著者はウィリアム・アイリッシュ。評価はA-。


一旗揚げようとニューヨークの『都会』に出てきた青年クィンと、ダンサーのブリッキー。
『都会』とそこで暮らす人々への不信を募らせるブリッキーだったが、クィンが同郷の出身だと解り、
故郷話を境に意気投合。
しかし、『隣の男の子』であるクィンは、なんと重大な危機に陥っていた。
窃盗の、そして殺人の罪で今にも警察に追われようとしていたのだ。
二人が出会ったのは時刻、午前1時。午前6時の故郷へのバスまでに、事件を解決する事はできるのだろうか?


主に『論理』が重視される(と思われる)ミステリの世界で、『感覚』を重視する作家アイリッシュは、都会を舞台に叙情的で寂しく甘くそして幸福な、おとぎ話のような世界を作り出している。
本作では、長所短所含め、そんなアイリッシュの味が特に顕著に出ている作品だと思う。


女優になりたいという夢を持ち、ニューヨークに出てきたブリッキー。
しかし実際には、場末の酒場のダンサー止まり。
女優の夢どころか、日々の仕事にも疲れ、こんなはずじゃなかったと故郷を懐かしむ毎日だが、
家族を喜ばせようと、「私、今、かなりイイ線行きそうだから!」などと見栄を張ってしまい、
故郷にも帰れない。
そんなブリッキーだけに『都会への憎悪』も人一倍である。
労働時間の終わりを告げる時計、パラマウント通りの大時計だけを『友達』と感じている。
今日もしんどく辛い仕事を終えて、いつものように帰宅したブリッキーに運命の出会いが訪れる。
酒場での仕事の終了間際、やってきた客のクィンがそれだ。
初めは人間への不信からツンツンした対応をしていたブリッキーだが、お互いが『同郷』、それも徒歩数分の距離に家がある事が解ると意気投合。
もしもずっと故郷にいれば、クィンとは「お隣の男の子」としてきっと親友になれていただろう。
出会って1時間にも満たないが、故郷への思い出を橋渡しに、強い絆で結ばれた二人は、クィンの危機を救うべく動き出す。
故郷へのバスは6時。今日を逃したらきっと、もう二度と故郷へ帰る気力を失くしてしまうだろう。
同郷のクィンと出逢えた今夜がラストチャンス。二人でなら、きっと帰れる。


というのが筋立てだ。
アイリッシュの作品が『感覚』を重視していることは、こうしてあらすじを書き出してみれば一目瞭然である。
人間の気持ちというのは得てして『思い込み』もあるわけで、なんらおかしなことではないのだが、

「都会でうまくいかないから、都会は敵」、「大時計だけが友だち」、
「故郷の隣の家の男の子は絶対いい奴だから、人殺しなんてするわけがない」、
「今日のバスを逃したら、絶対に故郷に帰れない」


本作を強く支配するこれらのルールは全てブリッキーの『感覚・思い込み』であって、
『論理的な思考体系』ではないのである。

これらのルールをなんとなく納得させてしまうのがアイリッシュの筆力であり、心理描写であって、
実際、故郷の小さな町の思い出話を語り合う二人の姿は読んでいて口元に笑みが浮かんでしまうほど楽しそうで、確かにこんな会話ができたら、「こいつは殺人なんて絶対にしない奴だ」と思ってしまうかもしれない。
出会って1時間も経たない相手なのだけど。
まぁそんなわけで、アイリッシュの(あるいはブリッキーの)設定したこれらの約束事に納得できることが、
本作を楽しむための最低条件だろう。


「いやいや、明日のバスでも帰れるだろww」とか
「いやいや、隣の家の男の子って言ってもお前ら今日会ったばかりじゃんww」などの『常識的で冷静でツマラナイ』思考回路から抜けきる事が出来ないと、本作は無理のある設定を推し進めた駄作になってしまうだろう。
これらは、たとえば夜中の2時~6時の物語なのに、みんな起きてるのかよw
(あるいは、寝ててもわざわざ起きてガチャ切りもせずきちんと対応してくれる)(家にも入れてくれる)みたいな部分も含め、色々と『ファンタジー』な物語である。
実際、僕はかなり楽しめた方だとは思うが、まぁ無理のある設定だとは正直思う。
しかし、ガチガチのミステリとして考えるのではなく、『おとぎ話・ファンタジー』として読むならば、
やはりアイリッシュの描く作品世界は、僕は好きだ。


田舎から上京し、孤独に頑張っている人は現代でも多くいるだろう。
そしてなかなか思うようにいかず、苦しみながら、故郷に帰れない人もいるだろう。
今日も退屈な1日を終え、さぁもう寝るだけといった夜中の1時に、運命の出会いが待っていて、
大冒険の末、朝の6時には、新しく出逢った大切なパートナーと故郷に帰る。
なんて幸せで、素敵な物語なのだろうと思う。
そんな夢のある、この作品が僕は好きだ。


ミステリ部についてはほぼ触れずにここまで書いてきたが、一点、
物語終盤のクィンとホームズのくだりは、もう少し巧く描いてほしかったなと思う。
2時から6時という凝縮した時間に全てが展開するドラマとして、一瞬一瞬のシーンを濃密に描く事で緊張感を持続させているのだが、クィンとホームズのくだりでは不自然に時間が飛んでしまうのだ。

簡単に言えば「クィン、大ピンチ!」→「奇跡的に助かったクィンは……」→「実はね、あの時こういうことが起こったんだ」みたいな展開になっている。
確かにクィンのこのシーンを時間軸順に描くと、少しダレてしまうのはわかる。
解るのだが……ここまで時間軸を常に連続させて緊密な一夜を描いてきただけに、
この『すっ飛ばし』で僕の緊張感は相当程度失われてしまった。
じゃあダレてもいいから時間軸順に描けば良かったのかと聞かれると、それも微妙な気はするが……
無理にピンチを描いた後の処理に、苦慮した様子がうかがえる。


まぁ、なんだ。
アイリッシュにがちがちのミステリを求めてはいけない。
都会で暮らす孤独な男女に、勇気を与えてくれる素敵なおとぎ話。
それに犯罪要素が味つけをしている、そういうものが好きな人にはお勧めの作家だと思う。