まずは点数から
また、改めて思うのは、ノベルゲー(マルチエンディング)という媒体とバトルロワイアルの本質的なかみ合わせの悪さです。
小説の場合、素晴らしいバトロワ展開を1つ書くだけで事足ります(それだって難しいことですが)。
しかしマルチエンディングを謳うノベルゲーの場合、例えば今回の「リベリオンズ」では過去編を除いても4つものルートがあるのです。
同じキャラを使って4パターンもの優れたバトロワ展開を描かなければならないわけですが、これはそうそう出来ることではないでしょう。
結果、運営の介入のようなくだらない手を使ったり、最初の2ルートではホラー系シリアスバトルロワイアルを描きながら、後半2ルートでは少年漫画的バトルロワイアルに移行するというような、苦し紛れの手を取るしかなかったのかもしれません。
そう考えると、むしろ2つもきちんとした展開を描いてくれたライター陣は高評価に値するのではないかとすら思います。
個人的に、「バトルロワイアル」という形式は大好きで、「ノベルゲー」という媒体も大好きです。
なので、これからも是非「バトロワなノベルゲー」を読みたいと思います。
思うのですが、本作と前作の2作品に触れた今、バトロワはノベルゲーとは相性が悪そうだなぁという思いに駆られています。
同じキャラクターたちではなく、キャラ・舞台を変えて、アンソロジーのようにすれば物語面での問題は解消しますが、そうなると今度はゲーム4作ぶんのキャラクターを作らなければならず、それはそれで大変そうですしね……。
話120/150 人 105/150 絵 85/100 音 80/100 その他システム 75/100 印象 30/50
合計 495/650 (67位/160ゲームくらい?) 批評空間につける点数 80
【前置き】
本当に勿体ない作品だなと感じました。
途中までは……Cルート中盤くらいまでは85~90点くらいも狙えるなと感じていたんです。
ところがそこから急失速し、最終結果は80点。
確かに80点は決して低い点数ではないのですが、途中までが素晴らしかっただけにこの結果はいかにも残念でした。
ここでは、まずストーリーの感想を。
その前提として、最初に『バトルロワイアル』という形式について考えてみます。
次に、上で書いたことを絡めつつ、『リベリオンズ』のシナリオ感想を書きます。
そして最後にキャラクターごとの感想を書きたいと思います。
なお、本感想で使う『前作』という単語は健速氏の『シークレットゲーム―キラークイーン―』を指します。
リメイク前の「シークレットゲーム code:revise」のことではありませんので、よろしくお願いします。
【バトルロワイアルという形式――①ホラー小説――】
まずは、このバトルロワイアルというジャンルについて考えてみます。
と言っても、僕がこれまでに触れた数少ない作品についてしか語れませんので、よろしくお願いします。
まず、最も有名だと思われるのが高見広春の小説、タイトルもそのままの「バトルロワイアル」です。
「爆発する首輪」や、前作での進入禁止区域などはこの作品をヒントにしたものかなと思っております。
リピーターなんかもそうですね(あの小説では、望んでリピーターになったわけではありませんでしたが)。
それから、貴志祐介の小説「クリムゾンの迷宮」。
プレイヤーに与えられるPDAは、この作品をヒントにしたのかな。前作の渚などは、まんまこの小説のヒロインでした。
少し毛色が違いますが、スティーブン・キングの「死のロングウォーク」も、このジャンルに含めて良いと思います。
この小説は殺し合いではなく、「歩いて歩いて歩き続け、最後の1人が倒れるまで歩く」というものですが、
テレビ中継をされている、道から外れたりルールを破ると、運営側に射殺されるという意味では同じ系統の作品です。
この3作はいずれもスリリングなホラー小説の作品ですが、共通して言えることは「絶望的な展開」。
そして、「無機質で、公正・厳格な運営」がなされていることです。
運営は目立たず、ただ厳格にルールを適用する存在で、プレイヤーたちの生死は全て、プレイヤーたちの手によって決められていました。
(「クリムゾンの迷宮」に関しては、やや運営の暗躍も見られますが明かされるのは最後の10ページということで、物語を終わらせた後での種明かしでした)
感情などはなく、そもそも肉体すら持たない。故に倒せるものではない。ただただ不条理な「ルール」。
これらの作品における『運営』とは絶対に守らなければいけない「ルール」そのものであり、それ以上のものではありません。
