漱石との出会いと中断
この記事では、まずは思い出語りから入ります。
「初読者向け」と銘打っているので、そちらだけを知りたい方は、
『前期と後期では全く作風が違う漱石』の項目までスクロールしてください。
また、夏目漱石ほどの作家ともなりますと、多くの有識者・学者先生などが既に評論などを綴られていると思います。
私は単なる一読者に過ぎませんので、そこのところはご了承ください。
では、本文に入ります。
夏目漱石との出会いは、国語の教科書でした。ドロドロの三角関係と、
『覚悟だと……覚悟なら、ないこともない』や
『精神的に向上心のない者はバカだ』などの名台詞も印象に残り、とても感動したことを覚えています。
(国語教科書では、他に魯迅の『故郷』も大好きでした)
その後、教科書版『こころ』は全3章のうち、3章のみを収録したものであることを知り、完全版の『こころ』を読了。
ここでも『私は寂しい人間です』や、
『恋は罪悪ですよ、君。――そして、神聖なものです』といった、ミステリアスかつ繊細な、先生の立ち居振る舞いにやられ、のめりこんだ事を覚えています。
次に読んだのは、『坊ちゃん』。
ギャグが非常に面白く、坊ちゃんの破天荒なキャラも相まって、爽快な気分で笑いながら読みました。
しかしここからがいけません。
漱石の作品3つ目に選んだのは『我輩は猫である』。
これも有名な作品です。が……ちっとも面白くない。
そして『草枕』。バカな僕には全くの意味不明でした。
お次は、『三四郎』、『それから』、『門』の前期三部作。
この中ではダントツに『それから』が刺さりましたね。
ニート(高等遊民)の代助が、ニートの立場を棄てるまでの一大決心を描いた恋愛小説で、代助的メンタリティの僕にはグサグサと刺さった。
いやだって、お金に不自由がないなら、働きたくなんてないでござるよ。
それに、親に勝手に決められた政略結婚なんて、(婚約者が気に入れば話は別ですが)やっぱり嫌ですよ。好きな女がいるならなおのこと!
ただ、『三四郎』や『門』は良さがわかりませんでした。
僕の漱石第一期はここで終わります。
漱石との再開(続:思い出語り)
漱石と再開したのは、それから数年後でした。
きっかけは、YouTubeにUPされている朗読だったと思います。
漱石はパブリックドメインが切れているため、多くの方が朗読をしてくださっています。
私はそのころ病気を患い、まともに文字が読める状態ではありませんでしたので、朗読をただ垂れ流しては横になるだけの日々が続きました。
(当然「それから」のようにメンタルをやられる作品は聴いていませんw)
少し元気になった頃、その朗読に合わせて文字を目で追うと、普通に本を読むよりも楽な事に気がつきました。
初見では全く良さがわからなかった『三四郎』も、青春小説(大学生活と悪女に翻弄されるウブな青年を描いた小説)としてある程度味わえるようになりました。
『坊ちゃん』は爽快ではあるのですが、主人公は社会不適合者なんじゃないかと感じ、楽しさの中に悲哀を感じるようになりました。
『こころ』のお嬢さんは、実はかなりの悪女なんじゃないかと感じるようにもなりました。
そうして、2021年の年末、6作を一気に読破し、この記事を書いている。というのが、私の漱石読書遍歴になります。
『明暗』は未完らしいので、未読の完結作品は『坑夫』だけになります。
前期と後期では全く作風が違う漱石
『我輩は猫である』でデビューした漱石は、『虞美人草』から専業作家となり、『門』の後で病を患いました。
wikipediaではこの病によって作風が変わった、というふうに綴られておりますし、そういう見方もあるのでしょうが、個人的には違った感想を持っております。
私が考える、漱石のターニングポイントは『それから』です。
『我輩は猫である』は徹頭徹尾、ギャグ小説です。
漱石先生のギャグは(「坊ちゃん」は例外ですが)基本的に、
当時の噺家や絵画、科学技術など、教養を求められるタイプのギャグが多いため、僕などのような無教養者にはちっとも笑えません。
この衒学趣味とも思える、漱石先生のギャグは『三四郎』まで続きます。
この時期の漱石作品のもう一つの特徴は、基本的に『明るい』事です。
『我輩は猫である』や『二百十日』、『『三四郎』など、のほほんとした人々が多数登場します。
しかし、『それから』以降、彼の作風はぐっとシリアスになります。悪い言い方をすれば、『世知辛く』なります。
そして、教養ギャグの類は減少し、俄然読みやすくなります。
漱石の初期作に手を出して、読みづらくて挫折した方は後期の作品に手を出すことをお勧めします。
私自身も後期作が好きです。
その中でも、やはり教科書で馴染みも深いであろう『こころ』から入るのが個人的には良いかなと。
『こころ』の後は、『こころ』と似たテーマを扱った『行人』に進むのも良いかと思います。
(後期三部作と言われる、もう一つの作品『彼岸過迄』は個人的には駄作だと思いますのでお勧めしません)
暗い作品は嫌だなぁと思われる方は、初期作にしてはダントツに読みやすい『坊ちゃん』から入りましょう!
