評価はA-。面白かった。
面白かったんだけど……エピローグは、ない方が好みだ。


★「試行錯誤」との共通点


本書は、作者が後年書いた「試行錯誤」に非常によく似た作品だ。


主人公のシリル・ピンカートンの『相当抜けていて』、『冴えない』けれど、
『ユーモラス』で愛らしい中年男性像は
(ピンカートンは36なので中年とは言いたくないが//自分が36歳になった時に中年とは呼ばれたくないw)、
そのまま『試行錯誤』のトッドハンター氏に共通する特徴だ。
ピンカートン氏を更に優しく、更にヌケた感じにすればトッドハンター氏になるだろう。


そんなピンカートン&トッドハンター氏のユーモラスな語りを、僕は楽しんだ。
正直に言えば、事件やトリック云々よりも、「この主人公から目が離せない!」的な楽しみ方だ。


更に言えば、『倒叙モノ』めいた作りもそうだし、殺されるのが『皆の嫌われ者で、社会にいない方が良い奴』というのも同じである。
(この、『皆の嫌われ者で、社会にいない方がいい奴は殺した方が良い』というのは「毒入りチョコレート事件」でも同様の台詞があり、作者のバークリーは本気でそう思っていた節がある)


★キャラクター小説としての「第二の銃声」


『第二の銃声』が、『試行錯誤』よりも優れているのは、主人公ピンカートン氏の周囲を固める華やかなサブキャラ達。特に女性陣の魅力である。


ピンカートン氏は、長年の友人エセルに招かれる。
性格の良さではこの作品の女性陣No1だと思われるエセルだが、
残念なことに人妻で(も別に構わないのだが)あり、すぐに『親友ポジション』に後退してしまうので
浮いた話はない。


ピンカートン氏が最初に好意を抱くのが、
可憐で儚いように見せかけて、実は陰で相手を笑いものにする『聖女もどき』のエルザだ。
このエルザは、『聖女もどき』キャラとしては直前に読んだ「〇毛のレ〇メイン家」の某女性に比べると弱いが、それでもなかなか面白いキャラクターだ。
36歳にしてキスもまだな、うぶなピンカートン氏がこの手の女性に引っかかるのは無理のない事だし、
エルザの方に引っかける意図はないのであれだが、
ピンカートン氏はエルザを大事に思っているのに、エルザには陰で笑われている。
かわいそうな事である。


苛烈な不倫妻シルヴィアも見逃せない。
好きな男(不倫相手)のためなら何でもしかねない狂気と、なぜか皆の秘密を知っている知性の冴えと、元女優という演技力を兼ね備えた強烈なキャラクターで、
特に皆の眼前で不倫相手のエリックをなじるシーンは最高に面白かった。
(個人的にはシルヴィアのような匂い立つような邪悪さよりも、エルザのような『裏表』の方により
『人間ってこえーな……女性ってこえーな……』という恐怖を感じてしまうのだが)


そんな強烈な女性陣に引きかえ、真・ヒロインたるアーモレルは序盤、影が薄い。
読者(僕)にとっても勿論だがそれは、ピンカートン氏から見ても影が薄い女性だったという事で
読者=語り手の『シンクロ』が巧みになされている好例だと思う。
男モノの服を着て、がさつで、タバコを吸って、化粧をしている。
まぁ、要は男勝りの下品なケバギャル、みたいなのを想像して読んだw
確かに清楚なエルザとは大違いであり、頭の旧いピンカートン氏がエルザに好意を抱くのも解る。


しかしそんなアーモレルが、泣いている姿を見た事で(それだけでw)ピンカートン氏はアーモレル
への偏見を改める。
そしてアーモレルにキスをしただけで一気にアーモレルラブになってしまうのも面白い。


「キスとは野蛮人が鼻をこすりつける習性と変わらない(キリッ)」→初キス→「キスさいこー!!」という変節ぶりも、さすがは我らのピンカートン氏である。
自分がアーモレルを本当に好きかどうかを、『趣味の切手コレクションを見せたい相手かどうか』、
『珍しい蛾の見分け方を教えたい相手かどうか』で自問自答するピンカートン氏も良い。

一見ピンカートン氏に冷たかった態度も、実はツンデレだったということで、一気に正ヒロインの座に就くアーモレルの活躍もあり、事件は無事解決する。


★エピローグの是非


ただ……個人的に『エピローグ』はない方が好みだった。

エピローグでは真犯人とトリックが明かされるのだが、
まずこのトリックが「そんなバカな」と言いたくなる代物なのである。

トリックというか……要は「あいつ死ねばいいのに」と全員が思っていた奴が殺されたので、
みんなで見て見ぬふりをした、というか……。うーん、そういう事もある、のか?


