評価はB-。
『アメリカ人が、影響を受けた本2位』(聖書が1位)ということで、読みました。
どういう影響かはわかりませんが、僕の正直な感想としては「こんな本に影響を受けるようでは……」というものでした。
この小説のあらすじをおおざっぱに書くと
・作中世界では社会主義が広まっている。天才が虐げられ、天才の富が分配され、無能な貧乏人が『たかり屋』として利益を貪っている。
・天才はとうとうたまらずに逃げ出し、残された世界は崩壊する。
という流れです。
実際、『社会主義崩壊』のプロセスはなかなか真に迫った描写で、面白い。
また、「国家のため、公共のために他人に自己犠牲を強要(して、自分を守る)する人間」などは戦時中などにも散々展開された光景ですし、「人生は楽しむもの」というあたりは共感できます。
ただ……この本が訴えたい内容自体には、大反対ですね。
この小説には3つの大きな問題があります。
1。アイン・ランドが自らの価値観を肯定させるべく、対立する陣営(社会主義)には、とんでもないバカキャラのみが配置されている。
2。そもそも、アイン・ランドの思想自体がめちゃくちゃである。
3。多くの登場人物が登場するにも関わらず、キャラの書き分けがほとんどできていない。作中には、2タイプの人間しか存在していない。
この世界では、『社会主義』VS『完全資本主義(実力主義)』という2つの思想しかなく、
愚物の集まりとして前者が、天才達が支持する価値観として後者があります。
目を覆いたくなるほどにひどいのは、
敵キャラ『社会主義者=性格が最悪=しかも無能=(本来なら)貧乏』
VS
味方キャラ『資本主義者=人格者=天才=(本来なら)金持ち』
という図式を意図的に作っているところ。
そして、「人格者で天才なのに金持ちにならないのは、社会主義だから! 社会主義者の無能なクズどもに、俺たちが稼いだ金を1円たりともやるもんか!」
という流れになっているわけですね。
確かに、作中世界では、社会主義者はマジで性格が悪いので、「こんな奴らにはあげたくない」という気持ちになります。この辺が本作の巧いところであり、嫌らしいところです。
実際はどうか。
まず、「能力」と「人格」は関係がないでしょう。
貧乏でも素敵な人はいますし、嫌らしい金持ちだっているでしょう。
次に、「能力」と「お金」。
自分の代で成功を収めた、大金持ち(億万長者)はたいてい天才なような気がしますが、
親の資産を相続した二代目・三代目が必ずしも天才かどうかはわかりませんし、
芸術家などは死後認められた人もたくさんいます。
才能はあっても、開花する前に事故や事件に遭ってしまう人もいるでしょう。
また、大企業の窓際で新聞を読んでいるサラリーマン(最近いないそうですね)と、中小企業で頑張って働いている人に、年収の差ほど実力に開きがあるかどうかも不明です。
アイン・ランドの思想は極めて単純です。
良い人は、才能もある。才能があって金持ち。
悪い人は、無能な上に貧乏。
なのに、税金とかなんとかで、金持ちはたくさんお金を取られ、そのお金が貧乏人に行ってしまう(福祉とか生活保護とかで)。
ふざけんな。
まとめればこんなところです。
フィクションとしては、「ハイハイ、ワロスワロスw」で済むのですが、「影響を受けた本」2位だなんて言われると
ちょっと穏やかな気持ちではいられません。
また、ネットの感想を読みあさってみても、「こんなに共感できる本があるなんて!」とか、「これに反対する人は、社会主義者か頭の弱い人くらいだろう」のような、熱狂的な……狂信的なご意見を散見します。
個人的には、作中で書かれているディストピアは論外(北朝鮮とかみたい……)ですが、
だからと言って、作中で理想として描かれるアトランティスも、話にならないくらい嫌ですね。
それとは別に、「では、どういうお金の使い方が正しいのか」について全く触れていないのも気になります。
もちろん、個人が稼いだお金をどのように使うかは個人の自由です。
作中に出てくる「たかり屋」のように、皆に分配するのが当然というような、厚顔なことを言うつもりはありません。
ですが、たとえばあなたが1000億円のお金を手に入れたとします。
そのお金を、『自分のためだけ』に、『そして有効に(つまり、払った金額のぶんだけ自分が幸せになるために)』使うことが果たしてできますか?
