と、感傷的なタイトルをつけてみましたが、実際そんな気分です。

私が最初にバルセロナを好きになったのは、リバウドが活躍していた頃でした。
あまり評判の良くないファンハール時代も、私はバルセロナが好きでした。

一方で、一時期興味が離れた時期があります。
それは、リケルメを中心にした、レシャック、セラ・フェレール時代です。
2006年のワールドカップを見てもわかるように、リケルメは非常に魅力的な選手ですが、バルセロナでは残念ながらマッチしませんでした。
彼の存在は、ロマンを秘めた滅びゆく恐竜でした。


そして、やってきたのがライカールト監督です。
折しもファンハールが引き上げたシャビやイニエスタが中盤に定着し始め、
ロナウジーニョ、エトー、そしてメッシ。
最高の時代が始まりました。
私は彼らのサッカーの虜になりました。
特に、ロナウジーニョの活躍で、レアル・マドリ―を3-0で破ったクラシコは今でも忘れられません。

そんなライカールト時代ですが、最後の1年は少し陰りが見えてきました。
新監督はグァルディオラ。まだ実績がほぼない彼は、サッカー史上に残るチームを作り上げました。

GK バルデス
DF プジョール、ピケ、アウベス、アドリアーノ
MF ブスケッツ、シャビ、イニエスタ
FW ペドロ、エトー(ビジャ)、メッシ

トゥーレ・ヤヤを冷遇したグァルディオラ、ロナウジーニョとエトー、デコを冷遇したグァルディオラに抱いた不信は数試合で消し飛びました。
常にボールを支配し続ける、圧倒的なポゼッションとティキ・タカの響き。
サッカーというゲームをオーケストラのように指揮する、シャビ・エルナンデスと前線の王メッシ。
それが、バルセロナのユースから育てられた選手たちであることの誇らしさ。
この11人(12人)は、8人も下部組織からあげられた選手たちでした。

当時から目を疑うような移籍もありました。
特にイブラヒモビッチの獲得は、結果論ではなく、愚かなものでした。
彼に、エトー+60億円の価値はありませんし、実際彼は最後まで異物でした。


グァルディオラが去った途端、バルセロナの黄金のリズムは崩れ始めました。
ビラノバがうまく継承できず、マルティーノが壊したバルセロナ。
それでも、そこにはまだバルセロナ『らしさ』がありました。

バルセロナらしさが失われたのは、ネイマールという巨星を獲得した、その時に始まりました。
ネイマール、スアレス、メッシという最前線の圧倒的な個を活かした、ルイス・エンリケ監督のサッカーは、バルサイズムを壊しました。
中盤を大切にせず、前線の個の能力に頼るバルササッカーに、私は失望を感じました。
シャビが衰えた後、獲得したのはクロースやモドリッチのような世界一流の技巧派ではなく、
一段劣るラキティッチでした。

ネイマールを放出した後、いよいよバルセロナは破滅へと進み始めます。
ネイマールを売却した資金で獲得したのはコウチーニョとデンベレ。
的外れもいいところなこのオペレーションで、バルセロナはせっかくの大金をどぶに捨てました。
殊にデンベレは、レンヌ時代から素行が悪い事で有名で、一シーズンを通して継続的に活躍したことがほぼない選手。彼に140億もの金を積むなどバカげた話でした。
その後もグリーズマンにデヨングと、100億円以上の金額で獲得した選手はことごとく外れ、
一方でバルサのカンテラ(ユース)は枯渇していきました。

今ではもう、セルジ・ロベルトとアンス・ファティぐらいしか残っていません。
大して活躍もしない選手を外部から大金で連れてきて、その選手たちの個人能力頼みのサッカーが繰り返され、そうして、なんの敬意もなく放出してしまう。

シーズン初めのラキティッチの処遇を見たでしょうか。
誰がどう見ても、ラキティッチのクオリティは今のバルサには欠かせなかったはずです。
にも拘らず、彼を売りたいフロントは圧力をかけ、ラキティッチを試合に出しませんでした。
『ピッチ内での内容や結果』よりも、彼らには大切なものがあるかのようでした。

黄金時代に比べれば一段劣ると感じたラキティッチが、今のバルサの中盤では最もクリエイティブな選手になってしまいました。
そしてそんな彼に対するリスペクトを欠く処遇。

更にスキャンダルが止まらなくなったのは、バルベルデ監督の解任、
内部でのメッシ、ピケへの誹謗中傷(バルサ・ゲート)、
セティエン監督に対するサポートのなさ、
ピッチ内での壊滅的な内容、そしてバイエルンに2-8で『順当に』『当たり前のように』敗北し、
クーマン新監督の就任が決まりました。


美しいテンポでパスを繋ぐ、中盤重視のサッカー。
育成年代から選手を大切に育て上げていく、選手を大事にするチーム。
強くて、そして仮に優勝できなくても、試合中に何度も美しさに息を呑んでしまう
壮麗なオーケストラのようなチーム。


今はもう、何も残ってはいません。
残っているのは負債の山と、無能なフロント。
私が愛したバルセロナは、もうどこにもありません。


まだ見限るのは早いという気持ちもどこかにはあります。

しかし、私はアーセナルへの気持ちが覚めた後も10年近く、愛着を持って追いかけましたが、
彼らは遂に私の心を引き戻すことはできませんでした。


単純な結果ではないのです。
それはクラブ哲学であり、フロントの問題なのです。


こんな記事を書いておいて、来シーズンバルセロナのサッカーに熱狂する私がいるかもしれません。
もしそうならば、軽薄な人間だと皆からは思われるかもしれませんが、それに勝る幸せはありません。

私は美しいサッカーが見たい。
大好きだったバルセロナに、会いたい。ただ、それだけなのです。


大好きだったバルセロナスタイルを参考に、チームを作り続けているチームがイギリスにあります。
ご存じ、マンチェスター・シティです。


私は、1つのチームを頑なに愛する、ユニフォームへの愛を持つ人間ではありません。
私は、美しいサッカーを愛します。ミーハーですし、移り気です。
ですが、そんな私でも『本物』と『偽物』の違いはわかります。
確固とした方針があるフロントと、ないフロントの違いはわかります。


マンチェスター・シティには方針があります。だから強いのです。
リバプールにも、バイエルン・ミュンヘンにも方針があります。


チェルシーには方針がありません。
バルセロナにもありません。マンチェスター・ユナイテッドにもありません。
だから、たまに良いシーズンがあったとしても、いずれダメになってしまうのです。








そのラキティッチも放出が