この記事は、ある一定期間が経てば消すかもしれません。
元々Twitterでやろうと思ったんですが、あまりに長くて連ツイになってしまうので、文字数制限のないブログに書きました。
ただ、別に長く残しておきたいものでもないので、ある程度の方……最悪キバヤシさんに届けば(あるいは、キバヤシさんに興味がない事がわかれば)それで十分なのです。
以下、Twitterで書いた文章になるので、ブログに載せるレベルの文章にはなっていませんが、
(要は殴り書きのまま)、とりあえずそのまま載せておきます。

キバヤシさんのブログ記事はこちら。(こちらも、「君の名は」のネタバレがあります)

↓以下、Twitterに書こうとした文章をそのまま。



ちなみに、僕が昨日セカイ系についてあーだこーだ言ったのは、元々atakさんが
「見た範囲で『君の名は』の6割ぐらいの感想(後に、3割ぐらいかもと訂正。どちらにしろ多い)が、セカイ系という単語を含んでいる」というツイートに疑問を持ったのが一番大きくて、
キバヤシさんの「爽やかセカイ系」というツイートへの反発は大してなかった事を先に書いておきます。
ただ、atakさんのツイートでモヤモヤしていたところに、キバヤシさんのツイートを見たので、そのタイミングで連ツイしたのは確かです。その辺の慎重さに欠けたため、少し誤解をさせてしまったかもしれません。
あの連ツイは、キバヤシさんへの攻撃ではないつもりです……。


個人の感想は個人の感想で良いんですよ。
でも3割もの人がそう言ってるなら、それはどうなのかなぁっていう事です。
ここからは、キバヤシさんに(直接ではないものの、恐らく)反応をいただいたと思うので、それに絡めての話をしますね。


僕がキバヤシさんの感想に引っかかったのは、「セカイ系」という単語を『肯定的に』使っているように、『誤読』したからです。
 
キバヤシさんは「『君の名は』良かったよ」→「見終わった直後は良かったと思ったけど、脚本適当じゃね?」→「『君の名は』は、爽やかセカイ系」というツイートをなさっているんですが、(僕がfavしているにも関わらず!)「脚本適当じゃね?」が記憶になくて、「爽やかセカイ系で良かった」という風に誤読したのが要因です。
 
僕は「セカイ系」という単語は、冷笑的なニュアンスを持つ、分析的な単語だと勝手に思っているので、「好きな作品は、『でも、これってセカイ系だよね:笑』」みたいな事を思わずに、素直に楽しめばいいのになぁというお節介心によるものです(厨二作品、という単語でも多分同じ反応を示します。ただし、僕が厨二作品を気に入ることはあまりない→どうでも良い作品に対しては、あまり反応しないかもしれません)。
 
 
で、キバヤシさんのTwitterと、新しく書かれたキバヤシさんのブログ記事を読ませていただいた結果、
「セカイ系という単語を、否定的に使っていた」事が解ったので、疑問は氷解しました。
僕の引っかかりはほぼ取れた事を書いておきます。


キバヤシさんの仰る「セカイ系」の感覚と、僕の考えている「セカイ系」の感覚はそこそこズレているわけですが……ズレているというよりは、キバヤシさんの方がより広い範囲の作品をこの定義に含めていると言った方が良いかな。
凄くテキトーな事を言えば、僕が「ブス」と言った時には10段階で1~3の人をさすけど、キバヤシさんは4までをさすのかな、ぐらいのズレ。
僕の定義が正確か、キバヤシさんの定義が正確か、というお話は僕はあまり興味のないところですし、知識もないためにここでは触れません。


キバヤシさんはブログで「近傍世界のリアリティに比べ、外界のリアリティの希薄さが異常」と仰っていて、これを表したのが「セカイ系」という単語だという論旨です(よね?)。
 
その理由として、近傍の「学園生活とバイト」は語られているけど、外界の「友人関係、バイトの先輩、時間のずれ、彗星、父親との軋轢」は描かれていない。
「いまだに愚直にセカイ系をやっている」。「成功しているとは言い難いが、一応、外界を描写しようとした形跡は見られる」とも仰っています。
 

