2023年07月

アガサ・クリスティ『ナイルに死す』解析&感想(下)

ナイルに死す

承前

あらすじ7(ロザリー殺害事件)

荷物検査で、ロザリーの荷物から小型のピストルが発見された。
そして、ルイーズのベッドの下から、心臓を刺された彼女の死体が発見された。
ルイーズは紙幣の欠片を持っていた。
彼女は、殺人犯を脅迫し、殺されてしまったのだろう

『どうして私に何かを観るか、聞くかをできるんですか? 私は近くにいなかったんです。
私は下のデッキにいたんです。何も聞こえるはずがないんです。
もちろん眠れずに上のデッキにいたら、マダムを殺した犯人を見ることができたかもしれませんけど』

朝、彼女はそう言っていた。実際、彼女は上のデッキに行って真犯人を見たのだ。
これで事件に明るい光が見え始めた。

この犯人は、度胸・大胆さ・行動力を持っている
こうした人は、物惜しみする慎重さはあまり持っていないものだ、とポワロは言う。
ルイーズはメスのようなもので殺されたという。
ベスナー医師のメスが盗まれていないか?とレイス大佐が聞くと、ベスナー医師は烈火のごとく怒りだした。

ジャクリーンとロザリーが、笑いながら話していた。
ロザリーが笑っているのを、ポワロは初めて見た。
口紅の比べっこをしていたらしい。
ジャクリーンとロザリーの2人を相手に、ポワロは殺されたルイーズの話をするが、
目はロザリーを凝視していた。
「なぜ私を見るんです? 何を考えているんですか?」と言うロザリーに
「なぜ本当の事を全て話してくださらないんですか?
ピストルを鞄に入れている事を話していません、それにゆうべ見た事もすべて話していません」とポワロ。
「変な事を言わないで、ご自分の目で確かめてください」とロザリーがハンドバッグを渡すと、ピストルはなかった。
「あなたが何を見たか、私に言ってほしいのですか? あなたは、リネットの部屋からある男が出てきたのを見たのです。黙っている方がいいと思っているのでしょうね。殺されてしまうかもしれませんからね
ロザリーは「……私、誰も見ていません」と言った。

ミス・バワーズがサイモンの容態を話し出すと、ジャクリーンは気が気ではないようだった。
「怪我自体よりも、敗血症になる恐れがあります。この発熱は良くない兆候です」。
「あの人、死ぬの? 死んじゃうの?」
「そうなりません。そうならないことを、祈っています」。
涙で目がかすむジャクリーンを、ポワロが支えて彼女の部屋にエスコートした。
「死んじゃう、死んじゃう、私が殺したことになるのよ。私が殺したことに」
「起きたことは仕方がないです。してしまった事は取り消せません」
「こんなに愛しているのに、こんなに愛しているのに」
あなたは彼を、愛しすぎているのです。ともかく、バワーズさんの言う事を真に受けてはいけません。看護師さんというのは、最悪の状態を前もって伝えるものですからね」と慰めた。
「私を慰めに来てくれたの?」
あなたはこの旅行に来るべきではありませんでした
「えぇ、来なければよかったと思っています。でも、もうすぐ終わるわね。サイモンは病院に行って、手当をうけて、すっかり良くなるの?」
「そうして幸せに暮らしましたと、童話のハッピーエンドのようですね。
太陽が沈めば月が昇る、そうではありませんか?」とポワロ。
「あなたは誤解しているわ。彼は私を憐れんでいるだけよ……」とジャクリーンはうつむいた。

レイス大佐が、リケッティの電報のことでポワロに話しかけてきた。
メイドのルイーズが死んだときに、私は真相を確信しました」とポワロが言った。

リネットが間違ってリケッティの電報を読んでしまい、リケッティが激怒した事件の話を、ポワロとレイス大佐はサイモンから聞いた。
その電報の内容を話そうとしたとき、
「私、言いたい事があるの! ミスター・ドイル、私、奥さんを殺した人を知っているの!」と、
オッタ―ボーン夫人が嵐のように登場した

あらすじ8 オッタ―ボーン夫人殺害事件

ルイーズを殺した犯人と、リネットを殺した犯人は同一人物、ということですよね?
私はルイーズを殺した犯人を見たの
! ということはリネットを殺した犯人も知っているということよね!?
サイモンが大声をあげた。
「最初から話してください!! あなたはルイーズを殺した犯人を知っていると言いましたね!?

オッタ―ボーン夫人は、酒を隠れてのむために、一人で行動していた(酒に関しては、夫人は当然ごまかした)。
戸口のカーテンが動いた。
そして、ルイーズを殺した犯人についてオッタ―ボーン夫人が今まさに語ろうとした瞬間、
カーテンの陰から銃殺された

慌ててレイス大佐とポワロがデッキに飛び出した時には、もう無人だった。
船室の外にリボルバーが落ちていた。ペニントンのリボルバーだった。
角を曲がると、銃声に驚いたティム・アラートンとぶつかった。
誰とも会っていないという事だった。

船首の方にはファンソープとファーガソン、船尾の方にはティム・アラートンがいた。
ポワロはアラートン夫人に話しかけた。
「ロザリーを連れて行って世話をしてあげてください。彼女のお母さんが殺されたのです」

ペニントンをポワロとレイス大佐が尋問した。
「ミセス・オッタ―ボーンが殺された? 全然わけがわからない……この船には殺人鬼が乗っているらしい……」
彼は、20分ほど前から部屋の外に出ていないという。
ミセス・オッタ―ボーンがペニントンのリボルバーで殺されたと聞くと、ショックを受けた。
銃声がしたとき、この部屋で書き物をしていたが、誰も証言をしてくれる人はいないという。

私、あの子の事がとても好きなの。前からいい子だと思っていました。あのおぞましい母親に、本当に尽くしていました」とアラートン夫人は言った。
「娘さんはとてもつらい人生を送っていたのでしょう」
プライドが高くて、誰にも話せず、他人と打ち解けられなくて、それでもとても親思いな娘さんです」とポワロが言うと、
親思いというところもとても気に入っています。私を頼りにしてくれて、とってもいじらしい娘さんです」とアラートン夫人は暖かく言った

船首と船尾、そして手すりからぶら下がって、下のデッキに降りるという第三の選択肢があると、ジャクリーンは言う。

あらすじ9 ファーガソンのプロポーズ事件

「金だらけのバカ女リネットと、それに寄生するフランス人メイド、そしておぞましいオッタ―ボーン夫人。この3人が死んで、それがなんだっていうんだ」と、相変わらず冷笑的なファーガソンに対して、
コーネリアは
「オッタ―ボーン夫人が死んだことで、娘のロザリーさんがとても悲しんでいる。それに、リネットさんはとても美しくて、女神さまのようで、圧倒されるようでした。美しいものがなくなったら、それは世界の損失です」と言う。
「ポワロさん、知っているかい? このお嬢さんの父親は、あのリネットの父親に破産させられたんだ。なのに、このお嬢さんは、あのリネットが宝石で着飾って現れたとき、歯ぎしりして悔しがるどころか、『なんて美しい人なの』なんて言って、怒ったりなんて全然しないんだ!」
「私だって、少しだけ怒ったこともありました。でも、それは全部過去のことです。終わった事です」
「参ったな、コーネリア・ロブソン。あなたは僕が出会った唯一の善良な女性だ。僕と結婚してくれないか!?」唐突なプロポーズをするファーガソン。
「バカなことを言わないでください」
「いや、本気のプロポーズなんだ。僕は正面からこの女性に結婚を申し込んだんだ!」
「私、あなたは本当にバカげた人だと思います。あなたは真面目な人じゃありません。だから信用できないんです」と言うと、コーネリアは赤面して寝室へ入って行った。
「気骨がある。一見気が弱そうだが、芯が強い。あぁ、あの子がほしい! あの意地悪ばあさんの心証を損ねれば、逆にコーネリアに振り向いてもらえるかもしれないな、よし!」
とファーガソンはバン・スカイラーの元に向かった。

「バン・スカイラーさん、僕はコーネリアさんと結婚したいんです!」と言うと、バン・スカイラーは一瞬呆然とすると
「あなたは頭がおかしいようね」と言った。
「僕は結婚を彼女に申し込みましたが、拒絶されました」
「まぁ、当然よね」
「全然、当然じゃないです。彼女がイエスと言うまで、何度でも申し込むつもりです!」
「そんなことは全く問題外です」
僕には腕が2本・足が2本あって、健康で、理性的な頭があります。それで何が不満なんです!
「社会的地位というものがあるでしょう?」
「地位なんてくだらない」とファーガソンは一喝したとき、コーネリアが入って来た。
「コーネリア。おばさま曰く、『僕はあなたにふさわしくない』そうだ。それは確かにそうだ。
でも、おばさまが言っているような意味でじゃない。心の大きさの事で言うなら、僕はあなたの足元にも及ばない。でも、おばさまが言うには僕の社会的地位が、あなたに比べて絶望的に低いんだそうだ」
「それはコーネリアにもわかっているはずですよ」とミス・バンスカイラー。
「そうじゃない!」とコーネリアは言った。
もし、あなたの事が好きなら、あなたがどんな地位だろうが結婚します。でも、私、あなたのことが全然わからない。あなたみたいな不真面目な人、会った事がない」と言うとコーネリアは逃げ出して行った。
「今すぐここを出て行ってちょうだい。じゃないと給仕を呼びますよ?」というバン・スカイラーに、
「僕だって船の切符を買っている。あなたに偉そうに言われる筋合いはない。ですが、まぁここは未来のおばさまのご機嫌をとっておきますよ」というと、ファーガソンは出ていった。
ポワロがバン・スカイラーに話しかけた。
「あの一族はみんな変わり者ですねぇ。あなたなら、彼の爵位がなんだかわかるでしょう?」
「爵位、ですって!?」と驚くバン・スカイラーに
「あの人は、ドーリッシュ卿のご子息です。もちろん大金持ちですよ」
ポワロは新聞で彼を見、持ち物検査で指輪を見た事で確信を得たとのことだ。
「あなたにとても感謝しますわ、ムッシュー・ポワロ」と俗物のバン・スカイラーは出て行った。

☆あらすじ10 サブ事件の解決(ペニントン編)

ペニントンの尋問にとりかかる前に、ファンソープに話を聞いた。
ファンソープのような、デリカシーの塊で内気な人間が、なぜリネットに突然話しかけたのか、ということだ。
ペニントンの書類に対して、リネットが一文一文読むことを、唐突に称賛したことを言っているのだ。
ファンソープはリネットのイギリスでの財務顧問で、ペニントンの不正行為が疑われるため、乗船したという。

ペニントンがやってきた。
「あなたはリネットの結婚の知らせに愕然とし、一番早い船でカイロにやってきて、急いで合流した。
あなたはカーマニック号で来たと言いますが、それは嘘です。ノルマンディー号で来たのです。
汽船の会社に問い合わせれば、簡単に分かる事です」
ペニントンは確かにノルマンディー号で来たと言った後で、
「ファンソープが不正行為を行なっているんじゃないかと心配して、やってきた」と苦しいうそをついた。
あなたは時間稼ぎのために、リネットに書類のサインをさせようとしたが、リネットが熟読するのを見て、それを引っ込めた。そして次に、神殿で大岩を彼女に向けて落としたが、あと一歩のところで標的を潰し損ねた。更に、オッタ―ボーン夫人を殺したリボルバーはあなたのものです」
「得をするのはサイモンだ。私じゃない!」
「サイモンが、銃で足を撃たれて動けなかったことも知らないのかね?」とレイス大佐。
リネットさんは、財務的なことにすぐ気づく方でした。すぐに不審な事に気づいたでしょう。ところがリネットさんが亡くなり、サイモンさんが遺産を継げば、彼を騙すのは簡単なことでしょう。
人が三人死んでいるのです。当然リネットさんの財務状況もきちんと調査されるでしょう。
これ以上、嘘をついても無駄です」とポワロ。
ペニントンは、言い訳をしながら出て行った。

☆あらすじ11 サブ事件解決(ティム・アラートン編)

