82点。原作は未読なので、比較評価などはできません。
☆概要
本作では大きく2つの事件が取り上げられています。
①碧翠院連続安楽死事件
②立花、戸山連続殺人事件
うち、②に関しては正直『どうでもいい』です。
ただ、いつも以上に田口君も白鳥君も鈍くて、「そこはもうわかってるから!」という部分を
(視聴者の僕からは)1話遅れで解き明かしたり、葵くん(原作では女性らしいですね!)の発作のタイミングがドラマ的に都合が良すぎる気がしました。
強いストレスを与えたら発作が起こるように思ったのですが、それなら終盤の白鳥尋問時に発作が起こってもおかしくないし、発作が起こって暴れたらそこでおしまいな気もして、ちょっと雑だなと感じました。
☆碧翠院病院と桜宮一族――楽園の崩壊――
印象に強く残るのは①。
患者たちの、そして一家の大黒柱である人情味あふれる父、巌雄。
二重の意味で『レイプ』と『悲劇』に晒されながら、なんとか生きる姉、小百合。
彼女には『喪に服す未亡人』のような、諦観にも似た悲しみを感じます。
そして、視野は狭いながらも誰よりも純粋な心を持ち、社会の不条理に傷ついていく繊細な妹、すみれ。
彼ら・彼女らが行っているのは、終末期を迎えた癌患者の緩和ケア。ホスピスと呼ばれるもの。
そこで行われるのは延命治療ではなく、残された寿命を『苦しみなく、幸せに生きていく』治療。
そして、最後に患者が迎えるのは、痛みのない、安らかな死(=碧翠院による、安楽死)。
それは現代日本の法に触れるかもしれないけれども、残された寿命をもがき苦しんで、ただ痛みと絶望に塗りつぶされて生きるよりも、幸福な安楽死を遂げたいというのは、多くの患者の希望ではないでしょうか?
私には、碧翠院は多くの患者にとってと同じように、理想的な病院だと感じられました。
☆心に響かない、白鳥・田口の『安楽死否定』
一方、主人公側の田口・白鳥コンビはそんな碧翠院の罪=『安楽死殺人』を暴く側になります。
個人的には主人公側が、必ずしも共感できる存在でなくてはいけない、とは思っていません。
しかし彼らが、とりわけ白鳥がなぜそこまでして『安楽死を否定するのか』。
これが全く見えてきませんでした。
法律で悪と決められているから裁く。
厚労省役人としてはそれでいいのでしょうが、破天荒な白鳥のキャラクターを考えると、それだけを理由にするには違和感があるというか、これでは単なる『体制側のイヌ』でしかないように感じました。
安楽死を否定するには様々な理由があると思います。
たとえば、安楽死に見せかけた、医者の殺人事件が起こる可能性が最たるもの(A)でしょう。
他にも、遺族の気持ちの問題(B)もあります。
しかし、本ドラマではAについては全くと言っていいほど触れられません。
より問題なのはBの方で、ここを描ける機会はいくらでもあったように思います。
安楽死殺人=自殺幇助で人々を『救って』きた父の巌雄は、
8年前、死を懇願する息子の葵を救うことができませんでした。
『生死を左右する神』としての巌雄ではなく、『遺族として、息子を愛する人間』としての巌雄の弱さと人情によって、巌雄は葵を救えなかった。
そして8年間、葵が生きてきて幸せだったようには、私にはまったく思えませんでした。
さて、8年後。再びその時はやってきました。
碧翠院の炎上。父の巌雄と母の華緒の自殺の輪に、葵も迎え入れられる事になります。
小百合とすみれ、二人の姉妹をこの世に遺したまま。
小百合は、一家3人の自殺をどう受け止めているのでしょうか?
すみれは、どう受け止めているのでしょうか?
安楽死を望む患者、自殺を希望する人間を、遺された人間はどう受け止めれば良いのでしょうか?
日々を苦しみ続ける絶望者たちを、『生きていればきっといいことがある』とか『自殺は良くない』という何の力もない言葉で片付けて良いものなのでしょうか?
