☆前口上

「犬のお告げ」は、『読者』である僕にとってはそこまで面白い作品でもない。
しかし、『ルールに則って書かれた、非常によくできた古典ミステリ=本格ミステリ=パズラー』であることは確かだ。
この作品を解析することで、『パズラーのオーソドックスなルールが学べる』と言っても過言ではない。
パズラーの大原則とは「作者が謎を提供し、読者はそれを推理して楽しむ」事にある。



倒叙モノ、ハードボイルド、警察小説、サスペンスなどなど、ミステリには色んなジャンルが存在する。その中で『パズラー』という極めて限定されたジャンルにおいてのみ通用するルールだが、
日本では未だにパズラーファンが多く、たくさんのパズラー小説が書かれている。

それでは、「犬のお告げ」を解析していこう。
全体のパーツを5つに分けてみた。


☆1:プロローグ P81 

語り手はファインズという青年。探偵はブラウン神父である。

1行目「さよう、わたしは犬が好きだ」(ブラウン神父の台詞)


素晴らしい書き出しだと思う。
タイトルは「犬のお告げ」。そしてこの1行目。

『犬が関連する事件だよ』と読者に印象づける作者の工夫が見える。


10行目「というと、犬の事を世間は過大評価しすぎるというわけですか?」
「そうかな。大した生きものだと思うけど」(ファインズの台詞)

実は、これが謎を解くカギになっており、非常に重要なやりとりである。
ファインズ(語り手)は犬の事を凄い生き物だと思っている。
しかしブラウン神父はそうは思っていない。という事だ。

パズラーの場合、基本的に名探偵の方が語り手よりも賢く設定されているので、
読者としては、
「犬は凄い生き物だ」が誤答、「犬はそこまで大した生きものではない」が正解となる。

ここが「起承転結」の「起」にあたる。


☆2:事件について1 P82~85の7行目

ここからが「起承転結」の「承」である。

ファインズが事件について語りだす。
P82~99までがファインズの語りなのだが、長いので便宜上2つに分けた。
このパートでは「新聞記事による事件の概要」が綴られる。


ドルース老人が1人で東屋にいたところを殺された。
背後から短剣で刺されており、凶器は見つかっていない。
東屋には誰も入っていない(密室)

犯人候補は秘書フロイド、被害者の娘ジャネット、隣人のヴァランタイン、被害者の弁護士オーブリー。
ドルース老人とヴァランタインは仲が悪い。ヴァランタインはジャネットを狙っている。
被害者と最後に会ったのはオーブリーで、死体の第一発見者はジャネットである。


というのが大雑把な情報だ。


☆3:事件について2 P85の8行目~P99の7行目

語り手のファインズが「犬(名前はノックス)」について語る。
細々とした描写がある。
ファインズも実はその日、ドルースの家にいた。ハーバートとハリーの兄弟と一緒にいた。
ドルースの死は16;30。

遅れてやってきたハリーを迎え、三人で海(?)に向かう。
海にステッキを投げ入れて、犬が取ってくる遊びを始める。
ハーバートのステッキを犬が拾って取ってくる。
しかし、ハリーが投げたステッキを犬は拾わなかった。拾いに行ったが、途中で戻ってきて
悲しそうに鳴いた。
ちょうどその時、ドルースの死体が発見され、第一発見者のジャネットが悲鳴をあげた。

などなどが事件にとって重要な情報である。

しかしファインズは(読者と同じで)何が重要な情報かはわからないので、
事件に関係ない事も大量に喋る。
パズラーの大原則とは「作者が謎を提供し、読者はそれを推理して楽しむ」事
なので、「真相」を丸裸にして読者に出すわけにはいかない。
どうでもいい情報もたくさん書いて、その中に「真相」をうまく隠さなくてはいけないのだ。


「犬」がオーブリーに向かって吠えた。その事から、ファインズはオーブリーが怪しいと言い出す。
また、ヴァランタイン博士とジャネットが喧嘩をしていて、その際にジャネットが「殺すのはやめてくれ」と言っているのを聞いたことがある。だからヴァランタインも怪しい。

