2023年07月

リチャード・マシスン『アイ・アム・レジェンド』と映画版『アイ・アム・レジェンド』の比較感想(バレあり)

前置き(バレなし)

書籍が映画化される事は非常に多いけれど、原作の良さを伝えてくれる映画は少ない。
などと書くと、映画好きの人に怒られてしまうだろうか?
僕の場合、『この書籍好きー』→『映画もあるのか! 観てみよう』という流れになる事が多いため、原作ファンの贔屓目もあるとは思う。

私の数少ない経験だと、
4割の原作付き映画が『フザケルナ!』、
3・5割が『本の方が良いなぁ』、
2割が『どちらも面白い!』
0.5割が『映画最高!』という割合である。

さて、私がこのお題で本を薦めたい時、間違いなく一番書きたいのは『フザケルナ!』作品である。
『〇〇? あぁ、あの駄作映画か。知ってるー』という反応は返ってきても、
『〇〇? あぁ、あの名作小説でしょ! 映画は残念だったねー』という反応が返って来たためしがない。
違うんだ! 〇〇は本当は素晴らしい小説だったんだよぉぉ!!
という熱い迸りこそ文章にしたい。

その中でも今回僕が選んだ、最低の『フザケルナ』映画はこれである。

アイ・アム・レジェンド

アイ・アム・レジェンド著者: 尾之上 浩司/Matheson Richard

出版社:早川書房

発行年:2007

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劇場公開版の大ファンは、ここで回れ右をしてほしい。
何故ならこの記事では劇場公開版をぶっ叩くからだ。警告はしたよ! 
怒られたくないし、怒らせたくないから、ここで回れ右をしてほしい!

『大ファンほどではないファン』の方には読んでいただきたい。
『劇場公開版が気に入らなかった方』にも、もちろん読んでいただきたい。

では、行きますよ! 

小説版の大まかな展開

ウィル・スミス主演の2007年公開映画。何せウィル・スミスだし、そこそこ知名度も高い映画ではなかろうか。
映画を見る前に、僕は原作を読んでいる。
スラスラと非常に読みやすいライトな作品だが、深いテーマも内包している。

ニューヨークの街は、『感染者』に支配されていた(映画だとゾンビっぽいけど、小説版の『感染者』は明らかにドラキュラ)。
人類が生み出した癌の特効薬が、人を感染者に代えてしまい、全人類のほとんどが死滅してしまったのだ。

そんな中、感染者と一人戦い続ける男がいる。ロバート・ネビル。彼が主人公だ。
昼間の世界は、彼のものだ。紫外線に極度に弱い感染者が活動するのは、夜だけである。
街で生き残っているのは彼しかいない。

彼は、感染者への対策を練る。ニンニク、十字架、木の杭。
こうした伝統的な『ドラキュラ』対策が、感染者に対しても有効なのだ。何故、有効なのか。
感染者の生態を徹底的に解明するべく、ネビルは資料を集めていく。
昔馴染みのコートマンも感染者と化した。
地球最後の男、ネビル。感染者との死闘が繰り広げられる。絶望が、孤独が彼を襲う。
そんな中、やってきた謎の女ルース。彼女は感染していないのだろうか? 
彼女は、地球で二人目の生存者なのだろうか? 急速に惹かれ合う二人。
だがルースの正体は、感染者側のスパイだった! 

というのが、小説版の大まかな展開だ。
ちなみに映画版で存在感の強いワンちゃんは小説にも登場するが、そこまで存在感があるわけでもない(と思う)。
先にも書いたとおり文章は流れるようにスムーズで、ページ数も多くないため、気軽に読めるのだが、
読んでいるうちにグイグイと惹きつけられていく良質なエンターテイメントだ。
そして小説のラストで明かされる、「I am Legend」の意味とは……?

先に言う。間違っても、感染者どもを爆破してカッコ良く女子供を守り、「オレはレジェンドだ!」なんて
独善的な自己満足に浸る愚かな男の物語ではない。
繰り返す。映画版のネビルは、小説版を読んだ後に観ると、単なる自己満足のヒーロー気取り野郎でしかない。
そう、思っていた。
原作の良さを木っ端みじんに打ち砕き、単なるヒーローものに貶めた駄作映画。

だから僕は(ちょっと怖かったけど)、この記事を書こうと思い立った。
しかし、いくら駄作映画とは言っても、やはり記事を書く前にもう一度見直す必要がある。
時間の無駄な気もするが、容赦なく批判するならそれぐらいはしないとね……。
というわけで、観ようと思った僕の眼の前に現れたのは
『アイ・アム・レジェンド(別エンディング版)』の文字。

別エンディング版!? なんじゃそりゃ!! 僕は初めてそんなものの存在を知ったぞ!
というわけで見てみた。

別エンディング版の展開

まず最初に気づくのは、原作小説と比べて『孤独描写』の多い点である。いや、原作にもないわけではなかったが、マネキンを並べたり、マネキンに話しかけたり、始終テレビを流したりしていただろうか?
どちらかというと、感染者対策に頭を悩ませているシーンや、酒に溺れて絶望している印象が強い。
そこを持ってくると、映画版のネビルはやたら寂しそうである。
寂しさの表し方が違うのか、映像ならではの『広いニューヨークに俺は1人』感がそう思わせるのか。
まぁ、普通は寂しいよね。
昼のうちにDVDなどの調達を済ませ、夜は要塞のような家に閉じこもっている。
感染者に見つからないために、電気を消し、カーテンを閉め、雨戸を閉めて閉じこもる。
感染者を捕まえ人体実験をし、ワクチンを作ることでどうにか人類の希望を繋ごうとするネビル。
これは小説そのままだ。