【バトルロワイアルという形式②――メタ的な解釈――】
ここで、少しメタ的な視点を考えてみましょう。
『リベリオンズ』には、3つの立場の人間が登場します。
まず、「死のゲーム」に参加する『プレイヤー』たち。修平やまり子たちですね。
次に、「死のゲーム」を運営する『運営者』。修平パパやその上司たちです。
最後に、「死のゲーム」を観戦している『客』。
これら3つをメタ的に解釈すると、こう言い換えることができます。
『死のゲーム』=『リベリオンズというゲームソフト』
『客』=『読者』
『プレイヤーたち』=『作中登場人物』
『運営者』=『作者』
リベリオンズというゲームのジャンルは「サスペンスアドベンチャー」です。
つまりこのゲームを購入した人は、サスペンス(暴力・殺し合い・緊張・スリル・戦闘など)を期待して買った、のだと思います。例外はいらっしゃるとは思いますが。
さて、作中にも「サスペンス」を期待している人たちがいますね。「死のゲーム」を待ち望んでいる人たち。つまり、『客』です。これが僕たち『読者』です。
その「死のゲーム」に参加する羽目になった『プレイヤーたち』は、そのまま「リベリオンズ」というサスペンスゲームに登場させられた『登場人物』に対応します。
『運営者』とは、『死のゲーム』のルールを作り、『プレイヤーたち』を選出し、『サスペンス』に導く存在です。
つまり、「リベリオンズ」というゲームのルールを作り、登場人物を作り、客(読者)が喜ぶようにサスペンスを提供する存在。すなわち『作者』ということになります。
さて、『作品』(死のゲーム)において、『作者』(運営)が「話を面白くしてやろうとして」、伏線もなく、突然妙な設定を出してきたり、
登場人物が明らかにそのように動いていないのに、「無理やり」展開を変えようとすることを何というでしょうか。
それは広く、『ご都合主義』、と呼ばれています。
好きな人もいるかもしれませんが、大多数の『読者』には好かれないやり方だと思います。
【バトルロワイアルという形式――③少年漫画的バトルものとしてのバトロワ――】
ホラー小説としてのバトルロワイアルを上では3作挙げました。
これらの作品群とは全く異なる作品に、スーザン・コリンズの小説「ハンガーゲーム」があります。
これらの作品群とは全く異なる作品に、スーザン・コリンズの小説「ハンガーゲーム」があります。
この作品は一見、前に挙げた3作と同じホラー小説の体裁をとっていますが、中身はまるで別物です。
「ルール」そのものであったホラー小説の『運営』とは違い、この『運営』は、熱いバトルの末に倒すべき敵として設定されているのです。「ハンガーゲーム」では、『運営』が極めて恣意的な介入を度々行い、ゲームの行方を完全に操作します。
そして、『プレイヤーたち』は『運営』に反逆し、ついに運営組織を打倒する~という話です。
「シークレットゲーム」シリーズはホラー小説として挙げた3作ではなく、こちらに近いストーリーラインになります。
この『運営』は「人間」の顔を持っています。独善的で、しばしば『私情』をもって『ルール』を捻じ曲げます。
何故彼らがそうするかと言う、理由とも呼べない理由は「その方が面白いから」です。
良い言い方をするならば、「融通が効く」とも言えます。
ルールは「厳密・厳格」ではなく、『運営』というルール適用者の手によって歪められ、好き放題に適用されます。
同時に、『ルールそのもの』であったホラー小説の『運営』とは違い、『少年漫画的バトルもの』の運営は非常に人間的で時にはミスも犯します。
そしてそんな『運営』を打倒せよ、というのがこちらのジャンルの特色になります。
さて、いきなり個人的な考えを言ってしまうと、このストーリーラインはよほど巧くやらない限り、面白くはなりません。
先ほど触れたメタ要素をもう一度確認してみましょう。
『死のゲーム』は「リベリオンズ」。
『死のゲームの登場人物』は「作中登場人物」。
『運営』は「作者」。
『客』は「読者」。
「作者」が自分の都合でいい加減なルール変更を行い、「作中登場人物」が「作者」と戦い、打倒する。
『運営組織』(作者)が潰され、「死のゲーム=シークレットゲームシリーズ」をこれ以上やらせないようにする。
罪のない人々が再び「死のゲーム=シークレットゲームシリーズ」に「登場人物」として参加させられることのないように。
……かなり、脱力モノの構造になっちゃいますよね。
この物語で作者は何を伝えようとしているのでしょうか?