残念ながら、僕にはできません。
海外旅行に行きたいわーとか、超綺麗なお姉ちゃんをはべらせたいわーとか、美味いもん食いたいわーとか
それくらいの希望は僕にもあります。
親が今よりも高齢になった時に、きちんとした老人ホームに入れてあげたいとか、そういう希望はあります。
が、海外旅行に毎週行っていたら、遠からず飽きてしまうでしょう。
超綺麗なお姉ちゃんも、1年もすれば見飽きてしまうでしょう。
美味いもんを毎日食べていたら、それが当たり前になってしまうでしょう。
それでも惰性のように毎週海外旅行に行きますか?
惰性のように、綺麗なお姉ちゃんを探し歩きますか?
惰性のように、毎日とにかく高級なものを食べますか?
それを楽しめているうちはいいですが、飽きてしまったら、それは『消費』ではなく『浪費』です。
人間の幸せというものは、『刺激』と『安定』にあると僕は思っています。
ですが、『安定』は恐らく、お金ではほとんど買えません。
そして、お金で買える『刺激』には限りがあります。
翻って、お金がなくて貧困に喘いでいる人は世界に何億人もいるわけです。
そんな人たちのごく一部でも、自分の『余った』お金で救ってあげることができたら。
そう思うことの何が、いけないのでしょうか?
別に、崇高な想いなんてなくていいんです。
人の命を救えた、その救えた人から感謝の手紙が届いた。
それは、出資者本人にとっても、すごく幸せなことではないですか。
他人のためではなく、自分のために他人を救っても良いと僕は思います。
これは別に強制ではありません。作中のように、無理やり奪ったりするのは言語道断です。
ですが、作中のアイン・ランドの思想は、「慈善」までもを「悪」と断じている。
厳密に言えば、P1143の数行では、「自己満足のためならOK」とも書いてあり、それに従うならば特に問題ないと考えますが……これだけ長大な小説のほんの1センテンスじゃ、注意深く読まなければ伝わらないだろうなぁと。
こんな小説に影響されて、「お金が全て」の世界にならないことを祈るばかりです。
そういったわけで、僕はこの小説が嫌いですし、この小説を全肯定する人とは仲良くなりたくはありません。
同様に、作中の「たかり屋」のような連中も相手にしたくありませんが。
『アメリカ人が、影響を受けた本2位』(聖書が1位)ということで、読みました。
どういう影響かはわかりませんが、僕の正直な感想としては「こんな本に影響を受けるようでは……」というものでした。
この小説のあらすじをおおざっぱに書くと
・作中世界では社会主義が広まっている。天才が虐げられ、天才の富が分配され、無能な貧乏人が『たかり屋』として利益を貪っている。
・天才はとうとうたまらずに逃げ出し、残された世界は崩壊する。
という流れです。
実際、『社会主義崩壊』のプロセスはなかなか真に迫った描写で、面白い。
また、「国家のため、公共のために他人に自己犠牲を強要(して、自分を守る)する人間」などは戦時中などにも散々展開された光景ですし、「人生は楽しむもの」というあたりは共感できます。
ただ……この本が訴えたい内容自体には、大反対ですね。
この小説には3つの大きな問題があります。
1。アイン・ランドが自らの価値観を肯定させるべく、対立する陣営(社会主義)には、とんでもないバカキャラのみが配置されている。
2。そもそも、アイン・ランドの思想自体がめちゃくちゃである。
3。多くの登場人物が登場するにも関わらず、キャラの書き分けがほとんどできていない。作中には、2タイプの人間しか存在していない。
この世界では、『社会主義』VS『完全資本主義(実力主義)』という2つの思想しかなく、
愚物の集まりとして前者が、天才達が支持する価値観として後者があります。
目を覆いたくなるほどにひどいのは、
敵キャラ『社会主義者=性格が最悪=しかも無能=(本来なら)貧乏』
VS
味方キャラ『資本主義者=人格者=天才=(本来なら)金持ち』
という図式を意図的に作っているところ。
そして、「人格者で天才なのに金持ちにならないのは、社会主義だから! 社会主義者の無能なクズどもに、俺たちが稼いだ金を1円たりともやるもんか!」
という流れになっているわけですね。
確かに、作中世界では、社会主義者はマジで性格が悪いので、「こんな奴らにはあげたくない」という気持ちになります。この辺が本作の巧いところであり、嫌らしいところです。
実際はどうか。
まず、「能力」と「人格」は関係がないでしょう。