というような事をファインズは言う。


☆4:2日後 P99の8行目~P106

「起承転結」の「転」にあたる。ここは更に細かく2つに分けても良い。
ハリーが自殺したという情報を携えて、ファインズがやってくる。
また、ジャネットがヴァランタインと結婚したという情報も出る。
(父親が死んですぐに結婚したのか? という疑問が湧いたが、気にしない事にしよう……)


ブラウン神父はドルース殺しの犯人はハリーだと語る。


☆5:「犬」の活躍 P107~116

「起承転結」の「結」である。ここで、ブラウン神父の推理がいよいよ明かされる。

P107 6行目
「もしあんたがあの犬を人間の魂をさばく全能なる神とせずにただの犬として扱っていたなら、あんたにもすぐわかったはずですがな」

これが、この物語の鍵であり、事件の鍵である。


パズラーの醍醐味とは世界の再構成の物語である。
見せかけの世界(事件の表)ではなく、事件の裏を、真相を名探偵が暴く。
名探偵が暴く前に、事件の真相を推理するのが、読者の楽しみである。


よりわかりやすく言おう。
パズラーは、手品に例える事が出来る。
語り手によって語られるのは、「人が空を飛ぶ」(密室で人が死んだ、など)
いった手品の世界の奇怪な出来事であり、名探偵は「手品の種明かし」をする役回りだ。

そして、今回の手品の種明かしとなる文章が、上述のP107の6行目なのである。


まず、犬がオーブリーに吠えたのは、単にオーブリーが気に食わなかったからである。
オーブリーは犬にビビっていた。
そして犬は、自分を怖がる人間の事がムカついたので、吠えたのだ。


それを、語り手のファインズは「犬が犯人を言い当てたのでは!?」などと考えてしまった。
これはNGである。


「犬がハリーのステッキを拾わなかったのはなぜか」。
語り手のファインズは「16:30、人が死んだので犬は遊ぶのをやめ、悲しそうに鳴いた」と考えてしまった。これもNGである。
事実は、「ハリーのステッキが重かったから、犬はステッキを持ち帰れなかった」。
なぜハリーのステッキは重いのか。実はドルース殺しの凶器はそのステッキ(仕込み杖)だったのだ。
ハリーは凶器を始末するのに、犬との遊びを利用したのだ。という結末。

また、「密室」にたとえられた「東屋」だけど、もちろん本物の密室ではない。
「藪の切れ間」から細い刃物を通すことくらいはできる。ということ。
その他ハリーがどうやってドルーズを殺したかが明かされる。

ラスト、犬がブラウン神父をまじまじと見上げるところで物語が終わる。
犬で始まり、犬で終わるという、なかなか気の利いた物語の〆方である。


パズラーは「作者が謎を提供し、読者はそれを推理して楽しむ」事にある。
そのためには「読者がよく考えれば、謎を解けるように」作らなくてはいけない。
絶対に解けない謎では、謎解き遊びにはならない。
しかし、「どう考えてもバレバレな謎」では難易度が低すぎる。
そのためには、「真相」を隠す必要がある。「木」を隠すには「森」の中。
「真相となる文」を隠すには、「文」の中だ。
このため、事件の真相とは関係のない様々な情報が語り手によって語られる。


というわけで、「犬のお告げ」はこうしてみれば、パズラーの基本を抑えた
しっかりとよくできた作品だということができると思った。
ただ、それはあくまでも「パズラー」という狭いジャンルにおける巧さに過ぎないとも思う。


創作全般の話をするなら、
最初と最後を犬で〆るのは巧いし、犬の描写もなかなかユーモラスに描けていると思った。


こんな記事を書いておいてなんだが、正直に言えば、こういう読み方は個人的には好きではない。
「作者が、読者を面白がらせるためにどういう小細工を使っているか」に注目して読むより、
作品を読んで「作中世界に浸って、登場人物の気持ちになって」読む方が僕としては楽しい。
まぁ、たまにはこういう読み方をするのもいいかもしれないが……。