『作者(運営)」は「暴力的な物語(シークレットゲーム)」を作って登場人物(修平たち)を不幸にするのはやめよう。でしょうか? まさか。
『死のゲーム=理不尽』に屈せず立ち向かえば、いつか理不尽に打ち勝てる。でしょうか?
こちらの方が近そうですが、しかしその『理不尽』とは作者が与えた理不尽ですし、それを購入した僕らは作中で『死のゲームを喜ぶ客』として登場しているわけだから……
そもそも『運営』(作者)を倒しても、そのジャンルを望む『客』(読者)がいる限り
罪のない登場人物は理不尽な危険に晒される。
なら、行き着く先はそのジャンルを望む『客』(読者)をなくそう、
「サスペンス作品」は悪趣味だから、楽しむのをやめよう?
まさか、そんなテーマなわけないですよね? でもメタ的に見ると、そういう話になりかねないのです。
そもそも『運営』(作者)を倒しても、そのジャンルを望む『客』(読者)がいる限り
罪のない登場人物は理不尽な危険に晒される。
なら、行き着く先はそのジャンルを望む『客』(読者)をなくそう、
「サスペンス作品」は悪趣味だから、楽しむのをやめよう?
まさか、そんなテーマなわけないですよね? でもメタ的に見ると、そういう話になりかねないのです。
こう書くとテーマの全否定になってしまいますが、思うに『バトルロワイアル』というホラー的要素と、『運営を打倒する』という少年漫画的バトル要素は
本来噛み合せが最悪なのではないでしょうか。
ホラー小説的なバトロワを楽しみたいなら、明らかに『運営を打倒する』パートが邪魔になります。
打倒できるような『運営』、破れるような『ルール』では、真の恐怖は描けないからです。
一方、『巨大な権力者を打倒する』というバトルパートを重要視するなら、『バトルロワイアル』という形をとる必要がありません。
魔王・勇者でも、独裁者とレジスタンスでも、悪の校長と一生徒でも、何でもいいんですけど別にバトロワである必要はないんです。
むしろ、前述したようなメタ要素が絡んできてしまうぶん、『バトルロワイアル』の形をとるのは、はっきりマイナスであるとすら思います。
【質の高い、ホラー的バトルロワイアル――Aルート&Bルート――】
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。ようやく「リベリオンズ」の感想に移ります。
本作のAルート&Bルートは、ホラー系バトルロワイアルものとして挙げた3作に混ぜても遜色がない、素晴らしくサスペンスフルな物語でした。
先が気になって仕方ない、クリックする手が止まらない、そんな緊張感に満ちていて、これぞ僕が求めた作品だと強く感じたものです。
Aルート序盤、大祐とまり子が仲違いするシーンは『集団生活における、性格の不一致から来る軋轢』を見事に描いたシーンです。
見ず知らずの14人もの他人が一つに団結することの難しさを、痛感させられました。
『PDAの情報を偽った』伏線が回収される決着も見事でした。
Bルートでは、初めて、運営が介入をします。
ですが、ここでの介入は「おや、プレイヤーが一人足りませんね」と発言する、たったこれだけです。
