☆前置き
「うたわれるもの2」は、「偽りの仮面」と本作「二人の白皇」に分かれています。
「うたわれるもの2」は、「偽りの仮面」と本作「二人の白皇」に分かれています。
「偽りの仮面」が上巻、そして「二人の白皇」が下巻になっております。
「偽りの仮面」は終盤以外は非常につまらない作品なのですが、そのつまらなさを乗り越えれば、ようやく本作に辿りつけます。
「二人の白皇」は87点なのですが、分割商法が少し気になるので1点だけ下げました。
「偽りの仮面」はかなり間延びした作品ですので、ボリュームを半分にした上で2本を1つにまとめて、
発売できなかったのかなぁ。
まぁ、商法的には成功だと思うんですが……。
「ひぐらしのなく頃に」を知らない方には何のことだかわからないかもですが、
綿流し前の部活シーンに当たるのが「偽りの仮面」、綿流し後が「二人の白皇」みたいな感じでした。
あと、こんなに素敵な作品に言うのもなんだけど、18禁で出してよ!
クオンとノスリ、アトゥイにルルティエあたりは自然にHシーン入れられたでしょ!
はい、まぁそんな事はどうでもいいですね。
☆「子供から大人へ」仲間side
「子供から大人へ」。それが、うたわれるもの2のメインテーマになります。
とりわけ「偽りの仮面」で子供だったアンジュとネコネにそれは顕著です。
ぐうたらで甘やかされた『ガキ』だったアンジュは、父の死を乗り越え、力強く成長していきます。
クオンとの対決は本作の中でも特筆すべき名シーンで、あそこから物語にグイグイと引き込まれていきました。
同じく、「偽りの仮面」ではハクを毛嫌いするある種ヒステリックなブラコンだったネコネもまた、
兄の死を乗り越え、『オシュトル(ハク)』をしっかりと支える魅力的な妹に成長していきます。
個人的にはネコネこそ、本作のメインヒロインだったと思っています。
ハクは、兄(帝)、そしてクオンという保護者から離れ、オシュトルを演じることで、
少しずつ成熟し、ネコネの頼れる兄として成長していきます。
ルルティエは押し出しの強い姉シスの影から自立し、自らの意志で戦乱へ赴いていきます。
本作をプレイして一番印象に残ったのは、こうした前作では未熟だったキャラクター達が、目覚ましく成長していく姿でした。
☆「子供から大人へ」その2
仲間キャラクターだけではなく、「うたわれるもの2」の世界観自体がそのまま、「子供から大人へ」のテーマを表しています。
帝という偉大なる父の庇護の元、ヤマトは繁栄を迎えています。
その帝が亡くなった後、朝廷軍のリーダーとなったライコウは
『俺達は、帝が造りだした揺り籠から巣立ち 自分達の力で羽ばたき、自分達の足で立ち上がり、歩かねばならない』と語ります。
このライコウの思想信条は、まさに「子供から大人へ」のテーマを表現していると思います。
もう一人の悪役、ウォシスは父の愛を信じられず、大人になれなかった子供として暗躍します。
そんな彼を傍らで支えたのが、彼の子供役であるヤタナワラべたち。
そして、ウォシスは帝のように、神として振る舞い始めます。
ウォシスを父として、神のように崇めたヤタナワラべたち。
帝を父として、神のように崇めたヤマトの民たち。
そして何より、滅びてしまった旧人類やノロイに変化した人民たち。
自らの意志決定と責任を、絶大なる他者に預け、揺り篭の中に留まろうとする人々は、
本作の中で大きな代償を払うことになります。
自らの意志決定と責任を、絶大なる他者に預け、揺り篭の中に留まろうとする人々は、
本作の中で大きな代償を払うことになります。
本作の素晴らしいところは、単なるキャラクターの成長物語で終わらないところ。
そこから一歩進めて、『自己を持たない』未熟な大人を描いているところです。
現実世界に即して言えば、カリスマ的な人物の信者になってしまう人(それは、社長や上司でも良いし、政治家でも良いし、恋人とか親とかでも良いし、新興宗教の教祖的な人でも良いし、ユーチューバーとかでも良い。
とにかく、何らかの他者に決定権と責任を丸投げにし、その庇護の元でぬくぬくと過ごす人々)。
このような、『自分の意思を捨ててしまう人』全般を揺り篭の中の赤子にたとえ、
そうした種族・国家はやがて滅びていく。
それらを、タタリ・ノロイという形で表現しているという意味で、かなりラディカルで妥協のない成長物語だと感じました。
自らオシュトルの意思を継ぎ、責任を引き受けて成長していったハクと、
鮮やかなコントラストを描くウォシス。
「うたわれるもの2」はそういった、一作丸ごと成長物語に全振りした、骨太の物語でした。