そこに登場するのは謎の女アナ(とイーサンという子供)。
ルースじゃないのかw
お互いが惹かれ合うのは同じだが、アナはれっきとした人間(非感染者)だ。
アナは、『生存者の村』の存在をネビルに伝えようとするが、ネビルは聞き入れようとしない。
絶望に支配され、楽観的な考えを頭から否定するようになってしまったのだ。
そんなネビルに『希望』を説き続けるアナ。
そしてラスト、『感染者のボス』に家を見つかり、遂に襲撃に遭うネビル。
ここまでは元の映画と同じ展開だ。
ところが……

『ボス』の様子がおかしい。
彼の目は、ネビルがワクチンを作るため、ベッドに縛り付けていた『人体実験用』の女性感染者に注がれていた。
『ボス』はネビルを殺しに来たのではない。ネビルに『拉致』された、愛する人を助けに来たのだ。
それに気づいたネビルは、自らドアを開け、女性感染者をボスに明け渡す。
ボスは女性感染者を受け取ると、仲間を連れて去っていく。
そしてネビルは、アナと共に『生存者の村』を探しに旅立つ。ニューヨークは『感染者(新人類)』たちの世界になった。
だが、どこかに『非感染者(旧人類)』の住む世界もあるかもしれない。そんな希望を胸に、広大なアメリカを走る車。運転席に座るネビルの隣には、『希望』の象徴たるアナの姿があった。

小説版のテーマと、映画(別ver版のテーマ)

『感染者』はただの化け物ではない。
ウイルスの特異反応によって、今までの人類とは全く別の特徴を持った新しい種族。
そして新人類もまた、愛を知り、人を赦す事を知っている。
ネビルから見れば、感染者たちは恐怖の存在であり、助けなければならない存在だ。
元の人間に戻さねばならない怪物だという思い込みがあった。そのためには、人体実験も致し方なかった。
ワクチンを作るため、皆を救うためには多少の犠牲は仕方なかった。
しかし、感染者たちから見れば、ネビルこそが『仲間を大量に殺し、人体実験を行う恐怖の存在』だったのだ。
ネビルは恐怖を克服し、『感染者のボス』を信じた。
家に、ニューヨークに閉じこもるのをやめ、アナの言う『希望』を信じたのだ。
これが別エンディング版のストーリーだ。

動物を凶暴にするもの、それは恐怖だ。母熊が最も狂暴になるのは、子熊を連れている時だ。
他者を守るため、自分を守るため、人は狂暴になる。
国もそう、民族もそう、ひょっとすると犯罪者もそうなのかもしれない。
ネビルは感染者を恐れた。ネビルは狂暴になった。
感染者はネビルを恐れた。感染者は狂暴になった。

小説版では結局ネビルは『感染者』を信じる事ができず、それでも『感染者』のルースを愛しながら、死んでいく。
けれど最後に、『感染者』もまた愛を知っていることを確信するところは同じだ。
彼らの間では、ネビルは恐るべき『Legend』だった。

「俺は……生き残るために殺しただけだ」
「わたしたちも、まさにそのために殺しているのよ」

「きみの同胞が殺戮に手をそめるとき……どんな表情を浮かべているのか知っているか?(中略)
悦楽にひたっていたよ」とつぶやく。「これみよがしの悦びにね」(中略)
「あなたは自分の顔を見たことがあるの」相手が尋ね返した。「殺しているときの自分の顔を?」布で彼の眉間をぬぐう。
「わたしは知っているわ――憶えている? とても怖かった。あなたは殺すときばかりでなく、わたしを追いまわしたときも恐ろしい顔をしていたわよ」

小説版の『感染者』は言葉を話す事ができる。それでも、『旧人類』のネビルと『新人類』の彼らは争い合う。
映画別エンディング版の『感染者』は言葉を話す事ができない。それでも、彼らは解り合い、赦しあう。

真逆の方向を向いているが、僕はどちらの作品も好きだ。
とかく沈みがちな今の僕は、映画別エンディング版の方がひょっとしたら好きかもしれない。

劇場公開版の映画は? 『感染者』は敵だ! 悪だ! 爆発! 俺は英雄だ!
治療薬を作り、ゾンビを倒した人類を救った彼は英雄だ!
『フザケルナ』としか言いようがない。

なぜ、別エンディング版を公開しなかった? 劇場公開版の方がウケると思ったのか? 

