前置き 『科学』と『宗教(魔法)』に分断される世界
『科学』と『宗教(魔法)』。
この2つは、多くの作品で対立する二者として描かれてきました。
たとえば、スティーブン・キングの『ザ・スタンド』では、
科学技術(生物兵器)によって崩壊した世界で、
科学を捨てて原始宗教的な共同体を作る主人公たちを『光の陣営』。
科学に固執し、再び核兵器を作り出す人間たちを『闇の陣営』として、
その対決を描く壮大なファンタジー小説でした。
一方、ラリー・ニーヴン&ジュリー・パーネルの『悪魔のハンマー』で舞台になるのは、彗星衝突により崩壊した世界。
文化的な生活水準を守るため科学を後世に継いでいく主人公たちと、
原子力発電所を襲い、科学のない、原始生活に戻ろうとする敵との戦いを描いたSFファンタジー作品でした。
どちらも素晴らしい作品であるとともに、併読して読むと、
キングが鳴らす行き過ぎた科学に対する警鐘や、
ニーヴン&パーネルの主張する、再び猿のような生活へと戻ってもいいのかという主張。
『科学』・『宗教』それぞれに同意できる部分があり、いろいろと考えさせられたものです。
アメリカでは、ダーウィンの進化論を認めず、人は神によって作られたと考える人が相当数存在します。
そして今、人種問題と新型コロナウイルス(への意識・姿勢)によって、アメリカは引き裂かれようとしています。
狂信的なキリスト教福音派を代表するトランプとその信者(共和党)。
より科学的なアプローチをとるバイデン(民主党)。
トランプ支持者の語る『ディープステート』などは、『魔法・狂信・迷信』の最たるものでしょう。
(もちろん、両者の対立は人種問題や格差問題、世界とのつながり方(栄光ある孤立・アメリカファーストか、グローバリズムか)など様々な要素が絡んでいますが、本書の感想とは関係ないので、これぐらいで)
では、両者は「ザ・スタンド」や「悪魔のハンマー」のように
片方が相手を滅ぼすまで、争うしかないのでしょうか?
『樹木』と『機械』の恋に繋がる、『融和』の物語
本書の男性主人公ロレンスは、天才科学者であり、
本書のヒロインパトリシアは、天才魔法少女。
この二人が恋に落ち、それぞれの世界を仲介する本書は、
一見相容れない『科学』と『魔法』を仲立ちする、骨太な恋愛小説です。
二人は幼馴染。
子供時代、二人は、それぞれいじめられっ子でした。
生物と話をするパトリシアは、『常識的な人間』から見れば、頭のおかしな女の子でした。
いつも機械ばかりをいじっているロレンスは、ガリ勉眼鏡少年的な、いじめの対象になりやすい男の子でした。
二人は共にいじめられっ子として、お互いを支えにし、そのことによってますますいじめが苛烈化するにも拘らず、お互いを最良の友として地獄の子供時代を抜け出しました。
(いじめの描写が相当エグいので注意。血の付いた生理用パンツを鞄に入れるとか……その発想はなかったわぁ……)
そして大人になった二人は、一方は『科学者』として、一方は『魔法使い』として対立する陣営に身を置くことになります。
科学界は地球の環境を破壊するマシンを作り、
魔法使いは科学施設にテロ行為を行います。
そして、それに対する科学界の報復・それに対する報復の連鎖。
『科学』と『魔法』の対立が解消され、融和へと向かうのは、
それを仲立ちするロレンスとパトリシアの愛情でした。
本書は、古典的・普遍的な恋愛小説として読むことができると思います。
対立する二つの勢力に身を置く二人が、お互いを理解していく過程で
異文化への理解を深めていく。
理解できない部分はあれど、お互いへの愛情を土台に、なんとかうまく乗り越えていく。
規模は小さくとも、現実世界でも多くの方がその仲立ちを行なっていることでしょう。
身分違いの恋、海外結婚、歳の差結婚、皇室の方と一般国民の恋愛などなど。
人と人との結びつきが、あらゆる対立を解きほぐしていく。
それは普遍的な事でもあり、且つ偉大な事でもあると思います。
本書は、「科学」と「魔法」の陰惨な対立を描きつつも、
最終戦争へ至るのではなく、分断を修復していく。
ある意味今のアメリカにおいて、もっとも読まれるべき
ラブストーリーだと感じました。