僕としては、同意でもあり、不同意でもあります。
まず最初に、僕は友人関係はあんなものだろうし、むしろ彗星は時間を割きすぎだと思っています。
一方で、時間のずれに対するアプローチは非常に稚拙で、ここはキバヤシさんと同意見。
にも関わらず、その時間のずれを主軸に物語が展開するため、ブレブレな軸に寄り掛かっている物語、という印象を受けました。完成度が低いと僕がTwitterで書いたのは、その辺りもあります。
記憶の消失とかのメカニズムも、随分といい加減よね。ファンタジーならそれでもいいんですが。
父親との軋轢も、もう少し丁寧に描くべき内容ですが、まぁこれはこれでいいかな。


バイトの先輩の描写も、もう少し丁寧に描いてくれると奥寺先輩が好きだった僕は喜びますが、これもまぁこれでいいかな。ただ、奥寺先輩がなんで瀧くんについて旅行に行ったのかは謎。
奥寺先輩との親密な関係は、こないだのデートで崩れたんじゃ……っていう。それともあの旅行でワンチャンあったんだろうか。


というのが僕の感想です。ついでに言うと、「SF要素」以外の内容は、これは「外界」なのかなぁという疑問もあります。「友人関係、バイトの先輩、父親との軋轢」は個人的には十分「近傍:パーソナル」なお話だと思っているので。役所での「父親との対決」まで行けば、一応「外界」の話なのかなぁ。

「時間のずれ」と「彗星」は、SF要素の話ですが、これも僕の考える「外界」とは少し違います。
「彗星」が来るとなんで時間がズレるのか、なんで入れ替わるのかという原因・結果の部分。
これは「SF」ならきちんと描いてほしい部分ですが、僕は「SF」にこだわりはないので、「ファンタジー」だと思えばまぁこれは良いです。
ただ、↑でも書いたとおり、主人公たちが時間のずれに気づかないのは多少問題ですが。


僕が考える「外界」というのは、糸守町の産業であるとか、宮水神社の後継者問題とか、あるいは糸守町の役場への交渉とかそういったところの話でしょうか。
これらは詳細に語られているわけではありませんが、ある程度は語られており、特に僕は問題だとは思いませんでした。


僕としてはそれよりも、「彗星」とかはどうでもいいんで、「入れ替わり人間ドラマ」の部分にもっと時間を割いて、
もっと自然な「恋愛」を見せてほしかったなと思いました。
入れ替わりドラマは面白いけど、あれだけだと恋愛が生じるのはちょっと無理があるように思います。
もっと丁寧に入れ替わりドラマを描いてくれると、良かったですね。
全編入れ替わりドラマで、彗星とかない方が良かったようなw
僕はこの作品は、「出会うはずのなかった二人が、入れ替わりによって出会う、恋愛ストーリー」だと思っているので。
彗星寄りにフォーカスするなら、「歴史改変SF」となるのでしょうが、それならもっときちんと作ってほしいというか。
一方で、「恋愛ストーリー」として見ると、「彗星騒動」は『二人が頑張って乗り越えた障害の一つ』の域を出ていないので、それはそれでいいけど、あんなに時間を割いてやるほどのものでもないです。
そんなものよりは、奥寺先輩と瀧くんの関係とか、三葉とてっしーともう一人(名前忘れた)の関係とか、
入れ替わりによってそれらがどう変化するのかとか、そういう話の方が大事じゃないのかな。

確かに、「大きな障害を二人で乗り越える」というのは恋愛ドラマとしては大いに盛り上がる部分ではあるんですけど……元々の恋愛描写が少なすぎるので、大きな障害も空回りしているというか。
あの程度の入れ替わりエピソードじゃ、説得力のある恋愛はなかなか生まれないと思うなぁ。

(実際の恋愛は、ひとめぼれとかもありますんで、時間の長さは関係ないと思っています。
ただし、恋愛作品として、見ている人がその恋愛に納得できるかどうか、のっていけるかどうかはまた別かなと)



さて、この作品は「セカイ系」なのでしょうか? それは僕にはよくわかりません。
キバヤシさんの仰る「近傍」と「外界」についても、解るような解らないような感じです。
ただ、『リアリティの希薄さ』は確かだと思います。