僕はこのお題で書こうと決めて、本当に良かった。シミルボンに投稿していて、本当に良かった。
この10年間、僕の中で『フザケルナ』映画の殿堂入りを果たしていた『アイ・アム・レジェンド』に、
こんな素敵なお蔵入り版があるなんて、この機会がなければ気づけなかっただろう。

いやぁ、映画(別エンディング版)って、本当に良いものですねぇ 
劇場公開版? そんなものは知らないよ。

新海誠 小説版「秒速5センチ―メートル」感想(バレあり)

小説秒速5センチメートル

小説秒速5センチメートル著者: 新海 誠

出版社:KADOKAWA

発行年:2016

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君の名は。

君の名は。著者: 新海 誠

出版社:KADOKAWA

発行年:2017

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「君の名は」で一番良かったのは奥寺先輩とのうまくいかないデートシーンだったと思う私です。

憧れの人との初デート、だけどなんかうまくいかなくて、ぎこちない空気、ぎこちない会話、
つまらなそうにしている奥寺先輩、本当は何とか挽回したいけど「もう帰りましょうか」という流れになって、別れた後歩道橋でたそがれる瀧君のやるせなさ……。
わかる……わかるわ……このシーン最高すぎひん?

という人は多分僕だけじゃないと思う。
そういう人は迷わず「秒速5センチメートル」を見よう! ノベライズ版もお薦めです(この記事はノベライズ版の感想です)

逆に言うと、あのシーンでピンと来なければ、「秒速5センチメートル」も楽しめないかも……。

前おき(『秒速5センチメートルの話だけを読みたい方は、スクロールしてください)

「君の名は」が大ブレイクして、一躍新海氏はメジャーデビューを果たした。
しかし、僕の新海作品との出会いは随分昔に遡る。

新海さんのデビュー作は2002年の「ほしのこえ」。

小説ほしのこえ

小説ほしのこえ著者: 大場 惑/新海 誠

出版社:汐文社

発行年:2018

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実は彼はゲームのOPムービーなども作っているのだけど、まぁそれは*この際おいといて、
映画製作はというと、「ほしのこえ」、「雲の向こう、約束の場所」と来て、今回取り上げる
「秒速5センチメートル」に入る。

新海さんの特色として、『叙情的なストーリー』と、『(説明不足気味の)SF展開』が印象深い。
雰囲気を作り上げる丁寧な描写が彼の魅せどころなのだが、複雑な物語になると急に雑になる。
あるいは、SF愛好者ならこれぐらいついてこれるだろ! という事かもしれない。
冒頭で書いたように、「君の名は」の最高のシーンは奥寺先輩とのデートシーンで、それ以降はまぁ……と思っています。

なので、SF色の強い作品(壮大なストーリー性の部分)は僕的にはあまりノレないのだけど、ディテールの描写に関してはやはり名人芸だなと。

そんな、『こじんまりとはしているけど、心に突き刺さる』作品のトップバッターこそが、
今回紹介する『秒速5センチメートル』なのです。

*「はるのあしおと」と「ef」は素晴らしい作品だったと思うけど、シミルボンはゲームレビューのページではないので自重します。

秒速5センチメートル(あらすじ)

同じ時期に転入した東京の小学校。
共に読書の趣味を持つ貴樹と明里は、何をするのも一緒だった。
クラスメイトにからかわれ、居たたまれなさと恥ずかしさに戸惑う明里の手を引いて、教室から駆け出す貴樹。

[引用本文]
僕たちはまるで冬眠に備えたリスが必死でどんぐりを集めるように、(略)世界に散らばっている様々なきらめく断片をためこんでいた。(略)
今では、そういうことのほとんどを忘れてしまったけれど。今となってはただ、かつては知っていたという事実を覚えているだけだけれど。
(略)
今にして思えば、あの頃の僕たちが必死に知識を交換しあっていたのは、お互いに喪失の予感があったからかもしれないと思う。(略)
いつか大切な相手がいなくなってしまった時のために、相手の断片を必死で交換しあっていたのかもしれない。

同じ中学に通おうと言い合っていた二人だったが、小学校卒業のタイミングで明里が栃木県に引っ越してしまう。
そして数か月後、明里からの手紙が届く。二人の間に文通が始まるが、中学2年生になったタイミングで
今度は貴樹が鹿児島に引っ越してしまうのだ。

東京から栃木まで電車で3時間。たった3時間だけれど、中学生にとっては大冒険だった。
それが、鹿児島から栃木になってしまったら……。
引っ越しの前に一度会いたい。ラブレターも用意した。

東京から栃木まで。小田急線、埼京線、両毛線。
しかし、約束の日は雪が降っていた。待ち合わせには間に合わない。
駅で缶コーヒーを買おうとした瞬間、用意してきたラブレターがポケットから転げ落ち風に吹き飛ばされてしまう。
約束の午後7時から遅れること4時間。午後11時、それでも明里は待っていてくれた。
その夜、2人は初めてのキスをした。

「貴樹くんは、この先も大丈夫だと思う。ぜったい!」
(略)
きっとまたいつか会えるはずだと思っていた(貴樹視点)

この時既に、明里は初めての恋に決着をつけようとしていた。初めてのキスを捧げて、いい思い出として。
貴樹は違う。きっとまたいつか会えるはずだと思っている。

そして十五年後。明里は結婚の日を迎える。

それはもう十五年も前、好きだった男の子との初めてのデートの時に渡すつもりで書いた手紙だった。
略)
その男の子を愛しいと思う気持ちも、彼に会いたいと思う気持ちも、それが十五年も前のものだったなんて信じられないくらいにありありと思い出す事ができた。
(略)
あなたたちはその後もう二度と会うことはないのだけれど、あの奇跡みたいな瞬間を、どうか大切なものとしていつまでも心の奥にとどめてあげて。
(略)

