65点。
非常に評価のしにくいゲームでした。
まず、このゲームはCLANNADというゲームのヒロイン、智代との後日談(アフター)という位置づけになっています。
これをどう捉えるかが、第一のポイントですね。
このゲームの内容は大きく前半と後半に分かれます。
全体の7~8割 を占める前半は、『朋也・智代・鷹文(智代の弟)・可南子(鷹文の彼女)・とも(捨て子)』の五人が織り成す、ドタバタ青春モノです。
そして、後半の2~3割が、『記憶喪失になった朋也と、それを支える智代の物語』となっています。
まず前半ですが・・・・・・。あまり面白くは、なかったですね。
中でも『学校を建てる』件は、最悪で、終始苛々しながら読んでいました。
流れはこうです。
ともを捨てたお母さんの居場所を、朋也たちが見つける。
朋也・智代・可南子の三人は母のいる村に行き、事情を聞く。
その事情とは『母の余命は短い』こと。『母のいる村には学校がなく、同年代の子供もいないこと』。
ここで朋也は、『ならば学校を作ろう』と考えるのです。
そして、『ともの考えも、母の考えも聞かずに』、勝手に学校を作り始め、その事業に村人も巻き込み、ともの帰郷を既成事実化します。
それに反対する智代の意見を、「わがまま」と切って捨て、ならばと帰ろうとする智代を、財布を奪ってまで帰らせない。
朋也によると、「母と子は一緒にいるべき」なんだそうです。そして、「俺と智代は一緒に帰る」んだそうです。
何なんでしょうか、これは。
朋也のエゴを、無理やり他人に押し付けているようにしか見えません。
ともは最終的に、母と暮らしたいという希望を口にします。なので結果オーライではあります。
ですが、朋也が暴走している段階でともはそのことを口に出していません。
それどころか、母と一緒に暮らしたいという素振りすら、描写されていません。
『余命いくばくもない母親と過ごすこと』
『通いなれた幼稚園から離れて、同年代の友だちが一人もいない場所に引っ越すこと』。
この二点について、朋也は全く想いを致していないのでしょうか。
特に二点目については、誰からも全くフォローがないですが、本当にライターは子供のことを考えて書いたのでしょうか?
母が亡くなったら、ともはどうするのでしょう?
誰が面倒を見るのでしょう。もう、智代たちはいないのです。村全体で面倒を見るのですか?
同年代の子供が誰一人いないこの村で、ともは青春時代を過ごすのですか?
人ひとりの人生を変えたいと本気で思うなら、相手の人生を真剣に考えてあげるべきでしょう。
それを、『母と子は一緒に過ごすべき』などという浅薄な理想主義で片付け暴走する主人公を肯定する物語を、
僕は肯定することはできません。
シナリオが破綻しているのも確かですが、それよりもライターが下手なだけだと思います。
ともが、「母と暮らしたい!」と訴えるシーン、訴えはしなくても強くそう感じていることがわかる描写が一つ、二つあれば、「ともの気持ちに絆されて、空回り気味に奮闘する、頑張り屋さんの青年」と見ることもできました。
他にも、不良との喧嘩で成長を実感というワケのわからない展開も謎です。
適材適所という言葉があるように、何でも自分でやるのが偉い、ということではないと思います。
智代を守るために、智代を心配させるというのは本末転倒です。
読んでいて、馬鹿馬鹿しさしか感じませんでした。
一応ともが人質になったら~という懸念はあったのですが、可南子がめちゃくちゃ強いとわかった後なら、
可南子と智代が別行動することも可能で、朋也が出る幕ではないです。
そんな不快な前半シナリオとは違い、
後半は、少なくとも読んで苛々はしませんでした。
純情少年になった中学バージョンの朋也は可愛かったですし、優しい物語だと思います。
ただ、『記憶喪失になった朋也へ、CLANNAD本編のおさらい』をしているシーンが中心なので、
あぁそんなこともあったなぁと思う反面、「これ、単なる総集編じゃん」とも思いました。
で、ラストは結局朋也が助からなかったエンドと共に、「人生の宝物を探しに行こう!」。
まぁ、いいのです。
人生の宝物というものが何を指しているかはわかりますし、僕はこの後半は別に憂鬱な物語だとは思いませんでした。
語り手が智代なら凄く憂鬱な物語なのですが、純情ボーイ朋也視点なので、全然鬱らなかったです。
そして、どんなに不幸な境遇にあっても、その中には確かに目に見えない宝物が転がっていて。
それは朋也の「愛している」という言葉だったり、朋也のことを待ってくれていた直之の気持ちだったり。
更に言えば、鷹文、可南子、ともと過ごした日々であったり、CLANNAD本編で春原とバカをやっていた日々であったりするのでしょう。
ただ、この「人生の宝物を探しに行こう!」というメッセージは、明言こそされていないとはいえ、CLANNAD本編で既に伝えられていたメッセージだと思うのです。
何も渚トゥルールートを焼き直して死者の性別を変えたような、後半部分を付け足さなくてもそれはもう伝わっていると思うのです。
そんなわけで、僕はこの後半は否定はしないものの、何故書かれたのかが、これまたよくわかりません。
僕は全く鬱になりませんでしたが、多くの人が鬱になるであろうことは予想がつくわけで、
CLANNAD本編でのハッピーエンドを取り消してまで、書くべき内容なのかと聞かれると判断に困るゲームでした。
