前置き(クイーンについて)
去年の11月あたりから個人的ミステリブームが続いている。
そんな中でエラリー・クイーンも10作ほど読んだ。
エラリー・クイーンは、初期作と後期作では大きく作風が変わる。
国の名前が冠された初期「国名シリーズ」は、謎解きがすべての作風で個人的には好みに合わない
(『エジプト』、『ギリシャ』、『オランダ』と『途中の家(国じゃないけど作風的にはここ)』の4作を既読)。
また、「悲劇三部作」は、探偵ドルリー・レーンのいかにも勿体ぶった態度が鼻につき、読んでいてストレスがたまった
(犯人が解っているのに皆に発表せず、結果、死人が増えたりするのが辛い。殺人幇助に近い気さえする)。
一方『災厄の町』から始まるライツヴィルシリーズは、人間心理を描いたより現代的な作品群で
特にシリアルキラーの描写に戦慄が走る『九尾の猫』には、非常に好印象を受けた。
ここまで読んだクイーンのベストは、1位「九尾の猫」、2位「災厄の町」、3位「Yの悲劇」だ。
他「十日間の不思議」という作品も面白かったが、それ以外は今のところハズレとなっている。
今回は3位に選んだ「Yの悲劇」が私の生活にもたらした、甚大な影響について語りたい。
本題
某日。
私は『Yの悲劇』を読みながら、4km先のラーメン屋へと散歩がてら歩いていた。
この作品は最初の250ページくらいまでは割と退屈である。
しかし、老婆の遺言状が発表されたあたりから、俄然目が離せなくなるのだ。
以下が、犯人の手掛かりである。
『座っている盲目の女性(140cm)が前に出した手に、犯人の顔が触れた』
『犯人はつま先立ちで走ったようだ』
簡単に言えば、犯人の身長はえらく低かったという事である。
しかし、ここで異論が持ち上がる。
『腰をかがめていた可能性がある』という声があがるのだ。
もし腰をかがめていたのなら、犯人の身長が低いとは断定できない。
しかし、我らが名探偵ドルリー・レーンはこの説を否定する。
『腰をかがめながら、つま先立ちで走ることはできない』というのだ。
走るという事は、急いでいるという事だろう。犯行現場から去りたい犯人の心情を考えれば当然である。
そして、つま先立ちで走る事は当然可能だ。子供の頃、僕はそういう走り方をしていた。
腰をかがめながら走ることも一応可能だ。すごく格好悪いし、あまり早く走れないが、可能は可能だ。
問題は『腰をかがめながら、つま先立ちで走る』事ができるかどうかだ。
ドルリー・レーンは、何と言っていたであろうか。
手許に本がないのが残念だが、確か『急いでいる人間は普通そんな事はしない』と言っただろうか?
いや、確か一言で『不可能だ』といったような気がする。
間違っても『怪我をするから不可能だ』とは言っていない。
『危ないから真似をしないでくれ』とも書いていない。
私は、純粋な知的好奇心から『本当だろうか?』と疑問に思った。
確かに腰をかがめながら、つま先立ちで走った経験はない。
そんな姿勢で走る機会というのは、まず存在しないのだ。
しかし、だ。
犯人が、『低身長の人間に罪を着せるため、わざとそうした』可能性だってあるではないか。
不自然な走り方ではある。しかし、本当に不可能なのか?
私は試してみることにした。
走れた。普通に走る速度の半分程度の速さだが、歩くよりは速い。
しかしである。数歩走った後、立ち止まった瞬間に、右ひざに妙な違和感を覚えたのだ。
そしてその違和感は消えることなく、数週間後、私は病院へと向かった。
診断結果は靱帯損傷。全治1カ月である。
私「不自然な姿勢で、膝に負担をかけてしまって……」
医者「重いものをお持ちになったんですか?」
私「いえ、そういうわけではないんですが……」
医者「どういった姿勢だったんでしょうか?」
私「……お恥ずかしい話なんですが……」
そうして私は全てを語った。
紳士的な医者は微笑みを絶やさず、
「成長期なら自然治癒する事もありますけど、feeさんはもう大人なんだから……」とだけ言った。
私もまた、微笑みを浮かべながら「本当にそうですね」と言った。
もう大人なんだから……。
少年の心を忘れずに、知的好奇心に誘われて実験した代償は高くついた。
しかし、である。
これは全て私の責任ではあるが、願わくば『怪我をする可能性がありますので、読者は真似をしないでください』の一文が欲しかった。
その一文があれば、不要な怪我をせずに済んだのに……。
次に、不可解なトリックを見つけた時は、好奇心を抑えて大人らしく振る舞えるだろうか?
あまり自信のない、私なのであった。