明里の中では、貴樹との想い出はすでに遠い過去のものだ。幸せだった子供時代の、素敵な初恋。
彼女は「今」を生きていて、ちょっとした感傷として彼のことを思い出したに過ぎない。

しかし、貴樹の中では違うのだ。貴樹は今もこんな夢を見ている。
それは渡せなかったラブレターの夢だ。

大人になるということが具体的にはどういうことなのか、僕にはまだよく分かりません。
でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に会ったとしても、恥ずかしくないような人間になっていたいと僕は思います。
そのことを、僕は明里と約束したいです。明里のことが、ずっと好きでした。どうかどうか元気で。
さようなら。

それは『呪い』だ。『呪縛』なのだ。貴樹は明里の呪縛から抜け出せず、長い時間を過ごしてきた。

明里の結婚当日。

踏切を渡りきったところで彼はゆっくりと振り返り、彼女を見る。彼女もこちらをゆっくりと振り返る。
そして目が合う。
心と記憶が激しくざわめいた瞬間、小田急線の急行がふたりの視界をふさいだ。この電車が過ぎた後で、と彼は思う。彼女は、そこにいるだろうか?

小田急線が通り過ぎた時、踏切の向こうに明里はいなかった。

雑感(痛い自分語りがあるので、嫌なら回れ右で!)

ちなみに、(シミルボンという事もあるので)ノベライズ版の「秒速5センチメートル」に則って書いたけれど、
映画版とノベライズ版は内容的にはほぼ一緒です。
映画版を楽しんだ方はノベライズも読めば良いかな、と。

この作品、僕の周囲では完全に評価が真っ二つに分かれています。
言わずもがなですが、貴樹があまりにも女々しいしなぁ……。
僕の周囲の評価も、男性の方が「涙している」傾向があり、女性の方が白けている人が多いです。
ただまぁ男性でも白ける人はいるだろうし、女性でも涙する人もいると思うので、あまり『男性は~』『女性は~』という恋愛論の話には結びつけたくないのが本音ではあります。

失恋は呪縛だと思います。本当に。

僕はずっと、引きずるタイプです。
呪縛から解かれるには、『相手の本性を知って、徹底的にどうでもよくなる』しかないです。
新しい出会いがあれば軽減はされるけど、呪縛が完全になくなる事はないです。

『女性は上書き保存』『男性はファイルを分けて保存』という言葉もありますが、
ある時期、ずっと一緒に過ごしていた相手の事は、いつまでも忘れることはなくて、
一緒に見た映画、一緒に行ったお店、共通の思い出、相手の好み……。
作品の言葉を借りるならば『相手の断片』がずっと心に残っている。

だから一緒に行ったお店はもちろん、新しいお店に行くときも
「あの人ならこのメニューを頼んだだろうな。薄味で、〇〇が好きだったあの人の事だから。××は頼まないだろうな。あの人は初めての店ではいつもこれを頼むんだ」のように、
心の中にしまわれた『相手の断片』がチクチクと話しかけてくる。
一度好きになった相手の事は、『恋人としては無理』になる事はあっても、『嫌い』になる事はなくて、
いつまでもずっと好きなままなんです。

大人になるということが具体的にはどういうことなのか、僕にはまだよく分かりません。
でも、いつかずっと先にどこかで偶然に明里に会ったとしても、恥ずかしくないような人間になっていたいと僕は思います。
そのことを、僕は明里と約束したいです。明里のことが、ずっと好きでした。どうかどうか元気で。
さようなら。

なんて、もうそのまま僕が送ってしまっていてもおかしくないような内容ですw
まぁ、気持ち悪がられたり、「あっそ」で済まされるのがオチなんでしょうけど、
本心をそのままぶちまければ、きっとこんな内容になってしまいます。
でも、本当は未来に目を向けるべきなんだと思う。

とりあえず、貴樹くんの15年はいくらなんでも引きずりすぎなので、僕がそうならないように祈ってやってくださいw

なんか痛々しい話になってしまったけど、痛々しい気持ちをリアルに味わわせてくれるパワーのある作品って事で。気持ち悪い自分語りでごめんよ……

こんな感じの作品なんで、ハマる人はドハマりするし、白ける人は確実に白ける作品です!

新海さんは、壮大なSF描写みたいなものは僕はあまり高評価していない反面、
「女々しく、あまりモテないけれど、ちょっとだけ恋愛経験がある」ような男性の描写がめちゃくちゃに巧いと思っています。

好きなインディーズバンドがメジャーデビューしたファンみたいな心境の私。
この「秒速」とか「言の葉の庭」みたいな、地味~~で渋い作品こそ彼の好きなところなので、
人気が出ても以前のような作品も作ってください!


