評価はA+

『八百万の死にざま』の主人公はアルコール中毒の探偵である。
本の裏表紙を観ると

キムというコールガールが(6行略)容疑のかかるヒモの男から、わたしは真犯人探しを依頼されるが……
マンハッタンのアル中探偵マット・スカダ―登場。

などと書いてあり、いかにも事件がメインでアル中は主人公のキャラクター付けにすぎないような印象を受けるが、これはフェイクである。

「事件」が大事じゃない、とは言わない。
しかし比重は「アル中7:事件3」程度の比率である。アル中の物語なのである。

「こんなつらい世の中じゃ、みんな色々抱えている。見ない振りをする事もできる。
だが、私は現実を見ない振りなどできない。そんな辛さを和らげるため、私は酒に逃げるしかない」

の『現実』にあたるのが『事件』であり、この作品自体は至って普遍的な、『依存症脱却』の物語だ。

主人公のスカダ―は、AA(アルコール中毒者自主治療協会)に足繁く通うが、そこで自分の体験を語る事はない。
ただ、他の人間の話に耳を傾けるだけだ。
何日か自己満足の禁酒をするものの、耐え切れずまた飲み始めてしまう。

「自分はアル中ではない」と自らに言い聞かせ、「飲んでも良い言い訳」を徹底的に探しては飲んでしまう。

どうやら私はアル中ではなさそうだった。(中略)二杯飲んだだけで飲む前よりずっと気分はよくなったが、もっと飲みたいとは思わなかった。

一日二杯が自分の適量だと思った。それを越えない限りはなんの支障もないだろうと思った。それを朝一番に飲もうと、一日の最後に飲もうと、私の部屋で飲もうと、バーで飲もうと、ひとりで飲もうと、そんなことはどうでもいい。

その男は私に三杯目をおごってくれようとしたが、私はかわりにバーテンダーにコーラを頼んだ。そして自分自身にひそかに満足した。自分の限度を心得て、それを守った自分に。

朝、ベッドから起き出し、まず一番に二オンス飲んだ。(中略)その日は一日飲まなかった。ただ寝る前にもう一杯だけやった。

土曜日、すっきりした気分で眼が覚めた。飲みたいとは思わなかった。いかに自分がうまく酒をコントロールしているか、自画自賛しないわけにはいかなかった。

そこである事に気づいた。朝飲んだのはもう十二時間以上前のことである。前夜最後に飲んでから朝飲むまでの時間より長い時間がすでに過ぎている。だからもう私の体内には残っていないはずだ。すなわち朝のは今日の一杯として数えなくてもいいのではないか。
ということは、今日は寝るまえにもう一杯飲んでもいいわけだ。

私はここ何日か酒をコントロールしてきた(中略)。一日に二杯というふうに自分を抑制できるということは、そんな抑制など自分は必要としない立派な証拠ではないか。確かに以前は酒に呑まれていた。それを否定するつもりはない。が、明らかにそういう段階はもう過ぎている。
だから、酒が必要ではなくても、飲みたい時に飲めばいい。実際今がそうだ。どうして飲んで悪い?

この辺りの、『酒を飲むための言い訳』は(僕は酒は飲まないのだが)非常に身につまされる。
人間は言い訳の天才で、言い訳をしようと思えばいくらでも言い訳ができてしまうし、それを自分に信じ込ませることもある程度できてしまうのだ。

そんな彼が、最後のページで。

「マットと言います」と私は言った。そこで間を取り、もう一度やり直した。
「マットと言います」と私は言った。「私はアル中です」
最高にくだらない事が起こった。私は泣きだしていた。

この告白に遂に至った。
とてつもなく大きな一歩を踏み出したのだ。
事件の解決よりも何よりも、その事が私の心を強く揺さぶった。