オーガストの「穢翼のユースティア」、無事クリアしました。
まずは、点数から。
ストーリー 125/150 キャラクター 125/150 絵 100/100 音楽 90/100           
システムその他 80/100 印象 40/50 トータル 560/650(10位/140ゲーム) ESにつける点数 91。

ここでは、各シナリオについてそれぞれ感想を書いていきますが、その前に。


★ 前置き


オーガスト作品は、処女作の「バイナリィポット」こそプレイしてはいませんが、「プリンセスホリデー」~「Fortune Arterial」までの4作は全てコンプしており、贔屓にしているメーカーです。
今までのオーガストは、『萌え』を売りにしたゲームを作ってきたメーカーでした。
そこに共通するのは、とにかく明るい雰囲気を持つ物語であるということ。人の心の闇を描かず、ひたすら明るく癒される雰囲気を作るメーカーでした。ヒロインはそれぞれみな『良い子』で、用意された欠点もせいぜい「萌え」のためのスパイス程度にしか機能していませんでした。 (『夜明け前より瑠璃色な』移植版の追加ヒロイン2人は、やや欠点を意識した描かれ方がされています。エステル・フリージアの頑固さはフィオネに通じるものがあり、遠山翠の臆病さはユースティア、または初期のリシアに通じるものを感じます)


かつて、オーガストは、シリアスゲーにチャレンジしたことがあります。前述の『夜明け前より瑠璃色な』という作品です。しかしその試みは、フィーナシナリオ(+最終シナリオ)で部分的に成功はしましたが、大きな成功には至りませんでした。 盛り上げようという意思は伝わったのですが、カレンとの剣術勝負ではオチが早々にわかってしまいましたし、ラスト、フィーナの演説も月側の説得に留まっており、力不足を感じたものでした。 とりわけ大きかったのが、日常テキストに何ら変化がなかったこと。 従来どおり、抑え気味ではありながら気の利いた会話のやりとりを中心に組み立てられた文章は、萌えを生み出しこそすれ、重厚な世界観の構築には不向きなものでした。 (ちなみに、それでも「夜明け前より瑠璃色な」は、81点をつけていることからもおわかりいただけると思いますが、お気に入りの萌えゲーです)


また、今回、明確に掲げられているテーマの2つ『不条理』と『血縁(主に兄)殺し』は、「Fortune Arterial」の東儀白シナリオなどに見ることもできます。 以前から、このタイプのテーマを描きたいと模索していたものの、萌えゲーの方法論のまま行っていたために、大成功には至らなかったのではないか、と考えています。


ですが、今回オーガストはとうとう殻を破ってくれたように感じています。一見してわかるとおり、今までとはまるで正反対のダークで不条理な世界。テキストも会話のやりとりを減らし、地の文を長くすることで、重厚な世界観を構築することに成功しました。 また、作品世界の中に明確なテーマ・メッセージ性(後述します)が組み込まれており、これが全くブレておりません。これは、シナリオゲーを作る上で、とても大切なことだと思います。


ヒロインの性格設定にも変化が見られ、今回のヒロインはそれぞれ皆、大きな欠点を持っています。この工夫により、各キャラは厚みのある人物として、息づいています。
悪役も、特にルキウスのキャラ設定は実に素晴らしいと感じました。今まで悪役たる悪役をほとんど出してこなかったこのメーカーが、ここまで立派に悪役を描けると知って、内心驚きました。
では、各シナリオについて見ていきたいと思います。


★ フィオネシナリオ(第1章)について


プレイヤーが始めに読むことになるのが、羽狩り隊長フィオネ・シルヴァリアのルートです。
このルートの役割は、本作のテーマ・世界観の徹底にあるでしょう。
フィオネルートでは、フィオネの性格的欠陥……生真面目で融通がきかない、頑固者という側面が顔を覗かせます。ですが、その裏返しとして職務に忠実で義に厚い。それは、彼女の短所でもありますが、長所でもあります。