誰かが有利になることを狙ってのものでも、試合を意図的に変えてやろうというものでもありません。
たったこれだけの変更で、
「春菜の不在に気づいた修平が、春菜を追いかける」→「運営者に質問する役が、修平から司へと変わる」
→「これにより瞳がストーキングする相手が、修平から司へと変わる」→「瞳のせいで、玲は司と仲間にならない」
というように、雪崩式に物語展開をシフトし、もう一つの魅力的な「バトルロワイアル」を描いてみせたライターの実力には驚嘆しました。
この変更は、全て論理的なもので、「偶然」によるものではありません。
Aルートでは雨が降らなかったのに、Bルートでは何故か同じ日に雨が降った……というような『ズル』も行われておりません。
全てはたった一言の言葉があるか、ないか。たった一つの選択で、物語の様相を一変させる。
それが何より素晴らしかったです。
それが何より素晴らしかったです。
このルートでは充の活躍も胸に残りました。
2つの素晴らしいルートを読んだこの時点での暫定得点は85点。
ですが、この得点は更に上がっていくものと予想していました。
この作品には、1st stageという、ルールに明記された『ハッピーエンドの条件』が既に提示されており、
恐らく最終シナリオでは『2nd stage』への移行を防ぐという形での激闘(乗り越えなければならない確執・疑心暗鬼・価値観の相違などを乗り越えていく)が
見られるのではないかと予測できました。
王道的で、先が読める展開ではあるのですが、僕はこういう物語が大好物なのです。
【1st stage――ハッピーエンドへ至る画期的な設定――】
1st stage。皆が協力し、14人全員がまとまれば皆が生還できる。
けれどプレイヤーの1人が死ねば、一気にゲームは様相を変え、地獄のような2nd stageが始まる。
これは言い換えれば、2nd stageに移行することを防ぐことができれば、ハッピーエンドを迎えられるということになります。
1st stageとは、ルールにも明記された「全プレイヤーが目指すべき、ハッピーエンドの条件」なのです。
ですが、それは容易な道のりではありません。
そもそも、ランダムに選ばれた見ず知らずの14人が心を一つにするというのはとても難しいことです。
それは、学生時代のクラスや、職場などを考えても解ると思います。
本作では瞳や大祐、黒河のような『ちょっと関わりたくない人たち』もいますし、春菜の条件『3回危害を加える』というのもネック。
玲は悠奈と因縁がある……という具合に、様々な障害があります。
そのうえ武器がゴロゴロ落ちていますし、危険なPDA機能もある。
相当厳しい条件ですが、皆で生きて帰るにはやはりどうしても目指さないといけない、『ハッピーエンドの条件。
そういう物語ラインを、僕は望んでいました。
【Cルート――運営(作者)の迷走――】
さて、物語は僕が予想したとおりの道筋を歩み始めます。
Cルートです。
黒河と真島の確執や、玲の復讐心などが割とあっさり解決してしまうことに拍子抜けをしつつも、
期待どおりの展開に目が離せず読んでいきます。
そしてついに、3日目にして彼らは一つの場所に集まります。やった!
