評価は A+。
実に一ヶ月ぶりのA以上評価です。
さて、この「クージョ」ですが、A+をつけていることからもわかるように、実に面白かった。
470ページと、そこそこ分厚い本ですが(しかしキング作品の中では短いほう)、ほぼ中だるみせず一気に読めました。
B級ホラーといわれればそれまでですが、緊迫したスリルあり、しんみりとするエピソードあり、戦慄のバトルシーンありと、様々な要素が一つの宝箱の中にぎゅっと凝縮されているような、エンタメのお手本とも言える作品に仕上がっていましたね。
核となるプロットは単純。
『動かない車の中、取り残された親子。
外は猛暑で、狂犬病にかかった犬がウロウロしている。脱水症状が子供を襲う。果たして二人は生還できるのか』。
話としてはこれだけなのですが、事件が起こるまでの街の様子。
特にクージョ視点での描写が秀逸でした。
子供が大好きなクージョが、後に被害者となる少年と幸せそうに遊ぶシーンなどは、その後に待つ展開を知っているだけに、しんみりとくるものがありました。
クージョがコウモリから病気をもらってしまうシーンなども、悲しかったです。
この物語の巧いところは、まずキングらしからぬリアルさにあります。
超常現象を一切廃して、被害も極力ミニマムなものとしたところに、怖さが生まれたと思います。
街一つを滅ぼす『キャリー』や『呪われた街』がちっとも怖くないように、
ホラーとは被害規模を大きくすれば怖くなるというものではありません。
他の皆はいつもと同じ日常を過ごしている中で、ただ不運にも被害者となってしまった親子だけが、恐怖の真っただ中にある。
このギャップを、(安全地帯にいる登場人物と、危機の真っただ中にいる被害者との)頻繁な視点変更が明確にすることで、不思議な魅力を生み出していたように思います。
また、物語を追うごとに深まっていく、不毛なバトルも見どころのひとつです。
彼らが闘う理由は、ただ『殺すか、殺されるか』だけ。
勝ったところで、何も残らない。特に、クージョにとっては何も変わらない。
それなのに、闘わなければならない哀しさと滑稽さが、全編を覆っています。
闘いの終わりが作品の終わりだと知っている僕は、何だかこの闘いをいつまでも見ていたいような、
そんな気さえしてしまいました。
闘いが終われば、現実が待っている。クージョは遅かれ早かれ狂犬病で死ぬ。
親子はひょっとしたら生き残るかもしれないけれど、壊れかけた家庭生活という厳しい現実が待つのみ。
もちろん読者である僕も、読み終えれば日常に帰らなければなりません。
ずっと読んでいたい、そんな気持ちになる作品。「クージョ」はそんな作品でした。
さて、この「クージョ」。実は同じキングの「シャイニング」と物語構造が酷似していることに気づきます。
『シャイニング』は、『家族想いの優しいパパ』が『アルコール中毒』によって、『愛する家族を襲ってしまう』お話でした。
そして『クージョ』は、『子供が大好きな優しい犬』が『狂犬病』によって、『大好きな人間たちを襲ってしまう』お話です。
ね、同じでしょ?