犯人はというと、偽犯人(エピローグ無し)はエルザなのだが、真犯人はピンカートン氏である。
確かに、普通に読めばピンカートン氏になる。
アンフェアではないし、その推理は可能どころの話ではなく、読者の半分は行きつくところだと思う。
しかし、そこを敢えて犯人をエルザとした事で、『エルザというキャラクター』にも深みが出たし、
ピンカートン氏の『抜けっぷり』にも重みが増したのではないか。
冷静に犯行計画を練るピンカートン氏では、今までのユーモラスな味がある程度損なわれてしまう。


また、それに対応してアーモレルがピンカートンを好きになった時期と理由が、『人を殺した時の意外な冷静さ』だというのも残念である。

最初にアーモレルとキスをした時は、アーモレルはまだピンカートンを好きではなかったのか、と思うとガッカリしてしまった(ツンデレじゃないじゃん!)し、アーモレルは『抜けている』ピンカートンを好きになってほしかった。
エピローグがあったせいで、今までのピンカートン氏の魅力や、アーモレル・エルザの魅力が減じてしまった気がして残念に感じた。

聖女ぶっていながら、実は陰で他人を笑い者にして、自分を騙した相手を殺すエルザはある意味COOLだが、
聖女ぶっていて、実は陰で他人を笑い者にしていて、ゴロツキイケメンになびいた普通の娘さんでは、何の印象にも残らない凡人ではないか……。


バークリーの献辞や、序盤ピンカートンの言葉を借りたバークリーの訴えめいたものに
「新しいミステリを書きたい!」とか、「犯人が主人公の作品って新しくない? 面白くない?」という主張が見て取れるので、『作者は、これがやりたかったんだな』とは思う。


クリスティが『アクロイド殺し』を書いて2年後に書かれた作品でもあるので、バークリーが「アクロイド殺し」を読み、『この路線はイケる! もっと面白い倒叙モノを書いて、流行らせたい!』と興奮して「第二の銃声」を書いた姿が容易に想像できる(僕の妄想かもしれない)。
実際、キャラが無味乾燥の「アクロイド殺し」に比べ、「第二の銃声」のピンカートン氏は個性もあり、倒叙モノとして正当進化はしていると思う。


ただ、そういった歴史的意義(?)は大切ではあるけど、今時、倒叙モノだというだけでは読者は感動したりはできないので、やはり今読むなら無理に倒叙モノにしなくても良かったのではないか、と
僕などは思ってしまったのだった。



最後の最後で、真犯人が明かされるのは『試行錯誤』も同じである。
この真相が、『第二の銃声』の構成を裏返しただけ、というのがまた面白い。


『第二の銃声』では、偽犯人が聖女(っぽい)エルザで真犯人がヌケてるっぽいピンカートン氏だったが、
『試行錯誤』では、偽犯人がヌケてるっぽいトッドハンター氏で、真犯人が聖女のフェリシティだっ
た。


私見では、『推理部分』と『エンディング』に関しては『試行錯誤』の方が好きだ。
だが一方で、『試行錯誤』は推理部分が細かく描かれている弊害で、(トリックにそこまで興味がない人間からすると)ダラダラと中だるみしているところがある。


読んでいる間、ずっと楽しかったのは『第二の銃声』の方だ。
とりわけピンカートン氏とエルザ、アーモレルとの関係性は読んでいて楽しかった。
ミステリというよりは恋愛小説としてしか読んでいない気がするが、面白かったので問題ない。


ただ、読み終わった後、『完成度が高かったな』と感じるのは『試行錯誤』の方である。

手軽なキャラ萌え小説が読みたければ『第二の銃声』、
『第二の銃声』とキャラ立てがとてもよく似ているミステリが読みたければ『試行錯誤』を読む。
それが、いいのかもしれない。


ちなみに既読のバークリー作品で私が一番好きなのは、「毒入りチョコレート事件」です。