魅力的な悪女の多い、漱石作品
漱石の作品には多数の悪女が登場します。
悪女と言うと言い過ぎかもしれません。
正確には、恋の駆け引きを用いて純情な男性を弄ぶ、手練手管に長けた女性キャラが多いと感じます。
そしてそれが、男性読者の私から見て、なんとも魅力的なのです。
最たるものが『こころ』のお嬢さんでしょう。
彼女は先生の気を惹くため、『K』の恋心に気づいておきながら巧く利用しているように読めます。
もちろん、Kの心に気づかずに、天真爛漫に仲良くしているだけにも読めます。
どう読むかは、あなた次第。実に魅力的な女性キャラです。
『それから』の不倫妻、三千代も魅力たっぷりですね。
こちらもお嬢さんと同系統の悪女(?)で、計算してやっているのか、ただ成り行きでこうなってしまったのかわからない。
ただ、彼女に恋をしてしまう代助の気持ちはわかります。
『三四郎』の美禰子も厭らしいですね。こちらは正真正銘の悪女です。
ただ、主人公の三四郎は美禰子に恋をしていますが、僕は美禰子に興味を抱けなかったので魅力は薄かったです。
ここまで名前を挙げませんでしたが、漱石流エンタメ作品『虞美人草』も印象深い作品です。
ここにも藤尾(ほんとは藤尾ママが一番厭らしいけど)という悪女が登場しますが、彼女は徹頭徹尾悪女として描かれているので、逆に魅力を損なっているように思います。
やはり、『本当はとてもいい子なんだ! ただ誤解されているだけなんだ!』と男(読者である僕)を夢中にさせてくれないと、嫌な女で終わってしまいますね。
『虞美人草』はヒーロー小説として、漱石作品の中でも屈指のエンタメ的構造を持った作品なのですが、いかんせん読みにくいのが難点です。
その読みにくさの先には、なかなかのカタルシスが待っているのですが……
それこそYouTubeの朗読と伴走して何とか読み、楽しむことができました。
(朗読者の方、ありがとうございました!)
漱石作品のもう一つの特徴としては、(特に後期作品に多い)
夫婦生活の行き詰まりや、親戚に騙される話、仏教に救いを求める話などがあげられますが、これは漱石自身の実体験から来ているようですね。
半自伝的作品『道草』は、漱石の事をもっと知りたい方にはお勧めです。
(逆に言うと、夏目漱石その人に興味がなければ、読む必要はない作品だと思います)
ここまで、駆け足で漱石作品について語ってきました。
この連載では、ディック・フランシス、アガサ・クリスティ、フィリップ・K・ディックと来て、第4回は夏目漱石という迷走ぶりを発揮しておりますが、
これからも好きな作家をこうして紹介していきたいと思います。
自分の中で『10作以上読んだ作家』という縛りを設けてしまったのですが、
全作品(生涯で6作の長編を残しました)を読んだジェーン・オースティンとか、
10作に満たないけれど作品傾向は完全に掴めている(と思っている)レイ・ブラッドベリなども紹介してもいいのかなぁ、とか。
逆に、好きで、10作以上読んでいるのにイマイチまとめきれる自信がないアイザック・アシモフとか、
20作は読んでいるけど、あまりにヒット作が多すぎる上に現役バリバリで、もっと読んでから記事にしたい気がするスティーブン・キングとかもどうしようかなぁ。
キングあたりは、書いちゃってもいいのかなぁ、とか考えております。
最後に、恒例の全作品私的評価をつけておきます。
独断と偏見 漱石作品 評価(S~E)
こころ S
それから S
行人 A
坊ちゃん A
虞美人草 A₋
門 B
夢十夜 B
三四郎 B₋
道草 C
彼岸過迄 C
草枕 D
我輩は猫である D
二百十日 D
好きな作品が低評価でも怒らないでね<( )>
それでは、また!