シナリオ後半、『羽化病罹患者は、保護されているのではなく、殺されている』という、このゲーム一つめの爆弾が落とされます。 このゲームがこれから描く、『不条理』というキーワードを明解に打ち出した、印象深いシーンです。
職務に忠実である。それはとても立派なことだったはずなのですが、フィオネは知らずして多くの人を殺していました。そして、彼女は第一章の終わりで、「己の行為を知ってなお、殺人に手を染め続ける道を選ぶ」ことになります。 本来、仕事熱心で上官(あるいは上司)に忠実というのは素晴らしい美徳のはずなのに、ここでは価値観が転倒しているのです。けれど、それは、誰かがやらなければならないことでした。 そんなフィオネの変遷は、これからのカイム、そしてまだほとんど姿を見せないルキウスの行く先を暗示する伏線にもなっています。


もう一点、カイムが、羽化病罹患者である(と思われた)ユースティアを、羽狩りから必死に匿っていることにも注目してください。この時点では、ユースティアは文字通り単なる羽化病罹患者に過ぎませんが、『牢獄民』であるカイムは、ユースティアを守ります。 そこには、『羽狩りに見つかったら面倒なことになる』という程度のリスクはありますが、最終章のように『世界崩壊』のリスクがあるわけではありません。 この部分は最終章とも対応しておりますので、見落としてはならないポイントだと思います。


最後に。第一章の敵役であるクーガー、フィオネが殺したクーガーは、フィオネにとって『兄』にあたる人間だったことも、忘れてはならない重要なポイントです。 クーガーを殺すのは、フィオネでなくてはなりません。 それは、このゲームのもう一つのテーマが『兄殺し』でもあるからなのです。
『フィオネの手を家族の血で濡らすわけにはいかない』という選択肢を選んだ場合、 第一章でゲームが終ってしまうのはそのためです。


★ エリスシナリオ(第2章)について


僕は唯一、このルートだけはさほど高く評価してはおりません。というのも、正直に言って退屈だったからです。伏線としては十分に機能していますが、それ以上の面白みを見つけることは困難でした。


まず、このシナリオの最大の機能といえば、このゲーム二つ目のテーマである『親族殺し』が明確に打ち出されたことでしょう。
ジークによる、ベルナドの誅伐。2つめのシナリオにおいて、2つめの兄殺しはもはや偶然とは言えません。


エリスとの関わりによって、この物語のラスボスとも言うべき、カイムの『兄』アイムの存在が明かされることも、大きな意味のある伏線です。 カイムはエリスに「生きる意味を持ち、まともな人間であるように」と言い聞かせますが、これはアイムの呪縛にカイムが完全に囚われた結果であることは、最終章でも語られていました。


他には、『牢獄』の生活が丁寧に描かれた物語であり、腐食金鎖と手を組んだルキウスと、風錆と組んだ反ルキウスの貴族(ギルバルトですが、確かまだ名前は出てきてないはず)の存在もこのシナリオで明かされます。 自分たちの争いが誰とも知れない貴族の争いに利用されている、『視野が確保できない牢獄民』の立場から描かれたこのシナリオでは、そんな薄気味悪さを感じとることができます。


このゲームでは、シナリオを追うにつれてカイムの世界がどんどん拡がっていきます。そして、それに伴う『カイムの変化』もまた、特筆すべきテーマといえるでしょう。


★ コレット&ラヴィリアシナリオ(第3章)について


聖女をヒロインにいただくこのシナリオにおいて、遂にカイムの活躍の場は牢獄から上へと向かいます。彼の活躍するフィールドが高くなるにつれ、彼の知識は増し、視野が拡がっていき、そして考え方もまた大きく変わっていくことになります。


このルートの最大の機能は、「牢獄出身」という『土着意識』をコレットに指摘され、カイムがそれを捨て去るシーンではないでしょうか。 より、衝撃的なシーンといえば、このシナリオで明かされる、『聖女が都市を浮かせているのではない』という情報です。
これは、今作の方向性を決定づけた最後の一矢となりました。 聖女が民衆の目を欺くスケープゴートというのは、薄々、わかっていたことではありました。ですが、今までのオーガスト作品をプレイしてきた経験上、「まさかオーガストが、そこまで容赦のない設定を出しては来ないだろう」という予断、甘えがこの時点の僕にはまだ残っていました。
しかし、オーガストは一歩を踏み込みました。『不条理』というテーマを、本気で描こうとする姿を僕はこのシナリオに見たのです。それをより強烈に推し進めたのが、牢獄で皆の居場所となっていたヴィノレタ、ジーク達を暖かく見守ってきたメルトの死でした。間違っていたら申し訳ありませんが、バッドエンド以外で、名前のあるキャラクターが死んだのは、オーガスト作品史上初ではないでしょうか(厳密に言えば、今作の敵役のクーガーが、死者第一号だと思います。もっとも、過去作にはところどころ記憶が曖昧な部分もありますので、間違っていたらすみません)。


