【アティカス・ピュントよりも、『滑降』よりの毒に満ちたアンチ・ミステリー】
ホロヴィッツの「カササギ殺人事件」は、本屋大賞翻訳部門にも選ばれた、日本で大ブレイクした作品です。
さて、読んだ感想はと言いますと『微妙』……。暫定的に73点をつけておきます。
そんな微妙な作品の感想をなぜ書くのかというと、この作品は『退屈』でありながら、
それでいて『凡作・駄作』と切り捨てるべき作品ではないと感じたからです。
しかし、世間で高評価されている理由は、僕が感じているものとは違うような気がします。
そこで、僕の感想を残しておくのも何かしら意義があるかなと思い、書くことにしました。
☆ 前置き 上巻と下巻で全く違う物語
上巻ではアランという作家が描いた、アティカス・ピントという探偵が登場するミステリの6章までが描かれます。
ここで殺されるのはマグナス・パイという人物です。わかりづらいので『パイ事件』と呼称します。
下巻では突然上巻の内容がぶつ切りとなり、作家のアランが殺され、女性編集者のスーザンが事件を推理します。こちらは『アラン事件』と呼称します。
そして最後に『パイ事件』の7章が見つかり、どちらの事件も解決という入れ子構造になっています。
☆『パイ事件』――そこそこの水準で描かれているミステリだが、結末がぶつ切り
上巻について語ることはあまりありません。エンタメ性としては上巻の方が面白いと思います。
ただし、後半がぶつぎりです。
厳密に言えば下巻の最後に解決編が挿入されますが、長く長い『アラン事件』の話が挿入されていて、『パイ事件』自体が(読者=私)にとって、どうでもよくなっていますし、真犯人はただのキ印です。
また、結局見立て殺人らしき『7つのカササギ数え歌』は全く活かされていません。
アランさん、やる気がないですねw
☆『アラン事件』――ミステリ・出版業界に対する憤懣に満ちた、アンチ・ミステリ兼、退屈なミステリ
それなりに盛り上がっていた『パイ事件』が突然切られ、アランが死んだという話になります。
そこで描かれるのは、かなり性格がひねくれたアランという純文学志望の男性が、全く芽が出ずに、
妻の勧めでアティカス・ピントシリーズを書いてみたところ、なんと大ヒット!
しかしアランが書きたかったのはアティカスシリーズではなかったのに、出版社はアランが書きたい純文学には目もくれず、アティカスシリーズばかりを無理に書かせようとするのでした。
そんなアランが最後に仕組んだ『下品なおふざけ』を葬るため、真犯人である出版社社長がアランを殺害し、編集者探偵のスーザンは出版業界に嫌気がさして、恋人のアンドレアスと結婚し、ギリシャで純文学を読むというラストです。
ミステリとしては3流です。
まず、原稿を紛失させる意味がわかりません。
「カササギ殺人事件」を出版させなくさせる、というのが狙いだとは思うのですが、『別作家が続きを書きます!』と言い出せばそれで終わりです。
抹消された原稿に、アランの毒まみれの告白が書いてあるのかともありましたが、それもなし。
また、後述しますが、『パイ事件』と『アラン事件』の対応が、非常に中途半端です。
『パイ事件』の犯人(のモデル)が『アラン事件』の犯人なら完璧だったんですが、そんなことはありません(これができていれば、入れ子構造ミステリとして成功と、私は判断したと思います)。
つまり、真犯人がアランを殺す理由が弱いです。
☆ミステリ執筆への憎しみ
ホロヴィッツの「カササギ殺人事件」は、本屋大賞翻訳部門にも選ばれた、日本で大ブレイクした作品です。
さて、読んだ感想はと言いますと『微妙』……。暫定的に73点をつけておきます。