野沢尚「龍時」感想(ネタバレ)

前置き(作品には関係ないサッカー蘊蓄。興味ない人は飛ばしてください)

龍時 01-02

龍時 01-02著者: 野沢 尚

出版社:文藝春秋

発行年:2004

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龍時 02-03

龍時 02-03著者: 野沢 尚

出版社:文藝春秋

発行年:2005

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龍時 03-04

龍時 03-04著者: 野沢 尚

出版社:文藝春秋

発行年:2006

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注:2019年に某サイトに独占投稿した記事です。この度、サイトが閉じることになりましたので、
自ブログに転載いたします。(独占投稿の記事はあと4本あります)



1995年、無名のサッカー選手が起こした判決により、世界のクラブチームは欧州大陸一強となった
EU内での移籍自由化に伴い、外国籍枠が大幅に緩和された結果、
移籍市場が完全に『一部の金持ちだけのもの』と化したのだ。
外国籍枠がほぼなくなった結果、優秀な選手はこぞって、金のあるリーグ、金のあるクラブチームに集まった
ベルギー代表は強いけれど、ベルギーリーグは空洞だ。クロアチア代表は強いけれど、クロアチアリーグも空洞だ。
優秀なベルギーの選手は皆、イングランドに行く。優秀なクロアチアの選手はスペイン、イングランド、ドイツにも行く。『EU人』が自国人と同様の処遇を受ければ、外国籍枠がその分空く。
空いたところにはブラジルの選手を、アルゼンチンの選手を、その他の国の選手を入れられる。
ブラジルリーグもアルゼンチンリーグも、もはや一流リーグではない。みな、欧州のリーグに行く。
ブラジルのエース、ネイマールは『フランスリーグ』でプレイしており、メッシは『スペインリーグ』でプレイしている。
とりわけスペイン、イングランド、ドイツ、イタリアに一流選手が集まる。

EU加盟の国内リーグの中には、もはやどこの国のチームだかわからないチームも多数存在している。
逆に言えば、自国人であろうと、自国のリーグで試合に出るのは至難の業である。

今シーズンのイタリア・セリエA開幕戦では、FCナポリ(現在セリエA2位)にはイタリア人が1人しか出場しなかった。
残りの10人は非イタリア人だ。インテル・ミラノは2人だけ。
イングランド・プレミアリーグの首位リバプールの先発イレブンは、イングランド人2人(スコットランド人1人=イギリス3人)。
そんなチームは別段珍しくもなんともない。ここ10年ほど、こういう現象は続いていて驚く事ももうなくなった。
イングランドリーグなのに、イングランド人のゴールキーパーがリーグ全体で3~4人しかプレイしていない、などという現象も数年前には起きた。他の国の選手を、自国人と同じように制限なく使えるなら、そういう事も起こりうる。
参考までに、

1位リバプールのGKはアリソン(ブラジル)、ミニョレ(ベルギー)
2位マンチェスター・シティのGKはエデルソン(ブラジル)、ブラーボ(チリ)
3位トッテナムはロリス(フランス)、フォルム(オランダ)
4位チェルシーはアリサバラガ(スペイン)、カバジェーロ(アルゼンチン)
5位アーセナルはレノ(ドイツ)、ツェフ(チェコ)
6位マンチェスター・ユナイテッドはデヘア(スペイン)、ロメロ(アルゼンチン)

見事に、1人もいやしない。

一方で、国籍の枠は依然として存在する。
特に『何処の馬の骨とも知れない』アジア人を、『外国人枠』を使って迎え入れるチームは、ないわけではないが、あまりない。
何故なら欧州クラブにとって、まずは同じ欧州の選手か、それに引けを取らない南米の選手。
次に身体能力の高いアフリカの選手が目を引く。アフリカの選手は、植民地の関係上フランス国籍を持っていたりする選手も多いから、こうなるとEU選手として登録できるわけだ。

(例えば2014年に日本と対戦したコートジボアール代表のドログバ選手は、フランス国籍も持っている。というより、4歳の頃からフランスで暮らしているので、コートジボアール人というよりもフランス人として見た方が良いかもしれない。
アルゼンチン代表のメッシ選手だって、13歳からスペインで暮らしている。当然スペイン国籍も持っている。
ブラジル人はポルトガル国籍を持つ人も多いし、ベルギー国籍はとても取りやすいという話も聞いた)

『クラブワールドカップ』という大陸ナンバー1チームが集まって、世界一を決める大会があるが、形骸化も甚だしい。
強いのは断然『欧州』だ。過去10年で、欧州が9回優勝している。南米は1回だ。
世界で1番強いチームは欧州にあるし、2番目に強いチームも欧州だ。10番目に強いチームだって欧州だろう。
じゃあ国の代表は? というとこちらも非欧州勢の苦戦が続いており、2002年に『ブラジル』が優勝して以来、ワールドカップは4大会連続で『欧州(イタリア→スペイン→ドイツ→フランス)』のものである。
準優勝ですら『ドイツ→フランス→オランダ→アルゼンチン→クロアチア』で、過去5大会ファイナリスト10カ国中8カ国は欧州なのだ。

もちろん今だって南米は侮れない。しかし、紛れもなく世界サッカーの中心は『欧州』なのである。

中でもクラブチームレベルで強いのが、スペインとイングランドだ。
最強なのは確実にスペインで5年連続、世界一であり続けている。
そこを持ってくると、10年間で1度も世界一になっていないイングランドに疑問を持つ方もいらっしゃるだろうが、
現在一番お金があって、一番華やかな選手が集まっていて、一番優勝争いに絡むチームが多いのは現在イングランドだ。
だからまぁ、強さはスペイン。面白さはイングランドと思っていただいて構わない(偏見です)。
差を開けられて、3~4番手はイタリアとドイツ。以上が『世界4強リーグ』だ。