犯人はペニントンではありません。殺害未遂はあの男です。しかし、実際にリネットを殺したのはあの男ではありません。あの男には度胸がありません。今回の殺人事件には大胆さが必要でしたが、あの男にはそれがありません」とポワロが言った。

次はティム・アラートンへの尋問だ。
「『社交界盗難事件』。本物の宝石と、模造品をすり替える重要容疑者が、ジョアナ・サウスウッドです。しかし、彼女の単独犯ではなく、誰かとの共犯だという事がわかりました。模造品のすり替えをする人間が必要だったのです。
あなたはジョアナと親しかった。そして、私があなたのお母さまと同席するのを、強硬に拒絶しました。
ネックレスは行方不明になり、模造品のネックレスが返ってきました。あなたがすり替えようと用意した模造品のネックレスが、
です」

ティムは簡単に諦めてしまった。
リネットの部屋から、あなたが出ていくのを見た人がいるんです」とポワロが言うと、
「待ってください、僕は殺していない。よりによって、あの事件があった夜にリネットの部屋に忍び込んでしまい、ずっとやきもきしていたんです」とティム。

「ネックレスを盗んだとき、リネットさんは生きていましたか? 死んでいましたか?」と聞くポワロに、「わからないんです」とティム。
彼女がベッドの脇にネックレスを置いていることだけは知っているので、リネットが眠っていると勝手に思い、素早くネックレスを盗んで逃げたという。
ティムを見た人間は、ロザリーだと、ポワロは告げた。

ロザリーは、『誰も見ませんでした』と答えた。ロザリーは、『殺人者を見てしまった』と考えたのかもしれない。しかし、それを探偵に告げる理由があるとは考えなかったのかもしれない、とポワロは言った。

ティムは「あの人は大した女性ですね。あの母親のせいで、不幸な人生だったのに」と言った。
そして、自身の窃盗を認めた。
「母があなたと親しくなろうとするせいで、困ったんですよ。これから犯罪を犯そうとするときに、名探偵とおしゃべりするほど肝が据わっていないんでね」とティム。
ポワロはロザリーを呼んだ。
ロザリーは真っ赤に泣きはらした目で、しおらしくやってきた。
「あなたは誰も見なかった、と答えましたが、あなたの協力なしに自白を得られました。
ここにいるティムが、リネットの部屋から出てきたことを自白しました」とポワロ。
ロザリーはティムの顔をじっと見つめた。ティムは慌てて
「僕は、殺してない。真珠を盗んだんだ」と言った。
「それが、ティムさんの証言です」と、ポワロが言い出した。

「私はあなたがネックレスをいつ手に入れたかを知りません。仮にリネットが気づいていたとしたら。リネットがネックレスをすり替えたのがあなただと脅したとしたら?
あなたはピストルを盗んでリネットの部屋に行った……
そして翌日、ルイーズに脅され、恐喝されたので彼女を消した。更に、その現場を今度はオッタ―ボーン夫人に見られ、またしても……。あなたはペニントンのリボルバーを掴み、撃った」
いいえ!」とロザリーが叫んだ。「この人はやっていません! ポワロさんはわざとそんな事を言っているんです!」
激昂するティムに、「あなたには殺人容疑が十分に成り立つんですよ。一方で、あなたは真珠のネックレスを盗んでいないかもしれない。この船には盗癖がある人が乗っています。その人がネックレスを返してきましたよ」とポワロが言った。
「ありがとうございます! 下さったチャンスは決して無駄にしません!」と言った。
ティムは模造のネックレスを遠く川面に投げた。

ロザリーと共にポワロの部屋を出たティムは打ち明けた。
「退屈。なまけ癖、スリル。そんなところから始まったんだ」
「君はものすごく、素敵だよ! どうして『昨日僕を見た』って言わなかったんだい?」
あなたが疑われると思ったから。あなたは人を殺すような人じゃない
「確かに、ぼくは人なんて殺せない。ただの哀れなコソ泥さ」
「そんなこと、言わないで」と、ロザリーはティムの手を握った。
「今回の事、あなたのお母さんには話さない方が良いと思うけど」とロザリーは言うが、ティムは話すつもりだ、という。

二人はアラートン夫人のところに行った。
手を繋いだままの2人を見て、アラートン夫人はロザリーを抱きしめ「こうなってほしいと思ってた」と言った。
「初めからずっと、優しくしてくださって。あなたみたいな方が、私の……」そこで言葉を詰まらせ、ロザリーは泣きだした。

「ティムはロザリーの影響で悪事から足を洗うでしょうし、ロザリーは素敵な母親を得ることができます。本当に、良い事ばかりですよ」とポワロが言った。 


バン・スカイラーの盗癖をミス・バワーズから聞かされ、ショックを受けたコーネリアだったが、ベスナー医師からの説明を受けて、慰められたようだった。
バン・スカイラーのスキャンダルを恐れるコーネリアだったが、ポワロは「殺人以外はここでは問題になりません」と言った。
コーネリアとベスナー医師はお互いのことを、優しいと称えあった。

ベスナー医師は、サイモンからリケッティへの電報の内容を聞いた。
リケッティが受けた野菜の電報は新しい暗号で、「彼がテロリストだ」とレイス大佐は言った。
「リネットを殺したのは、リケッティではありません」とポワロが言った。
「私は真相を知っていますが、物的証拠は何もありません。ただ一つの希望は、殺人者が自白してくれることです

☆あらすじ12(メイン事件解決)

この犯罪は、前もって計画されたものです。私は事件の日、睡眠薬で眠らされました。しかし日中の暑さで疲れきっていたので、眠くなったのは不自然ではなかったからです。もし突発的な犯行だったとすれば、睡眠薬が使われるわけもないし、ピストルが捨てられるわけはなかったのです」

リネットの頭には焦げ跡がついていた。
ピストルは二発撃たれたのに、肩掛け越しに撃たれた跡がある。しかしサイモンが撃たれた時も、リネットが撃たれた時も肩掛けはかけられていなかった
また、ルイーズが、『何も見ていません。もしも、眠れずに上のデッキに上がっていたら、殺人者を見たかもしれませんけど』と、ポワロたちに話したこと。
「あれは当然、殺人者への脅迫をほのめかしていましたその時、サイモンとベスナー医師しかいませんでしたルイーズがベスナー医師を脅迫するなら、いつだって直接伝えることができました
しかし、サイモンは違いました。けがを負って、ずっと誰かが付き添っていたからです。だからサイモンを脅迫するためには、あぁいう形で仄めかすしかありませんでした
そして、ルイーズはサイモンから『僕が君の事を守ってあげるから』という言葉を引き出しました」

サイモン・ドイルが1人でいた時間が5分間だけありました。ジャクリーンが発砲し、サイモンが椅子に倒れこみました。足に押し当てられた、ハンカチが赤く染まっていくのを見ました。
サイモンは「ジャクリーンを1人にしないでくれ」とコーネリアさんに頼み、ファンソープさんにベスナー医師を呼んでくれと頼みました。こうして、サイモンは1人になりました。
彼は長椅子の下からピストルを飛び出し、リネットの頭を打ち、赤インクをリネットの香水瓶に入れ、
肩掛けを押し当てながら、今度は本当に自分の足をピストルで撃ち、そのピストルをハンカチにくるんで河に捨てました。

ジャクリーンがピストルを椅子の下に蹴りこんだのも偶然ではありません。殺人者の半分がサイモン、もう1人の殺人者がジャクリーンです
ジャクリーンの頭脳と、サイモンの身体能力が協力し合ったのです。サイモンとジャクリーンは今でも恋人同士なのです。
サイモンはリネットと結婚して、遺産を相続し、ジャクリーンと結婚をする。そういう計画なのです。
サイモンのようなイギリス人の男は、人前で愛情表現をするのは照れくさがるものですが、彼は愛妻家の演技をやりすぎました。
ジャクリーンが大声で嘆き喚いたのは、銃声を他の人間に聞かれないためです。

ところが、計画が揺らぎだしました。ルイーズがサイモンを目撃したのです。
ルイーズは口止め料を要求し、命を落としてしまったのです。
サイモンはジャクリーンに会いたがりました。二人だけになると、ルイーズの事をジャクリーンに話し、ジャクリーンはルイーズを殺しました
しかし、今度はジャクリーンがルイーズの部屋に入るところをオッタ―ボーン夫人が見ました
そこでサイモンはオッタ―ボーン夫人に大声で話しかけました。ジャクリーンに危険を教えようとしたのです。ジャクリーンがオッタ―ボーン夫人を射殺しました

そうして、ポワロはサイモンに話に出かけた。

☆あらすじ13(エンディング)

その夜、ポワロはジャクリーンの部屋を訪ねた。
ジャクリーンが口を開いた。
「もう終わったのね。私たちはあなたに敵わなかった。だけど、あなたには証拠はなかったはず。
私たちがシラをきりとおせば、陪審員が納得したとは思えないわ。
でも仕方ないわね。サイモンが自白しちゃったんだから

私はもう安全な人間じゃない。人を殺すのって、怖いくらい簡単ね。どうってことないって感じになる」と言い、小さく微笑むと
「あなたは『邪悪なものに心を開いてはいけない』と言ってくれた。あなたはいつも私に同情的だった。私はあの時、思いとどまる事もできた。思いとどまろうと思った。
でも、私とサイモンは愛し合っていた」
あなたは愛だけで足りていたけれども、彼には愛だけでは足りなかったのですね」
彼は、お金が欲しかったのよ。あれも欲しい、これも欲しい、聞き分けのない子供なの。
私たちはいつ結婚できるかわからなかった。彼は勤め先があったんだけど、横領をしてすぐ見つかっちゃったの。私たちは食い詰めてしまった。その時、私はリネットの事を思い出して、サイモンを雇ってほしいと頼んだ。私はリネットが大好きだった
あなたがレストランで私たちの話を聞いたのはちょうどその頃ね」

リネットは、全力でサイモンにアプローチした。それは真実なの。私のサイモンを取り上げようとした。サイモンはリネットの事なんて興味がなかった。サイモンは、偉そうな女は大嫌いなのよ。
『そんなにお金が欲しいなら、私を捨てて、リネットと結婚したら?』と薦めてみたけど、彼は私を選んでくれた。
そのうち、サイモンは『運がよければ、彼女と結婚して、彼女が1年ほどで亡くなって遺産が僕のところに来るかもしれない』と何度も言うようになった。そして、彼はヒ素の事について調べ始めた
私は怖くなった。だって、サイモンがうまくやれるわけなんてないんだから。あの人に任せたら、すぐ逮捕されるに決まってる。だから、私が加わって手を貸してあげないといけなかったの

彼女自身はリネットの遺産がほしいとは思っていなかった。
ただ、サイモンに捕まってほしくなかったのだ。そこで、ジャクリーンが計画を立てた
なのにサイモンは勝手に、壁に血文字で『J』と書いたりした。いかにも彼のやりそうな子供っぽいことだった。

その後、ルイーズに見られ、ルイーズを殺す羽目になってしまった。
サイモンは足を怪我していたから、私が殺すしかなかった

オッタ―ボーン夫人が私を見たと、大はしゃぎでサイモンの部屋に行った。
それも、私が殺すしかなかった」

「覚えてる? 私が自分の星を追うと言ったとき、あなたは『間違った星を追わないように』と言ってくれた。私は『アノホシワルイヨ、アノホシオチルヨ!』と言ったのよね」

「愛は全てを正当化する、それは本当ではありません。
サイモンを愛するように、恋人を愛する人間は、とても危険です」とポワロはレイス大佐に言った。

コーネリアはバン・スカイラーに言った。
「私、家には帰りません。結婚します!」
ファーガソンが驚いてやってきた。
ベスナー先生と結婚するんです。ゆうべ、プロポーズされました。私、あの方が好きです。あの方は親切で、とても優しいし、私は医療の仕事に興味があるんです
「僕より、あんないばり屋のじいさんがいいのかねぇ」とファーガソンはぼやいた。

サイモンの担架にジャクリーンが近づいた。
「しくじっちゃった。頭が働かなくて、全部認めちゃったよ。ごめん、ジャッキー」
「いいのよ、サイモン。私たちは愚かなゲームをして負けた。それだけのことよ」
ジャクリーンはストッキングに隠していた銃をいきなり取り出した。
ジャクリーンはピストルでサイモンを撃ち殺し、ポワロに向かって微笑むと、自らの心臓を撃ち抜いた。