そんな微妙な作品の感想をなぜ書くのかというと、この作品は『退屈』でありながら、
それでいて『凡作・駄作』と切り捨てるべき作品ではないと感じたからです。
しかし、世間で高評価されている理由は、僕が感じているものとは違うような気がします。
そこで、僕の感想を残しておくのも何かしら意義があるかなと思い、書くことにしました。
☆ 前置き 上巻と下巻で全く違う物語
上巻ではアランという作家が描いた、アティカス・ピントという探偵が登場するミステリの6章までが描かれます。
ここで殺されるのはマグナス・パイという人物です。わかりづらいので『パイ事件』と呼称します。
下巻では突然上巻の内容がぶつ切りとなり、作家のアランが殺され、女性編集者のスーザンが事件を推理します。こちらは『アラン事件』と呼称します。
そして最後に『パイ事件』の7章が見つかり、どちらの事件も解決という入れ子構造になっています。
☆『パイ事件』――そこそこの水準で描かれているミステリだが、結末がぶつ切り
上巻について語ることはあまりありません。エンタメ性としては上巻の方が面白いと思います。
ただし、後半がぶつぎりです。
厳密に言えば下巻の最後に解決編が挿入されますが、長く長い『アラン事件』の話が挿入されていて、『パイ事件』自体が(読者=私)にとって、どうでもよくなっていますし、真犯人はただのキ印です。
また、結局見立て殺人らしき『7つのカササギ数え歌』は全く活かされていません。
アランさん、やる気がないですねw
☆『アラン事件』――ミステリ・出版業界に対する憤懣に満ちた、アンチ・ミステリ兼、退屈なミステリ
それなりに盛り上がっていた『パイ事件』が突然切られ、アランが死んだという話になります。
そこで描かれるのは、かなり性格がひねくれたアランという純文学志望の男性が、全く芽が出ずに、
妻の勧めでアティカス・ピントシリーズを書いてみたところ、なんと大ヒット!
しかしアランが書きたかったのはアティカスシリーズではなかったのに、出版社はアランが書きたい純文学には目もくれず、アティカスシリーズばかりを無理に書かせようとするのでした。
そんなアランが最後に仕組んだ『下品なおふざけ』を葬るため、真犯人である出版社社長がアランを殺害し、編集者探偵のスーザンは出版業界に嫌気がさして、恋人のアンドレアスと結婚し、ギリシャで純文学を読むというラストです。
ミステリとしては3流です。
まず、原稿を紛失させる意味がわかりません。
「カササギ殺人事件」を出版させなくさせる、というのが狙いだとは思うのですが、『別作家が続きを書きます!』と言い出せばそれで終わりです。
抹消された原稿に、アランの毒まみれの告白が書いてあるのかともありましたが、それもなし。
また、後述しますが、『パイ事件』と『アラン事件』の対応が、非常に中途半端です。
『パイ事件』の犯人(のモデル)が『アラン事件』の犯人なら完璧だったんですが、そんなことはありません(これができていれば、入れ子構造ミステリとして成功と、私は判断したと思います)。
つまり、真犯人がアランを殺す理由が弱いです。
☆ミステリ執筆への憎しみ
また、アランが『9作完結にこだわっている』というのも不明です。『アナグラム』という単語があればいいので5作完結で十分でしょう。『アナグラムだよ』で7作完結でも十分です。
というか「カササギ殺人事件」がなくても『アナグラム解ける』になるので、「カササギ殺人事件」だけ葬っても手遅れですよね??
というか「カササギ殺人事件」がなくても『アナグラム解ける』になるので、「カササギ殺人事件」だけ葬っても手遅れですよね??