その中で、日本人最難関として立ちはだかっているのはスペインリーグだろう。
逆に日本人選手に最も馴染みが深いのは(4強の中では)ドイツリーグだ。

古くは奥寺康彦選手が活躍したドイツは、その後高原選手が活躍。
その後も香川、長谷部、内田といった選手が次々と活躍している。
一度日本人が活躍したチームはクラブ側も、『パイプができる』のか、比較的日本人が移籍しやすい。
たとえば岡崎が活躍したマインツはその後武藤を獲得しているし、酒井高徳が活躍したシュツットガルトには岡崎、浅野などもプレイ。ハンブルガーも高原、酒井高徳などが所属した。
ドイツリーグに関しては、これからも日本人が沢山活躍するだろう。そんな安心感(?)がある。
10人程度の日本人はプレイしており、数えるのも大変なほどだ。

イタリアリーグは、中田英寿の功績が大きく、長友が後に続いた。しかしその2人を除くとそこまでのインパクトはない。本田は……あまり活躍できなかったしな……。現在の日本人所属選手は多分、0だと思う。

イングランドリーグはかなり苦戦中。だがレスター・シティの岡崎は確実に爪痕を残し、サウザンプトンの吉田もまずまず頑張っている。が、もう一声、欲しいところだ。
イングランドリーグでは、パク・チソン、ソン・フンミンといった韓国選手が大活躍した経緯もあるので、東洋人に対する偏見はない、んじゃないかな? ないといいね!
日本人は現在3人、かな? 

さて、スペインだ。ここは長らく日本人不毛の地である。
今までで一番活躍したのは現アラベス所属の乾だが、それにしたってそこまでの活躍ではない。
日本人は現在2人。ついでに言えば、アジア系の選手が活躍した記憶も全くない。厳しい。

これが2019年時点での各国リーグと、日本人選手の状況だ。
ここでようやく、「龍時」の話である。

☆龍時01-02(1巻)

龍時の1巻は01-02である。欧州のシーズンは秋に始まり春に終わるので、2001年秋ー2002年春シーズンを表す。
2巻は02-03、最終巻は03-04だ。つまり、15年前の小説という事になる。
中田英寿がイタリアで活躍して、高原がドイツにいる頃だろうか? 
それ以外の選手はまだ、欧州列強リーグでは活躍していなかったと思う。

龍時とは日本のサッカー少年である。しかし、奔放なプレイが災いして、サッカー部監督に冷遇される。
日本のサッカーに見切りをつけた龍時は、単身スペインへ渡欧。
スペインの地でたくましく揉まれる龍時の活躍を描く。

龍時がシングルマザーの母を日本に残してスペインに旅立つシーン。
ダメ男で胡散臭いけれど、龍時にサッカーの素晴らしさを教えてくれた父、礼作(母とは離婚)。
にも関わらず、サッカー選手になった龍時を商売に利用しようとする彼との決別。
サッカー選手になる事に反対だった母との衝突などなど、試合シーンとは別の読みどころも多い。

ここに出てくるアトランティックFCというのは、恐らく架空のチームだ。
登場人物たちも、基本的に全員架空。だから、サッカーに詳しくない人でも入りやすいと思う。
日本から離れ、未知の国スペインで一人暮らしを始める龍時。
下宿先のお姉さんへの淡い想い。
貧しい境遇から這い上がり、『他人を蹴落として』トップチームに上り詰めるため、目を血走らせるチームメイトの姿は、日本の高校サッカー部ではやはりなかなかないものだ(と思う)。
龍時を暖かく迎えてくれ、通訳まで買ってくれた頼れる友人のエミリオ選手を、練習時の事故で重傷を負わせてしまい、プレイに精彩が無くなる龍時。怪我をさせた相手でありながら、健気にも龍時を励ますエミリオ。
隣町でガムシャラに頑張る韓国人選手のパク(架空)など、青春サッカー小説として初心者にもとっつきやすい、良い感じのストーリーだ。

☆龍時2巻(02-03)

アトランティコFCでそれなりの活躍を見せた龍時は、スペインリーグの中堅クラブ、レアル・ベティスに移籍する。ストーリー自体は前巻に引き続き、ベティスでの奮闘を語ったものなので、そのままの流れで読めば良い。

サッカーオタク的に見逃せないのは、登場人物の多くが実在選手である。
マルコス・アスンソン、くねくねドリブラーのデニウソン、鋭利な突破を見せるホアキン・サンチェス(現在でもベティスでプレーしてます!)、頼れるエースのアルフォンソ・ペレス、
そして率いるのはビクトル・フェルナンデス監督! この名前にビビっと来た人はかなりのマニアだ。
当時、レアル・ベティスは「4~5位の力だが、リーグで1~2を争うほど面白い」との呼び声高く、僕も密かに応援していたチームだったのだ。
マルコス・アスンソンの華麗なFKや若手時代のホアキンのプレイに、もちろん龍時のストーリーが被さるんだからこれは楽しめないわけがない。
アルスやリバス、ファニートなど、『そういえばいたなぁ!』という選手も登場するし、今読むと本当に懐かしいメンバーだ。