ただ、この章の終わらせ方は、やや手ぬるいものでもありました。最終章で活躍する手前、コレットとラヴィリアを殺すわけにはいかなかったという理由はわかるのですが、やはりあそこはコレットとラヴィリアが抱き合いながら落命する、そんな儚く美しいシーンで幕を下ろしても良かったと思うのです。


“正史”ルートで無理ならば、“ヒロイン選択ルート”において、それを描いてほしかったなというのが、僕の数少ない注文・不満です。 わざわざラヴィリアというヒロインのエンドまで作ったのですから、いろいろと物語分岐を用意する余地はあったわけなのに、“正史”も含めて3つのエンディングでいずれも聖女が助かるというのは、『不条理』を描く物語としては、やや拍子抜けの感はありました。


余談ですが、コレットはとても僕好みのキャラクターで、かなり萌えてしまいました。コレットのCVである遠野そよぎさんも、初めて聞いた時はあまりピンと来なかったのですが、プレイしていくうちに「この声じゃなきゃダメだ」とまで思うようになりました。


★ リシアシナリオ(第4章)について


とうとう、宮廷にまで活躍の場が拡がるこのシナリオでは、大崩落(グラン・フォルテ)の原因が明かされます。その正体は、ギルバルトという貴族が、私利私欲のためにもたらした、人災でした。 更に、都市を浮かせている力の正体や、ルキウスの正体の判明、白兵戦では圧倒的存在感を放つガウの存在もあって、情報量の多いシナリオだったということができます。


よりカイムの身近に目を向けるならば、リシアの成長がこのシナリオの一つの鍵となります。個人的にはリシアの成長がやや速すぎた感が否めませんが、彼女は最終シナリオにおいて、その魅力を存分に披露してくれます。 ルキウスの正体は、隠すつもりがないのでは?と思われるくらいにバレバレでしたので、もう少し慎重に隠した方が良かったのではと思います。一方で、このリシアの戴冠シーンでの花冠のエピソードには心を動かされるものがありました。


 このシナリオでは、二つの『親殺し』が描かれます。ルキウスによるネヴィル殺しと、システィナによるギルバルト殺しです。 このギルバルトというキャラは、一応の事情があるにせよ、解りやすい悪を体現したキャラクターであり、第4章には『悪を打倒する』というある種のわかりやすさがありました。


どうも、皆さんの感想をちらほらと拝見しますと、リシアシナリオの評判が良く、ユースティアシナリオの評判が悪いようです。 しかし、個人的にこのリシアシナリオは『不条理』を描くユースティアシナリオのための伏線に過ぎないと考えています。 リシアシナリオの流れは、不条理を食い止めるためのハッピーエンドの物語です。この流れを最終シナリオにそのまま適用すれば、ハッピーエンドへと到れるであろう。そんな希望を抱かせる終わりです。


 世界が救われてほしい。皆が幸せになるハッピーエンドを読みたいという方の気持ちもわかります。 ですが、それは“不条理”を徹底的に描いたこの「穢翼のユースティア」に求める要素ではないはずです(それこそ、『いつものオーガスト』になってしまうでしょう)。
何より、ここまで散々繰り返されてきた『親族殺し』、その代表となるであろう“アイム”を、カイムは超えていけません。


ユースティアシナリオを描くために、あのエンディングを書くために、このゲームの全てのシナリオは設計されており、各シナリオに『兄殺し』や『不条理』、そして『牢獄・下層・上層の三層構造』といった設定が組み込まれているわけです。
ですので、リシアシナリオで終われば良かったのに~というご意見は、全くのナンセンスであり、もしも本当にここで終ってしまったならば、どの要素についても中途半端なままだったでしょう。


