著者は黒木亮。
評価は判定不能。多分力作。ただ、好み度はC。
本書は、一人の銀行マン・証券マンを中心に据え、彼と共に日本マネーが躍進した80年代、バブルの崩壊、メキシコ通貨の下落、湾岸戦争、地下鉄サリン事件、9.11、吸収合併によるみずほ銀行誕生などなど、1980~2005年あたりの金融史を振り返れる力作となっている。
ということで、金融経済に強く、その辺の知識を仕入れたい人には強くお薦めできる作品になっているし、既に知っている人も『あぁ、あの時はあんな事もあったなぁ』としみじみ振り返るのも良いだろう。
何の問題もない。良作だと思う。
で、だ。
問題なのは僕の方である。
金融経済に全く興味がなく、知識も全くない私にとって、この本ほどアウェイ感を感じる小説は久しぶりだった。
過去にアーサー・ヘイリーの「マネーチェンジャーズ」という本を読んだことがある。
「マネーチェンジャーズ」は銀行マンを主人公とするエンタメで、非常に面白かった。
金融知識がさほどなくても楽しめたのだ。主人公は末端の銀行マンにすぎなかったし。
ところが、である。本作で描かれるのは末端の銀行業務ではない。
為替と株である。専門用語がバンバン飛び交うのである。
「価格ボラリティが高い低クーポン債をスペキュレート」したりするのである。
『スクリーンは、米国債の利回りとスワップ金利の差や、米国債とファニーメイ、フレディ―マックといった政府機関債の利回りの差を示すスクリーンで、基準となる米国債はすべて「オン・ザ・ラン」が遣われていた』みたいな文章がひたすら延々続くのであり、このレベルの文章は簡単に理解できない事には、1100ページにも及ぶこの小説を読みきるのは相当辛いと言わざるを得ない。
と、まぁこういった感じで第一の壁は「知識・興味の壁」である。
これはもう全面的に僕が悪い。バカですみませんでしたぁ!!! である。
壁はそれだけではない。もう一つ、別の壁がある。それは人物描写である。
この作品では徹頭徹尾、ビジネスの話しかしていない。
会話シーンも全部ビジネスに絡んだことである。
本作に出てくる登場人物は、ほぼ全員が上昇志向が強い独立系の人間か、
でなければ相手の出世やら何やらを気にして、足を引っ張ったり妬んだりするクズ人間かのどちらかだ。
唯一、清涼剤となるのは「〇〇の妻」という一連の妻群で、非常に男にとって都合の良い、人間のよくできた女性たちである。平たく言えば、人間味を感じないレベルであるし、そのせいか名前すら与えられていない。
桂木の妻にしろ、竜神の妻にしろ、そうである。
大学の同窓会でのシーンも酷い。
なぜか。そう、僕にとってはなぜかなのだが、皆が仕事の話しかしない。
お互いの給料を聞いたりしている。
うわーー行きたくねーこんな同窓会ww
大学時代の恩師なる人間も登場し「日本のために働いてほしかったのに……」と外資系に行った主人公に恨み言を言うのである。
余計なお世話にも程があるwww
投資金融業界は概ね超ハードワークのブラック企業だと思われる。
本書の主人公が最初に勤めていた東都銀行は真っ黒も真っ黒の、スーパーブラックである。
年収1000万だったらしいが、ブラックである。
次に主人公が行く、モーガン・スペンサー銀行は「理不尽な不公平さはない」ので
人によってはブラック企業だとは思わないかもしれないが、
人を超えた存在、超人以外がこの会社に入ったら3日で潰れてしまうのではないか?と感じる程度にはブラックである。
求めるレベルがクッソ高い。
そこで主人公は年収5000万を稼ぐのだが……そんなに稼いで何がしたいんだ? としか思えないのが
悲しいかな、僕の限界である。
5000万だと!? クッソうらやま!! とはならないのである。
こんな地獄みたいな環境、5000万もらっても嫌だわとしか思えない(そもそも務まらない)し、
なんでそんなに金が欲しいのかさっぱりわからない。
主人公は奥さんがいるが子供はいない。そこまで稼がなきゃならない理由が見えてこない。
金のために働くのではないのかもしれない。しかし……僕自身が金融業界に全く興味がないせいなのか、主人公が『楽しそうに働いている』とは、僕には全く思えなかった。
総合して言えば、ここに書かれている世界は、僕と地続きでありながらあまりにも遠いファンタジー世界だし、ここに書かれている人間は、僕とは違う人種……例えて言うなら宇宙人を見ているかのようだった。
世の中にはこんな人たちもいるのか。いるんだろうなぁ。とは思う。
全く理解できなかったけれども。
「価格ボラリティが高い低クーポン債をスペ 「価格ボラリティが高い低クーポン債をス 「価格ボラリティが高い低クーポン債をスペキペキュレート」キュレート」