「あなたは、(ピストルを)ご存じでしたの?」アラートン夫人が言うと、ポワロはうなずいた。
恋って、とても怖いものなのね」とアラートン夫人が言うと、
だから、有名な恋物語はほとんど悲劇なのです」とポワロが答えた。
けれど、アラートン夫人はティムとロザリーを見て、
「でも、幸福で終わる恋もあるわよね」と言うと、ポワロは微笑んだ。

ドラマ版の感想

ヘタレなサイモンと愛と情熱のジャクリーンがイメージぴったり。
ファーガソンもいい感じだけど、コーネリアはもう少し大人しいイメージだったかな。
どちらにしろ、スーシェ版ドラマは最高に面白いので、
本を楽しんだ方も、本は読まない方にも是非見てほしい
素晴らしい作品でした。

アガサ・クリスティ「ナイルに死す」雑感想(中)


(上からの続き)

注:『メインの殺人事件』に関することを赤で、
『サブの宝石窃盗事件』については青です

☆あらすじ4(事件の夜)

展望室にはブリッジをしている4人(サイモン・リネット・ペニントン・レイス大佐)と、
刺繍をしているコーネリア、読書中のファンソープがいた。
そこにジャクリーンが入って来た。
「素敵な夜ね。新婚旅行にピッタリな」とジャクリーンが言った。
そうしてリネットをちらっと見た。
「犯罪に乾杯」とジンを注文し、お替りも注文する。サイモンは集中力を乱されているようだ。
彼は彼女の恋人だったけど、彼女にひどい仕打ちをした」とジャクリーンは歌う。
リネットとレイス大佐、ペニントンは部屋を出て行ったが、サイモンは部屋に残った。
コーネリアも立ち去ろうとしたが、ジャクリーンに引き留められた
「彼は彼女の恋人だったけど、彼女にひどい仕打ちをした」と再び大声でジャクリーンが歌う。
コーネリアは空気の悪さにたまらなくなり、何度も帰ろうとしたが、ジャクリーンはコーネリアの生活についてしきりに聞きたがった
コーネリアは基本的にずっと家にいて世間が狭く、特に話す内容がなかった。
ジャクリーンはどう見ても酔っぱらっていた。
ジャクリーンはコーネリアに話しかけているのだが、実際にはサイモンに話しかけているのだった。
同じ部屋で読書していたファンソープ氏は、ぎこちなく部屋を出て行き、部屋にはジャクリーン、サイモン、コーネリアの3人だけになった。
ジャクリーンが急にサイモンに声をかけた。「もう一杯飲みたいの!」
「君はもう十分飲んだよ、ジャッキー」
「そんなことあなたには関係ないでしょう?」
「確かにないね」
「どうしたのサイモン、怖いの?」
コーネリアは三度、帰ろうとしたがジャクリーンにまたも引き留められてしまった。
あそこにいるサイモンが何を怖がっているかわかる? 私の身の上話を、あなたにし始めるんじゃないかと思っているのよ。サイモンと私は以前、婚約していたの。あなたは随分私をひどい目にあわせたのよね
「もう寝ろよジャッキー、君はとても酔ってる」
「気まずいのなら、あなたが部屋を出て行けばいいのよ」
「ジャッキー、恥ずかしいと思わないのか! もう寝るんだ!」
「修羅場が怖いんでしょ。私にも節度を守ってほしいんでしょうね。でも私は節度なんてどうでもいいの。とっとと出て行った方がいいわ。私は思いっきり喋るから!」
ほんと、バカな男。私をひどい目に遭わせておいて、ただで済むと思ってるの?
サイモンは彼女を刺激しないよう、無言で凌ごうとした。
私、言ったよね。他の女とくっついたら殺すって。本気じゃないと思った? あなたは私の男なのよ。私のものなのよ。殺すって言ったのは本気なのよ。犬のように撃ち殺してやる
サイモンが立ち上がった瞬間、ジャクリーンはピストルを取り出し、彼を撃った
コーネリアは悲鳴をあげ、部屋から飛び出した。ファンソープにすがりつく。
ジャクリーンはサイモンの膝がしらに広がっていく真紅を呆然と見つめながら、「私、本気じゃなかった」と言った。ピストルを落とし、それを蹴飛ばすとピストルは長椅子の下に落ちた。
サイモンはファンソープに、「誰も来させないでくれ、スキャンダルは困るんだ!」と言った。
「もう死んじゃいたい。私もう自殺する。なんてことをしちゃったの」とジャクリーンが呆然と呟く。
「彼女をここから連れ出してくれ、あとおたくの看護師さん(ミス・バワーズ)をジャクリーンにつけていてくれ。ジャクリーンを一人にしないでくれ! それと、妻には何も知らせないでくれ!」


「私、川で死ぬ!生きてる資格なんてない! サイモン!サイモン!」ともがくジャクリーンを、ファンソープが抑えつけた。
続いてファンソープはベスナー医師を呼びに行った。

医師の診断によるとサイモンの足は骨が折れているようだった。
ベスナー医師の助手としてコーネリアもサイモンの看護にあたった。
妻には朝まで知らせないでください。それと、ジャクリーンを責めないでください」とサイモンは頼んだ。
ジャクリーンが自殺しないよう、誰かついていてあげてください」というと、
大丈夫ですよ、ミス・バワーズが一晩中ついていますから」とコーネリアが言った。
ジャクリーンがサイモンを撃ったピストルはどこにもなかった。

☆あらすじ5(翌朝~夜)

朝になった。
ポワロの元にレイス大佐から『リネットの死』が伝えられた。頭を撃ち抜かれていたというのだ。
眠っているリネットに銃を突き付けて、そのまま撃ち殺した。
そして、リネットの壁の上に『J(ジャクリーンのJ)』という血で描かれた文字が残してあった
「リネットが犯人の名前を壁に書き記そうとした……そんなバカな。犯罪小説ではよく起こりますけども。ここから推測されるのは、我らの殺人者は犯罪小説の読者だという事です」
私のかわいいピストルをピタッと頭につけて、引き金を引いてやりたい」と言っていたジャクリーンの言葉をポワロは思い出す。
非常に口径の小さな婦人用のピストルで撃たれているのは間違いないようだった。
リネットが殺されたのは午前0時から2時の間だろう。

死体を発見したのはリネットのメイド、ルイーズだった。

まず、一連の事件の目撃者コーネリアとファンソープから事情を聴くことにした。
0時20分頃の出来事だ、とファンソープが言った。
そして、0時25分頃にはピストルはなくなっていたという。
0時半頃に自分の部屋に戻り、1時頃にバシャっと水のはねる音がした、という。

ジャクリーンの看護をした、看護師のミス・バワーズが呼ばれた。
バン・スカイラーは特に病弱というわけではない、ただ誰かに世話をされるのが好きというだけです、という。
ジャクリーンはずっと自分を責め、興奮していたのでモルヒネの注射をして、ずっと付き添っていたという。

ジャクリーンはリネットを殺していない
また、この事件の前にリネットが岩を落とされて殺されかけた時も、ジャクリーンの仕業ではなかった
「私はやってない……みんな私がやったと思うだろうけど、やってない……私はゆうべ、サイモンを殺しかけた。頭がどうかしてた。でも、もう一つの方は……」というとジャクリーンは泣き始めた。
ポワロは、「リネット殺しの犯人はあなたじゃありません」と彼女を慰めた。
「リネットを殺したがっている人間なんて、思い当たらない……私以外には」とジャクリーン。
私、彼女が死ねばいいと思った。そうしたら、死んだ。しかも、私が言ったとおりの死に方だった……やっぱりあの夜、誰かに聞かれていたのよ!」とリネットはむせび泣いた。

ベスナー医師の診断では、サイモンの足は酷い状態だが死ぬことはないだろうと言うことだった。
サイモンは、リネットの死に衝撃を受けていた。
「ジャクリーンは犯人じゃない。ゆうべは酔っぱらって、僕にあぁいうことをしたけど、妻を殺したのはジャクリーンじゃないんです」と言う。
リネットに敵はいなかったか?と聞かれて、サイモンは
「リネットに振られたウィンドルシャム卿、リネットに住居立ち退きを命じられたサー・ジョージ……みんな遠いところにいるので違いますよね」と言う。
ポワロはリネットが『敵に囲まれている』と言っていた事を思い出す。それは敵が1人(ジャクリーン)という事を意味しない。
リネットの父親は投資顧問をやっており、何人かの顧客に大損をさせた
「誰かも知らない相手から、私の一族が憎まれている。それが怖い」と彼女は言っていたという。
この船には、そうしたリネット一族を恨む人間がいたのかもしれない
リネットは真珠のネックレスを持っていた。その真珠を狙った人間もいたかもしれない

次に呼ばれたのはリネットのメイド、ルイーズだ。
「どうして私に何かを観るか、聞くかをできるんですか? 私は近くにいなかったんです。
私は下のデッキにいたんです。何も聞こえるはずがないんです。
もちろん眠れずに上のデッキにいたら、マダムを殺した犯人を見ることができたかもしれませんけど
そしてサイモンを見ると、
「私、こんな事になっているんです。どう答えればいいんですか!?
」と言う。
サイモンは「誰も君が何をしたと言っているんじゃない。僕が君を守ってあげるから」と言った。
「この船には、マダムを嫌っている人がいます。その人はマダムに傷つけられて、怒ってるんです。
この船の機関士フリートウッドは、前のメイドと結婚しようとしていました。
でも、フリートウッドは結婚をしていたので、そのことをマダム・ドイルは前のメイドに教えたんです」。
『あの女のお節介のせいで、人生をめちゃめちゃにされた』とフリートウッドは怒っていたという。
ベッド脇のテーブルに、リネットは真珠を置いていた。
しかし、ポワロは見ていた。今朝、リネットのベッド脇のテーブルには真珠のネックレスはなかった
もちろん、リネットの持ち物の中にも入っていなかった。

ポワロとレイス大佐は話し合っていた。何かが水に落ちる音をレイス大佐も聞いたという。
凶器のピストルは、ジャクリーンに罪を着せるために彼女の部屋に置かれたのでは?というポワロ。
ピストルを始末するために、川に投げ込んだのかもというレイス。
真珠を盗まれた事に気づいたリネットが抵抗して、それで殺したのでは?と一瞬ポワロは思ったが、
彼女は熟睡している間に撃たれたのだった。

ペニントンも怪しい。リネットの結婚が決まり、慌ててペニントンがやってきた。
書類にサインしてくれ、と分厚い書類を渡すと、リネットはきちんと全部読んでからサインをしようとした。
するとペニントンは書類を引っ込めてしまった。
『文章なんて読まずに、言われたところにただサインをするだけ』のサイモンの方が扱いやすいと、ペニントンは考えたのかもしれない。

次はフリートウッドの尋問だ。
「俺は確かに結婚しているが、もう6年も会っていない。
俺はマリーを愛していた。それがリネットと何の関係があるっていうんだ。
偉そうに真珠だのなんだので着飾りやがって、俺の人生を台無しにした事を何とも思っちゃいない!
誰も頼んでいない余計なおせっかいを焼きやがって! だが、俺は殺してはいない
」。

アラートン夫人は
「犯人があの気の毒な娘さん(ジャクリーン)じゃなくて本当に良かったと思います。
コーネリアさんはこの事件にすっかり興奮していますが、とてもいい方なので、自分が興奮している事を恥じていますよ」と言った。
水が跳ねて、誰かが走る音が聞こえた気がします。人が川に飛び込んだのかと思いました」

ティム・アラートンも水の跳ねる音を聞いていた。
コルクが飛ぶような音も聞いた気がする
という。

バン・スカイラーも水に何かがボチャンと落ちる音を聞いていた。1時10分だった。
ロザリー・オッタ―ボーンが川に何かを捨てたのを見たという。
そして、川からハンカチに包まれたピストルが見つかった
バン・スカイラーの盗まれた肩掛けは、ピストルの発射音を消すために使われていた

