著者は福井晴敏。 評価は A+。
僕は、どちらかと言うと政治的には左寄りの人間だと思っている(極左ではない)。
「憂国」やら「愛国」という言葉には少なからず胡散臭さを覚えるし、その限りで言うなら「亡国のイージス」というタイトルにも、不安感はあれど、胸の高揚などはない。
また、僕は海洋冒険モノはあまり得意ではない。
例えばアリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」とか、トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」とか。
ファンの方には申し訳ないが、面白さがよくわからなかった。大変そうだな、辛そうだなとは思ったけれども。
主な登場人物の項目を見ても男だらけで、女性の名前は一人(ジョンヒ)しかカウントされていない。
(というか、読み始める前はジョンヒという名前から女を思い浮かべることもなかった)。
「俺には合いそうにない作品だけど、有名だし、触れてみるか」
と思って手に取ったのだけれど、読み終わった今、食わず嫌いせずに本当に良かった、と思っている。
1100ページの小説を正味3日で読んでしまった。貪るように読んだとはこの事だと思う。
それにしても、これを30前後の年齢で書くとは本当に凄い。
ワナビな俺とは本当に才能が違うんだなとつくづく感じさせられた(頑張らねば)。
今まで『任務・ミッション』的な『ミリタリー』ものにはことごとく楽しさを見いだせなかった俺なのだけど、
本作では各キャラのバックボーンがきっちりと描かれているからこそ、のめりこめたのだと思う。
特に『家族』関係が丁寧に描かれている点はポイントではないだろうか。
主として父―息子の関係だが、随所に嫁の存在(主に嫁との軋轢)を感じるのも面白い。
軍隊と(ひいては、国と国とのパワーバランス的な政治の世界と)女性とは相性が良くないのだろうかと、そんなことも考える。
また、上巻半ばのどんでん返しはミステリ的にも非常に面白く、「一体誰が反乱分子なんだ!?」と考えながら読むことしきり。僕はすっかり騙されてしまったw
本書で描かれている『国防』についての考え方も実に興味深く読めた。
福井氏の主張をそのまま語っているのは、恐らく宮津親子だろう。
『軍事(防衛)力を整え、アメリカに頼らず自分たちの力で、国を守れる力を手に入れる。
そうして主体的に振る舞う事で、国の誇りを取り戻す。
今の日本は、軍事(防衛)力をまるで悪のように忌み嫌い、アメリカに頼り、外国が攻めてこないようにひたすら祈るという、他人任せな風潮が国を支配しており、これでは国に誇りを持つこともできない』。
相当乱暴にまとめると、このような感じになる。
僕はこの分野の専門家ではないどころか相当疎いので、変なことを言うかもしれないし、
あまり浅薄な政治語りなどはしたくないのだけれど、せっかくこのような素晴らしい作品に出会えて考える機会を与えてもらったので、メモ的に自分の考えを残しておく。
ここについては、あまりツッコまないでくれるとありがたいです。
さて、↑の宮津親子の主張は僕は非常に的を射ていると思うし、それでいてなお、軍事(防衛)力の拡張には反対である。
理由はいくつかあるものの、一番の問題は『自国政府への不信感』に尽きると思う。
また、細かく考えてみると、
・朝鮮半島を中心に、侵略戦争を行ってきた日本の過去の行動
や
・外国から攻められ、侵略されて酷い目にあった経験がほとんどない事
(第二次大戦のGHQの支配くらいで、これも特に酷かったという認識はない)などが挙げられる。
これが、たとえばナチスドイツに支配されたポーランドのような悲惨な歴史を持っていれば、
意識は大いに変わった事と思う。
要は、『被害者』になる可能性よりも『加害者』になる可能性の方が高いと踏んでいるのである。
確かに『防衛力』は大事だ。しかし、『防衛力=軍事力』である。
また、本作では『どう見ても怪しい相手に対しても、先制攻撃が出来ない→戦争は最初の一撃で勝負が決まる』というロジックが展開されており、これはまさにその通りだと思う。
しかし、『盧溝橋』で『兵士が失踪するという不審な状況に対して、先制攻撃を仕掛けてしまった』のは我が日本ではなかったか。
ここでも結局は、『自国政府の判断を信じられるかどうか』というところに行きつくのだろうと思う。
