評価はA+。これがデビュー作とは、ロバート・ゴダード恐るべし……。
ミステリのオールタイムベストに入っている作品だが、個人的には大河ロマン小説として読んだ。
☆上巻――物語の概観と、信頼できない騙り手
物語は『過去編』と『現代編』に分けられる。
現代編の主人公であるマーチンが、過去編の主人公ストラフォードの手記を読み込んでいくという
スタイルで、2人の視点から物語が構成されていく。
時のアスキス内閣で、ロイド・ジョージ、チャーチルらと並び将来を嘱望されていた政治家ストラフォードは、身に覚えのない罪により閣僚の地位を追われ、美しく気高い恋人エリザベスともひき裂かれてしまう。
サフラジェット(イギリスの婦人参政権運動の運動員で、かなりの過激派だったらしい)のエリザベスと、政治家のストラフォードが、お互いの立場を乗り越えて愛し合っていく描写が心温まるだけに、
その後、誤解からエリザベスに軽蔑されてしまうストラフォードの苦痛は、誇張ではなく、読んでいて身を切られるように辛かった。
その、身に覚えのない罪とは、『重婚』の罪。
なんと、ストラフォードは過去に別の女性と結婚していたというのだ。
ストラフォードの手記には何一つ、その事は書かれていない。ストラフォードは、その事実を隠したまま書いていたのだろうか? というところで上巻が終わる。
歴史に造詣の深い著者らしく、1910年代のイギリス社会の描写も面白く、当時の風俗、社会情勢などの世界観も堅固で、ドラマを盛り上げている。
並行して、現代編の主人公マーチンもまた、妻との離婚原因を読者に隠している。
それは教師時代、教え子(17歳)に誘惑され(マーチン談)手を出してしまい、レイプされた!と騒ぎになったとの事だった。
(ちなみに日本では18歳未満との淫行は厳しく罰せられるが、イギリスでは17歳ならば責任能力は認められる、との事。ただ、不倫である事に変わりはないし、さすがに教師と教え子という関係はマズかった模様。その上、婦女暴行疑惑までかけられた)
語り手(ストラフォード、マーチン。あるいは他の人物)は、本当に信頼できるのか?
という古くからある、『語り手ならぬ騙り手』の様相を見せる上巻だが、冷静に考えるまでもなく
「嘘はついていないが、わざわざ言いたくない事」というのは恐らく誰にでもあるだろう。
『小説だから』語り手が全てを語ってくれる、というのは単に読者の『期待』にすぎない。
ブログやSNSなど、自分の文章を他人に見せる機会の多い現代人なら、身に覚えのある方もいるのではないだろうか。
マーチンの婦女暴行疑惑も、何とも言えないところだ。
やってもいない『痴漢冤罪』で男性が酷い目に遭う事もある。
合意の上でのHだったはずなのに、後からレイプだ!と騒ぎ立てられれば、男性側は無視もできまい。
一方で、レイプされたにも関わらず『男を誘うような服装だった』などと言いがかりをつけられ、
泣き寝入りをする羽目になる女性もいる。
権力でもみ消されるレイプもきっと数多くある事だろう。
真実はなんなのか。これらの事件は、当人同士にしかほぼ解らない事なのだ。
そしてそれらの『真実らしきもの』を、第三者であるマスコミが流したり、
『加害者とされている人』や『被害者とされている人』が、自分の知人や周囲にまき散らしたりして、
周囲がそれを信じたり、信じなかったりする。
仮にそれが真っ赤な嘘だったとしても、既成事実として定着してしまう事もあり、多くの被害をもたらすことにもなる。
現実世界でのこの手の事件に比べれば、小説世界での事件はある程度、透明性を持ってはいる。
恐らくこの小説に描かれたマーチンの人格を考えれば、
「女学生に誘惑されて、ついフラフラと手を出してしまった」というのが真相で、
「不倫をしたのは事実」だが、「レイプではなく、女学生にハメられた」と見るのが妥当だとは思う。
しかしこれもまた、物語が『三人称ではなく』、マーチンの『一人称』で進んでいく以上、
本当のところはわからないのである。