ポワロは推理が行き詰まり、苛立ちを露わにした。
わざわざ『J』の文字まで書き、ジャクリーンを犯人に仕立て上げようとした真犯人がなぜピストルを川に投げ捨てて証拠隠滅を図ろうとしたのか。
ジャクリーンに罪を着せるために、ジャクリーンの荷物に入れるなりなんなりするはずではないのだろうか

次はロザリーの尋問だ。
「川に何かを捨てませんでしたか?」という質問をロザリーは拒否した。
しかし、ポワロが川に捨てられたピストルを見せるとロザリーは狼狽したようだった。
「これを!? 私が、捨てたというんですか!? 私がリネットさんを殺したというんですか?
ミス・バンスカイラーが私を見た? あの嘘つき意地悪ばあさんが?」
と言って去っていった。
つまらん理由で真実を隠す人間が多い……」とレイス大佐はぼやいた。

リケッティは、バチャン!という大きな水音を耳にしたという。

コルクのような音も水の跳ねる音も聞こえた、とファーガソンは言った。
フリートウッドには動機があるというと、
「そういう汚いことをしようというのか? 弁護士を雇う金すらないようなフリートウッドに濡れ衣を着せようというのか?」とファーガソンは怒った。

リネットが岩に潰されそうになった事件について尋ねると、ペニントンは『神殿の中にいた』と口を滑らせた。
ペニントンは愚かしい嘘をつきました。大岩が落ちてきたとき、ペニントンは神殿の中にいませんでした。この私が証人です」とポワロは言った。

レイス大佐がメモを取ってくれた。

生前のリネットを最後に見たのはメイドのルイーズで23:30あたり。
凶器はジャクリーンのピストル。
殺人犯は、ジャクリーンがサイモンを撃った時に、聞き耳を立て、ピストルを長椅子から取り出してリネットを撃ったのではないか。
この仮説だと、ベスナー医師・コーネリア・ミス・バワーズには無理となる。

容疑者1:ペニントン。動機はリネットの金を横領していた事
ただし、ピストルを川に捨てた理由が見つからない。

容疑者2:フリートウッド。動機はリネットへの復讐。
ただし、壁に『J』の血文字を書いた事と、ピストルを川に捨てた理由が矛盾する

これはすべての容疑者に言える事で、壁に『J』の字を書くのはジャクリーンに罪を着せるためであり、その場合ピストルを川に捨てずにジャクリーンの荷物に戻すなどした方が、効果的だからである。

容疑者3:ロザリー。その時間に川に何かを捨てている。
リネットを嫌い、嫉妬していたことは確かだが、殺すほどの動機と言えるだろうか?

容疑者4:バン・スカイラー。肩掛けがリネット殺害に使用されている。
しかしそれぐらいしかない。

容疑者5:ルイーズ。盗み?

他の可能性は、リネットの真珠を狙った可能性。
あるいは、リネット一族に恨みを持つ者の可能性。
また、船に紛争地帯のテロリストが乗っていたのは確か
。だが、リネットを狙う理由があるだろうか?

メモ終わり

そもそもハンカチで、銃を包んで消音効果はない。
銃を使ったのは、銃の知識があまりない人間かもしれない。
ハンカチは男物で安物のハンカチだ。
ハンカチは消音ではなく、指紋をつけないために使ったのかもしれない。

サイモンがポワロを呼んだ。ジャクリーンに会いたいという。
「サイモンが会いたがってるの? 私に?」とまごついたが、すぐに行くと言ってついてきた。
当惑するジャクリーンに、「来てくれてありがとう、ジャッキー」とサイモンが言った。
サイモン……リネットを殺したのは私じゃない! ゆうべは頭がどうかしてた。ねぇ、許してくれる?」
「もちろんだよ、もういいんだ。あのことはもういいんだ、僕が言いたかったのはそれだ。君が気に病んでいるかもしれないと思って」
「私、あなたを殺したかもしれないのよ。もう二度と歩けないかも……」
「大丈夫だよ、あんな豆鉄砲でそんなことになるもんか」とサイモンが言うとジャクリーンはすすり泣き、サイモンにすがりついた。サイモンはジャクリーンの頭を撫でた。

<b<span style="color: #FF4136;">>二人の邪魔をしないようにポワロは外に出て行った。
太陽が輝いていると、月は見えない。けれど、太陽が沈んだら、月が見えるようになる」とポワロは呟く。

オッタ―ボーン夫人がロザリーをなじっていた。
ロザリーの目の周りにくまができている。
「少しお話がしたいのです」と言ってポワロはロザリーを呼び出した。

「あなたは重荷を負うのに慣れすぎてしまっているようです。これ以上続けない方が良いと思います」とポワロが言うと、
「一体なんのこと?」とロザリーは猜疑心に満ちた目で見つめた。
あなたのお母さんはアルコール中毒ですね」とポワロはずばりと切りこむと、ロザリーは途方に暮れてしまったようだった。
「あなたは、お母さんを嫌うようなことを言っていましたが、お母さんを何かから守ろうとしているのに気づいたのです。お母さんは隠れてこっそり飲む。うまくお酒を手に入れて、隠しておくのです。あなたは昨日、お酒の隠し場所を見つけ、そっと部屋を出て、お酒を川に捨てた……そうではありませんか?」
そのとおりです……あなた方に話すべきだったんでしょうね! だけど、噂になりたくなかった。それに、殺人の疑いを掛けられるなんて思いませんでした!」と言って、泣き出した
私、一生懸命やったんです。母は本が売れなくなって、落ち込んでしまった。それで母はひどく傷ついて、お酒を飲み始めたんです。そうして、大騒ぎをして喧嘩をするようになりました。
私がお酒をやめさせようとすると、母は私を嫌うようになって……。私を憎むようになりました
「みんな私を嫌な女だと思っているでしょう。とげとげしくて、不愛想で。でも忘れてしまったんです。愛想を良くする方法を
「私は、そのことを言っているんです。重荷を長く背負いすぎたのです」
とポワロが言うと、ロザリーは絆されたように
このことを言えて、少しほっとしました。あなたは今までも優しくしてくださいました
ロザリーが酒瓶を捨てたのは1時10分ぐらいだという。
デッキにいた時、誰かを見ませんでしたか?」とポワロが尋ねると、ロザリーは長く真剣に考えた後、
「いいえ、誰も見ませんでした」と言った。

☆あらすじ6

夕食の席。
アラートン夫人が、「サイモンが、かわいそうなジャクリーンにあまり腹を立てないといいんですけど」と言うと、
ポワロは「逆なんです」と言った
「ジャクリーンにずっと付きまとわれていた時は、サイモンは腹を立てていたんです。なのに、足を射たれ、大怪我を負わされた今、サイモンはジャクリーンを許したんです。今まではサイモンは『間抜けに』見えていましたが、今ではジャクリーンが皆から怖がられ、間抜けに見えるようになりました。
だからサイモンは、ジャクリーンを許せるようになったんです」と言う。
その後、ポワロは真珠盗難事件の方に話を向けた。
ジョアナ・サウスウッドと、ティム・アラートンが親戚だという話も出た。

夕食の席で、真珠の盗難事件が発表され、抜き打ちで荷物&身体検査を行う事が告げられた。
ミス・バワーズに、ポワロとレイス大佐は呼ばれた。
ミス・バワーズが、真珠のネックレスをポワロに渡した。
真珠のネックレスを取ったのは、バン・スカイラーだという。
彼女は窃盗癖を持っていた

ミス・バワーズが雇われている本当の理由は彼女の窃盗癖を監視するためだった。
バン・スカイラーはいつも盗んだものを靴下に隠す癖があり、ミス・バワーズは今朝真珠のネックレスを彼女の靴下から見つけたのだ。
リネットに返そうと思い、彼女の寝室に行くと、既にリネットが殺された後で、返すことができなくなったという。
バン・スカイラーが真珠のネックレスを盗もうと外に出た時に、ロザリーが酒を川に捨てているのを見たのだろう
ポワロは真珠を詳細に確認した後、「これは模造品です」と言った


リネットは間違いなく、本物のネックレスを持って旅行していた
荷物検査をしている間に、ルイーズの姿が見えなくなったという給仕の話が漏れ聞こえてきた。
「例の真珠は昨日の時点では本物だったんです」とサイモンが言った。
「ジャクリーンは絶対に物を盗んだりしません! ジャッキーはまっすぐな人間なんです!」とサイモンは強く言った。

(下に続く)


アガサ・クリスティ「ナイルに死す」雑感想(上)

アガサ・クリスティ『ナイルに死す』解析&感想(第1回)

ネタバレあり


前おきの前おき

今回の『ナイルに死す』はコラム投稿という形にしました。
なぜかというと、文字数が膨れ上がってしまい、1度で読むにはしんどい文字数になってしまったからです(推敲前時点で、約3万字)

シミルボンの仕様上、同じ本を2回も3回もレビューできないようになっているので、コラムという形で2~3回に分けて投稿しようと思います。

前おき

本作のメイン殺人事件は、非常にシンプルな事件なのですが、
他のサブ事件(宝石窃盗事件・殺人未遂事件)が絡んでくるため、そこで少しややこしくなります。
基本的に、『メインの殺人事件』に集中して考えれば物語はとてもわかりやすいです。

そこで、『メインの殺人事件』に関することを赤で
『サブの宝石窃盗事件』については青で
その他の話については色なしで書きます。

本作はミステリとしても名作だと思うのですが、とにかく船客たちの交流・生活・人生が楽しいので、その辺についても触れた結果、文字数が凄くなってしまいました。
まず先に、主要登場人物を挙げておきます。

主要登場人物

リネット・リッジウェイ……若き金持ちでおまけに美人。実務的な頭脳に優れているが、幸福な人生を過ごしてきたため、少々傲慢で人情の機微に欠ける面がある。

サイモン・ドイル……THE・ヘタレ。最初はジャクリーンと付き合っていたのに、彼女を捨ててリネットと結婚した男。真相はそうではなかったと判明するのだが、真相を知れば更に『こいつ……(呆&怒)』となること間違いなし。

ジャクリーン・ド・ベルフォール……恋に生きる情熱的な女性。情熱的すぎて、サイモンをリネットに取られた後はストーカーとして生きる。非常に頭の切れる女性だが男を選ぶ目は最低。

コーネリア・ロブソン……元々は上流階級の令嬢だったが、父親の代で破産。ウザい親戚(バン・スカイラー)にこき使われながらも、非常に善良な女性。

アンドリュー・ペニントン……リネットの財産管理人。めちゃくちゃ怪しい行動が目立つ人。

ロザリー・オッタ―ボーン……非常に冷たい印象を与える女性。真相を知ると好きになる、印象的なキャラクター。

サロメ・オッタ―ボーン……ロザリーの母。エロ小説を書いていて、ロザリーを嫌っている。

ミセス・アラートン……コーネリアと並んで善良な女性。マザコンの息子から子離れしきれていない。

ティム・アラートン……マザコン男。段々良いところが見えてくるスルメ系男子。

ファーガソン……とにかく悪態をつきまくる社会主義者で、ロマンチスト。コーネリアの善良さに惹かれる。

エルキュール・ポワロ……何気に登場人物のキューピッドをよく務める名探偵。本人に浮いた話はない(苦笑)

他にもたくさんいますが、ひとまず主要ということで絞りました。

あらすじ紹介1(序章)

美人の20歳、リネット・リッジウェイは、遺産を相続し大金持ちになった。
ウィンドルシャム卿との婚約が決まっているが、「本当は誰とも結婚したくない」とリネットは言う。

リネットの親友、ジャクリーンから電話がかかってきた。
元々名家の出身だったジャクリーンだが、ウォール街の大暴落で一文無しになってしまったのだ。
リネットの友だちジョアナは、「金の切れ目が縁の切れ目」だというドライな性格で、リネットの本当の友だちとは言えない存在だった。

リネットは以前、召使が重婚男と結婚しそうになった時に、調査を命じて重婚男から救い出した事がある。
ジョアナはリネットの真珠のネックレスを羨み、少しだけつけさせて、と頼み、一度首にかけるとリネットに返した。
ジャクリーンはカッとなると何をするかわからない性格で、犬をいじめていた男をペンナイフで刺したこともあるという。