貧乏でも素敵な人はいますし、嫌らしい金持ちだっているでしょう。
次に、「能力」と「お金」。
自分の代で成功を収めた、大金持ち(億万長者)はたいてい天才なような気がしますが、
親の資産を相続した二代目・三代目が必ずしも天才かどうかはわかりませんし、
芸術家などは死後認められた人もたくさんいます。
才能はあっても、開花する前に事故や事件に遭ってしまう人もいるでしょう。
また、大企業の窓際で新聞を読んでいるサラリーマン(最近いないそうですね)と、中小企業で頑張って働いている人に、年収の差ほど実力に開きがあるかどうかも不明です。
アイン・ランドの思想は極めて単純です。
良い人は、才能もある。才能があって金持ち。
悪い人は、無能な上に貧乏。
なのに、税金とかなんとかで、金持ちはたくさんお金を取られ、そのお金が貧乏人に行ってしまう(福祉とか生活保護とかで)。
ふざけんな。
まとめればこんなところです。
フィクションとしては、「ハイハイ、ワロスワロスw」で済むのですが、「影響を受けた本」2位だなんて言われると
ちょっと穏やかな気持ちではいられません。
また、ネットの感想を読みあさってみても、「こんなに共感できる本があるなんて!」とか、「これに反対する人は、社会主義者か頭の弱い人くらいだろう」のような、熱狂的な……狂信的なご意見を散見します。
個人的には、作中で書かれているディストピアは論外(北朝鮮とかみたい……)ですが、
だからと言って、作中で理想として描かれるアトランティスも、話にならないくらい嫌ですね。
それとは別に、「では、どういうお金の使い方が正しいのか」について全く触れていないのも気になります。
もちろん、個人が稼いだお金をどのように使うかは個人の自由です。
作中に出てくる「たかり屋」のように、皆に分配するのが当然というような、厚顔なことを言うつもりはありません。
ですが、たとえばあなたが1000億円のお金を手に入れたとします。
そのお金を、『自分のためだけ』に、『そして有効に(つまり、払った金額のぶんだけ自分が幸せになるために)』使うことが果たしてできますか?
残念ながら、僕にはできません。
海外旅行に行きたいわーとか、超綺麗なお姉ちゃんをはべらせたいわーとか、美味いもん食いたいわーとか
それくらいの希望は僕にもあります。
親が今よりも高齢になった時に、きちんとした老人ホームに入れてあげたいとか、そういう希望はあります。
が、海外旅行に毎週行っていたら、遠からず飽きてしまうでしょう。
超綺麗なお姉ちゃんも、1年もすれば見飽きてしまうでしょう。
美味いもんを毎日食べていたら、それが当たり前になってしまうでしょう。
それでも惰性のように毎週海外旅行に行きますか?
惰性のように、綺麗なお姉ちゃんを探し歩きますか?
惰性のように、毎日とにかく高級なものを食べますか?
それを楽しめているうちはいいですが、飽きてしまったら、それは『消費』ではなく『浪費』です。
人間の幸せというものは、『刺激』と『安定』にあると僕は思っています。
ですが、『安定』は恐らく、お金ではほとんど買えません。
そして、お金で買える『刺激』には限りがあります。
翻って、お金がなくて貧困に喘いでいる人は世界に何億人もいるわけです。
そんな人たちのごく一部でも、自分の『余った』お金で救ってあげることができたら。
そう思うことの何が、いけないのでしょうか?
別に、崇高な想いなんてなくていいんです。
人の命を救えた、その救えた人から感謝の手紙が届いた。
それは、出資者本人にとっても、すごく幸せなことではないですか。
他人のためではなく、自分のために他人を救っても良いと僕は思います。
これは別に強制ではありません。作中のように、無理やり奪ったりするのは言語道断です。
ですが、作中のアイン・ランドの思想は、「慈善」までもを「悪」と断じている。
厳密に言えば、P1143の数行では、「自己満足のためならOK」とも書いてあり、それに従うならば特に問題ないと考えますが……これだけ長大な小説のほんの1センテンスじゃ、注意深く読まなければ伝わらないだろうなぁと。
こんな小説に影響されて、「お金が全て」の世界にならないことを祈るばかりです。
そういったわけで、僕はこの小説が嫌いですし、この小説を全肯定する人とは仲良くなりたくはありません。
同様に、作中の「たかり屋」のような連中も相手にしたくありませんが。
本を読んで、腹が立つといった経験ははじめてです、