【ゼノギアス】




ラハン村で友人のティモシーやアルルたちと平和に暮らしていた記憶喪失の主人公、フェイ。
だが、その平穏はギアが村へと不時着してきたことで終わりを告げる。
フェイはギアに乗り侵入者を撃退しようとするが、ギアは暴走し、結果フェイ自身の手で村を壊滅へと追い込んでしまった。
村を出たフェイは、黒月の森で不思議な少女エリィと出会う。彼女はフェイの失われた記憶に関係があるようだが……?


非常にあらすじの書きにくいゲームではありますが、ざっくりと言うと「前世からの愛」の物語ということになるでしょうか。
様々なSF的ギミック、アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」や「2001年宇宙の旅」、ハリィ・ハリスンの「人間がいっぱい」、スタニスワフ・レムの「ソラリス」(未読)などのオマージュが随所に織り込まれており、
世界観の強度も全RPG中屈指のものがあると思いますが、それだけではありません。
こうしたギミックだけでなく、人の心の機微が非常に巧みに描かれているのが、高橋作品のお気に入りポイントです。
最序盤、相思相愛のアルルが親友のティモシーに嫁いでしまうというあたりから、もう既に切ない気分にさせられ、「いいゲームになりそうだぞ!」と思ったものですが、わずか1時間後にはアルルもティモシーも亡くなっていて、度肝を抜かれました。


次に強く惹きこまれたシーンは、黒月の森のフェイとエリィのやりとりです。


フェイは、自らの罪悪感から逃れようと必死に、罪をなすりつける相手を探します。
「あいつらさえ、来なければ」
そしてエリィもまた、自らの罪悪感から逃れようと、フェイに罪をなすりつけようとします。
「あなた、卑怯よ」


そして、そんな自身の行為を二人ともが恥じている。
にも関わらず、二人は面と向かってお互いを赦しあえない。エリィに至っては、フェイに自らの正体すら告げることができない。


RPGに限らず、子供向け(と思われる)作品では外向的な性格のキャラクターが多いように思います。
解りやすく、健全で、前向きなキャラクターたち。
しかし、「ゼノギアス」の主役たちは違います。


僕個人が内向的な性格であることもあり、彼らの振る舞いは非常に自然で、それでいてとてももどかしく。
そしてそんな彼らが障害を乗り越える姿を、応援していくうちにこの作品にどっぷりのめりこんでいきました。
中でもヒロインのエリィは、当時『女の子キャラクターとして、本当に大好きだった』記憶があります。
ゲームのキャラに対して「感情移入」をしたり、「好き」という感情を抱くことは以前からありましたが、
「女の子キャラクターとして、好きになる」。
こう言ってしまうと、非常に恥ずかしいのですが、恋をする感覚に近いのでしょうか?
そんな気持ちになったのは、ゼノギアスのエリィが初めてだったように思います。


(自分が当時書いていた別作品の二次創作に、エリィっぽいキャラとセラフィータっぽいキャラを出した記憶……
それを友達に見せてたんだよなぁ。思い返すとものすごくはずかしいわ……)



ラスボスのカレルレンの境遇もまた、しみじみと感じるものがありました。
「あなたは自分を粗末にしすぎる。どうして自分をもっと、大事にしないんだ!」

この作品に出会うまで、自分は自己犠牲というものは無条件に尊いものだと考えていた節があります。
多分、そういう作品を多く見てきたのでしょう。
自分が身を挺して仲間を庇う、そういったシーンに格好良さや健気さを感じたものでした。
しかし、そうした行為により悲しむ人がいるということを、カレルレンははっきりと教えてくれました。
恋をした女性の自己犠牲によって、彼は世界に絶望してしまったのです。
カレルレンとソフィアの関係性もまた、非常に印象深い『恋』の形でした。


もう一つ、この作品では『親殺し』のモチーフがあったように記憶しているのですが、何分大昔のプレイ故記憶が曖昧でして。フェイ、エリィ、ビリー、マリアなどなど、確か執拗に語られていた気がするんですが、この辺りはいつか再プレイする日が来れば確認しておきたいと思います(ソフトが手元にないんですけどね…)


世界設定について、細かく言えるほど記憶しているわけではないのですが、一点。
セーブポイントというRPGにおいて必須とも言える機能を、「メモリーキューブ」という形で物語に組み込んできたそのアイディアには本当に驚かされました。
セーブポイントという小道具が、まさか物語に活かされるなんて……。これはSF的なセンスオブワンダーといってもいい、のかな?
(センスオブワンダーという単語について、イマイチよくわかっていない部分があるので、曖昧な書き方になりますが)


