目の前に広がる、自由な人生を夢見て
舞台は1920年代のアメリカ。
『閉塞的な村』に住む少年ヘンリーは、『自由な世界』を夢見ていた。
そこにやってきた、『アフリカ帰り』の美人教師エリザベス。
そして、バイロンを愛する国語教師のリード。
村に吹き込んだ、『自由』の風。
ヘンリーが見守る前で、二人のロマンスは緩やかに、じれったくなるほどにスローに育まれ、そして気づいた時にはなだれのように崩れてしまう。
エリザベスとリード、ヘンリーに想いを寄せる少女サラと、四人で雪山に登った日、それぞれの人生はキラキラと輝いていた。
輝いている、とヘンリーは感じた。
不自由な大人たち
リードには退屈な妻アビゲイルと娘のアリスがいた。
エリザベスとリードの愛は、赦されぬ不倫の愛だった。
二人の仲に、アビゲイルの存在が影を射す。
『自由』の象徴として、リードはボートを作り、エリザベス号と命名する。
世界を一周することもできる、どんな場所へも行ける、二人のためのボート。
二人の愛を、ヘンリーはロマンチックな恋物語として受け取り、応援した。
けれどエリザベスもリードも、『自由ではなかった』。
どんなに退屈な妻だったとしても、リードは妻子を棄てられなかった。
『自由』を夢見はするけれど、それは決して叶わない願いだと、リードの『理性』は訴えていた。
そして、そんなリードの心にエリザベスもまた気づいていた。
だから、エリザベスはリードに別れを告げた。
愛の炎は消えないままに、二人の仲は終わりかけていた。
このまま何事もなく、愛を冷ましていくことこそ、最も現実的で、退屈で、閉塞的ではあるけれど、誰もが深手を負わない最善の選択だった。
それがオトナの選択だ。
自由ではないけれど、責任を伴うオトナの、つまらなくとも道義的な選択だった。
自分で自分を裁くこと
けれど、ヘンリーはそうは思わなかった。
二人の『自由』を縛るリードの妻アビゲイル。
彼女さえいなければ、リードとエリザベスは『自由に』恋ができると、そう思ったのだ。
その結果、アビゲイルは死に、リードは死に、サラは死に、エリザベスは死んだ。
犯罪によって終わってしまう、『少年時代』の物語。
若さゆえの軽率さ。けれど、それだけでは片づけられない罪。
彼は終生決して人を愛さず、閉塞的な村に住み続けた。
彼の罪は誰も知らない。故に裁かれることもない。
けれど、罪の記憶は消せない。どこまでもどこまでも、己についてくる。
刑法による処罰は、実は救済なのかもしれないと思うことがある。
誰も罰してくれない罪こそが、人を破壊してしまうのではないかと思う。
犯罪者は定められた懲役期間をきちんと勤め上げる事で、初めて罪を償い、己の罪悪感から逃れられる。
罪を犯した者に対する復讐や見せしめではなく、実は犯罪者を救うために、刑罰はあるのだと、そんなふうにも思う。
誰も裁いてくれない罪は、ヘンリーの心を40年、50年と縛り続ける。
ラスト、年老いたヘンリーは、唯一の生き残りアリスに再会し、彼女の肩に腕を回す。
「すまない」とだけ告げるヘンリーに、「かまわないよ、そんなこと」と笑うアリス。
50年前と同じように星空は煌めき、物語は終わりを告げる。
犯罪によって引き裂かれ、少年が、少年でいられなくなる物語。
『ミスティックリバー』や『解錠師』、『ありふれた祈り』など、現代アメリカ・ミステリでよく描かれるタイプのストーリーではあるけれど、その一つひとつの物語は、やはり重い。
(それにしても、なぜみんな少年主人公なのだろう。
少女主人公が過去を回想するタイプのミステリは、今のところ読んだ記憶がない……)