現在でも世界王者に君臨するレアル・マドリ―との激突では、ロナウド、ロベルト・カルロス、ラウール・ゴンサレス、ルイス・フィーゴ、ジネディーヌ・ジダン、エステバン・カンビアッソ、フェルナンド・イエロ、ミチェル・サルガド、イバン・エルゲラ、イケル・カシージャスといった、往年のファンなら涙が出そうなラインナップが実名で登場する。監督は後にスペイン代表をワールドカップ優勝に導くデルボスケ。
この時期のレアル・マドリ―は『ド派手な選手を集めて、ユニフォームが売れればいいんだろ!』的なスーパースター軍団だったので、僕自身は実はあまり好きではなかった。控えから出てくる名脇役のスティーブ・マクマナマンが好きだったんだけどな。
現在のレアル・マドリ―監督、サンティアゴ・ソラリはベンチからこのチームを支えていた。

ただ、新しいサッカーファンにそう言っても、ホアキン以外過去の人となってしまっているのが残念ではある。(カシージャスはポルトガルリーグでまだ現役だけど)
今のベティスは悪くないチームだけど、この時期に比べれば落ちるかな……。

今年初め、乾選手が移籍したチームもベティスである(あまり活躍できずにすぐ移籍しちゃったけど)。
龍時は15年前に、乾よりも先にベティスで活躍したのだった!

☆龍時03-04(最終巻)

最終巻は龍時03-04と銘打ってはいるが、実質上、『(架空の)2004年アテネ五輪日本代表』の活躍を描いた作品だ。
龍時はもちろん、もう1人オリジナルキャラクターの梶がメンバー入りしているが、それ以外のメンバーは皆実在する選手ばかり。
また、日本サッカー界に馴染めずに日本を飛び出し、一時はスペインへの帰化も考えた龍時が、日本五輪代表でタイトルにチャレンジするという展開も熱い。
ここまでの2巻はシーズンを通した龍時の1年を追うスタイルだったが、この第3巻は1つの大会、4試合分を1冊に収めている。つまりそれだけ試合シーンが長く、アクションシーンの臨場感が凄まじい。
何せ1試合に100ページ近く使われている。常に流れ行く試合の局面局面をここまで濃密に描く小説はなかなかないのではなかろうか? 1試合の描写に数巻使う漫画はあるが、まさにあんな感じだ。まるで実際目の前で観戦しているかのように、手に汗握ってしまう試合の連続なのである。

第1章からギリシャリーグの『パナシナイコス、オリンピアコス、AEKアテネ』の話などが出てきて、
サッカーファンとしてはもう『ディープでいいねぇ!』と酔ってしまう。
今現在は多分オリンピアコスの一強状態になっているはず。そもそもギリシャリーグ自体が表舞台に姿を現さなくなって5年ぐらいが経つが、昔はそれなりに強かった。

日本五輪代表の選手は、曽ヶ端、闘莉王、田中誠、明神、平山、田中達也、大久保などなど。

そして決勝の相手は……ブラジルだ。(これは完全にネタバレなんだけど、目次に書いてあるんで……)

リーガで知った顔も多かった。中盤にはマジョルカのネネ、セビージャのジュリオ・バプチスタ、エスパニョールのフレドソンといった選手がいる。バルセロナのレギュラークラスであるチアーゴ・モッタはクラブでは中盤にいるが、このチームでは左サイドバックに位置する。元バルセロナで現在スポルティング・リスボンのファビオ・ロッチェンバックは中盤の底だ。
FWはパルマで中田英寿とプレイをし、その後インテルに移籍したアドリアーノ。そして何といっても今回のブラジルチームでマークしなければならないのは、「スペクタクルの申し子」カカーだ。 [引用本文]

まず、キーパーのジダ。アトランタ大会では日本に1点を許してしまったが、ACミラン所属で経験豊富なこの男に、セレソンのゴールマウスを託した。
レアル・マドリ―の不動の左サイドバックも、自らオリンピック代表に名乗りを上げた(中略)、ロベルト・カルロスだ。
そしてロナウド。一見するとオーバーウェイト気味で身体が重そうだが、一瞬にして相手を抜き去るリーガ・エスパニョーラ03-04の得点王だ。
(中略)
ゴメス監督は南米予選ではヨーロッパ組をほとんど招集できず、(中略)中でもサントスのディエゴとロビーニョがカカーの穴を埋める活躍で、パラグアイとの熾烈な最終戦を制した。 [引用本文]

このメンバーを眺めて、胸躍らないサッカーファンがいるだろうか? いや、いない!
知らない方は、もちろんそのままの流れで物語を楽しんでくれれば大丈夫だが、
この小説のラスボス、ブラジル代表はあまりにも豪華すぎる。

そうなのだ。ブラジルはかつては世界最強国だったのだ。2002年にはワールドカップを優勝している。
ジーダ、ロベルト・カルロス、ロナウド、カカーの4人はその時のメンバーだ。
中でも当時世界最高の左サイドバックだったロベルト・カルロス、スーパーストライカーのロナウド、
イケメン司令塔のカカーは文字通りSSSランクがつくようなタレントだ
(個人的にはリバウドやロナウジーニョの方が好みだったが)。