音楽についても、全RPGで一、二を争うほどに素晴らしい楽曲の数々を光田さんが提供してくれました。

https://www.youtube.com/watch?v=7DOGgQCf6o8 (海と炎の絆)

https://www.youtube.com/watch?v=By0PF1s2TUU (飛翔&マリアイベント)

https://www.youtube.com/watch?v=N9Qp2gQFCkQ (星の涙、人の想い:オリジナルが見つからず、カバーで)

https://www.youtube.com/watch?v=7uJA1am5w14 (ボス戦:紅蓮の騎士)





https://www.youtube.com/watch?v=Ycf04h2JPOg (ED曲)




そんなゼノギアスの物語やキャラクターの素晴らしさについて、ここまで書いてきましたが、RPGとしてどうかと言いますと、正直そこまで褒められはしません。
序盤の黒月の森は画面が暗すぎて、4時間近く迷った記憶があります。
バトルは(技を覚えるため)同じコマンドをひたすら繰り返すものだったと記憶しています。


まぁしかし、そんなことを言うのも野暮だと思うのです。
このゲームにおけるバトルとは、『物語』と『物語』を繋ぐ、接着剤の役割しか担っていない。
肝心な物語が極上なのですから、それ以外の部分は些末なこと。

逆に言えば、物語などどうでも良いからバトルを楽しみたい、という方には不向きな作品かなとも思います。













【ゼノサーガ(EP1~3)】




人類を襲う正体不明の敵、グノーシス。
女技術者シオンは、グノーシスに抵抗するべく、アンドロイドKOS-MOS(以下コスモス)を開発していた。
グノーシスの襲撃にあうというシオンの危機に、コスモスは目覚める……。


「ゼノサーガ」はEP1~3までありますので3作というべきかもしれませんが……ここでは1作として扱います。
……いいですよね?(ちらっ)
どうしても1つに絞れというなら、完結編となるEP3が一番のお気に入りです。


「ゼノギアス」もそうですが、非常にあらすじの書きにくい作品です。
大雑把かつ、乱暴にまとめてしまうならば、「ギアス」同様「サーガ」もまた『愛の物語』と捉えてはいますが……。


個々のキャラクターのサイドエピソードが、メインストーリーに絡み合うように設計されているのは「ギアス」同様。
EP1ではざっと登場人物の紹介があり、シオンとコスモスのエピソードから始まり、
ジギーとモモ、ジュニア(とアルベド)が中心のエピソードへと推移していきます。
割と万遍なく、各キャラにスポットライトが当たる感じです。
EP2は、再びジュニアとアルベドとモモのエピソードが中心となって反復され、深度を増し、
EP3ではシオンとコスモスのエピソードへと回帰します。


物語全体を通して言うならば、シオンとケビン、そしてアレンの三角関係が物語の主軸であるように思います。
「過ぎ去ってしまった愛」と「今ここにある愛」。
尊敬する先輩であり、恋人でもあったケビンを失った傷は、今もシオンに生々しく残っています。
そんなシオンを側で見守るアレンの愛。そんなアレンの気持ちに、シオンは気づいている。
気づいていてなお、退ける事しかできない。
もう亡くしてしまったケビンを想いつづける事で、自分を想ってくれる人を傷つけている。
そんな自己嫌悪が、シオンを苛んでいます。

https://www.youtube.com/watch?v=Z6vH4URUbzw&list=PL8E79DAD9EF0CC4C8&index=44
(EP1 4;10~5:55    ケビンの墓で泣くシオンと、それを見守るアレン 
7:01~7:40 アレンを思い浮かべるシオン)

アレン「主任の代わりに泣いてあげたい。いつか、そうなりたい」。

EP1の段階で既に、アレンにはこんなセリフがあります。
それに対するケイオスの

「優しさは時として人を縛ります」

も、EP3までプレイして振り返ると、感慨深い台詞ですね。
これはアレンではなく、シオンに対する言葉でしょうか。

人間の『愛』には負の側面があります。
「ギアス」にてカレルレンを狂わせたのは、ソフィアへの「愛」であり、ソフィアの「優しさ」でした。
「サーガ」にて、シオンに道を誤らせたのは、ケビンへの「愛」。そして「優しさ」でした。
そして、アルベドが行う数々の行為も根源にあるのは「愛」という感情です。
このような「愛」の負の側面をしっかり描いた上で、その美しさを描こうとする作品はRPGに限ればあまりなく(単に僕が知らないだけかもしれませんが)、そういった意味でも高く評価したい作品群です。



https://www.youtube.com/watch?v=upFB9OYTFyk&index=57&list=PL8E79DAD9EF0CC4C8
(EP1のエンディング 1:13~「Kokoro」)