そして残念ながら、僕は自国政府の判断を信じられないのである。
これは別に自国政府がとりわけ酷いと思っているわけでもなく、人間なんてそんなものだと思っているからだ。
敵が武器を持つだけでなく、自分も武器を持ったら、脅威は2倍になる、と思っている。
じゃあどうするのか、
『アメリカに頼り、外国が攻めてこないようにひたすら祈るという、他人任せな風潮でいいのか』と詰め寄られると、自信を持って首を縦に振ることは難しい、が、僕の態度はこういう態度なのもまた事実なのである。
ちなみに、「国の誇り」というものは僕は全然興味がない。
確かに、誇りが持てないよりは持てる方がいいだろう。
しかし、「国に誇りを『持たなくても生きていける』」という現代はとても恵まれていると思っている。
「国に誇りを持たなくてはやっていけない」というのは、危急存亡の時、とまでは言わなくとも、
かなり苦しい時だろう。
たとえばイスラエルである。周り中、敵だらけの中、唯一のユダヤ人国家。
聞いたわけではないが、彼らの愛国心は相当なものだろうと思う。
たとえばアメリカ。9.11の貿易センタービル倒壊時、彼らの愛国心は燃え上がったという。
いずれも、苦しい時期である)
さて、本作に話を戻す。
このように福井氏と僕の政治観はだいぶ違うものであるが、しかしそれが本作を読む上で僕に反感を抱かせることはなかった。
それは、氏がギリギリのラインでバランスを保っているからだろうと思う。
「国が自立する」こと。
「誇り」を持つ事の素晴らしさを語る一方で、「武器を持つ事の恐ろしさ」もまた描いている。
間違った「愛国」の想いに浮き足立ち、危うく大量虐殺の片棒を担いでしまう登場人物たちの姿も描かれている。
愛国の素晴らしさだけを唱え、危険性には目を瞑るプロパガンダ的などこかのエロゲとは大違いである。
バランス感覚を持った福井氏のメッセージだからこそ、深く考えさせられるものがあった。
もちろん、メッセージだけの頭でっかちな作品ではない。
本作は一級のエンターテイメント作品である。
1100ページの旅に終わりを告げた今、とても心地の良い読後感に浸りつつ、この記事を書いている。
仙石や如月のこれからの人生を想像しながら、今夜は眠りにつくとしよう。
僕は、どちらかと言うと政治的には左寄りの人間だと思っている(極左ではない)。
「憂国」やら「愛国」という言葉には少なからず胡散臭さを覚えるし、その限りで言うなら「亡国のイージス」というタイトルにも、不安感はあれど、胸の高揚などはない。
また、僕は海洋冒険モノはあまり得意ではない。
例えばアリステア・マクリーンの「女王陛下のユリシーズ号」とか、トム・クランシーの「レッドオクトーバーを追え」とか。
ファンの方には申し訳ないが、面白さがよくわからなかった。大変そうだな、辛そうだなとは思ったけれども。
主な登場人物の項目を見ても男だらけで、女性の名前は一人(ジョンヒ)しかカウントされていない。
(というか、読み始める前はジョンヒという名前から女を思い浮かべることもなかった)。
「俺には合いそうにない作品だけど、有名だし、触れてみるか」
と思って手に取ったのだけれど、読み終わった今、食わず嫌いせずに本当に良かった、と思っている。
1100ページの小説を正味3日で読んでしまった。貪るように読んだとはこの事だと思う。
それにしても、これを30前後の年齢で書くとは本当に凄い。
ワナビな俺とは本当に才能が違うんだなとつくづく感じさせられた(頑張らねば)。
今まで『任務・ミッション』的な『ミリタリー』ものにはことごとく楽しさを見いだせなかった俺なのだけど、
本作では各キャラのバックボーンがきっちりと描かれているからこそ、のめりこめたのだと思う。
特に『家族』関係が丁寧に描かれている点はポイントではないだろうか。
主として父―息子の関係だが、随所に嫁の存在(主に嫁との軋轢)を感じるのも面白い。
軍隊と(ひいては、国と国とのパワーバランス的な政治の世界と)女性とは相性が良くないのだろうかと、そんなことも考える。
また、上巻半ばのどんでん返しはミステリ的にも非常に面白く、「一体誰が反乱分子なんだ!?」と考えながら読むことしきり。僕はすっかり騙されてしまったw
本書で描かれている『国防』についての考え方も実に興味深く読めた。
福井氏の主張をそのまま語っているのは、恐らく宮津親子だろう。