僕としてはこれは、単に「リアリティを詰められなかった、完成度の低い」作品だと思います。
それは、1時間40分(だったよね)の映画の尺の問題があって、
その中で「入れ替わり恋愛」と「歴史改変SF」の2つの要素を無理やりねじこんだ上、そのバランス配分を間違えているからだと思います。

歴史改変部分を大幅になくせば、入れ替わり恋愛としてのリアリティはもう少し出せたと思います。
本来出会うはずのなかった二人が入れ替わりによって、お互いの生活を知り、お互いを知る。
けれど、そのうち入れ替わりの頻度が少なくなって……という話で十分、切ない恋物語は書けます。

入れ替わり恋愛をなくして、「歴史改変SF」をみっちり描くなら、それはそれでアプローチを変える必要があると思います。

 
「エヴァ」は、一人の少年の物語なので、シンジ君の視点で考えれば、世界の秘密を全て知っていたらおかしいです。別にゲンドウ視点とかで秘密を語ったっていいわけですが、シンジ君の物語の面白さには直接貢献しません。

「サイカノ」も「イリヤの夏」も、戦地に向かう少女を見守る純愛ストーリーなので(……だったよね? 「サイカノ」は10年以上前にアニメを見ただけなんであやふやなんだけど) 、やはり世界の秘密を全て知っていたらおかしいです。
こちらも、別視点で秘密を語ったっていいわけですが、彼ら彼女らの純愛ストーリーの面白さには何らプラスにはならないわけです。
どちらも、主人公たちの立場は「兵士」であり「庶民」であって、「司令官」ではありません。
「ハルヒ」は1巻しか読んでないから語れないっす。そもそもセカイ系という認識すらなかった。


で、この「君の名は」も、主人公たちは天文観測者でもなければ政治のトップでもないので、「彗星」の秘密のような、世界の秘密を全て知るのは無理です。
さらに言えば、「入れ替わり純愛ストーリー」が描きたい場合は、何らプラスにもならないわけです。


必要のない情報は別に入れない、これは「セカイ系」とかなんとか言わなくても、普通の事だと思います。
それこそ「ドラえもん」とかだって、22世紀の秘密道具が産業界に与える影響とか、そういったものは全然書かれてないけど、別にそれでいいわけで。
僕の「セカイ系」の知識が乏しいので変な事を言っているかもしれませんが、
物語の要請に合わせて世界観というのは作ればいいし、それに合わせて出していけばいいだけなので、
「面白さに関与しない」世界の細部まで作りこむ必要はないわけです。
いや、作りこめるなら作りこんでほしいですけど、作中で出す必要はない…ぐらいにしておこうかな。


「エヴァ」あたりからセカイ系という単語がもてはやされだした気がするんですけど、割と普通じゃないですかね。

たとえば旧き「高慢と偏見」だって、当時のイギリス情勢について、
「ナポレオン戦争」とかがあって大変だったはずですけど、全然触れていませんよね。
主人公たちの恋愛事情にも、大きな影響を与えている出来事だと思うんですけども。


ただし、「君の名は」は入れ替わり恋愛ストーリーとしてのリアリティが薄い。これは正直ちょっとまずいですね。
もっと作りこんでほしいです。
だから、「セカイ系」というフレーズで、エヴァとかとは一緒にしないでほしいなぁと思いました。 


キバヤシさんは、「いまだに愚直にセカイ系をやっている」。「成功しているとは言い難いが、一応、外界を描写しようとした形跡は見られる」と仰っているわけですが、
僕は「一応、外界を描写しようとした形跡は見られるが、うまくいっていない」だけであって、それは「愚直にセカイ系をやっている(セカイ系という物語構造に従って、愚直に物語を作っている)」のとは、
またちょっとニュアンスが違うんじゃないかなぁという。


そんなふうに思いました。
もっとも、↑でも書きましたように、僕が「セカイ系」という単語について知悉しているわけではないので的外れな事を書いているかもしれませんが……。


このやりとりによって、あおいひとさんからはより詳しいセカイ系のお話をいただき、本まで紹介していただきました(読むかどうかは約束できませんが……すみません)。
また、こうして、ブログでは書くつもりのなかった「君の名は」の感想を書く事もでき、良い機会となりました。

良い機会を与えてくださった、atakさん、キバヤシさん、あおいひとさんに感謝しつつ
記事を終わらせたいと思います。