非常に評価のしにくいゲームでした。
まず、このゲームはCLANNADというゲームのヒロイン、智代との後日談(アフター)という位置づけになっています。
これをどう捉えるかが、第一のポイントですね。
このゲームの内容は大きく前半と後半に分かれます。
全体の7~8割 を占める前半は、『朋也・智代・鷹文(智代の弟)・可南子(鷹文の彼女)・とも(捨て子)』の五人が織り成す、ドタバタ青春モノです。
そして、後半の2~3割が、『記憶喪失になった朋也と、それを支える智代の物語』となっています。
まず前半ですが・・・・・・。あまり面白くは、なかったですね。
中でも『学校を建てる』件は、最悪で、終始苛々しながら読んでいました。
流れはこうです。
ともを捨てたお母さんの居場所を、朋也たちが見つける。
朋也・智代・可南子の三人は母のいる村に行き、事情を聞く。
その事情とは『母の余命は短い』こと。『母のいる村には学校がなく、同年代の子供もいないこと』。
ここで朋也は、『ならば学校を作ろう』と考えるのです。
そして、『ともの考えも、母の考えも聞かずに』、勝手に学校を作り始め、その事業に村人も巻き込み、ともの帰郷を既成事実化します。
それに反対する智代の意見を、「わがまま」と切って捨て、ならばと帰ろうとする智代を、財布を奪ってまで帰らせない。
朋也によると、「母と子は一緒にいるべき」なんだそうです。そして、「俺と智代は一緒に帰る」んだそうです。
何なんでしょうか、これは。
朋也のエゴを、無理やり他人に押し付けているようにしか見えません。
ともは最終的に、母と暮らしたいという希望を口にします。なので結果オーライではあります。
ですが、朋也が暴走している段階でともはそのことを口に出していません。
それどころか、母と一緒に暮らしたいという素振りすら、描写されていません。
『余命いくばくもない母親と過ごすこと』
『通いなれた幼稚園から離れて、同年代の友だちが一人もいない場所に引っ越すこと』。
この二点について、朋也は全く想いを致していないのでしょうか。
特に二点目については、誰からも全くフォローがないですが、本当にライターは子供のことを考えて書いたのでしょうか?
母が亡くなったら、ともはどうするのでしょう?
誰が面倒を見るのでしょう。もう、智代たちはいないのです。村全体で面倒を見るのですか?
同年代の子供が誰一人いないこの村で、ともは青春時代を過ごすのですか?
人ひとりの人生を変えたいと本気で思うなら、相手の人生を真剣に考えてあげるべきでしょう。
それを、『母と子は一緒に過ごすべき』などという浅薄な理想主義で片付け暴走する主人公を肯定する物語を、
僕は肯定することはできません。
シナリオが破綻しているのも確かですが、それよりもライターが下手なだけだと思います。
ともが、「母と暮らしたい!」と訴えるシーン、訴えはしなくても強くそう感じていることがわかる描写が一つ、二つあれば、「ともの気持ちに絆されて、空回り気味に奮闘する、頑張り屋さんの青年」と見ることもできました。
他にも、不良との喧嘩で成長を実感というワケのわからない展開も謎です。
適材適所という言葉があるように、何でも自分でやるのが偉い、ということではないと思います。
智代を守るために、智代を心配させるというのは本末転倒です。
読んでいて、馬鹿馬鹿しさしか感じませんでした。
一応ともが人質になったら~という懸念はあったのですが、可南子がめちゃくちゃ強いとわかった後なら、
可南子と智代が別行動することも可能で、朋也が出る幕ではないです。
そんな不快な前半シナリオとは違い、
後半は、少なくとも読んで苛々はしませんでした。
純情少年になった中学バージョンの朋也は可愛かったですし、優しい物語だと思います。
ただ、『記憶喪失になった朋也へ、CLANNAD本編のおさらい』をしているシーンが中心なので、
あぁそんなこともあったなぁと思う反面、「これ、単なる総集編じゃん」とも思いました。
で、ラストは結局朋也が助からなかったエンドと共に、「人生の宝物を探しに行こう!」。
まぁ、いいのです。
人生の宝物というものが何を指しているかはわかりますし、僕はこの後半は別に憂鬱な物語だとは思いませんでした。
語り手が智代なら凄く憂鬱な物語なのですが、純情ボーイ朋也視点なので、全然鬱らなかったです。
そして、どんなに不幸な境遇にあっても、その中には確かに目に見えない宝物が転がっていて。
それは朋也の「愛している」という言葉だったり、朋也のことを待ってくれていた直之の気持ちだったり。
更に言えば、鷹文、可南子、ともと過ごした日々であったり、CLANNAD本編で春原とバカをやっていた日々であったりするのでしょう。
ただ、この「人生の宝物を探しに行こう!」というメッセージは、明言こそされていないとはいえ、CLANNAD本編で既に伝えられていたメッセージだと思うのです。
何も渚トゥルールートを焼き直して死者の性別を変えたような、後半部分を付け足さなくてもそれはもう伝わっていると思うのです。
そんなわけで、僕はこの後半は否定はしないものの、何故書かれたのかが、これまたよくわかりません。
僕は全く鬱になりませんでしたが、多くの人が鬱になるであろうことは予想がつくわけで、
CLANNAD本編でのハッピーエンドを取り消してまで、書くべき内容なのかと聞かれると判断に困るゲームでした。