アランが、そこまでアティカスシリーズを書くことに嫌悪を感じていたのなら、そもそも妻の誘惑に負けて1作目を書いてはいけなかったし、
書いてしまったのは仕方ないとして、5作で辞めておけばよかったのです。
アティカス・ピントのアナグラムが『ばかま〇こ』であるように、アランはアティカスを、もっと広げて言えばミステリというジャンル(を執筆する事)を憎んでいます。
なら、『パイ事件』をそれなりに丁寧に書いたアランの微妙な誠実さも、却って謎です。
アランなら、妖怪『よだそう』(通じる人いるかな?)的なバカにした終わりこそ、書きそうな気がします。
この作品をミステリ読者が褒め、『このミス』などに選ぶというのはミステリ読者の心の広さを表しているようで、とても良い事だと思います。
だって、この作品のテーマを普通に読めば
「ミステリなんてばかま〇このようなジャンルで、何の価値も主張もない。ただ、低俗な一般民衆はこういうのを好むため、ミステリというジャンルはみんなが読んだり見たりするし、ドル箱になってるね」
というのが、「カササギ殺人事件」の底流に流れる主張になっていると思うからです。
まぁ、なかなか喧嘩を売っていますねww
別に僕はミステリ信者ではないので否定はしませんけど、いかにもマルセル・プルーストやジェイムズ・ジョイス的な純文学のみを愛する人の主張かな?って感じです。
ただまぁ、売れるか売れないかは関係なく、作家には書きたいものを書かせてあげたいですけどね。
☆同性愛と女性蔑視
アランが残した「ばかま〇こ」という表現からもわかるように、
彼はアティカスシリーズを薦めた妻メリッサを憎み、
純文学は受け取らないけれどアティカスシリーズをとりあげた女編集者スーザンを憎み、
同性愛の青年と暮らすようになります。
まぁそれはそれでいいんですが、でも真犯人は男というのはなかなか皮肉が効いてますね。
☆総評
本作は、『ミステリのような低俗なジャンルが売れ、売れるものばかりを出版する出版事情』
に喧嘩を売ったアンチ・ミステリ作品だと思います。
そこを評価したいなら、まぁいいんじゃないかと思います。
というか、ホロヴィッツさんからのSOSにすら思えます。
ホロヴィッツさんはミステリじゃない別ジャンルを書きたいのかもしれません。その割に、その後もミステリを書かされ(?)続けているようですが……。
単純なミステリとしては駄作だと思います。
結論としては以上です。
書いてしまったのは仕方ないとして、5作で辞めておけばよかったのです。
アティカス・ピントのアナグラムが『ばかま〇こ』であるように、アランはアティカスを、もっと広げて言えばミステリというジャンル(を執筆する事)を憎んでいます。
なら、『パイ事件』をそれなりに丁寧に書いたアランの微妙な誠実さも、却って謎です。
アランなら、妖怪『よだそう』(通じる人いるかな?)的なバカにした終わりこそ、書きそうな気がします。
この作品をミステリ読者が褒め、『このミス』などに選ぶというのはミステリ読者の心の広さを表しているようで、とても良い事だと思います。
だって、この作品のテーマを普通に読めば
「ミステリなんてばかま〇このようなジャンルで、何の価値も主張もない。ただ、低俗な一般民衆はこういうのを好むため、ミステリというジャンルはみんなが読んだり見たりするし、ドル箱になってるね」
というのが、「カササギ殺人事件」の底流に流れる主張になっていると思うからです。
まぁ、なかなか喧嘩を売っていますねww
別に僕はミステリ信者ではないので否定はしませんけど、いかにもマルセル・プルーストやジェイムズ・ジョイス的な純文学のみを愛する人の主張かな?って感じです。
ただまぁ、売れるか売れないかは関係なく、作家には書きたいものを書かせてあげたいですけどね。
☆同性愛と女性蔑視
アランが残した「ばかま〇こ」という表現からもわかるように、
彼はアティカスシリーズを薦めた妻メリッサを憎み、
純文学は受け取らないけれどアティカスシリーズをとりあげた女編集者スーザンを憎み、
同性愛の青年と暮らすようになります。
まぁそれはそれでいいんですが、でも真犯人は男というのはなかなか皮肉が効いてますね。
☆総評
本作は、『ミステリのような低俗なジャンルが売れ、売れるものばかりを出版する出版事情』
に喧嘩を売ったアンチ・ミステリ作品だと思います。
そこを評価したいなら、まぁいいんじゃないかと思います。
というか、ホロヴィッツさんからのSOSにすら思えます。
ホロヴィッツさんはミステリじゃない別ジャンルを書きたいのかもしれません。その割に、その後もミステリを書かされ(?)続けているようですが……。
単純なミステリとしては駄作だと思います。
結論としては以上です。