★ ユースティアシナリオ(最終章)について


いよいよ最終シナリオ。全てを知ったカイムの決断が描かれるこのシナリオは、ヒロインであるユースティアよりもむしろ、カイムとアイムの兄弟に焦点を当てた物語となっています。
ここまで、ほぼ全てのシナリオで行われてきた『兄殺し』が繰り返され、最後の敵であるルキウスを打倒することになるわけです。


ルキウスというこの悪役は、まさに作品そのものを象徴した素晴らしい造形になっています。 「正しいと思われること」をし続ける人。悪役、と書きましたが、彼を悪と断じるのはとても難しい。ギルバルトや、初代イレーヌを裏切った人々のツケを、ルキウスは払わされているわけで、彼もまた被害者なのです。
とはいえ、彼の徹底した功利主義はおよそ非人間的であり(人間性を保つだけの余裕が、もはやあの世界にはなかった。それこそが、最大の不条理であり、あの世界に完全に適応したのはカイムではなく、むしろアイムの方でした)、 反感を抱かせるに十分なもの。 作中では、天使の力を非人道的な形で引き出そうとしたばかりに、天使の怒りが増幅されるという皮肉が生まれていますが、これは、ややルキウスには酷な形だなと感じました。


カイムに話を戻すと、牢獄から下層、そして上層へと至る過程において、彼は新たな知識を得、ものの見方が変わっていきます。最後まで牢獄民としての視点を持つジークとの決別は、起こるべくして起きたこと。ジークの置かれた位置は、『牢獄に留まり続けた場合のカイム』を表しているように思います。


カイムは、良くも悪くも変わっていきます。牢獄民としてのカイムが、上層民としてのカイムに変わった時。 牢獄民を相手に武器を取る(未遂でしたが)という行動を、ユースティアを犠牲にするという行為を、彼は選んでしまいます。
牢獄から出たことのなかった、身近なものしか見えていなかったカイムなら、迷うことなくユースティアを守ったことでしょう。ユースティアを守ることに、障害はないのですから。 そう、それは第一章でカイムが、ユースティアを大して逡巡もせぬままに匿ったように。 ですが、カイムは知ってしまった。世界の全てと、彼女の存在が天秤にかけられていることを。 視野が広がり、あまりにも見える物が増えすぎたが故に、本当に大切な一つのものが、見えなくなってしまった。


けれどカイムは、アイムの呪縛を解き放ち、最後にはユースティアを選びます。他のもの全てを犠牲にしてでも、彼はユースティアを選んでしまうのです。
その選択の是非はここでは問いませんが、上層の視野を持ってなお、彼はユースティアを求めた。 それは第一章でユースティアを守ったように、ただ闇雲に彼女を守るのに比べて、大きく強い覚悟がないとできないこと。そして、何も知らずに彼女を守るのに比べて、とてもとても罪深いことでした。 (もしもカイムが牢獄に留まっていたならば、ユースティアの秘密を知ることもなかったでしょうし、いきなり天使と言われても信じなかったでしょう)


個を優先させることができなかったアイム、みすみす自分の手でシスティナを死地に追いやった兄とは違う原理で動き、違う道を選んだカイム。どちらが正しいのかは、僕にはわかりません。 
ラスト、ユースティアが結局亡くなってしまうという結末。 そして、上層・下層・牢獄という境目が取り払われ、世界全体の破滅が防がれたという結末は、落としどころとしても実にバランスのとれた結末だと思います。 たとえ世界が壊れてしまったとしても、ユースティアだけを守りたかったカイム。そのために兄をも手にかけたカイム。 それにも関わらず残された結末は、アイムが望んだ世界の救済、そしてユースティアの死でした。


究極の『不条理』を体現したこのエンディングは、作品のテーマに相応しい最高のエンディングだったと私は思います。
この結末を迎えたからこそ、『穢翼のユースティア』は、「いつものオーガスト」から脱却した、強いテーマ性を秘めた作品に仕上がったのです。