しかしゲームは終わりません。
そうです、このゲームは6日間あるのです。
明記されているわけではありませんが、今回が8度目の参加になる春菜さんの記憶によれば常に6日間なのでした。
3日目にして、一つの場所に集まった彼らですが、もちろん未だ心は一つではありません。
集団行動を重ねていくうちに、Aルートでの大祐とまり子のような、『性格の不一致による対立』なども起こってくるでしょう。
そうしたところから、亀裂が走り、最悪の結末(殺人)に至る可能性も否定できません。
さて、運命の6日目。ですが、何故か試合は終わらないのです。
ここで僕は初めて、軽い懸念を覚えました。
というのも、『確かにルール上、6日で終わるとは明記されていない』ものの、『(事前に決められていたものではなく)、ゲーム展開を見て、運営が恣意的にルールを運用した』初めての例になるからです。
ルール上明記されていないのだから、ズルではありません。
しかし、実際今まで起こり得なかった奇跡、『皆を一つにまとめて、6日目まで死者を出さない』を成し遂げた修平たちなのです。
正直に言いまして、それは「殺し合い」と同じか、それ以上にスリリングで面白い『見世物』だったと僕は思います。
それを、「運営」が「つまらない」と判断し、試合を延長しようというのはいささか乱暴だと思うのです。
更に修平たちにはやることがもうありません。
これまでの修平たちは、「団結して6日目まで生き残る」という目的があり、その達成を目指して頑張ってきました。
それが、「いつ終わるかわからないけど、それまで団結する」というのでは哀れに思います。
決められたルールを達成したにも関わらず、クリアできないゲーム。
それでは何のために1st stageというものがあるのでしょうか?
この時点でもうゲンナリなのに、運営は更なる介入を図り、読者(僕)の評価を下げていきます。
何も起こらない事に業を煮やした運営が、リピーターズコードなる『ルール変更』を行い、瞳に結衣を殺させます。
この展開を読んだ瞬間、僕のテンションがガタ落ちしたのは言うまでもありません。
「作者」が突然妙な設定を持ち出して、強引に「物語の筋」を変えること。これは「ご都合主義」と呼ばれ、忌み嫌われる行為であることは上述しました。
「運営」(=ライターの月島氏)もまた、同じことをやってしまったのです。
どうやら、「客」(=読者)は「14人が団結することの難しさ:障害を乗り越えて6日間生き残る奇跡」に「退屈」し、「殺し合い」を求めているらしいのです。
そして、「運営」(=作者)は読者の希望に応えるために、無理やりジャンルと設定を変更して、殺し合いを描くことにしたというのです。
実際の「客」(=読者)である僕はそんなこと望んじゃいないんですがw
実際の「客」(=読者)である僕はそんなこと望んじゃいないんですがw
こうなってはもう何でもアリでしょう。ルールなんて守る意味もありません。どうせ「運営」が後付けで変えてしまえるのですから。
その後の展開はもはや茶番です。
「審判」の意図どおりにコントロールされた八百長試合が面白くないように、「作中登場人物」の気持ちを無視して「運営=作者」が強引に仕組んだ殺し合いなど
面白くもなんともありません。
【Cルート――作者の都合、が見え隠れ――】
Cルート後半を擁護することは、正直難しいです。
「理不尽さ」を表現するために、運営の「理不尽」さを強調したのでしょうか?
しかし、突然拉致されてこんな死のゲームに放り込まれた時点でもう十二分に「理不尽」でしょう。
ハッピーエンド、と見せかけてそれを突き落とすシナリオが見せたかったのでしょうか?
その可能性は大いにあります。ですが、やり方があまりに稚拙すぎます。
それをするなら皆が1つにまとまり、6日目になる直前(もしくは試合終了のアナウンスが流れる直前)に、
14人の中で揉め事を起こし、事故によって殺人が起きてしまう。
「自然に瓦解する」ように描写するのです。
気が合わず、心が病んでいる人間もチラホラいる14人が団結し続けるのがいかに難しいかを、自然に表せる物語を書いてほしかったと思います。
ほとんど解決したと思われていた火種を一つ残しておき、黒河や大祐といった危険なプレイヤーにご活躍願えば、
その結末に導くことは可能だったはずです。
ではなぜ、そうしなかったのか。
それは、簡単に言ってしまえば「少年漫画的バトル」が描きたかったライター陣の都合であり、
前作「シークレットゲーム」にうまく物語を繋げるためという制作者側の都合ではないでしょうか。
確かに死者の一人も出ないと、運営と闘い続ける理由としては弱くなります(黒河、悠奈、玲には既に運営と闘う深い理由がありますし、それに引っ張られる形で結衣、司は参戦しそうですが)。
それに「ルールそのもの」であるホラー小説的な運営ではなく、「人間くさい」倒せる敵として運営を設定しないと、
運営側とのバトルという方向へは物語が進んでくれないというのもわかります。
前作に繋げることが非常に難しくなるのです。
しかし1st stageのルールを守る気がまるでないのなら、そもそも『1st stageなんて設定は要らなかった』のではないでしょうか。
実際、Dルートの「少年漫画的バトル」の出来は悪くありませんでした。
前作「シークレットゲーム」への連結もまずまずうまくいっています。
皆に慕われていた悠奈を殺すことには物語的必然があり
(これにより、悠奈の遺志を受け継いだ仲間たちが全員、参戦するという流れを導ける。
たとえば大祐が死んでも誰も参戦してくれなそうだしね……)、物語として無理のない展開になっています。
しかし、そういう作者の都合はわかった上でなお、
それを描くために「運営」を暴れさせる必要はあったのでしょうか?