桜宮一族の作り上げた理想の病院は私にはとても眩しく、
田口・白鳥の今回の立場は、あまりにも白々しく、私の心には映ったのでした。
あとは、3話ぐらいで巣立っていった女子バレー部顧問の先生のその後も全く不明だし、
田口先生とすみれの関係も深めようと思えば深められたし、もうちょっと色々できたんじゃないかなぁ、もったいない。
というわけで82点。
心に残る作品だった事に間違いはありません。
☆概要
本作では大きく2つの事件が取り上げられています。
①碧翠院連続安楽死事件
②立花、戸山連続殺人事件
うち、②に関しては正直『どうでもいい』です。
ただ、いつも以上に田口君も白鳥君も鈍くて、「そこはもうわかってるから!」という部分を
(視聴者の僕からは)1話遅れで解き明かしたり、葵くん(原作では女性らしいですね!)の発作のタイミングがドラマ的に都合が良すぎる気がしました。
強いストレスを与えたら発作が起こるように思ったのですが、それなら終盤の白鳥尋問時に発作が起こってもおかしくないし、発作が起こって暴れたらそこでおしまいな気もして、ちょっと雑だなと感じました。
☆碧翠院病院と桜宮一族――楽園の崩壊――
印象に強く残るのは①。
患者たちの、そして一家の大黒柱である人情味あふれる父、巌雄。
二重の意味で『レイプ』と『悲劇』に晒されながら、なんとか生きる姉、小百合。
彼女には『喪に服す未亡人』のような、諦観にも似た悲しみを感じます。
そして、視野は狭いながらも誰よりも純粋な心を持ち、社会の不条理に傷ついていく繊細な妹、すみれ。
彼ら・彼女らが行っているのは、終末期を迎えた癌患者の緩和ケア。ホスピスと呼ばれるもの。
そこで行われるのは延命治療ではなく、残された寿命を『苦しみなく、幸せに生きていく』治療。
そして、最後に患者が迎えるのは、痛みのない、安らかな死(=碧翠院による、安楽死)。
それは現代日本の法に触れるかもしれないけれども、残された寿命をもがき苦しんで、ただ痛みと絶望に塗りつぶされて生きるよりも、幸福な安楽死を遂げたいというのは、多くの患者の希望ではないでしょうか?
私には、碧翠院は多くの患者にとってと同じように、理想的な病院だと感じられました。
☆心に響かない、白鳥・田口の『安楽死否定』
一方、主人公側の田口・白鳥コンビはそんな碧翠院の罪=『安楽死殺人』を暴く側になります。
個人的には主人公側が、必ずしも共感できる存在でなくてはいけない、とは思っていません。
しかし彼らが、とりわけ白鳥がなぜそこまでして『安楽死を否定するのか』。
これが全く見えてきませんでした。
法律で悪と決められているから裁く。
厚労省役人としてはそれでいいのでしょうが、破天荒な白鳥のキャラクターを考えると、それだけを理由にするには違和感があるというか、これでは単なる『体制側のイヌ』でしかないように感じました。
安楽死を否定するには様々な理由があると思います。
たとえば、安楽死に見せかけた、医者の殺人事件が起こる可能性が最たるもの(A)でしょう。
他にも、遺族の気持ちの問題(B)もあります。
しかし、本ドラマではAについては全くと言っていいほど触れられません。
より問題なのはBの方で、ここを描ける機会はいくらでもあったように思います。
安楽死殺人=自殺幇助で人々を『救って』きた父の巌雄は、
8年前、死を懇願する息子の葵を救うことができませんでした。
『生死を左右する神』としての巌雄ではなく、『遺族として、息子を愛する人間』としての巌雄の弱さと人情によって、巌雄は葵を救えなかった。
そして8年間、葵が生きてきて幸せだったようには、私にはまったく思えませんでした。
さて、8年後。再びその時はやってきました。
碧翠院の炎上。父の巌雄と母の華緒の自殺の輪に、葵も迎え入れられる事になります。
小百合とすみれ、二人の姉妹をこの世に遺したまま。
小百合は、一家3人の自殺をどう受け止めているのでしょうか?
すみれは、どう受け止めているのでしょうか?
安楽死を望む患者、自殺を希望する人間を、遺された人間はどう受け止めれば良いのでしょうか?
日々を苦しみ続ける絶望者たちを、『生きていればきっといいことがある』とか『自殺は良くない』という何の力もない言葉で片付けて良いものなのでしょうか?
桜宮一族の作り上げた理想の病院は私にはとても眩しく、
田口・白鳥の今回の立場は、あまりにも白々しく、私の心には映ったのでした。
あとは、3話ぐらいで巣立っていった女子バレー部顧問の先生のその後も全く不明だし、
田口先生とすみれの関係も深めようと思えば深められたし、もうちょっと色々できたんじゃないかなぁ、もったいない。
というわけで82点。
心に残る作品だった事に間違いはありません。