著者はトルストイ。評価はD+。


物語としては下。
それ以外の部分に価値を見出すことができるかが、焦点となる。


まず1つには、当時のロシアの状況が非常に丁寧に描かれている点が挙げられる。
資料的価値、歴史的価値は大したものだろうと思う。

だが、一方で、そんなことに興味がない読者にとっては、
これが読書の際の大きな障害にもなっている。

『南部鉄道と銀行筋との合弁による相互信用委員会の代理としての地位』を求めるシーンが延々と続いたり、
『農民たちと草を刈る』シーンや、『宗教についての議論』『社会福祉についての議論』を延々語られて、閉口しないならばいいのだろうが。
まぁ、書きたいんだから仕方ない、としか言いようがない。


2つめ。アンナというヒロインは、典型的な、あまりに典型的な(大事なことなので2回言いましたw)
境界性人格障害だ。

いやもう、ウザいのなんのって。こんなウザいヤンデレヒロインを出すなんてあんまりだ。


実は私は前カノ様がこの境界性人格障害のケがあって、しかもそんな彼女に私は惚れまくっていたわけだから、かなり苦労した。
私自身も多少依存体質なところもあって、ヒロインの心の動きもわからないでもない。

でも、ほんっとーーーーーーーに自分勝手よね、と思った。
不倫にしたって、自分が浮気しといて養育権主張するか普通?
どこまで厚かましいんだよ。


相手が20も年上でブサメン、性格も不一致。そこにイケメンが登場したら、
不倫したくなる気持ちはわからんでもないさ。
でも、20も年上のブサメンだって、人間としてはけして嫌な奴ではない。
不倫しても仕方ない、とは言わないが、そこはおいとくとしてもせめて、
「この離婚は自分に原因がある」くらいの気持ちは持っていてもらいたいと思う。


で、アンナ叩きは一段落するとして、この境界性人格障害が日本で認知されだしたのは1980年代とのこと(Wikipediaをどこまで信用していいかはわからないが)。
で、このアンナカレーニナが書かれたのはその100年も前なわけだ。


この、100年後に広く認知される境界性人格障害という概念を、
ここまで的確に書き表したのは、先見の明があると言えなくはないか?

まぁ、昔からこの手の人はいたんだろうなとは推測できるけど、この作品によって100年前にもいたということが確定したわけだ。

この小説に価値を見出すとすれば、そこじゃないかなと思った。