条件を満たしてのハッピーエンド、よりも「俺たちの闘いはこれからだ―前回へ続く―」な展開の方が面白かったでしょうか。
僕にとって、Cルート後半からその後の流れは、大いなる蛇足でしかありません。
Dルートはまだ見られる内容ですが、Cルートの後半は本当に酷かったと思います。
過去編にあたるZルートは、面白いんですが、ちょっと短いかなと。
悠奈かわいいよ。
【シナリオまとめ】
というわけで結論です。
A・Bルートで容赦ないバトルロワイアルを見せ、Cルートで『2nd stageへ移行せず』大団円、で良かったのに。
どうしてもDルートの『運営側との対決』がやりたいなら、『1st stage』なんてルールは邪魔ですし、
あれもこれもと欲張った結果、迷走したように感じてしまいます。
まぁ、単に「僕の期待してた展開じゃないよっ!」の一言で済ませてしまってもいいのですがw
また、改めて思うのは、ノベルゲー(マルチエンディング)という媒体とバトルロワイアルの本質的なかみ合わせの悪さです。
小説の場合、素晴らしいバトロワ展開を1つ書くだけで事足ります(それだって難しいことですが)。
しかしマルチエンディングを謳うノベルゲーの場合、例えば今回の「リベリオンズ」では過去編を除いても4つものルートがあるのです。
同じキャラを使って4パターンもの優れたバトロワ展開を描かなければならないわけですが、これはそうそう出来ることではないでしょう。
結果、運営の介入のようなくだらない手を使ったり、最初の2ルートではホラー系シリアスバトルロワイアルを描きながら、後半2ルートでは少年漫画的バトルロワイアルに移行するというような、苦し紛れの手を取るしかなかったのかもしれません。
そう考えると、むしろ2つもきちんとした展開を描いてくれたライター陣は高評価に値するのではないかとすら思います。
個人的に、「バトルロワイアル」という形式は大好きで、「ノベルゲー」という媒体も大好きです。
なので、これからも是非「バトロワなノベルゲー」を読みたいと思います。
思うのですが、本作と前作の2作品に触れた今、バトロワはノベルゲーとは相性が悪そうだなぁという思いに駆られています。
同じキャラクターたちではなく、キャラ・舞台を変えて、アンソロジーのようにすれば物語面での問題は解消しますが、そうなると今度はゲーム4作ぶんのキャラクターを作らなければならず、それはそれで大変そうですしね……。
【キャラクターについて】
最後に各キャラクターについて、数字の小さい方から順番に書いていきます。
A:上野まり子
はっきり言わせてください。僕、この人かなり嫌いです。
リアル世界で出会ったら、最も僕と相性が悪いタイプでしょう。
人望がないのに仕切りたがり、有事の際には役に立たない。
悪いことは何一つしていないのに、こんなに嫌悪感のあるキャラクターも珍しいです。ちなみに、前作の陸島文香さんは好きだったんですが(苦笑)
2:粕谷瞳
キチガイストーカーメイド。
非常に厄介なプレイヤーで、彼女に魅入られたが最後、まともな仲間を作ることはまずできません。
彼女の暴走によって仲間になれたはずの人間と敵対する羽目になり、ついに暗黒面へと落ちてしまう。
そんな迷惑さが迸る彼女に読んでいてストレスも溜まりますが、
まぁそういう役どころですものね……いや、でもキモチ悪いw
3:細谷春菜
女性として見た際に、一番好みのキャラクターです。
外見・声も好みですし、エピソードAで修平を兄と呼べない葛藤、