EP1のエンディングで流れる「Kokoro」の歌詞には、ケビンに対するシオンの気持ちがあらわれています。


http://page.freett.com/xenosaga/tps2_mint1.htm (和訳)




EP1とEP3の間に挟まる形のEP2もまた、「過ぎ去ってしまった愛」と「今ここにある愛」のテーマ。
ここではキャストを代えて、ジュニア、アルベド、モモ、サクラの4人がメインとなります。
ジュニアから見て、サクラは「過ぎ去ってしまった愛」。そしてモモが「今ここにある愛」の象徴であり、
そこにアルベドの「ジュニアへの愛」と「自己愛」が絡んでくるという流れです。


……しかし、個人的にEP2は少々辛かったです。
というのは……カプ厨みたいなことを言って申し訳ないのですが、僕はモモに萌えている一方で
ジュニアがあまり好きじゃありませんで。
EP1でジギー×モモのカップル(というかペア)が良いなぁと思っていたのですが、EP2ではジギーの出番がほとんどなく、ジュニア×モモの話ばかりで……なんでやねん、俺のモモがジュニアなんかと……くっそ、くっそという気分を味わったのであります。
こういう感覚は、小説では経験があるんですがゲームでは後にも先にもこのゼノサーガでしか味わったことがないですね。
加えて、アルベドとジュニアの物語はEP1でも触れていたので(確かに掘り下げが進んでいるとはいえ)「またか」という気持ちもありました。


「ロリコン」&「レイプ魔」&「ホモ」。
まるでゴキブリが空を飛ぶかのようなEP2の最期の姿に象徴されるかのような「小物」であるアルベドを、
EP1のみならずEP2のラスボスにまで抜擢したのは正直どうかと……
は思いましたが、世間で言われているほどクソゲーではないので、「EP2が怖い」という人は安心していいと思います。
アルベドの「歪んだ愛情」描写は確かに見所があると思うのですが、それだけで1本作ったのはちょっと厳しかったかなぁ。


EP3の終盤において、ついにアレンの想いがシオンへと届くシーンがあります。
これが「ゼノサーガ」全体のハイライトと言っていいでしょう。

https://www.youtube.com/watch?v=TFzpc662dYQ
https://www.youtube.com/watch?v=yCC3kZcZFIs

(2つ合わせて10分近くの動画ですが、できれば是非全部を。
とても付き合いきれない方は2つ目の動画だけでも構いません)


ケビンの「愛」は、「自己愛」がほとんどといっていいでしょう。
彼は「自分の気持ち・理想」を押しつける相手として、シオンを「愛」しています。
そんな彼にはシオンの気持ちは解りませんし、解ろうという姿勢もありません。

シオン「私は貴方(ケビン)と一緒にいられればそれで良かった。
たとえ利用されていようと、騙されていようと。貴方の側にいられるなら、それでもいいと思った」

そしてシオンもその事に気づいている。
気づいていながら、ケビンへの想いを捨てきれずにいる。
それは、ケビンが圧倒的にイケメンであり、
自信に溢れる天才でもあるということで、性的なエネルギーが強いからでしょう。
シオン自身も「理性」では解っているのでしょうが、彼女の「感情」を支配するだけの性エネルギーをケビンは持っているのです。
そういう、理性では制御しきれないほどに強い「感情エネルギー」を、「恋」と呼ぶのだと僕は思います。


そんなシオンの心を解かしたのは、ひたむきなアレンの言葉でした。
2つ目のムービーの1;26~の流れにご注目ください。

アレン「僕には解る。主任の悲しみ、苦しみ。今まで一人で、それでも必死に頑張って来た主任の気持ちが」


俯いていたシオンが徐々に顔を上げ、目を見開く彼女の姿がムービーで表現されています。
この言葉、アレンの『共感力』にシオンの心が大きく動かされた瞬間です。


「主任がどれだけ傷ついたのか解らないんだろ。どんなに苦しんだのか、貴方には解らないんだ」

ケビンに最も欠けていて、アレンが最も優れていたのが、この「共感力」でした。
ひたすら一方的に自らのエゴを押しつけるケビンとは違い、アレンには他人の心に寄り添おうとする優しさがあります。


「僕は主任の代わりに泣きたいと思った。主任の傷みを感じたいと思った。僕は……主任と一緒に生きていきたいと思った」


EP1での「主任の代わりに泣いてあげたい。いつか、そうなりたい」。
が、とうとうシオン本人に告げられたのですね。
そんなシオンの返答は、「ケビン」を棄てて、「皆」と一緒になること。

