著者は武田百合子。満足度はA。


人の人生というものは、それだけで一つの物語なのだ、という事を改めて教えてくれる作品。

著者の武田百合子は、小説家武田泰淳の妻。
二人が富士に別荘を構えた昭和39年7月(1964年)から、
泰淳が亡くなる2週間前の 昭和51年9月(1976年)までの12年間の日々の記録である。

本書は、誰かに見せるつもりで書かれた日記ではなく、ありのままの日々が書かれた記録である。
なので、「○○で買い物。××20円、△40円」みたいな記述も随所にあるし、毎日の献立もきちんと書いてある。
等身大の日々をそのままうつしとった作品で、退屈に感じる人もいるかもしれない。

しかし、一度この世界に入ってしまえば、そうした記述でさえも
「この頃の物価はこんぐらいだったのか」などの歴史的興味だけではなく、まるで百合子さんと一緒に買い物をし、
武田家の食卓に呼ばれたような臨場感を味わう事が出来る。
(ちなみに、武田家はハンバーグが多い。あとコンビーフも多い。基本は和食中心で、洋食はほぼない。中華はたまにある)


ただの日記を、面白い小説作品のように読ませてしまうのは、百合子さんの実力としか言いようがない。
まず、キャラクターが実に良い。
百合子さん自身は、男勝りで気が強く、少々抜けているところのある元気な女性というイメージ。
夫の泰淳さんは、気分屋で、面倒くさがりだが、意外とかわいらしい面があり、
親友キャラ的ポジションの大岡昇平や、その奥さん、近所のおじいさんおばあさん夫婦、
飼い犬のポコや飼い猫のタマ、外川さんなど、一人ひとりのキャラクターが実に立っていて、
非常にイメージしやすいのだ。
大岡昇平との仲の良さは、本当に羨ましくなるほどで、自分にもこんな友達がいたらなぁと思わされる。


また、エピソードを選び取る百合子さんの選球眼が良い。

飼い犬のポコのおバカさ加減、早く帰りたがって「そろそろ…」と何度も言う岩波さんを敢えてスルーする一同、
モグラを捕まえてきた飼い猫タマに対して「タマはえらいねぇ。強いねぇ……百合子も褒めてやらなきゃいかんぞ」などと言っておきながら後日、蛇を捕まえてきたタマを見ると褒めるどころかビビって部屋に引きこもってしまう泰淳さんなど、どれもこれも他愛のない話だがクスリとさせられるものばかりだ。

残したカレーを「あげる」と泰淳さんが言うから食べてみれば肉が残っていない、だとか
あまりに大岡さんの奥さんが美しいので、感動のあまり体操をしたとか、
なんだかこう、本当に楽しい日記なのである。


そんな楽しい日記にも終わりが来る。昭和46年(1971年)あたりから泰淳さんの体調が次第に悪くなっていくのだ。
泰淳さんが調子を落とすにつれ、ふさぎ込んでいく百合子夫人だが、泰淳さんの前では元気よく振る舞うその姿にはしんみりとしてしまう。
言葉にすると陳腐だが、何でもない日常が続く1964~71年あたりの武田家の生活は、かけがえのない幸せなもので。
泰淳さんが入院してしまうところで終わってしまうこの日記を通読した後は、また幸せだった頃の記述を読み直したくなってしまう。


もちろん、何で医者行かずに酒飲んじゃ煙草吸ってるねん! もっと早く病院行けよ…アホか!と思わなくはないし、百合子さんや泰淳さんも純度100%の天使のような人間ではないから、時には「ちょっとその対応は性格悪いぞw」と思うような描写もないわけではない。
現実に武田家の近くにいたら、ひょっとすると百合子さんは僕が苦手なタイプかなと思ったりもする。


しかし全体を通してみれば、やはり百合子さん始め、泰淳さん、大岡さん夫妻、犬のポコなどが愛おしく感じられ、武田家と共に楽しい日々を過ごした気分に浸れるだろう。


武田泰淳の作品は「ひかりごけ」を読んだ。「富士」は…どうだったかな。他は読んでいない。
大岡昇平の作品は「野火」は読んだ。「俘虜記」も多分読んだけど自信がなく、他は読んでいない。
(スタンダール著、大岡訳の「パルムの僧院」は読んでいる)。

武田百合子の作品は今回が初めてだ。


と、このように、僕自身としてはこの作品を読むまでそれほど知らなかった人々だが、
武田泰淳や大岡昇平の作品のファンなら、更に楽しめる事だろう。
知らなくてももちろん、面白い。


この作品を読んで、武田家や大岡家の日常をもっとよく知りたくなった私は、
「犬が星見た ロシア旅行」(武田百合子)や
「めまいのする散歩」(武田泰淳)、
 「成城だより」(大岡昇平)などもチェックしてしまうのだった。