ジャクリーンがリネットの邸宅を訪ねてきた。
ジャクリーンは、サイモンという男と結婚するらしい。
ただ、サイモンもジャクリーンもお金がないとのこと。
お互いなしではもう生きていけない。恋にとり憑かれたら、もうどうしょうもなくなるの」とジャクリーン。
「サイモンと私はお互いのために生まれてきたの。ねぇ、管理人が必要じゃない? その仕事をサイモンにあげてほしいの」。
サイモンはとても「かわいい人」だという。

ジョアナはリネットを、「暴君」だと表現した。
「あなたは全てを手に入れることができる。手に入れずにはいられない女なのよ」と評した。
リネットは邸宅の改築のために、付近の住民を立ち退きさせているのだった。

ロンドンの料理店に、ポワロがやってきた。
二人の熱々カップルの会話がポワロの耳に聞こえてくる。
しかし娘の方は彼を愛しすぎていた。それはとても危険なことだとポワロは思った。

「私たちはエジプトに新婚旅行に行きたいの」と娘・ジャクリーンは言った。
「一緒にエジプトを見よう、ジャッキー。きっと素晴らしいよ」とサイモン。
「愛している女と、愛させている男……か」とポワロは呟いた。

ジャクリーンがリネットの元にサイモンを連れてきた。
「これがサイモン。世界一素晴らしい人!」
リネットはサイモンを観察した。彼女はサイモンを一目見るや、陶酔を感じた。
サイモンもまた、リネットを気に入ったようだった。
リネットは心の中で呟いた。
「なんだか、怖いくらい心が弾む。私、ジャクリーンの恋人が、好き」

ティム・アラートンは母のアラートン夫人を見つめた。
この2人は子離れできない母と、マザコンの二人組だが、根は善良そうな2人だった。(特にティムがマザコン)

「ぼくが世界で唯一敬愛している淑女を、お母さんも知っていらっしゃるでしょう?」と言うと、
アラートン夫人は頬を染める。
ティムはジョアナからの手紙を受け取った。二人は親戚なのだった
リネットはウィンドルシャム卿を振って、サイモンと結婚するつもりらしい。
「何でもやりたいことをやる女なのね」とアラートン夫人は言った。
この二人もまた、エジプト旅行に行く予定なのである。

ミスター・ペニントンはリネットの結婚に驚愕した。
ペニントンはリネットの財産管理人だが、彼女の財産を横領していたので慌ててしまったのだ(これはのちに判明する)。
結婚相手はサイモン・ドイル。
ペニントンはリネットと財産の話をするために、彼女の新婚旅行先エジプトで落ち合う事にした。

☆あらすじ2 エジプト到着

ポワロもまたエジプト旅行に来ていた。
アラートン親子はすぐに彼に気づいた。
美しいが、厳しい表情のロザリー・オッタボーンがアラートン親子の側を通り過ぎた。
ポワロはロザリーと話をしていた。
リネットとサイモンも顔を見せた。
ポワロがリネットを見て「美しい人です」と言うと、
ロザリーは「何でも持っている人っているんですね……」と恨みがましい様子で言った。

どこに行っても中心で、舞台の真ん中に堂々と立っている、リネットはそんな女性だった。
「何とか時間を作ろうよ」というサイモンの声を聞いて、ポワロはおや、と思った。
ロザリーは呟いた。
「一人で何もかも持っているのってどうなんでしょう。お金・スタイル・美貌……それに愛情」

しかしポワロの目には、リネットが目の下に隈を作っているのを見つけていた。
それに、サイモンの声をどこかで聞いたことがある、とポワロは思った。

私って本当に嫌な人間。私、あの偉そうで自信たっぷりのきれいな顔を踏んづけてやりたい。
初めて見た人をここまで憎んだことは、今までありません!
」とロザリーは感情を爆発させた。

ロザリーと別れた後、ポワロはジャクリーンを見つけた。
ポワロは、サイモンの声と、ジャクリーンの顔を結びつけ、以前レストランで会ったカップルだという事に気づいた。

上からリネットとサイモンがやってきた。上機嫌で幸福そうなリネットに、ジャクリーンが声をかけた。
「あなたたちもここに来てたの? しょっちゅう会うじゃない。元気?」とジャクリーンが尋ねると、
リネットは後ずさり、サイモンは怒りを表した。
「びっくりした?」と笑うとジャクリーンは去った。
サイモン……私たち、どうしたらいいの……?」とリネットが呟いた。

夕食時、リネットのところにアラートン親子がやってきた。
「私、ジョアナ・サウスウッドの親戚のティム・アラートンです」と名乗ると、リネットは頷いた。
アラートン夫人から、ここにポワロが来ている事を話すとリネットは声を少し弾ませた。

オッタ―ボーン夫人が自分を名作家だと語ると、娘のロザリーは眉をひそめた。
次作は『砂漠に降る雪』というロマンス小説を書こうとしているようだ。
今までもその手の作品を書いていて、彼女は「イチジクの木の下で」という本をポワロに贈った。
オッタ―ボーン夫人は娘のロザリーを「性格がキツい。私の健康の事を気遣ってくれない」と愚痴る。
「私は絶対禁酒者です。お酒の味が我慢ならないの」と彼女。
ロザリーが本を母親に渡したが、驚くほどそっけない態度だった。
表紙は扇情的で、どう見てもエロ本だった。

リネットがポワロを呼んだ。他の皆は誰もいなかった。
「どうしても聞いていただきたいことがあるんです」と彼女は切実に助けを求めた。

耐えられない嫌がらせを受けているんです。警察に行こうと思っているんですけど、私の夫は警察には何もできないというんです。
夫は私と出会う前、ジャクリーンという女性と婚約していました。彼女にとっては本当に痛手でかわいそうに思うんですけども、こういう事は仕方ない事だと思うんです。
彼女は脅しを口にし、私たちの行く先々に顔を見せ、執拗に付きまとうようになったんです。
最初はヴェネチアでした。ただの偶然だと思ったんですが、ブリンディシで同じ船に乗りました。
私たちがカイロに着くと、彼女がまたいたんです。
私たちは船でナイル川を遡りました。その船には彼女はいなかったのですが、
このホテルに来たら、また私たちを待っていました。
ジャクリーンは自分を笑いものにしているんです。どうしてそんなぶざまな、自尊心のないことができるのか、呆れます」というリネットに、
「もっと強い感情があるとき、自尊心は大事ではなくなることもあります」とポワロ。
そんな事をしてジャクリーンにどんな得があるんです?」というリネットに、
損得勘定だけで人は動きません」とポワロが言うとリネットは感情を害したようだった。

「何もできませんよ。ただ、頻繁に遭遇するだけでは……」とポワロ
(ストーカー規制法ですら、今もスカスカだもんなぁ……)
「でも、耐えられません! こんなことが続くなんて」
あなたは今まで、何かに耐えた経験がほとんどなかったようですね」とポワロが言った。
「どうして私たちが逃げなきゃいけないんです? まるで……」

「そう、『まるで』問題はそこでしょう? 
かつて、とても幸福そうなカップルがいました。
二人は、人の耳などまるで気にせず、楽しそうに話していました。女性は、身も心も、魂も捧げる顔をしていました。その恋は、生きるか死ぬかの問題でした。二人はエジプトに新婚旅行に行きたいと、言っていました。
これは一か月か二カ月の前の事です。そして今、男は新婚旅行中です。ただし、相手は別の女性でした。
ロンドンのレストランで、友だちの事を話していました。彼女はあなたを信頼していた。
旧約聖書にこういう一節があります。
たくさん持っている羊を持っている大金持ちが、ただ1匹しか子羊を持っていない貧しい者から羊を取ってしまった話です」

「サイモンがジャクリーンを本気で愛していたと誰が言えます? 私と出会った後で、私を愛するようになった。サイモンの気持ちはどうなるんです? ジャクリーンがつらい気持ちになるのはとてもよくわかりますが、サイモンは私を選んだんです」

友だちが深く傷ついている。迷惑に感じるか、相手に憐れみを感じるかではなく、耐えられなく感じるのはなぜか。それはリネットさん、あなたが罪悪感を感じているからです。
あなたは友だちの恋人を『故意に』奪ったのだと私は考えています。主導権はサイモンにではなく、あなたにあったのです。あなたは自制するか、突き進むかを選べたのです。
あなたは金持ちで美しく、様々なものを持っていた。けれど、ジャクリーンにはサイモンしかなかった。それでもあなたは、貧しいものから唯一の生きがいを奪ったのです。
ジャクリーンはみっともなく付きまとっていますが、あなたは、ジャクリーンにそうする権利があると内心認めているのです」

ポワロはその後、ジャクリーンとも出会った。(←ここの部分、メモが破損していて書き漏らしがあるかもしれません)
ポワロは嘆願した。
「マドモアゼル、お願いです、もうそんなことはやめてください。邪悪なものに心を開いてはいけません
ジャクリーンの目に、当惑の色が差した。
「でも、あなたには止められないわよ」
「ええ、止められません」ポワロは悲しげに言った
時々怖くなるの。ナイフを突き刺すか、私のピストルを彼女の頭に突き付けて、この指で引き金を引くか……」
と言いかけて、ジャクリーンは周囲を見渡した。誰かの気配を感じたというのだが、誰もいなかった。
あなたにはまだ、やめる機会はあります。リネットさんは、やめられませんでした。二度目のチャンスは来ません。しかしあなたはまだ、やめる機会があります

翌朝、サイモンがポワロに話しかけてきた。
「ジャクリーンがこんなふうに妻を苦しめるのは酷い事です。僕がやったことが下劣だというなら、それは認めます。でも妻には関係のないことなのに。
どれだけバカなことをしているのかわからないんでしょうか。自尊心というものがないんでしょうか?」
「自分が傷つけられた、という気持ちしかないようです」
「僕を呪って、愛想を尽かして二度と見たくないというのならわかります。ピストルで僕を撃つというのならわかります。でも、こんなふうに付きまとうのは……」
もっと巧妙で、知的ですね」とポワロ。
「これはリネットの神経にものすごく堪えているんです。あいつの首をしめてやりたいくらいです」

太陽が昇った時の月のようなものです。リネットに会った時から、もうジャクリーンは見えなくなったんです。僕は金目当ての結婚なんてしません。男っていうのは、彼女みたいな愛され方をすると、嫌気がさしてくるんです。ジャッキーは僕を好きすぎるんです」

続けて、
男というのは、女を愛する以上に、その女に愛されていると嫌になるんです。身も心も所有されていると感じるのは嫌なんです。『この男は私だけのものだ』と思われると、逃げたくなる。男は女を所有したいんです。所有されるんじゃなくて!