『軍事(防衛)力を整え、アメリカに頼らず自分たちの力で、国を守れる力を手に入れる。
そうして主体的に振る舞う事で、国の誇りを取り戻す。
今の日本は、軍事(防衛)力をまるで悪のように忌み嫌い、アメリカに頼り、外国が攻めてこないようにひたすら祈るという、他人任せな風潮が国を支配しており、これでは国に誇りを持つこともできない』。
相当乱暴にまとめると、このような感じになる。
僕はこの分野の専門家ではないどころか相当疎いので、変なことを言うかもしれないし、
あまり浅薄な政治語りなどはしたくないのだけれど、せっかくこのような素晴らしい作品に出会えて考える機会を与えてもらったので、メモ的に自分の考えを残しておく。
ここについては、あまりツッコまないでくれるとありがたいです。
さて、↑の宮津親子の主張は僕は非常に的を射ていると思うし、それでいてなお、軍事(防衛)力の拡張には反対である。
理由はいくつかあるものの、一番の問題は『自国政府への不信感』に尽きると思う。
また、細かく考えてみると、
・朝鮮半島を中心に、侵略戦争を行ってきた日本の過去の行動
や
・外国から攻められ、侵略されて酷い目にあった経験がほとんどない事
(第二次大戦のGHQの支配くらいで、これも特に酷かったという認識はない)などが挙げられる。
これが、たとえばナチスドイツに支配されたポーランドのような悲惨な歴史を持っていれば、
意識は大いに変わった事と思う。
要は、『被害者』になる可能性よりも『加害者』になる可能性の方が高いと踏んでいるのである。
確かに『防衛力』は大事だ。しかし、『防衛力=軍事力』である。
また、本作では『どう見ても怪しい相手に対しても、先制攻撃が出来ない→戦争は最初の一撃で勝負が決まる』というロジックが展開されており、これはまさにその通りだと思う。
しかし、『盧溝橋』で『兵士が失踪するという不審な状況に対して、先制攻撃を仕掛けてしまった』のは我が日本ではなかったか。
ここでも結局は、『自国政府の判断を信じられるかどうか』というところに行きつくのだろうと思う。
そして残念ながら、僕は自国政府の判断を信じられないのである。
これは別に自国政府がとりわけ酷いと思っているわけでもなく、人間なんてそんなものだと思っているからだ。
敵が武器を持つだけでなく、自分も武器を持ったら、脅威は2倍になる、と思っている。
じゃあどうするのか、
『アメリカに頼り、外国が攻めてこないようにひたすら祈るという、他人任せな風潮でいいのか』と詰め寄られると、自信を持って首を縦に振ることは難しい、が、僕の態度はこういう態度なのもまた事実なのである。
ちなみに、「国の誇り」というものは僕は全然興味がない。
確かに、誇りが持てないよりは持てる方がいいだろう。
しかし、「国に誇りを『持たなくても生きていける』」という現代はとても恵まれていると思っている。
「国に誇りを持たなくてはやっていけない」というのは、危急存亡の時、とまでは言わなくとも、
かなり苦しい時だろう。
たとえばイスラエルである。周り中、敵だらけの中、唯一のユダヤ人国家。
聞いたわけではないが、彼らの愛国心は相当なものだろうと思う。
たとえばアメリカ。9.11の貿易センタービル倒壊時、彼らの愛国心は燃え上がったという。
いずれも、苦しい時期である)
さて、本作に話を戻す。
このように福井氏と僕の政治観はだいぶ違うものであるが、しかしそれが本作を読む上で僕に反感を抱かせることはなかった。
それは、氏がギリギリのラインでバランスを保っているからだろうと思う。
「国が自立する」こと。
「誇り」を持つ事の素晴らしさを語る一方で、「武器を持つ事の恐ろしさ」もまた描いている。
間違った「愛国」の想いに浮き足立ち、危うく大量虐殺の片棒を担いでしまう登場人物たちの姿も描かれている。
愛国の素晴らしさだけを唱え、危険性には目を瞑るプロパガンダ的などこかのエロゲとは大違いである。
バランス感覚を持った福井氏のメッセージだからこそ、深く考えさせられるものがあった。
もちろん、メッセージだけの頭でっかちな作品ではない。
本作は一級のエンターテイメント作品である。
1100ページの旅に終わりを告げた今、とても心地の良い読後感に浸りつつ、この記事を書いている。
仙石や如月のこれからの人生を想像しながら、今夜は眠りにつくとしよう。