*叩いてます。ファンの方は気分を害されると思うので、読まないでください。
読んだ結果、あなたの今日が「怒りの日」になっても、僕は責任を持てませんし、その怒りをぶつけられても困りますので……。















凡作。
とにかく共感できるキャラクターや憧れを抱けるキャラ、
カッコいいと思えるキャラが、敵味方問わずほとんどいませんでした。


★敵キャラクター(聖槍十三騎士団)について


そもそも闘う理由が、徹頭徹尾情けないです。


『大量殺人鬼の親玉を召還するために、街の人間殺しまくるぜ』VS『許さん!』と、そんなレベル。
後者はいいにしても、敵側については単なるイカレポンチであり、こんなものに憧れも共感も抱けないし、
(これは良いとも悪いとも言えるが)敵に対する怒りも特にわかないため、敵を倒す事へのカタルシス、爽快感もありません。


ラスボスからして、『退屈もてあましてるから、おらワクワクしたいお!』ってなもんです。


そりゃー、人間生きていれば退屈もしますよ。
僕自身、学生時代は毎日が未知の連続でしたが、社会人になってからは朝起きた瞬間に、
「今日も仕事。上司に怒られるかもしれない。面倒な仕事が発生するかも」程度のもので、
休日にしたって、『未知なる楽しさ』は少なく(稀にある)、
毎日デジャブっている(←つまんねー生き方してるなとわれながら思う)。 


こんな人生があと50年?60年?70年?も続くかと思うと嫌になる。
けれど、死ぬのもまた怖いのです。だから死なない。死にたくない。退屈したくない。死にたくない。
わかりますよ。
これって、ある程度年齢を重ねた人は、割とみんな感じている事なんじゃないかな?
自分探しとか、生きがい探しとか。仕事に打ち込むとか、夢を追いかけるとか、つまるところそういう事だと思うんです。
その辺りがうまくいかないと、目先のスリルを求めてしまったり、一時の気の迷いだとお酒の力を借りて寝てしまったり、パーーっとはしゃいだり。
このへんのテーマをもっと深く描いてくれれば、ひょっとしたら僕はハイドリヒに共感できたかもしれません。
それは、『厨二バトル』という形をほとんどとらず、人ひとりが壊れていくサイコホラー悲劇という形になるかもしれませんが。


そんなわけでハイドリヒ君の気持ちもわかりますが、そんな理由で人は殺しません。
せっかく沢山お仲間もいるんですから、闘ってばかりいないで色々やればいいのに。


『私は軍人。他に生き方は知らない』とハイドリヒが言っているシーンがありましたが、
『私はサラリーマン。定年退職した今、他に生き方を知らない』ってボヤいてる人たちよりも数倍情けないですよ。
ハイドリヒって確か第二次世界大戦の時はまだ30代だったはずですし、そこから更に60年以上生きてるし、身体もバリバリ動くのにそりゃないだろと。



その他、敵側でいいなと思ったのは螢くらいでしょうか。後のキャラは総じて掘り下げが足りないか、単にぶっ壊れてるだけです。
リザは小市民的で、共感しやすいけど掘り下げ不足。
エレオノーレは、関わりたくない方向にぶっ飛んでいるけど、一本芯が通っているので見せ場が多い。
でもこの人、絶対上司には持ちたくないなw
ベアトリスは優等生的。このゲームをプレイした人で彼女が嫌いな人はほとんどいないんじゃないかと思いますが、
あまり印象にも残らないです。戒とのエピソードや螢との過去バナ、エレオノーレとの邂逅など、盛り上げられる要素はたくさん
あったと思うのに。
トリファは虎の威を借る狐+キ印だけど、存在感はありました。想像を絶するレベルで小物でしたけど……。
ラインハルトの肉体使ってるから防御力最強!って、それお前の力じゃないじゃん……。まぁそんな小物故の悲哀は、わからないでもないです。僕も小物なので……。


他の人間はほぼ全員、単なる戦闘狂・猟奇殺人者なだけで、
彼らの長広舌に対し、まともに取り合うのも馬鹿らしいです。
上にあげたキャラたちは嫌いではないですが、あくまでも嫌いではないレベルであって魅力的とまでは言えません。


★主人公について


味方陣営を見れば、許容範囲ではあるものの、主人公があまり好きではありません。
「女の前で痩せ我慢の一つもできない男は、生きてる価値もないだろう」みたいな文がありまして、
痩せ我慢をカッコいいとは全く思わない僕は、『こいつとは相容れないな』と思いました。
虚勢を張ってカッコつけるよりも、自分の弱みを見せ、それを受け入れてもらう事のほうが、
よほど勇気がいるし、価値のあることだと思うのですが。
「男なら~」みたいな言い回しも多用されているけど、そのマッチョ思考は正直ウザいです。
そんな主人公の在り方を、許してしまう周囲の女性陣も、(僕から見ると)みっともないです。
結局最後まで、蓮は一人で物事を抱えていなくなってしまったわけで、「なんだ、全然成長してないんだな、こいつ」という感想です。


この主人公をもう少し大人びた感じにすると、健速作品によく登場する主人公像になると思うんですが、健速さんは「否定されるもの」として健速主人公の歪さを描いています。
しかし、正田さんは、この在りようを「肯定」しているんですね。こうなるともう、お手上げです。
 