物語を描く上で『一人称』と『三人称』があるが、この作品は『一人称』を非常に巧く使っている。
☆下巻
さて、『語り手は本当に信頼できるのか?』という衝撃の事実が明かされた上巻だが、この謎はあまり引っ張られることはない。
少なくとも過去編の主人公ストラフォードは、真に立派な男だったようで、重婚が事実無根の冤罪であることはすぐに明らかになる。
ストラフォードの旧友、クーシュマン。
気さくな山師のような男だったが、なんと勝手にストラフォードの名前を騙り、南アフリカで結婚してしまったのである。
それも、『結婚しないとHさせてくれない』けど『Hしたいんだ!』という、なんとも言えない理由であり、結婚してHしたらすぐ女を捨ててしまった。
その上、『ストラフォードが南アフリカで結婚していた』事実を、金と引き換えに流したのだ。
そのため、ストラフォードは職も失い、エリザベスにも捨てられることになるが、その後ちゃっかり
エリザベスの夫の座を射止めているあたり、クーシュマンの『クズっぷり』はすさまじい。
それでいて、本人に悪気がなさそうなのが何ともいえないところだ。
やっている事はとんでもないクズなのだが、陰湿にストラフォードを陥れているというよりは、
「ちょっとHがしたかったんで!」「金に困ってて……」「エリザベス美人すぎぃ! もらったぁ!!」という感じで、どうにもこうにも反応に困ってしまう。
ストラフォードはその後も、エリザベスの誤解を解こうとするが聞き入れてもらえず、
それどころかクーシュマン(とエリザベス)の子供、ヘンリーなどに嫌がらせを受けるなど散々な上、
ついには謎の人物に殺されてしまう。
さて、現代編のマーチンの出番である。
マーチンはさっそく、三角関係唯一の生き残りであるエリザベスと接触し、首尾よく親交を深めるようになる。
実はマーチンの元妻はエリザベスの孫娘にあたる(つまり、マーチンは一時期クーシュマンの一族に入っていた)のだが、元妻のヘレンはどうでもいい役でしかないので説明は省く。
そこからは、大河ロマンスというよりはミステリ調というか、活劇調だ。
ストラフォードの手記を巡って殺人事件が発生したり、あれこれとアクションが続く。
ここの部分も十分面白いのだが、やはり僕としては『過去編』の、ストラフォード、エリザベス、クーシュマンの3人に比べるとインパクトが弱い。
実際、現代編でも特に印象に残るのは、マーチンを誑かす謎の美女(悪女)イヴではなく、
老婆となった御年88歳のエリザベスである。
なお、クーシュマンの血を引く登場人物は都合4人出てくるが、揃いも揃ってクーシュマン級~クーシュマン以上のクズキャラなのが泣けるところだ。
ヘタレなマーチン君は、女学生に誑かされて酷い目に遭った(マーチン談)にも関わらず、またイヴという悪女に誑かされてしまう。懲りない男である。
その後なんのかんのとあって、大団円。
マーチン君の人生は『モンテクリスト伯』ばりに、刑務所に放り込まれもするが、最終的には大金持ちになる。
そしてラスト。『改心した』と言い張るイヴから、またしてもマーチン君が誘惑を受けるところで終わる。
マーチン君が『成長した』なら当然、イヴの誘惑を突っぱねるべきだと思う。
一方で、『本当にイヴが改心した』という可能性を信じて、突っ走っていくというのも、それはそれでアリかもしれない。
本当に本当に懲りない男、になってしまうが、一方で『お人好しでつい人を信じてしまう』マーチン君の良さも解るし、万が一イヴが本当に改心した可能性もあるにはあるからだ。
まぁ、個人的にはやめといた方が良いとは思うがw
そんなわけで、あまりにもストラフォードに感情移入し、エリザベスに魅了されてしまったため、
読んでいて辛いシーンも多かったが、それは本書の物語・登場人物が魅力的だったことの裏返しでもある。
恋人時代、トマス・ハーディの詩を共通の話題としていたエリザベスとストラフォード。
ストラフォードの死の間際、40年ぶりの再会で穏やかに語り合う2人のシーンが切なく、忘れられない。