「ジャクリーンに嫌気がさしていた時にリネットに会って恋をしたんです。そしてなんと、リネットも僕の愛を受け入れてくれたんです!
もう好きでなくなった女と結婚するなんて馬鹿げてます。ジャクリーンがここまで異常な女だと分かった以上は、むしろ逃げられて良かったと思っています」

サイモンはジャクリーンをまくために、10日間ホテルにいると皆に言い回って、密かに船に乗るつもりだという。
「ジャクリーンさんのお金も尽きるでしょうしね」とポワロが言うと、サイモンは驚いたようだった。
ジャクリーンはこのままじゃ一文無しになる、と考えるとサイモンも顔を曇らせた。
(将来、この犯罪が成功したら大金が入るので使い切ってしまってもいいと思ってるのか、サイモンがこっそり流しているのかは謎)

話が変わって、ペニントンの話題になった。
リネットが結婚を知らせる手紙を出したけれども、手紙が行き違いになり、リネットの結婚を知らないまま、ペニントンはナイル川で二人と出会ったという(ペニントンが嘘をついているのは読者にはわかっている)

ポワロはサイモンについて、問題を真剣に考えていないように感じた。
リネットも、ジャクリーンも真剣に考えているように見えたが、サイモンはこの騒動に、いかにも「面倒くさい」という気持ちが透けて見えるようだった。

☆あらすじ3 観光開始

ナイル観光に一行は出発した。
エジプトでは、道を歩くだけで物乞いや物売りなどがたかってくるので、それがネックだとアラートン夫人が呟いた。
ポワロとアラートン夫人は楽しく語った。犯罪の動機についての話で盛り上がっている。
「あなたの場合、母親と言うのは、子供に危険が及ぶととても冷酷になります」
サイモン・ドイルはごく単純な罪。目的達成のためにすぐ行動。知的な犯罪はやらないでしょう」
「リネットは、『首をちょんぎっておしまい』的な行動をとるでしょう」
「ジャクリーンは……よくわからないお嬢さんです」
「ペニントンは、強い自衛本能がありそうです」
「オッタ―ボーン夫人は虚栄心というものがあります。殺人の動機は時に、ほんのささいなものなのです」
(ここのポワロとアラートン夫人の犯罪談話も結構面白いのだけど、本筋にはあまり関係ないので割愛)

ポワロは育ちの良いアクセントを用いる毒舌の若者、ファーガソンとも話した。
ピラミッドを作るために、住民は重労働を課され、死んでいった。権力者の欲望のためにね」とファーガソン。
(ファーガソンの主張も凄く面白いんだけど、同じく割愛する。ファーガソンは社会主義者で、とにかく今生きる労働者が幸福に過ごすことが大切だ、というのが一貫した主張です)

ロザリーは相変わらず、母親への不満を募らせているようだった。
よそ(アラートン)のお母さんに比べて、私の母と言えば『セックスだけが神』といったような調子で……本当に不公平です」。
ロザリーの愚痴を聞いてくれるポワロに、彼女は感謝をしているようだった。

サイモンとリネットが現れた。明るく幸福そうに見える二人。
そんな二人の前に「あら、あなたたちもいたの?」とジャクリーンが現れる。
リネットは怯えるようにサイモンの腕にからみつき、サイモンは怒りの色を表した。

途方に暮れた少女のように、リネットはポワロに怯えを訴えた。
みんなが私を憎んでいる、こんなふうに感じるのは初めてです。私、みんなのために良かれと思ったことをしてきました。でも、サイモン除けばみんな敵ばかりで、たまらない気持ちです。
私たち罠にかかってしまった。このまま進むしかない。私、今どこにいるのかわからない。
もうあの子から逃げきれない気がして……」
「どうして帆船を貸し切りにしなかったんです?」と尋ねるポワロに、
「こんなことになるなんてわからなかったんです。それに、サイモンがバカバカしいくらいお金のことに敏感で、無駄遣いを許さないんです」と話した。
(サイモンの性格に反するので、恐らくジャクリーンの入れ知恵)


ポワロとの同席を母から聞くと、ティム・アラートンは嫌がった。
アラートン夫人はポワロを気に入っているのだ。
新たな観光仲間も加わった。
スープを美味しそうに食べるドイツ人医師のドクター・ベスナー。
バン・スカイラー夫人の看護師、ミス・バワーズ。
物静かで知的な、ファンソープ。
イタリア人の考古学者リケッティ。
醜く傲慢なバン・スカイラーと、その貧しい親戚で召使のように仕えるコーネリア。

寝室に帰る途中で、ポワロは悄然とするジャクリーンと出くわした。
「おやすみなさい。私がこの船に乗っていて驚いたでしょう?」
驚いたというよりも、気の毒に思いました。とても気の毒に。あなたは危険な道を選びました。
流れの急な川、危険な岩、あなたは魂の旅に出たのです。あなたは自分を安全な岸に繋いでいたロープを斬ってしまいました
「それは本当ね。でも、自分の星を追うしかないの」
「お気をつけなさい。間違った星を追わないように」と話すポワロに、
アノホシワルイヨ アノホシオチルヨ」とエジプトの物売りの片言英語を真似してジャクリーンは笑った。

翌朝、コーネリアはポワロと一緒に歩いた。
「バン・スカイラーさんは健康に気をつけなきゃいけないので、あまり早く起きないし、
ミス・バワーズは看護師なのでスカイラーさんにかかりきりなんです」
コーネリアは、バン・スカイラーに虐げられているにもかかわらず、この船旅を楽しんでいるようだった。
「あなたは幸福な性格ですね」とポワロは言った。そしていつも不機嫌そうなロザリーに目を向けた。
「リネットさんは、私が今まで見た女性の中で一番美しい方だと思います。アラートン夫人はとても高貴で素敵な感じがします」とコーネリアは言った。

「今朝は元気そうだね、リネット」とペニントンが声をかけていた。
ペニントンがおずおずと遺産相続の話をすると、リネットはすぐに応じた。
文字がびっしり表示された分厚い書類をペニントンが持ってきた。
「これに全部サインしてほしいんだ」と彼が書類をめくりながら話し続ける。
サイモンはあくびをしたが、リネットは一枚一枚きちんと読んでいる
「ただの名義書き換えだから、そんなに読まなくていいよ」とペニントンは言うが、
いつも全部読むことにしているの。何か書き間違いがあるかもしれないから」とリネット。
ぼくならこの点線のところにサインをしろと言われたらサインするけど」とサイモンが言うと、
リネットは「それはどうかと思う」と言った。
「ぼくは人を信用していますからね!」とサイモンが言った。

突然寡黙なファンソープが、リネットに「書類を全部読んでからサインをするというのは、非常に素晴らしい事です!」と熱く語ると、急に恥ずかしくなって顔を背けてしまった。
ペニントンは非常に不愉快そうな顔をして、「別の機会にしようか。全部読んでいたんじゃ時間がかかって仕方ないからね」と言って退却した(怪しすぎw)

バン・スカイラーがまたコーネリアを叱りつけていた。
ファーガソンがため息をつき、「全くあのばーさんの首をひねってやりたいね。あんな何の役にも立たない、誰の役にも立たない、働いた事もなく、指一本動かさず。
リネットも生きていても仕方ない奴だ。偉そうにシルクの靴下なんて履いて、労働者に寄生している」と言った。
「暴力なしで一体何ができる? 建設をするためには、まず破壊が必要なんだ」とファーガソン。
(ここのやり取りも面白いけど、本筋とは関係ない・「私はトップマンです」というポワロの発言には爆笑しました)

オッタ―ボーン夫人は船酔いに苦しんでいた。「娘に一人で何時間もほったらかしにされて。奴隷のように働いてきたのに。本当に薄情な娘だと全員に言ってやる!」と愚痴を言いだした。
夫人は船酔いというよりも、酔っ払いのように見えた。
ロザリーは仕方なく、オッタ―ボーン夫人のところに呼ばれていった。
「あの子、不幸なんですよ……」とアラートン夫人は言った。

その夜、アラートン夫人は身分にこだわる俗物のバン・スカイラーに、貴族の名前を羅列して関心を引くことに成功していた。
コーネリアは、ドクター・ベスナーのエジプト講釈にうっとりと聞き入っていた。

翌日。
「リネットは元気を取り戻しました。問題と正面から向き合おうと覚悟を決めたんです。付きまとわれたって全然平気だって所を見せてやろうとなったんです」とサイモン。
リネットの幸せそうな顔を見て、アラートン夫人は『逆に不吉に感じるくらい、幸せそうね。こんな幸福は、とても現実とは思えない、というみたい』と言った。
ベスナーは「コーネリアは実にいい子だ。人の話を熱心に聞いて、よく理解する。あの子にものを教えるのはとても楽しいよ」と言った。

リネットとサイモンは腕を組んで観光していた。
サイモンはジャクリーンに出会っても動揺する必要はない。ジャクリーンを信じればいいのだ。(伏線?)

、その時、リネットの頭上に大きな岩が落ちてきた
サイモンは間一髪、リネットを抱き寄せ九死に一生を得た。
崖の上には誰も見えなかった。
「くそっ、あいつ……」とサイモンは言いかけた。
リネットは「……多分、誰かが落としたんだと思う」と言った。
その時、船からジャクリーンが下りようとしていた
それじゃあ、本当に事故だったのか? 僕はてっきり……」サイモンからは怒りの表情が消え、ほっとした表情になった。
ポワロはアラートン夫人が昨日『逆に不吉に感じるくらい、幸せそうね』とリネットを評したことを思い出した。
アラートン夫人は、ポワロと話すと本当に楽しかった。
一方、息子の方はポワロに敵意をむき出しにしていた。
アラートン夫人はジョアナに対して感じている不満を、ポワロに打ち明けていた。

同時刻、ティム・アラートンはロザリーと話をしていた。
自分は健康に優れないし、お金もあまりない。職業にもつけないし、生ぬるい無気力な人生なんだとティムが言うと、
あなたにはたくさんの人が羨みそうなものを持っているわ。それは、お母さん
とロザリーが言い、ティムはとても喜んだ。
ロザリーはアラートン夫人がとても気に入っているようで、母を褒められたティムはロザリーに好意を持った
しかし、ロザリーの母オッタ―ボーン夫人の事を、ティムはどうしても褒められなくて気まずい気持ちになった。

バン・スカイラーもコーデリアに対しての愚痴をミス・バワーズに訴えていたが、ミス・バワーズはもう慣れているので適当にあしらっていた。
コーデリアはベスナー医師と一緒に観光していた。
バン・スカイラーはベスナー医師が大病院を持っていると知ってからは、医師に対して少し寛大な態度を取っていた。

電報が届き、リネットは読んだ。
「ジャガイモ、アーティチョーク、ニラネギ……?」と首をかしげるリネットに、
「その電報は私のだ!」とリケッティが乱暴に電報を奪った。
よく封筒を見ると確かにリケッティと書いてあった。旧姓リッジウェイだったのでうっかり読み間違えたのだ。
リネットは、「すみません、うっかり」と愛想よく微笑したがリケッティの怒りは収まらなかった。
リネットはこんなふうに、謝罪を拒絶される事に慣れておらず、頬を上気させてそこから立ち去った

ジャクリーンはポワロに呟く。「あの人たち、もう気にしないんだ。私の事を乗り越えたの。私にはもう届かない。私にはあの人たちを傷つけることができない。
ポワロさん、もう遅いわ。私は来るべきじゃなかった。私はもう引き返せない。あの人たちが二人で幸せになることは許さない。それを許すくらいなら、いっそ彼を殺した方がましよ

ポワロは、旧知のレイス大佐と出会った。
レイス大佐はこのエジプト観光に参加している、一人のテロリストを探しているようだった。

「なぜ君はあんな小太りのじいさんと話してるのが好きなんだ? それになぜあんなばーさんにこき使われているんだ?」とファーガソンはコーネリアに話していた。
「君には気概というものがないのか? あのばーさんは、俺を嫌いなんだ。階級が違うからってね。誰もが自由で平等なはずなのに」
「そんな事ないと思います」とコーネリアは言った。
「それに私はぱっとしない人間で、悔しいと思ったけど気にしないことにしています。リネットさんのように美しく生まれたかったけど、そうは生まれなかったのだから。
ファーガソンさん、そんなになんにでも怒らない方が良いと思います」
君はこの船の乗客の中で一番いい人だよ。そのことを覚えておきたまえ」ファーガソンはそういうと、立ち去って行った。
コーネリアが戻ってくると、バン・スカイラー夫人は、肩掛けがなくなったと怒っていた。

その夜、ポワロはひどい睡魔に襲われ、寝室に向かった

ジョーン・ロビンソン『思い出のマーニー』(バレあり)



ジブリ映画で有名になったと思われるこの作品ですが、僕がこの作品に出会ったのは、中学生時代です。
元々大好きなタイプの作品ですし、多感な時期に出会った事もあり、僕の中で一際輝く作品です。

先に、映画版の感想について簡単に触れたいのですが、簡単に言えば

・『この作品を有名にしてくれてありがとう』
・『作品テーマが半分なくなっていて、解決篇の驚きの種明かしも演出力不足で残念』

(小説版全37章のうち、1~21章までの内容と最後の2~3章の内容を映画では強引にくっつけている。
時間の関係上仕方なかったとも思うけど、22章以降もとても大事なんです……。
大事なテーマ2つがくっついて、初めて『思い出のマーニー』なんです……。
でも確かに、全部映画化するなら3時間ぐらい必要だよね)

・『原作の大ファンなので色々言いたい事もあるけど、悪くはなかった。アンナの寂しさとマーニーの雰囲気は、表現できていた』

というあたり。
映画が気に入った人は、原作も読んでほしいな! 