そこまでの超スーパースターではなくても、アドリアーノは当時大いに嘱望されたスーパーストライカーだった(メンタルの問題で大成せず。当時のサッカーゲーム、ウイニングイレブンタクティクスでは最強のステータスを誇っていたのだが……)し、ジュリオ・バチスタ、モッタあたりも懐かしい名前だ(モッタはまだ現役だったかな?)。ロッシェンバック、そんな選手もいたなぁ。
なお、ネネとフレドソンは全く思い出せないがきっと実在選手だろう。

本大会に出場しないジエゴとロビーニョすら、この後欧州に渡って活躍する選手たちなのだから本当にド派手な顔ぶれだ。

個人技にはもう頼らない。サイドにボールを散らし、正確なアーリークロスを入れてくる。日本のDFは跳ね返すので精一杯だ。セカンドボールも拾われて、波状攻撃を浴びる。ロナウドがシュート。曽ヶ端がパンチング。カカーが打つ。茂庭がヘディングでクリア。
ブラジルにゴール前三十メートルでフリーキックを与えてしまう。ロベカルの出番だ。長い助走の距離をとっている。リュウジは六枚の壁には入らないが、六人の恐怖がこちらにも迫ってくる。ロベカル保険がほしい。奴のボールにだけは当たりたくない。
ロベカルが走った。得意の左足アウトにかけたキックだ。ボールが見えない。空を切り裂く音。壁の上で微妙にカーブして、ゴールをかすめてボールはたちまちのうえに消え去った。(日本代表の壁に入った)六人の安堵の吐息を聞いた

いかがだろうか。
思わず手に汗握ってしまわないだろうか。

文章を読めば、明らかに作者がガチのサッカーファンである事が解る。
それでいて、サッカーに詳しくない読者にもさりげなく正しい知識を広め、普通にエンタメスポーツ小説として読み応えがあるのだ。
オタクではない読者も、1巻から読んで2巻に進み、3巻までくれば、きっと『実在選手の本当のプレイ』を見たくなるだろう。

ただ、この作品は15年前のお話。
昔ながらのファンはともかくとして、『現代ファン』がこの作品を読んで、そのまま現代サッカーにのめり込んだとしても、作中登場人物にはほとんど会えないのが残念なところだ。

「三国志6」200年孫策でクリア

すげぇヌルゲーですね。
200年は、馬騰と張飛でクリアしましたが、この2人でクリアできるんだから孫策なんて余裕っすね。
開始1年半で曹操を倒した時点で、もはや敵なしでした。
劉表→劉璋→馬騰→シショウ→張飛→袁譚→公孫度を潰してクリア。

武では初期では孫策本人・太史慈・周泰・黄蓋ぐらいしかいなかったんですが、周瑜も武官としても強いですし、趙雲が在野で流れてきましたし。
曹操を倒した後は、関羽・許緒・夏侯惇・厳顔などが配下になりました。

その後はチョウコウ(武官の方)・甘寧・徐晃・張任などなど。
文では周瑜・魯粛・張昭・チョウコウ(二張の方)・諸葛瑾がおりますし、
龐統・徐庶・陳群・郭嘉・程昱・法正あたりも配下になりました。

同人ゲーム King Exit感想(バレあり)

84点。ストーリー・キャラクター・RPG要素・3拍子揃った同人RPGの傑作。更に周回要素まで充実で、ガッツリ30時間以上遊んでしまいました。


同人RPGはたまにとんでもない作品が生み出されますね。
商業RPG基準で84点ですが、1人で3年がかりで作った事を考えると100点をつけてもいいぐらい素晴らしいです。


本作は、魔族に蹂躙されたゲオルイースが冤罪で監獄に閉じ込められてから、脱出するまでのゲーム。
この設定で、素晴らしいシナリオを紡げるとは思いませんでした。

特にスティアラの手品や、仮死の伏線、大王の正体などはとても驚愕しました。

個人的に唯一少し不満なのがグイーネ周りで、あれだけの事をして簡単に許しちゃっていいの?というのと、
そもそもグイーネが残滓の親玉と融合していた、という設定はちょっと残念だったかなぁ。

徹底的な陵辱を受け、魔族への恐怖感から過激に富国強兵を行なう(ナチス・ドイツのような)堕ちた英雄グイーネと、それに対比される存在としてゲオルイースがおかれた方が、より物語のテーマがハッキリしたと思うからです。
単に残滓に操られていた、ではグイーネのアイデンティティが弱まってしまう気がするんですよね。
まぁ、そのおかげでグイーネが仲間に加われるんですけど。

キャラクターでは、監獄編のキャラが強いため、『全員集合』してからも、戦争編のキャラはあまり使いませんでした。

最強のゲオルイース・回復最強のスティアラ・スタン&出血の『先輩』の3人が超強くて、後の1人は誰を入れてもいいかもですがグイーネを入れていました。
戦闘中に仲間の入れ替えができないのはちょっと残念ですね。

しかし、本当に面白かったです。
続編の「デモンズロット(?)」も絶対やります。

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