ミステリのオールタイムベストに入っている作品だが、個人的には大河ロマン小説として読んだ。
☆上巻――物語の概観と、信頼できない騙り手
物語は『過去編』と『現代編』に分けられる。
現代編の主人公であるマーチンが、過去編の主人公ストラフォードの手記を読み込んでいくという
スタイルで、2人の視点から物語が構成されていく。
時のアスキス内閣で、ロイド・ジョージ、チャーチルらと並び将来を嘱望されていた政治家ストラフォードは、身に覚えのない罪により閣僚の地位を追われ、美しく気高い恋人エリザベスともひき裂かれてしまう。
サフラジェット(イギリスの婦人参政権運動の運動員で、かなりの過激派だったらしい)のエリザベスと、政治家のストラフォードが、お互いの立場を乗り越えて愛し合っていく描写が心温まるだけに、
その後、誤解からエリザベスに軽蔑されてしまうストラフォードの苦痛は、誇張ではなく、読んでいて身を切られるように辛かった。
その、身に覚えのない罪とは、『重婚』の罪。
なんと、ストラフォードは過去に別の女性と結婚していたというのだ。
ストラフォードの手記には何一つ、その事は書かれていない。ストラフォードは、その事実を隠したまま書いていたのだろうか? というところで上巻が終わる。
歴史に造詣の深い著者らしく、1910年代のイギリス社会の描写も面白く、当時の風俗、社会情勢などの世界観も堅固で、ドラマを盛り上げている。
並行して、現代編の主人公マーチンもまた、妻との離婚原因を読者に隠している。
それは教師時代、教え子(17歳)に誘惑され(マーチン談)手を出してしまい、レイプされた!と騒ぎになったとの事だった。
(ちなみに日本では18歳未満との淫行は厳しく罰せられるが、イギリスでは17歳ならば責任能力は認められる、との事。ただ、不倫である事に変わりはないし、さすがに教師と教え子という関係はマズかった模様。その上、婦女暴行疑惑までかけられた)
語り手(ストラフォード、マーチン。あるいは他の人物)は、本当に信頼できるのか?
という古くからある、『語り手ならぬ騙り手』の様相を見せる上巻だが、冷静に考えるまでもなく
「嘘はついていないが、わざわざ言いたくない事」というのは恐らく誰にでもあるだろう。
『小説だから』語り手が全てを語ってくれる、というのは単に読者の『期待』にすぎない。
ブログやSNSなど、自分の文章を他人に見せる機会の多い現代人なら、身に覚えのある方もいるのではないだろうか。
マーチンの婦女暴行疑惑も、何とも言えないところだ。
やってもいない『痴漢冤罪』で男性が酷い目に遭う事もある。
合意の上でのHだったはずなのに、後からレイプだ!と騒ぎ立てられれば、男性側は無視もできまい。
一方で、レイプされたにも関わらず『男を誘うような服装だった』などと言いがかりをつけられ、
泣き寝入りをする羽目になる女性もいる。
権力でもみ消されるレイプもきっと数多くある事だろう。
真実はなんなのか。これらの事件は、当人同士にしかほぼ解らない事なのだ。
そしてそれらの『真実らしきもの』を、第三者であるマスコミが流したり、
『加害者とされている人』や『被害者とされている人』が、自分の知人や周囲にまき散らしたりして、
周囲がそれを信じたり、信じなかったりする。
仮にそれが真っ赤な嘘だったとしても、既成事実として定着してしまう事もあり、多くの被害をもたらすことにもなる。
現実世界でのこの手の事件に比べれば、小説世界での事件はある程度、透明性を持ってはいる。
恐らくこの小説に描かれたマーチンの人格を考えれば、
「女学生に誘惑されて、ついフラフラと手を出してしまった」というのが真相で、
「不倫をしたのは事実」だが、「レイプではなく、女学生にハメられた」と見るのが妥当だとは思う。
しかしこれもまた、物語が『三人称ではなく』、マーチンの『一人称』で進んでいく以上、
本当のところはわからないのである。