導入(自分語り:作品の話は後でしますので興味ない方はスクロールお願いします)

子供の頃から、僕はずっと寂しがり屋だったのかもしれない、と今考えると思う。
学生時代、いわゆる『マジぼっち』だった時期は高校2年生の1学期だけだった。
それ以外の時期は、何人かの友達はいた。
だけど、考えてみると小学生の頃、一人遊びをしていた記憶がある。
ぬいぐるみに話しかけたり、好きな漫画のキャラクターでオリジナルエピソードを作って、一人で寸劇したり。
架空の守り神様を作って拝んだりしていた気もする。これは『リア充』な行動にはとても思えない。

中学生時代は人生で大学時代の次に楽しかった時期で、結構な数の友人がいたはずだ。
それでも僕がハマったのは『思い出のマーニー』だったり『新世紀エヴァンゲリオン』だったりした。
(あともう1作なら『耳をすませば』だけど、今回の記事の文脈にはあまり関係ない)


『現実世界』では小学生の頃から好きだった女の子にいきなりラブレターを渡して玉砕するなど、
青々としていた僕だったけど、
フィクション世界での僕の理想の恋人は、数年のあいだ、綾波レイだった。
最近こういうタイプの女の子、フィクションでもあまり観ないんだよなぁ……。
『寡黙:内向的』なのは良いけど、そこに『不思議ちゃん:天然ボケ』設定をくっつけられる事が多い気がする。
僕のアンテナが狭いだけかもしれないけど。

ヘタレだのなんだのと散々悪評があった碇シンジ君も僕はかなり好きで、
アニメ・漫画にありがちな『からっとした性格でカッコいい、登場人物』ではなく、『自分を重ねられる男の子』として凄く良かった。
自分があの立場だったら? そりゃエヴァには乗らないよ。怖い。当たり前だよ。
でも、かわいい娘が傷だらけになって、それでも無理に乗ろうとしていたら? 
それでも怖くてパニックになって、だけど頑張って、少しずつ成長して、それでも悲しい事が沢山あって、逃げちゃったりもして。戦友の美少女(レイとかアスカとか)がいて、少しだけ仲良くなったり、仄かに青春したり、それでも強く孤独を抱えていて。こういうのがいいんだよ、こういうのが……。
あの作品で僕は『オタク』になったんだと思う。

『俺がロボットに乗って怪物を倒したらカッコいいぜ! モテるかも!』みたいな作品も悪いとは言わないけど、自分とはやっぱり、違うんだよね。

『解るわぁ』という意味で大好きなのは、最近だと、映画『心が叫びたがってるんだ。』の成瀬順ちゃん。


(画像があると良いと思ったのでリンクしたけど、漫画版は未読です)

うーん。昔から全然好みが変わってないな……。

さて、前置きが長すぎるよ! と自分でも思いました。本題に移りますね。

大切な友達、マーニーとの思い出

自閉症気味の少女、アンナは海辺の村で療養する事になります。

ここにあるボートはだれのものだろうと思いました。よっぽどめぐまれた人たちのなんだ。
毎年毎年、お休みになると、このリトル・オーバートンへ来られるような家族たち……。
ただ、じゃまにならないようにとか、なんにも“やってみようとしない"からとか、この先“どうあつかえばいいかわからない"からとかいう理由でここへ来させられたりするのではない、幸せな人たち……。

アンナは、自分は寂しくないと思っている。
友だちがいない事も、誰にもパーティーに呼んでもらえない事も、特に寂しくはない。
けれど、実際にはそうじゃない事が、読めばすぐにわかります。
『うわべだけの友達付き合いなんて必要ない』。でも、『本音を言い合える相手がほしい』。
けれどいないから、『必要ない』と思っている。
うわべを繕って、好かれるために振る舞って、偽物の自分を好きになってもらったって意味がない。
そうじゃない。私を、本当の私を好きになってほしい。理解してほしい。そうじゃないなら、自分には要らない。

それはとても独りよがりではあるけれど、当時の僕も(今も?)そう思っていました。
恋愛などだと、よく『好かれるために』どう振る舞うべきか?というような話題がありますよね。
人を惹きつけるテクニックとか、ありますよね。自分をどう見せるのか。どうプロデュースするか。
これが巧い人は、本当に得だと思います。

だけど、そんな偽物の自分を好きになってもらったって、嬉しくない。
『本当の僕の事なんて何も知らない人たち』に、『好かれるために創ったキャラクターで』好かれて、そんなの何も意味がない。

ネガティブに考えれば単純に『甘えたい』という理由が一番大きい気もしますが、気持ちの根っこではやっぱりそう思うんですよね。
だから僕は友達も大事な人も少なくて、いつも寂しいけれど、大事だと思っている人の事は本当に大事にしたいと思っています(実際にできているといいんだけど、できていないかもしれません……)。

けど、そういうのって、『嫌われた時のダメージ』が半端じゃないんですよね。
僕は全部その人にありのままを見せて、それでNGを食らうわけだから。
それに、『自分が相手を大切にしているのと同じぐらい、相手にも自分を大切にしてほしい(勝手に期待しすぎる)』みたいな気持ちも出てくるので、あまり良い事じゃないなと、大人になってからは思うようになりました。
『浅い付き合い』もとても大事だなと思います。
それでも、『深い付き合い』を大切にしたいのは今も同じです。

そんな僕にとって、“しめっ地やしき”でアンナが出会う神秘的な友人、マーニーの存在はとても大きなものでした。
僕が本当に欲しかった友達は、マーニーでした。不思議で、神秘的で、楽しくて、どこか秘密めいていて。
僕はアンナになって、この本を読みました。
マーニーとの遊びが本当に楽しくて、いつも心待ちにしていました。

あたしが、どれほど、あなたみたいな人と遊びたいと思ってたかわからないでしょうね!
ねぇ、アンナ、いつまでも、あたしの友だちでいてくれる? いつまでも、いつまでも

そんな事を言ってくれる人は、僕の側にはいませんでした(まぁリアルだと普通なかなか言わないよね。恥ずかしいし、引かれるかもだし。でも僕は、そんな風に言ってくれる人が、本当に本当に欲しかった)。
それも、本当に大好きなお友達、マーニーにそう言ってもらえたのです。

けれど、別れはやってきます。風車小屋で、マーニーはアンナを置き去りにしたのです。

大切な友達、マーニーとの別れ

マーニーはアンナを一人ぼっちに残して、行ってしまったのでした。やみの中で怯えきっていたアンナを。
あたしは、マーニーを親友だと思っていたのに!(略)
アンナは絶対にマーニーをゆるせませんでした。もう絶対に、だれも信用するつもりはありませんでした。

アンナは、もう二度とマーニーとは口をきかないと決心していました。でも、マーニーには自分を見つけさせたい、と思いました。マーニーがあのへやの窓から外を見て、舟つき場にいるアンナを見つけ、そして、自分のしたひどい、残酷なしわざを思い出すといい、と思いました。もし、マーニーに会ったら、目もくれないでいるつもりでした。でも、マーニーがアンナを忘れることはゆるされない、とアンナは思いました。あんなひどいことを人にしておいて、それをすっかり忘れるなんて

なのに、

「アンナ、だいすきなアンナ!」
「なあにい?」

マーニーの姿を一目見たアンナは返事をしてしまうのでした。

「もちろんよ! もちろんゆるしてあげる! あなたがすきよ、マーニー。けっしてあなたを忘れないわ。永久に忘れないわ」

それが、妖精のような親友、マーニーを見た、最後の日になりました。
この後、アンナは熱を出し、そして起き上がった時、マーニーはいなくなっていたのでした。

新しくできた、暖かな居場所

しめっ地屋敷に、新しい住人がやってきました。
リンゼー一家の人々で、その中の一人プリシラとは特に仲良しになりました。
プリシラは、『マーニー』の事を知っていました。プリシラはアンナの事を『マーニー』だと思っていました。
マーニーが結びつけてくれた縁でした。
そしてアンナは、プリシラだけじゃなく、リンゼー一家の人々とも友達になっていくのでした。

その代わり、アンナの記憶の中で、マーニーの姿は少しずつ幻のように消えていきました。
忘れちゃいけない、と思っても影のように忘れていくのでした。
その事が、読んでいてとても寂しかったのを覚えています。

マーニーと違い、プリシラは『現実にいる』女の子でした。
マーニーは、寂しさのあまりアンナが作り出した『理想の友だち』でした。
やっとアンナに、現実の友だちができました。
プリシラもリンゼー一家も素敵な人たちで、とても魅力的に描かれています。
それでも、マーニーは本当に大切な親友で、それを忘れていくことが悲しくて。
けれど、プリシラはマーニーの日記を見つけました。
その事だけが、マーニーの実在を訴えているようで、本当に単なる幻なのかが解らない。
日常世界に一点、空想のはずのマーニーが不思議な存在感を持ち続けます。

映画版では駆け足でしたが、このプリシラ&リンゼー一家との出会いは、本書におけるもう一つの大切なポイントだと思いますし、映画版のプリシラではその辺りの描かれ方が弱いかなと思います。
一方原作では、リンゼー一家も含めたアンナとの交流が深く描かれていきます。
アンナはやっと『現実世界』に居場所を見つけました。

ミセス・プレストン(アンナを育ててくれているおばちゃん)とのわだかまりもリンゼー一家が助けてくれました。
世界はアンナが思っていたほど寂しい場所ではありませんでした。リンゼー一家との出会いが、アンナにそれを教えてくれました。

マーニーの秘密

ラスト、マーニーの正体の種明かしは今読んでも惚れ惚れするほどです。
更に言えば、後半に主軸となるリンゼー一家が、上巻にも少しだけ登場するあたりも巧いなと感じます。

マーニーは、第一次世界大戦の頃に実在した本物の女の子でした。
エドワードという男性と結婚したマーニーですが、娘のエズミイとは打ち解けられませんでした。
マーニーの娘、エズミイは交通事故で亡くなります。
マリアンナ。それがエズミイの娘の名前でした。

「おばあさんが亡くなって、世話をしてもらえなくなった、その小さな女の子は、ある子どものためのホームへ送られました。(略)
その奥さんは、女の子のことをとてもかわいがりました。女の子に、自分のことをお母さんと呼んでほしいと思いました。でも、どうしてかマリアンナはその人をお母さんとは呼ぼうとしませんでした。
かわりに、“おばちゃん”とその子は呼びました」
とつぜん、アンナが息を止めて、顔を上げました。
「その人は、どうしても、その子を自分のほんとうの子どもだと思いたかったので、その子の名前をかえました。
いいえ、すっかり変えてしまったのではありません。うしろの半分だけを、使うことにしたのです」
ちょっとの間、へやがしんとしました。プリシラが叫びました。
「アンナ! マリア・アンナ!」

アンナはもう、一人ぼっちではありません。
ミセス・プレストンの想いを知りました。リンゼー一家との絆もできました。
そして、一番つらい時、自分を支えてくれた大切なお友だち、マーニーの事も知りました。

僕は今でも、マーニーのような友達がほしいなと思います。
眠れない夜、外を見ると家の前の道路に入り江ができていて、そこから妖精のような金髪の女の子がボートに乗ってやってくるといいなと思います。
そして、朝が来るまでたっぷり遊ぶのです。

アンナは現実の世界に大切な友達を見つけました。
僕も、現実の世界で大切な友達を見つけたいと思います。
でも、あまりにも寂しくて、どうする事もできないときは、本を開きます。
そこに、大切な友達が待っているから。

コリン・ウィルソン『殺人者』(バレあり)

前置き

ミステリでは、俗に『最後の一撃』と呼ばれる作品が幾つもある。
最後の一行で大どんでん返しをカマす、その一行に全てをかけて、全力で必殺技を放つ。
そういう作品の中から一つ選ぶのが良いかなと考えたけど、天邪鬼な僕は敢えて違うものにした。
そもそもこのジャンルは、『最後の一撃しかない』ような作品もたまにあって、
今までつまらなかったけど最後にガツンと殴られた!
サヨナラ逆転ホームラン! というのも、なんだかなぁと思うわけだ。読んだ時は興奮するけれど。

しかも、その作品が『最後の一撃作品』だというのは感想やらあらすじを読めば、何となく解る。
どういった最後の一撃がやってくるかは解らないけれど、絶対何か仕掛けてくるな! 狙ってやがるな!と思って読む。
で、見事に『ヤラれて』しまうけれど、それはその作品がそういう風に作られているのだ。
作者の技巧に踊らされてしまうわけだ。凄いけど、なんか悔しい。悔しいなぁ……

一方で、作品世界にぐいぐい引き込まれ、『最後の一撃』の存在なんて最初から疑わずのめりこみ、
その上で予想もしなかったところから『一撃』を食らうと、これはもう完敗だ。

そこで、そういった作品を幾つか考えてみたところ、3つほど候補が挙がった。
しかし、1記事で3作品もネタバレしたら大顰蹙間違いない。

というわけで、今回はこれで行く。
コリン・ウィルソン『殺人者』! 君に決めた! 

