけではない。
啓人はまだ20代半ばであり、鈴佳とその子供。
2人の未成年を1人で支えるには絶対的に力が足りないだろう。
頼りは資産家の「大おば」なのだが、彼女には親族が沢山おり、それなりの名家でもあるようだ。
小○生の少女を孕ませた主人公に、ほいほいと遺産が残されるだろうか?
認知症にかかる前に大おばが何かしらの手を打っていてくれたとは思うのだが、もしそうでないならば
腕の立つ弁護士の用意なども含め、相当厳しい戦いになることは覚悟した方が良いと思う。
鈴佳もまた、「大丈夫」という確信はないはずだ。まだ働ける年齢ではないから、家計の足しにパートに出ることもできないし、それどころか学校にも通わなければならないから、付きっきりで子供の面倒を見る事もできない。
砂上の楼閣のまま、そんな周囲の事に目を背けながら、彼らは走り出そうとしている。
茨の道だ。決して甘いだけのユートピアではない。
互いへの甘い感情が癒してくれるとはいえ、その生活は闘争の連続であるはずだ。
啓人も鈴佳も、将来後悔することがないと良い、と思う。
とはいえ、そういった「安易な孕ませ」をして主人公はバカだなーと言いたいわけでは勿論なくて、
一時の安寧のために、将来を「見てみない振りができる」その能力はある意味羨ましく思ってしまう。
本当はやりたい事がたくさんあるのに、リスクを考えて躊躇してしまう僕だから、こうして平穏に生きていられるわけだけど、しかしそこに「冒険」はない。
「冒険」しないからこそ、万が一僕の周囲に鈴佳ちゃんが現れて僕を慕ってくれたとしても、啓人と同じ行動はとれないだろうし、そうすればこのロリータとの甘いひとときを味わうこともできないだろう。
安全な立ち位置から、自分にはできない経験をする。これもまた、エロゲに限らず創作物全般が備える大きな価値である。
安全で平穏でつまらない人生を歩む僕が、そのつまらない「リスクマネージメント」を投げ捨てることで、ひょっとしたら得られたかもしれない波乱万丈の鈴佳との人生を、短い時間ながらも追体験させてくれた作品。
それが僕にとっての本作、「ゆびきり婚約ロリイタ」である。
*1反面、氏の書く幼馴染モノは個人的にはイマイチである。氏が幼馴染に思い入れがないのか、僕の考える幼馴染モノの理想と離れているのかは知らない。
*2 「義妹ホールと妹ホールド」、「純情セックスフレンド」の二作は、『性』への目覚めと思春期の脆さから、
ヒロインが堕ちてしまうバッドエンドがある。これは、繊細な心理描写がなされている事もあり、よくあるエロゲの『快楽堕ち』とは一線を画する。
僕が「義妹ホール~」を高評価するのは、ヒロイン千穂の清らかさと脆さが、周囲の環境によって「淫らさ」へと染められ、書き換えられていくさまが非常にエロく、かつ切なく。「ストーリーだけ」でも「エロだけ」でもない、両者を兼ね備えた上で、それが「作品全体のテーマ」と密接に絡んでいる好例だと思うからである。
*3 「いつか別れが来るかもしれない」、「でも、今は好き」、「その今をずっと更新していくことで、それが永遠となればいい」。
男女間(だけに限らないとは思うが)のこうした機微を、porori氏は以前からくり返し書いている。
これは、ポップなキャラゲー路線に見える「幼馴染の心が読めたらどうするか」の中にすら、そうした思想が
挿入されている。
本作の鈴佳もまた、非常に疑い深い人間である。
だからこそ、「いつまでも一緒」という口約束(形のないもの)ではなく、常に何らかの体験や事物によって、相手の心を繋ぎとめようとしていた事を思い出してみよう。
それは「ゆびきり」であり、「指輪」である。そして、「SEX」、とくればその次は……?
もちろんこれは、「体験や事物そのもの」を求めるのではなく、
「SEXをしてしまった」=「悪いこと」、「子供を作ってしまった」=「悪いこと」
→「悪い事をした啓人は、鈴佳を捨ててはいけない」という一種の暗示として働いている。
つまり、鈴佳は啓人に次々と「枷」をはめ込んでいっているわけで、
ただ甘い日常をロリと過ごして幸せ~~というだけの物語ではないと思う。