ただ、「シャイニング」は、よりパパの内面描写を深くしたことで、アルコール中毒の苦悩・苦痛を前面に押し出したのに対し、「クージョ」は狂犬病の犬との籠城バトルを前面に押し出しているため、読後感は全然違うものとなっています。
同じ材料を使っても、全く違う味付けをすることで、別の料理にしてしまう。
名シェフ(作家)、スティーブン・キングの凄さを、改めて見せられた思いがします。
最後に。ただ一つ、「クージョ」の欠点をあげます。
それは、同じキングによる「デッドゾーン」という作品との関連性にあります。
この「クージョ」、シリーズ作品というには少々語弊があるのですが、「デッドゾーン」という作品の5年後を描いたという設定になっております。
ただ、割に「デッドゾーン」の内容にも踏み込んで書かれているのです。
「知っている人はニヤリとできる~」を通り越して、「知らないとワケがわからないであろう文章」が何行かあります。
僕は「デッドゾーン」を読んでいたので良いのですが、「デッドゾーン」未読の方は置いてけぼりになる可能性もあり、正直一見さんには不親切なつくりだなと感じました。
実に一ヶ月ぶりのA以上評価です。
さて、この「クージョ」ですが、A+をつけていることからもわかるように、実に面白かった。
470ページと、そこそこ分厚い本ですが(しかしキング作品の中では短いほう)、ほぼ中だるみせず一気に読めました。
B級ホラーといわれればそれまでですが、緊迫したスリルあり、しんみりとするエピソードあり、戦慄のバトルシーンありと、様々な要素が一つの宝箱の中にぎゅっと凝縮されているような、エンタメのお手本とも言える作品に仕上がっていましたね。
核となるプロットは単純。
『動かない車の中、取り残された親子。
外は猛暑で、狂犬病にかかった犬がウロウロしている。脱水症状が子供を襲う。果たして二人は生還できるのか』。
話としてはこれだけなのですが、事件が起こるまでの街の様子。
特にクージョ視点での描写が秀逸でした。
子供が大好きなクージョが、後に被害者となる少年と幸せそうに遊ぶシーンなどは、その後に待つ展開を知っているだけに、しんみりとくるものがありました。
クージョがコウモリから病気をもらってしまうシーンなども、悲しかったです。
この物語の巧いところは、まずキングらしからぬリアルさにあります。
超常現象を一切廃して、被害も極力ミニマムなものとしたところに、怖さが生まれたと思います。
街一つを滅ぼす『キャリー』や『呪われた街』がちっとも怖くないように、
ホラーとは被害規模を大きくすれば怖くなるというものではありません。
他の皆はいつもと同じ日常を過ごしている中で、ただ不運にも被害者となってしまった親子だけが、恐怖の真っただ中にある。
このギャップを、(安全地帯にいる登場人物と、危機の真っただ中にいる被害者との)頻繁な視点変更が明確にすることで、不思議な魅力を生み出していたように思います。
また、物語を追うごとに深まっていく、不毛なバトルも見どころのひとつです。
彼らが闘う理由は、ただ『殺すか、殺されるか』だけ。
勝ったところで、何も残らない。特に、クージョにとっては何も変わらない。
それなのに、闘わなければならない哀しさと滑稽さが、全編を覆っています。
闘いの終わりが作品の終わりだと知っている僕は、何だかこの闘いをいつまでも見ていたいような、
そんな気さえしてしまいました。
闘いが終われば、現実が待っている。クージョは遅かれ早かれ狂犬病で死ぬ。
親子はひょっとしたら生き残るかもしれないけれど、壊れかけた家庭生活という厳しい現実が待つのみ。
もちろん読者である僕も、読み終えれば日常に帰らなければなりません。
ずっと読んでいたい、そんな気持ちになる作品。「クージョ」はそんな作品でした。
さて、この「クージョ」。実は同じキングの「シャイニング」と物語構造が酷似していることに気づきます。
『シャイニング』は、『家族想いの優しいパパ』が『アルコール中毒』によって、『愛する家族を襲ってしまう』お話でした。
そして『クージョ』は、『子供が大好きな優しい犬』が『狂犬病』によって、『大好きな人間たちを襲ってしまう』お話です。
ね、同じでしょ?
ただ、「シャイニング」は、よりパパの内面描写を深くしたことで、アルコール中毒の苦悩・苦痛を前面に押し出したのに対し、「クージョ」は狂犬病の犬との籠城バトルを前面に押し出しているため、読後感は全然違うものとなっています。
同じ材料を使っても、全く違う味付けをすることで、別の料理にしてしまう。
名シェフ(作家)、スティーブン・キングの凄さを、改めて見せられた思いがします。
最後に。ただ一つ、「クージョ」の欠点をあげます。
それは、同じキングによる「デッドゾーン」という作品との関連性にあります。
この「クージョ」、シリーズ作品というには少々語弊があるのですが、「デッドゾーン」という作品の5年後を描いたという設定になっております。
ただ、割に「デッドゾーン」の内容にも踏み込んで書かれているのです。
「知っている人はニヤリとできる~」を通り越して、「知らないとワケがわからないであろう文章」が何行かあります。
僕は「デッドゾーン」を読んでいたので良いのですが、「デッドゾーン」未読の方は置いてけぼりになる可能性もあり、正直一見さんには不親切なつくりだなと感じました。