シオン「もう一人になるのはイヤなの」

ここで『一人』と表現されていることが、シオンの気持ちを表していると言えそうです。
『二人(ケビンとシオン)』ではなく、『一人』。
これは推測ですが、ケビンに『共感力』があれば、シオンは『皆』を棄てて『ケビンとの愛』をとったかもしれません。
しかし、ケビンは『幸せを共有』できるような男性ではなかった。
そのことが、シオンの選択に繋がったのだと思います。




さて、個人的に最も好きなシーンはバージルとフェブロニアのエピソードでした。
全部を見ると20分ほどになるのですが、良かったら全部を。
付き合いきれなければ最初の2つは飛ばしていいです。



https://www.youtube.com/watch?v=qUk-0Poo5ds (~4:45)

https://www.youtube.com/watch?v=m_4bC3aimT0 (~2:07)

https://www.youtube.com/watch?v=2lWzIoDkfn0 (フェブロニアの死)

https://www.youtube.com/watch?v=zLi0PiK5f3s (フェブロニアとの再会)


EP1にて、バージルは「レアリエン(生殖機能を持つアンドロイド)差別主義者のいけ好かない男」として登場します。
そんな彼がレアリエンへの差別思想を持ったのは、過去のミルチアで起こったフェブロニアの死によるものでした。

バージル「うるせぇんだよ! 俺がいつまでもてめぇのことを気にかけていると思ったのか?
貴様らレアリエンなんぞに未練はない!」
「俺は何一つ後悔しちゃいない」

4つ目のムービーでは、偽悪的な振る舞いで内心を隠すバージルの気持ちを、
フェブロニアが少しずつ解いていく過程が実に鮮やかに描写されています。
初めはフェブロニアへ攻撃的な言葉を吐いていた彼でしたがフェブの言葉に触れるうち、彼女への気持ちを隠しきることが難しくなり、徐々に追い詰められていきます。

バージル「俺を遺して死んじまった女が今さら何を……!」
「もう俺に関わるな……お前はすでに死んだ女だ……」

そんなバージルの心を慈しむように、フェブロニアが彼を抱きしめると、ついにバージルは本音を語り始めます。

バージル「俺はお前を救えなかったんだぞ……」
フェブロニア「いいえ、私は貴方に救ってもらったわ。
想いを交わすことで、世界の色は変わるんだって教えてもらった。それだけで十分よ」
バージル「お前は俺を恨んではいないのか……? 俺に関わらなければ、こんなことにはならなかった。お前だって……」


攻撃的な態度をとったのは、レアリエンを、フェブロニアを憎んでいたわけではなく。
彼女を救えなかった自分が許せなかったから。
首を振るフェブロニアに、バージルの口をついて出たのは決定的な一言でした。

「そうだ、俺の望みは――フェブ――」


浄化の光に包まれフェブロニアの亡骸を抱えながら、彼女と共に消えていくバージルの姿。
この一連のエピソードは、何度見ても涙を流してしまいます。



以下、感想で拾いきれなかったシーンについてざっと。


EP1

https://www.youtube.com/watch?v=aWf-nXQbV6A&list=PL8E79DAD9EF0CC4C8&index=31
(EP1 2:32~5:23
アンドリュー中佐の最期)

EP1、中盤まで物語を引っ張ってくれる印象深いキャラクター、アンドリュー中佐。
その虚無的な最期は、しみじみとさせられます。

「ここはいい。ここには俺だけが存在している。他はない。怒りも、悲しみも、喜びも、未来もない。
ただ、自分があるだけだ。その自分もやがては溶けていく。心地良い感じだ。
俺はこの感じを求めていたんだ」

バージルの最期と比較すると、その様が際立ちますね……。

https://www.youtube.com/watch?v=FBU0Z3Qzn98&list=PL8E79DAD9EF0CC4C8&index=43
(EP1 3:11~5:47 
グリーンスリーブス。大樹の周りの追いかけっこ)

印象的なシーンの一つです。
人の記憶と、それに縛られ『ループしたまま』、一歩を踏み出せなくなってしまう精神状態が描かれているように思います。
美しさとおぞましさの反転が、とても気に入っています。



RPGにおける感情表現、人の心の描写で、『ゼノ(ギアス&サーガ)』を超える作品は触れたことがありません。
このような作品がもっと増えるといいのになぁ、といつも思います。


あ、ちなみにバトルは可も不可もないです(小並感)