物語を描く上で『一人称』と『三人称』があるが、この作品は『一人称』を非常に巧く使っている。
☆下巻
さて、『語り手は本当に信頼できるのか?』という衝撃の事実が明かされた上巻だが、この謎はあまり引っ張られることはない。
少なくとも過去編の主人公ストラフォードは、真に立派な男だったようで、重婚が事実無根の冤罪であることはすぐに明らかになる。
ストラフォードの旧友、クーシュマン。
気さくな山師のような男だったが、なんと勝手にストラフォードの名前を騙り、南アフリカで結婚してしまったのである。
それも、『結婚しないとHさせてくれない』けど『Hしたいんだ!』という、なんとも言えない理由であり、結婚してHしたらすぐ女を捨ててしまった。
その上、『ストラフォードが南アフリカで結婚していた』事実を、金と引き換えに流したのだ。
そのため、ストラフォードは職も失い、エリザベスにも捨てられることになるが、その後ちゃっかり
エリザベスの夫の座を射止めているあたり、クーシュマンの『クズっぷり』はすさまじい。
それでいて、本人に悪気がなさそうなのが何ともいえないところだ。
やっている事はとんでもないクズなのだが、陰湿にストラフォードを陥れているというよりは、
「ちょっとHがしたかったんで!」「金に困ってて……」「エリザベス美人すぎぃ! もらったぁ!!」という感じで、どうにもこうにも反応に困ってしまう。
ストラフォードはその後も、エリザベスの誤解を解こうとするが聞き入れてもらえず、
それどころかクーシュマン(とエリザベス)の子供、ヘンリーなどに嫌がらせを受けるなど散々な上、
ついには謎の人物に殺されてしまう。
さて、現代編のマーチンの出番である。
マーチンはさっそく、三角関係唯一の生き残りであるエリザベスと接触し、首尾よく親交を深めるようになる。
実はマーチンの元妻はエリザベスの孫娘にあたる(つまり、マーチンは一時期クーシュマンの一族に入っていた)のだが、元妻のヘレンはどうでもいい役でしかないので説明は省く。
そこからは、大河ロマンスというよりはミステリ調というか、活劇調だ。
ストラフォードの手記を巡って殺人事件が発生したり、あれこれとアクションが続く。
ここの部分も十分面白いのだが、やはり僕としては『過去編』の、ストラフォード、エリザベス、クーシュマンの3人に比べるとインパクトが弱い。
実際、現代編でも特に印象に残るのは、マーチンを誑かす謎の美女(悪女)イヴではなく、
老婆となった御年88歳のエリザベスである。
なお、クーシュマンの血を引く登場人物は都合4人出てくるが、揃いも揃ってクーシュマン級~クーシュマン以上のクズキャラなのが泣けるところだ。
ヘタレなマーチン君は、女学生に誑かされて酷い目に遭った(マーチン談)にも関わらず、またイヴという悪女に誑かされてしまう。懲りない男である。
その後なんのかんのとあって、大団円。
マーチン君の人生は『モンテクリスト伯』ばりに、刑務所に放り込まれもするが、最終的には大金持ちになる。
そしてラスト。『改心した』と言い張るイヴから、またしてもマーチン君が誘惑を受けるところで終わる。
マーチン君が『成長した』なら当然、イヴの誘惑を突っぱねるべきだと思う。
一方で、『本当にイヴが改心した』という可能性を信じて、突っ走っていくというのも、それはそれでアリかもしれない。
本当に本当に懲りない男、になってしまうが、一方で『お人好しでつい人を信じてしまう』マーチン君の良さも解るし、万が一イヴが本当に改心した可能性もあるにはあるからだ。
まぁ、個人的にはやめといた方が良いとは思うがw
そんなわけで、あまりにもストラフォードに感情移入し、エリザベスに魅了されてしまったため、
読んでいて辛いシーンも多かったが、それは本書の物語・登場人物が魅力的だったことの裏返しでもある。
恋人時代、トマス・ハーディの詩を共通の話題としていたエリザベスとストラフォード。
ストラフォードの死の間際、40年ぶりの再会で穏やかに語り合う2人のシーンが切なく、忘れられない。