心を押し殺している健気さ、直情型でやや不安定なところも含め、
守ってあげたいなと思わせるキャラでした。Hシーンはないですか……そうですか。
4:藤田修平
主人公らしい主人公で、格好いいです。
面白みに欠けるとも言え、特にコメントしたいことはなかったり。
5:荻原結衣
脳みそお花畑で、あまり好きなキャラではなかったです。
あの状況で黒河を解放するとか、ありえないでしょ(しかし結果オーライ)。
あまり頭が良くなく、お花畑を貫き通すのですが、それで結果オーライになることも多く、
責めるつもりはありません。
大祐にレイプされるシーンは何故描いてくれなかったのだろう……。
6:吹石琴美
上では叩いたCルート後半ですが、Cルート後半での琴美の奮闘は良かったです。
とかく修平とセットというか、修平のいる前で頑張るAルートなども悪くはないんですが、
修平と別行動をして、一人で頑張るCルート後半で魅力が増しました。
7:真島彰則
この人も格好いいんですが、面白みに欠けるとも言え、特にコメントしたいことはなかったり。
まり子のどこがいいんだろう……。姉に似てるから? シスコン? うーん。
8:黒河正規
The.DQN
事情があるのは理解しましたが、やはり好きにはなれないですね。
必要もないのに争い事を好みすぎです。近寄りたくないです。
9:蒔岡玲
おバカ可愛い玲ちゃん。
もう少し頭を使ってくれよと思ったり、イライラすることもありましたが、
総合的に考えると、憎めないキャラ。
家が厳しくて貞操を固く守ってきたにも関わらず、あの程度の関係(感情)でHするんかい!と思いましたが、
Hシーン自体はこのゲームの中で一番好きかもしれません。
10:伊藤大祐
可愛い女の子をレイプしたい気持ちは解ります。集団行動が苦手なところなんて、僕みたいです。
でもね、「自分の命」が危険に曝されている状況で、レイプマシーンと化す
そのバカさ加減はちょっと救いようがありません。
ただでさえ敵だらけのゲームなのに、自分から敵を作ってどうするんですか。
瞳や黒河と違い、『深い事情があったんだよ』というフォローもなく、ある意味哀れなキャラ。
11:藤堂悠奈
物語全体の主人公格と言っても過言ではないでしょう。
頼れる姉御として、皆を引っ張ってきたその姿は最後まで輝いていました。
それだけに、Dルートのような展開を描くなら、亡くなってしまうのも必然だったのかもしれません。
12:阿刀田初音
酷い条件を引き当てるは、大祐に狙われるわでロクな目に遭わない不幸な子。
プレイヤー14人中、最も僕に似ているキャラでもあります(Not 外見)。
なんだか自分を見ているようで、放っておけません。
初音ちゃんと充くんが幸せになるルートが欲しかったです……。
あと整形した初音のCGがないのは何故ですか!
13:三ツ林司
男性キャラで一番好きですね。
玲とのコンビもいいですし、頭の切れる童顔の少年というのはなかなか好みな役どころでした。
ジョーカー:城咲充
なんで充くんはいつも死んでしまうんだろう。
一つくらい、生き残るルートがあってもいいのに。
初音を必死で守る充くんの姿は、胸を打ちました。
初音と幸せになるルートがあってもいいじゃないですか……。
以上、14人の雑感を書いて、感想を終わりたいと思います。
本当に長い上に読みにくい文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。