83点。
この世界は、より高次の知的生命体が作った『文化シミュレーションゲーム』
(『シド・マイヤーズ・シヴィライゼーション』のようなものか)の舞台であり、
人間どころか地球も宇宙も、シミュレーションゲームの背景に過ぎない。
そこで、知的生命体(便宜上、『神』と呼ぶ)は様々な遊戯を楽しむ。
パラメータを変え、どんな種族が勃興するかを観察する。
どの状況下ではどんな『ミーム(文化)』が栄え、どんな災害が起これば社会がどう移り変わるか、それによって絶滅する種、進化する種、拡がっていくミーム、絶滅するミームを観察する。
(これを便宜上、ストラテジー仮説と呼ぶ)
ジャック・マイルズの『GOD 神の伝記』では、『ヨブ記』の結末を、こう記している。
『私は、あなた=神に創造されたこの死すべき肉体を嫌悪し、遺憾に思います』。
マイルズの論が正しいかどうかは当然読者である僕にはわからないが、この説では、ヨブは創造主である神に中指を突き立てた。
人間は『事実になんて興味がない。見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる』生き物だ。
実装されたプログラム(習慣・考え方の枠)に反する事に拒否感を示し、同じ行動パターンを繰り返し生を生きる。
ほぼ進化のないプログラム故に、『歴史は繰り返す』し、自分にとって都合の良い『ミーム』に振り回され、時に排他的になり都合の悪い『ミーム』に攻撃を仕掛け、時には戦争を起こす。
そんな人間たちの世界で最高峰の位置に立った悪役、加古沢は『ストラテジー仮説』を信じながらも『ゲーム世界で華々しい存在感を見せれば、自らのデータは(神によって)セーブされ、永遠の生を生きる』という傲慢な考えに則り、世論を完全に操作して日朝戦争を起こす。
しかし、神にとってはそれも今まで繰り返されてきた愚かな争いの一つに過ぎない。
ヒトラーもスターリンも、チンギス・ハーンもユリウス・シーザーも秦の始皇帝も、神にとっては他勢力を駆逐するというプログラムに則った一支配者に過ぎない。
イエス・キリストもムハンマドも仏陀も、強力な『ミーム』の一担い手に過ぎない。
清く正しく生きようが、世界に名を遺す偉大な英雄として生きようが、より高次のゲームプレイヤー(神)にとっては、
『どうせ、死んでもセーブもされないボンクラども』であり、神は気まぐれに気候データをいじり、とあるミームを流行らせ、とある勢力を強大化させ、
気まぐれにUFOやファフロツキ―ズ、オカルト現象などでちょっかいをかけ、災害を起こし、人の死を観察する。当然、死後の世界などもない。データが消失すれば、そこで終わりである。
蟻の巣に人間が水を流しこむとき、善きアリと悪しき蟻を、英雄蟻と凡庸な蟻を区別して、善きアリ、英雄蟻を救済するだろうか?
『人は信じたいものだけを信じる』。
意味のない神の気まぐれに自分なりの解釈をつけ、縋りたいミームに縋り、心の平穏を得ようとする。
その結果、今日も人類はよりよい幸福を求めて善良に生き、
気に入らないミームを攻撃し、争い合いながら生きていくのだった。
この世界は、より高次の知的生命体が作った『文化シミュレーションゲーム』
(『シド・マイヤーズ・シヴィライゼーション』のようなものか)の舞台であり、
人間どころか地球も宇宙も、シミュレーションゲームの背景に過ぎない。
そこで、知的生命体(便宜上、『神』と呼ぶ)は様々な遊戯を楽しむ。
パラメータを変え、どんな種族が勃興するかを観察する。
どの状況下ではどんな『ミーム(文化)』が栄え、どんな災害が起これば社会がどう移り変わるか、それによって絶滅する種、進化する種、拡がっていくミーム、絶滅するミームを観察する。
(これを便宜上、ストラテジー仮説と呼ぶ)
ジャック・マイルズの『GOD 神の伝記』では、『ヨブ記』の結末を、こう記している。
『私は、あなた=神に創造されたこの死すべき肉体を嫌悪し、遺憾に思います』。
マイルズの論が正しいかどうかは当然読者である僕にはわからないが、この説では、ヨブは創造主である神に中指を突き立てた。
人間は『事実になんて興味がない。見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる』生き物だ。
実装されたプログラム(習慣・考え方の枠)に反する事に拒否感を示し、同じ行動パターンを繰り返し生を生きる。
ほぼ進化のないプログラム故に、『歴史は繰り返す』し、自分にとって都合の良い『ミーム』に振り回され、時に排他的になり都合の悪い『ミーム』に攻撃を仕掛け、時には戦争を起こす。
そんな人間たちの世界で最高峰の位置に立った悪役、加古沢は『ストラテジー仮説』を信じながらも『ゲーム世界で華々しい存在感を見せれば、自らのデータは(神によって)セーブされ、永遠の生を生きる』という傲慢な考えに則り、世論を完全に操作して日朝戦争を起こす。
しかし、神にとってはそれも今まで繰り返されてきた愚かな争いの一つに過ぎない。
ヒトラーもスターリンも、チンギス・ハーンもユリウス・シーザーも秦の始皇帝も、神にとっては他勢力を駆逐するというプログラムに則った一支配者に過ぎない。
イエス・キリストもムハンマドも仏陀も、強力な『ミーム』の一担い手に過ぎない。
清く正しく生きようが、世界に名を遺す偉大な英雄として生きようが、より高次のゲームプレイヤー(神)にとっては、
『どうせ、死んでもセーブもされないボンクラども』であり、神は気まぐれに気候データをいじり、とあるミームを流行らせ、とある勢力を強大化させ、
気まぐれにUFOやファフロツキ―ズ、オカルト現象などでちょっかいをかけ、災害を起こし、人の死を観察する。当然、死後の世界などもない。データが消失すれば、そこで終わりである。
蟻の巣に人間が水を流しこむとき、善きアリと悪しき蟻を、英雄蟻と凡庸な蟻を区別して、善きアリ、英雄蟻を救済するだろうか?
『人は信じたいものだけを信じる』。
意味のない神の気まぐれに自分なりの解釈をつけ、縋りたいミームに縋り、心の平穏を得ようとする。
その結果、今日も人類はよりよい幸福を求めて善良に生き、
気に入らないミームを攻撃し、争い合いながら生きていくのだった。