評価は判定不能。多分力作。ただ、好み度はC。
本書は、一人の銀行マン・証券マンを中心に据え、彼と共に日本マネーが躍進した80年代、バブルの崩壊、メキシコ通貨の下落、湾岸戦争、地下鉄サリン事件、9.11、吸収合併によるみずほ銀行誕生などなど、1980~2005年あたりの金融史を振り返れる力作となっている。
ということで、金融経済に強く、その辺の知識を仕入れたい人には強くお薦めできる作品になっているし、既に知っている人も『あぁ、あの時はあんな事もあったなぁ』としみじみ振り返るのも良いだろう。
何の問題もない。良作だと思う。
で、だ。
問題なのは僕の方である。
金融経済に全く興味がなく、知識も全くない私にとって、この本ほどアウェイ感を感じる小説は久しぶりだった。
過去にアーサー・ヘイリーの「マネーチェンジャーズ」という本を読んだことがある。
「マネーチェンジャーズ」は銀行マンを主人公とするエンタメで、非常に面白かった。
金融知識がさほどなくても楽しめたのだ。主人公は末端の銀行マンにすぎなかったし。
ところが、である。本作で描かれるのは末端の銀行業務ではない。
為替と株である。専門用語がバンバン飛び交うのである。
「価格ボラリティが高い低クーポン債をスペキュレート」したりするのである。
『スクリーンは、米国債の利回りとスワップ金利の差や、米国債とファニーメイ、フレディ―マックといった政府機関債の利回りの差を示すスクリーンで、基準となる米国債はすべて「オン・ザ・ラン」が遣われていた』みたいな文章がひたすら延々続くのであり、このレベルの文章は簡単に理解できない事には、1100ページにも及ぶこの小説を読みきるのは相当辛いと言わざるを得ない。
と、まぁこういった感じで第一の壁は「知識・興味の壁」である。
これはもう全面的に僕が悪い。バカですみませんでしたぁ!!! である。
壁はそれだけではない。もう一つ、別の壁がある。それは人物描写である。
この作品では徹頭徹尾、ビジネスの話しかしていない。
会話シーンも全部ビジネスに絡んだことである。
本作に出てくる登場人物は、ほぼ全員が上昇志向が強い独立系の人間か、
でなければ相手の出世やら何やらを気にして、足を引っ張ったり妬んだりするクズ人間かのどちらかだ。
唯一、清涼剤となるのは「〇〇の妻」という一連の妻群で、非常に男にとって都合の良い、人間のよくできた女性たちである。平たく言えば、人間味を感じないレベルであるし、そのせいか名前すら与えられていない。
桂木の妻にしろ、竜神の妻にしろ、そうである。
大学の同窓会でのシーンも酷い。
なぜか。そう、僕にとってはなぜかなのだが、皆が仕事の話しかしない。
お互いの給料を聞いたりしている。
うわーー行きたくねーこんな同窓会ww
大学時代の恩師なる人間も登場し「日本のために働いてほしかったのに……」と外資系に行った主人公に恨み言を言うのである。
余計なお世話にも程があるwww
投資金融業界は概ね超ハードワークのブラック企業だと思われる。
本書の主人公が最初に勤めていた東都銀行は真っ黒も真っ黒の、スーパーブラックである。
年収1000万だったらしいが、ブラックである。
次に主人公が行く、モーガン・スペンサー銀行は「理不尽な不公平さはない」ので
人によってはブラック企業だとは思わないかもしれないが、
人を超えた存在、超人以外がこの会社に入ったら3日で潰れてしまうのではないか?と感じる程度にはブラックである。
求めるレベルがクッソ高い。
そこで主人公は年収5000万を稼ぐのだが……そんなに稼いで何がしたいんだ? としか思えないのが
悲しいかな、僕の限界である。
5000万だと!? クッソうらやま!! とはならないのである。
こんな地獄みたいな環境、5000万もらっても嫌だわとしか思えない(そもそも務まらない)し、
なんでそんなに金が欲しいのかさっぱりわからない。
主人公は奥さんがいるが子供はいない。そこまで稼がなきゃならない理由が見えてこない。
金のために働くのではないのかもしれない。しかし……僕自身が金融業界に全く興味がないせいなのか、主人公が『楽しそうに働いている』とは、僕には全く思えなかった。
総合して言えば、ここに書かれている世界は、僕と地続きでありながらあまりにも遠いファンタジー世界だし、ここに書かれている人間は、僕とは違う人種……例えて言うなら宇宙人を見ているかのようだった。
世の中にはこんな人たちもいるのか。いるんだろうなぁ。とは思う。
全く理解できなかったけれども。
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