殺人者

殺人者著者: 永井 淳/コリン・ウィルスン

出版社:早川書房

発行年:1975

Amazon

コリン・ウィルソンは結構有名な作家だと思うけれど、この『殺人者』は読書メーターで驚愕の感想0件。
これなら僕がネタバレを書いても、残念がる人は少ないだろう。
むしろこの感想を読んで、興味を持ってくれる人がいたら嬉しい。
ここからはあらすじを大体バラシてしまうから、ここまで読んで興味を持った奇特な方(多分いない)はこの先は読まずに、図書館へGOだ! amazonでは古本で367円でした(記事執筆時)

ちなみに、ちょっとアダルティな描写もあるので(性犯罪もしてるし。つーか変態さんだし)、
苦手な方はその辺だけ気をつけてね!

アーサー・リンガードはいかにして幼少時代を過ごしたか、いかにして殺人を犯すにいたったか 1

語り手は精神科医のサミュエル・カーン。
だが、主人公は殺人者として刑務所に服役中のアーサー・リンガードと言うべきだろう。
この物語は、アーサー・リンガードが精神科医に打ち明けた、彼の人生の物語である。

強盗に入った時に誤って老人を殺した罪で、服役中。
農家に押し入って金を盗もうとしたら、老人と格闘になって殺してしまった。
強姦未遂、下着ドロボー、強盗2回、洗濯機の詐欺となかなか華やかな経歴の持ち主だが、いわゆる『連続殺人鬼』という感じは、受けない。殺人とは少し距離を感じる。少なくとも物語の最初のうちは。
実際には連続殺人犯でもあるのだが、この時点ではそれは明かされていない。

気が短く、癇癪持ち。そしてパニック障害を抱えている。
太り気味で、禿げていて、繊細な顔立ち。

『わたしは彼を一目見た瞬間に憐れみをおぼえた』

とはあんまりだと思うが、まぁそういう人だ。
30代前半~半ばぐらいだけど、それにしては中年臭を漂わせてしまっている、冴えないおじさんといった感じでイメージすれば良いと思う。
僕は30代などまだまだお兄さん・お姉さんだと思っているのでこの書き方は抵抗があるのだが、このリンガードをお兄さんのイメージで読むのはちょっと無理がある。

リンガードの子供時代の写真もある。
堅苦しい顔の男(父)、美人の奥さん(母)とかわいい姉(ポーリーン)と一緒に写った、赤ん坊時代の写真。
幸福な家庭の写真だ。

さてこの小説だが、なかなか油断できない。
さりげなく

本に指で大便をなすりつけているところを見つかったため

などと、不意打ち気味に変態チックな行動が挿入される。そしてそれは他の文章と全く同じトーンなのが巧いところだ。

わたしは何年間もよその物干綱から盗んだ下着を女房に着せていた、けちな泥棒を一人知っている

などなど、トーンが変わらず大真面目な顔で、ものすごい事が書かれているのが面白く、ついつい先が気になる作りだ。

知能が水準以下だと診断されているのに、小難しい本を読む男。
気に入らない絵に『くさい』と落書きする男。大便の絵を描く男。
同性の友人にレイプされた男。
包丁でペニスを切断する絵を描いたり、剃刀で女性器を切り裂く絵を描いたりしている。
不気味な妄想にとり憑かれている。

やった事は下着泥棒と、押し込み強盗の結果の過失殺人のはずなのだが、どうも相当ヤバそうな奴なのだ。
至る所に刺激的なフレーズがあるが、文章そのものは静かな落ち着きがある。

アーサー・リンガードはいかにして幼少時代を過ごしたか、いかにして殺人を犯すにいたったか 2

幸福な家族写真の話に戻ろう。幸せだったはずのリンガードだったが、その後、戦争で父母が亡くなってしまう。
孤児となったリンガードとポーリーンは、やがて叔父の家に引き取られ、そこでポーリーンは叔父にレイプされてしまう。狂気の渦巻くその家では、子供ながらに兄妹同士散々エロ三昧の日々が展開され、ポーリーンも徐々に染まっていく。姉のポーリーンに恋をしていたリンガードは、ポーリーンが誰にでも股を開く*『ビッチ』になっていく姿にショックを受ける。

そしてポーリーンに恋をしていたリンガードは、愚鈍で魅力がなく胸もぺちゃんこな従妹のアグネスに催眠術をかけ、数々の変態プレイを強要するのだった。

ここからは、『催眠調教――従妹を開発してヤりたい放題――』的な様相を呈し始める(それっぽいタイトルが思いつきませんでした)。

苦手な方(特に女性?)は苦手だと思うが、まぁ、そこそこ興奮した事は自称変態のDOIも認めざるを得ない。
単なる官能小説ではないのだが、こんなところまで『大真面目』なのだ。
更にリンガードが下着フェチに目覚めるエピソードまで大真面目に描かれるため、変態ではあるが下着フェチではない私も必死に食らいついた結果、「女性下着ってエロいのか?」と危うい方向に開眼しそうになった。
脱ぎたてホカホカだよ! みたいなノリではなく大真面目にやられるものだから、本当に真に受けてしまう。
危ない、危ない。これはリンガードの話だ。僕はリンガードじゃない。僕は関係ないんだ。

ちなみに、初体験はポーリーンの下着である。さすが変態リンガード君! アグネスは関係ないよ。
だって、ブサだからね。
もう一人(だったかな?)の従姉マギーにも催眠エロをするけど、マギーもブサだしね……。
興味があるのはポーリーンで、ポーリーンはいろんな男とエッチするのに、リンガードとだけはエッチしたくないからね。仕方ないからポーリーンの下着で我慢するよ(ぐすん)。
アグネスに無理やり他の男とHさせて、それを見てニヤニヤするリンガード君……
自分の金玉の臭いを嗅ぐリンガード君……いや、とまんねぇなコイツ(ヒキ気味)

そんな変態チックなエピソードの合間に、ふっと正気に戻ったようにSF作品を読みふけるリンガードのエピソードなどもあり、安心して読んでいたらいつのまにかまた、おかしな狂気の世界に迷い込んでしまうのだから息つく暇もない。何の小説に影響されたんだか、怪しい集団に狙われる妄想が止まらなくなってしまったりする。
危ない。この人、ほんと危ない。

初めて女性をレイプした時(アグネスは別扱いっぽい)、なんと女性がリンガードにメロメロになってしまう。
こんなところまで、『どこのAVだよ!』と思わなくもない。
リンガードが『レイプしていた時は興奮していたのに、相手のOKが出た途端に萎えてしまった』エピソードなどは、恥ずかしながらAVの好みにうるさい僕も思わずうなずいてしまう部分もアリ やめてやめて通報しないで 僕は犯罪者じゃないよ

*『おじさん』という表現にも抵抗があったが、『貞操観念が緩い女性』をビッチと呼ぶのも抵抗がある。
僕自身は、そういう女性に対して嫌悪感がほとんどなく、それにも関わらず、罵倒語のように思えるからだ。
しかし、サブカル界隈では『ビッチ萌え』などの単語(単なる罵倒語ではない)も使われているし、
イメージのしやすさで今回はこういう書き方をした。

驚きの結末

この調子で文章を書いていくと膨大な量になってしまう。
まだまだ紹介したいエピソードは山ほどあるが、とりあえず作品の輪郭は掴んでいただけた、と思う。
この物語はリンガードという男の謎に迫る、ドキュメンタリータッチな小説だ。
だからリンガードの興味深いエピソードを次々と紹介していたら(紹介したいのはやまやまなのだが)、本1冊分の分量になってしまうのだ。

驚きの結末とは何か。

……なんてことはない。アグネスは、金髪美人だったのだ。

わたしは驚いて相手の顔をみつめた。髪はほとんどアッシュ・ブロンドに近い明るいブロンドだった。なぜかわたしは、彼女の髪はいとこたちと同じように黒く、肌も浅黒いものだとばかり思いこんでいた。

これは結構、衝撃的な文章なのだ。
アーサー・リンガードの目を通して読むアグネスは、『魅力がない事もないが、到底ポーリーンには及ばない、ややブサで愚鈍な性奴隷』だ。
ポーリーンも黒髪だし、リンガードも黒髪だし、何となく僕もアグネスは黒髪だと思って読んでいた。

実は数ページ前、語り手の精神科医がアグネスを訪ねる前に、

「顔色は青白いけど、なかなかの美人だったのよ」

という証言もあるのだ。そう書いてあるのに、何故か僕の頭には入らなかったらしい。
そして、語り手のサミュエル・カーンの頭にも入らなかったようだ。
作品全体がリンガードの視点・見方に支配され、歪められ、サミュエルだけでなく読者(少なくとも僕)の頭まで幻惑してしまった事がよく解る。リンガードの言う通りの事を信じ、リンガードの見方で物事を見てしまう。
そんなリンガード視点の白昼夢世界から、ふっと抜け出すような感覚。

アグネスは、素直で誠実で、心からリンガードを愛する女性だった。
そして、リンガードを連続殺人に駆り立てた最後の引き金もまた、ポーリーンではなかった。

ずっと、リンガードはポーリーンに恋をしているのだと思っていた。
アグネスを奴隷のように扱っているのだと思っていた。
アグネスには魅力がないから、姉の代替物でしかなかったから。

違う。リンガードは恐らく、アグネスを愛していたのだ。
リンガード流の『歪んだ』愛し方で。
そしてそれが、『正常な(?)』愛し方で生きるアグネスには、理解できなかったのだ。

もちろん、アグネスが悪いわけではない。客観的に言えば当然、リンガードの方がおかしい。
誰がどう考えたってリンガードがおかしいし、リンガードのような愛し方をする男とは離れて正解だ。
もっと正確に言うならば、リンガードの愛し方は『多数の人とはズレている』。
それが当のアグネスはもちろん、ほとんどの人から見て『愛しているようには見えない』。
実際、性的虐待にしか見えないし、まぁそういう事だ。

けれど……それでも、リンガードとアグネスは相思相愛だったのだ。ただ、愛し方が大きく違っただけで。
そしてアグネスは幸福な家庭生活を送る一方で、今でもリンガードの事を深く気にかけている。
その事を知らないまま、リンガードは死んだ。
リンガードのロッカーからパンティを盗もうとした凶悪犯に掴みかかり、殺されてしまったのだった。

この小説を読み終わった時、僕は『世界の見え方』が人によって大きく違う事を改めて感じたものだ。
いつの間にか『リンガードの、歪んだ世界の見方』に同調していた事も。
本当に歪んでいるのだろうか? 
もしもリンガードのようなド変態が多数派で、そうじゃない人が少数派だったなら、『歪んでいる』という表現にはならないだろう。
一般的価値判断から乖離している事は確かだが、そもそも一般的価値判断自体が、『多数派の人間、多数派の文化』によって形成されているからだ。
そう考えると、リンガードは哀れにも少数且つ極めて特異な『ズレ』を持って生まれてきてしまった被害者のようにも映る。

コリン・ウィルソンの文体の力は極めて大きい。小説世界に読者を引きずり込む剛腕は、紛れもなく本物だ。
そうは言ってもエロ描写はちょっと……と思われる方は


をお薦めしたい。お薦めしたいが、これはこれで癖があるのでやはり好き嫌いが別れるとは思うが……。

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