Twitterで関わりのあるthen-dさんの、「智代アフター試論」を読んで。
以下、氏への私信となります。
Twitterでは140文字という制限がありますので、ブログにてということにしました。
then-dさん「智代アフター試論」
http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/tomoyo_after.html
『智代アフター試論』拝読させていただきました。
以下、氏への私信となります。
Twitterでは140文字という制限がありますので、ブログにてということにしました。
then-dさん「智代アフター試論」
http://members.jcom.home.ne.jp/then-d/html/tomoyo_after.html
『智代アフター試論』拝読させていただきました。
僕がまるで考えていなかった新しい見方を提示していただき、とても参考になりました。
特に智代が『勝負にこだわり続ける性格』というのは、少し考えればわかりそうなものですが、
僕にはあまり見えていなかった部分だったので、目から鱗が落ちる思いがしました。
してみると、マラソン大会で「勝て勝てとうるさい智代」をウザく感じたのも、ライターは意図していたのかもしれませんね。
個人的に、ともの件では朋也もまた、『客観的』とは言い難かったように感じています。
智代も朋也もお互いともの意見を顧みず、自分の考えを相手(とも+お互いのパートナー)に押しつけ、従わせようとしているふうに見えたのです。
この試論で挙げられている「強さ」というのは確かにわかるのですが、それを納得していない相手(智代)や、
いまいち意思がわからないとも(恐らく作中に描写はなかった……と思う。あったらごめんなさい)に強いるのは
これもまた、朋也の思い上がりだろうと思うからです。
朋也に対して感じていた苛立ちもまた、この試論を読ませていただいて、自分の中で明確な形になったように感じます。
それは僕が、第三者視点ではなく、朋也視点でもなく、『智代視点』でこの物語を読んでいたからなのかなぁと。
だからごく一部のシーンを除いて、どうにも朋也が鼻について仕方がなかった。
それは、読者である僕自身が、自分で良いとも思っていないことを他人から強制し、押し付けられることが本当に嫌いだから。
記憶喪失になった朋也は率直に言って可愛らしかった。
自分が守ってあげなくちゃ、と自発的に感じた時に、読者である僕自身、強くなれた経験があるから。
そして、ラストの『永遠の愛』についても、自分の献身(滞留ではありましたが)が身を結び、一時とはいえ、*1失われた(?)はずの愛が姿を見せたこと。
それだけで心が満たされたこと、そしてその瞬間を知った智代が、それ以降朋也を支える上で挫けない強さを手に入れたことを読み、
「鬱な話というよりも、優しい話」だと僕は感じたのでした。
恐らくこのゲームを鬱ゲーと感じる人は、智代視点ではなく、朋也視点か第三者視点で読んでいた方なのかなと思ったりもしました。
そういう意味で、論自体とは関係がないかもしれませんが、自分の感想を深める上でも参考になりました。
ありがとうございました。
これは私信というよりも単なる独り言ですが、たまに『主人公=プレイヤー』であるということを自明の前提として挙げる方がいます。
ですが、私自身今回の『智代アフター』を引き合いに出すまでもなく、主人公視点で読むこともあればヒロイン視点で読むこともあり、第三者視点で読むこともあります。
節操のない話ですが、入り込みやすいキャラクターと同化して読む感じです。
主人公=プレイヤー論や、「第三者視点」で読む人はいるけれど、ヒロイン視点で読むという人は何故か
あまり見かけないので、少し疑問に感じました。
*1「失われたはずの愛」というのは、僕が読んでいた時に感じた感想のこと。
「0から作った新しい愛」である、という見方が試論では示されていると思うし、プレイ直後に感じた僕の感想は誤りであるかもしれない。
これは私信というよりも単なる独り言ですが、たまに『主人公=プレイヤー』であるということを自明の前提として挙げる方がいます。
ですが、私自身今回の『智代アフター』を引き合いに出すまでもなく、主人公視点で読むこともあればヒロイン視点で読むこともあり、第三者視点で読むこともあります。
節操のない話ですが、入り込みやすいキャラクターと同化して読む感じです。
主人公=プレイヤー論や、「第三者視点」で読む人はいるけれど、ヒロイン視点で読むという人は何故か
あまり見かけないので、少し疑問に感じました。
*1「失われたはずの愛」というのは、僕が読んでいた時に感じた感想のこと。
「0から作った新しい愛」である、という見方が試論では示されていると思うし、プレイ直後に感じた僕の感想は誤りであるかもしれない。
ちょっと朋也の肩を持ちすぎた文であることは認めます。ただ、初読は私も朋也うぜーとは思いました。喧嘩の場面とか。あとで、あれは智代に昔のような喧嘩をさせたくない、業はじぶんが引き受ける、という気概とも読めると思い、次第に印象を変えていったということもありました。
また、ともについてはは汐に負けず劣らずよい子なので、あからさまにわがままは言わないので目立ちませんが、住んでいたアパートがもぬけの殻になっていた場面(7月9日)で、以下のような表現があります。
二階に続く錆びた鉄製の階段。
そこに、女の子が座り込んでいた。
【智代】「ともっ!」
智代が呼びかける。
ともが顔を上げる。
その顔は一瞬期待に満ちていた。
が、すぐにその表情は沈んで消えた。
またうなだれる。
ともが待っていたのは智代じゃなかった。
母親だった。
智代もそれがわかって、言葉を失う。
何か言いかけては、やめるのを繰り返した。
(中略)
智代はともに向き直る。
そして、迷った後、口を開く。
一番に言うべき言葉を伝えた。
【智代】「とも、帰ろう」
…残酷な言葉だった。
ともは、小さく、帰れない、と呟いた。
それはもう、ない、自分の家に。
そして、口を開いて声を出しながら泣いた。
ずっと堪えていたものが決壊して、一気に溢れだした。
顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
ここで、ともの求めているのは本当の母親だと智代も朋也もわかっているというのは明らかにされています。ともの本心はここを根拠にしています。
長くなるのでとりあえずはこんなところで。
改めてご丁寧な回答に感謝いたします。