他にも、『お前の大切な人は、1000や2000の見ず知らずの奴の命と引き換えにできるくらい軽い存在なのかよ。お前の行為が、大切な人の価値を下げているんだ』的な台詞があって、
これも、なんなんでしょうか。
言いたいことはわからないでもないんですが、不謹慎な上、論点もずれてる気がします。


本当に大切なものは、値段が1億円だろうと100円だろうと、尊い価値を持つものだと思いますし、
「どうしてもほしかった1億円の品物を、たまたま100円で買えた(←さすがにそんなことはないと思うが)」時、
その品物は価値を失い、安っぽいゴミくずに変わってしまうのか?と聞かれたら、そんなことはないと思うのですが。
どんなに大切なものでも、期間限定で100円で売られていたら僕はそっちを買いますし、
1億円で買った場合と同じくらい、大切にします。 


個人にとっての価値と、市場価値をごちゃまぜにして考えてるあたり、アッタマ悪いなーと思って読んでいたんですが、
そんな主人公へのツッコミが作中にないのにも驚きました。


★主人公の仲間たちについて


序盤、日常で絡む香澄は世話焼き+逆切れ+馬鹿+キンキン声(注:佐本二厘が嫌いなわけではない)がウザいです。
正直こんな女は守りたくないし、関わりたくもありません。


司狼はチートすぎます。最終シナリオの喧嘩は良かったですが。
エリーも少し良かったです。掘り下げ不足だとは思いますし、やっぱりチートですけど。Hシーン欲しかったなぁ。


マリー、玲愛……うーん、無難にかわいいとは思いますが、特に響きませんでした。


そういえばマリーで思い出しましたが、このゲーム、アホ毛率が高すぎます。
アホ毛自体は、別に嫌いではないんですが、香澄とマリーが並んで立っててどっちもアホ毛とか、
ルサルカまでアホ毛とか、ちょっと異様でしたw
アホ毛は一人くらいでいーですよ。


★バトルについて


バトル描写にしても、基本ワンパターンなうえ、『戦闘力53万のフリーザ様(敵)VS戦闘力1200のサイバイマン(仲間)』
という形式が常に踏襲されていますが、なぜかサイバイマンが勝ってしまいます。読み終わった後でも、何で勝てたんだかイマイチわかりません。
何の努力もしていなければ、ほとんど下準備もしておらず、いきなりぶっつけ本番でなぜか勝ってしまう展開が頻出。
そもそも、何で突然強くなって、何で突然バトルの流れが変わったのかも、よくわかってないことが多いですw
(注意深く読めば解ったんでしょうか。僕の読解力不足かもしれません)


特にわけわからないのが司狼とエリーで、どこからか地雷を調達してくるわ(なんか裏社会とコネあるっぽいけど、よくわからん)
目に見えない速度のシュライバーを撃退したり、本当に人間なんですか?と。
司狼はまだ微かにフォローされていた気もするけど、それでも無痛症程度で超人になれるわけがありませんし、
エリーなんてハッキング能力の高いタダの一般人でしょ!
何で超人バトルに参戦できてんのww


敵側で言うなら、ハイドリヒがあんなに強い理由もよくわかりません。
殺した人の数、その魂の密度によって強くなるという仕組みは理解していますが、人間を一番多く殺したシュライバー(18万人とか)やら、職業軍人だったエレオノールなどはともかく、
ハイドリヒって第二次大戦中にメルクリウスと出会ってるわけですよね? 
 
ナチスの歴史について疎いんですが、大戦中、彼はあくまでも政治家であって、強制収容などにかかわったにしろ、自分の手で大量殺人はしていないですよね?
んで、その後60年間城に籠ってたんでしょ? なんで強いんでしたっけ?
うーん、何か見落としているのかもしれませんが。


これを言うと別のゲームになってしまいますが、蓮側ではなく、
ハイドリヒ側の視点でスワスチカを開いていくSLGにでもすれば、まだ面白かった気もします。
どの駒をどこで使いつぶすか、使いつぶさずに生き残らせるか。
最後まで生存したキャラクターと、スワスチカの密度(だっけ?市民の大量虐殺よりも、強い奴を殺した方が場が強くなるとかそういうやつ)
によってエンディングが変わる、みたいな。 


ノベルで、ひたすら頭のおかしい殺人鬼とじゃれ合うのを読まされても、正直困ります。
これをやるなら、『既知感』というハイドリヒの悲哀やら、借り物としてしか存在できないトリファの苦悩、
戒とエリザベス、エレオノールの人生など、もっと深く描くべきものはいくらでもありました。
それでもって、ダラダラと無駄の多いバトルは回数を減らすべきですし、
ハイドリヒの哲学に対抗する主人公の哲学も、もう少し研ぎ澄ます必要があるでしょう。

 
その辺りを深く描けるならば、
譲れない想いのぶつかり合いや、魅力的なキャラクター同士の決戦で、熱くなれたかもしれません。
しかし、キャラクターが薄っぺらいこの作品では、 
頭のイカレた猟奇殺人犯と、ヒーロー気取りのお子様が戯れる喧嘩の様相を呈してしまっています。
これでは熱くなれません。残念です。