前置き

まず初めに、予防線を張らせてください。
この難解な小説を私が理解したとは到底言えないため、『何言ってんだこいつ、バカじゃねーの?』と思われるかもしれません。
そのうえで、あくまでも私にとって精一杯の、『感想』を書かせていただきます。

また、読む前に『スタヴローギンという異常な悪役の存在感が凄い』、
という評判を聞いていたことを付け加えておきます。

エンタメとしての感想

全3巻ですが、正直1~2巻は面白くありませんでした。
特に2巻はキツかった。何度も投げ出そうかと思いました。
しかし、3巻に入ると突然面白くなります。
第3部の1~6章は、急に読む速度が速くなりました。

ユーリヤ夫人の開いた「義援金募集」のパーティーなんですが、
まずカラマジーノフという老作家(ツルゲーネフがモデル)が延々1時間も自作小説「merci(メルシー:ありがとう)」の朗読をカマします。
これには会場も大ブーイングw 
更に、パーティーへの入場料ではビュッフェが食べられず、別料金だという事で暴動が起き、別料金を払わずビュッフェに突撃していく輩が続出。

このカオスっぷりから、スタヴローギンの子を身籠ったシャートフの元妻が現れ、(他人に寝取られたというのに)子供かわいさに相好を崩すシャートフの人間味。
そこからの、シャートフ暗殺の流れは一級のサスペンス・ミステリさながらでした。

今までの1200ページはジェットコースターで例えるなら『登り』。
そこから急転直下の急降下、息をもつかせぬハラハラ感で読ませてくれます。

ただねぇ……。全1700ページのうち、面白くなるのが1200ページめからじゃ、いくらなんでも遅すぎるでしょ……というのが率直なところ。

1巻に関しては、作中随一の愛すべきダメ男、ステパン先生の人物造形で笑わせてくれます。
ステパン先生とワルワーラ夫人のロマンスは『くっつきそうでくっつかない』を地でいく、じれったいラブコメ風味で面白いです
(あまり甘々ではないですがw)。
絶対、相思相愛でしょ……。もうお前らくっついちゃえよ! と思うけど、最後までくっつかないんだよなぁ……。

2巻は、スタヴローギンという、あまり個性を感じない(!)キャラクターが、ひたすら災難を蒙ってるなぁという印象。
*シャートフとかいう変な奴に殴られたり、ガガーノフとかいう変な奴に絡まれて決闘させられたり、ピョートルとかいうサイコパスに妙に慕われたりと、かなりストレスのたまる展開でした。

*シャートフに関しては前述のとおり、奥さんを寝取られていたようなのでまぁ怒りもわかりますが、2巻を読んでいる時は事情を知らなかった(読み飛ばしてしまっていたのかも)

「無神論」について

私、今まで「無神論」というのは「神様を信じない人」の事だと思っておりました。あるいは「神様に無関心な人」。

たとえば現代日本において、「神さま」を熱烈に信じている人というのは、そう多くないと思います。
『困った時の神頼み』ぐらいはするかもしれませんし、『初詣』に行く人もいるでしょうが(私はあまり行きません)、神さまが世の中を善くしてくれると本気で信じている人は、あまりいないと思います。
ついでに言えば、『〇〇教の信者』だという強い自覚がある人も、そんなに多くないのでは?

だから、日本には『無神論者が多い』んじゃないかと、私は勝手に思っていたのであります。
でも、この「悪霊」を読んで、ちょっと印象が変わりました。

『無神論者』は、『神さまに無関心な人』ではないのですね。
『無神論者』=『アンチ神さま。神さまが憎くて憎くてたまらなくて、神社や寺やお地蔵さんやお守りを見ると、放火したくなるぐらいムカつく人』

『悪霊』内での無神論者はどうやら、そういう感じで描かれています。
さすがに、このレベルの無神論者は、日本にも多くないですよねw

僕も、お地蔵さんを見ると何となく手を合わせたり、神社では水で手を清めたりします。別に信じてる、というわけでもないのですけどね。
ゲン担ぎというか、まぁ何となくそうした方が気分がいいからなんですが。

スタヴローギンの告白

2巻の8章~9章の間に、『チーホンのもとで』という章があります。
これは、『スタヴローギンが少女を凌辱して自殺に追いやった』物語で、あまりにも残虐で過激なため、出版ができなかったという代物だそうです。

読みました。
……どこがやねん……。

スタヴローギンがロリに手を出し、ロリが自殺した物語は描かれています。
でもこれ、『雰囲気に流されただけ』というか、スタヴローギンは別に凌辱してなくね?
いや、わかりますよ? スタヴローギンはいいオトナなんだから、いくら良い雰囲気になったって、12歳(だったかな?)のロリに手を出しちゃいけないことぐらい。
でも、凌辱して死に追いやったっていうのはどうかなぁ……???
ついでに言うと、エロ描写があるわけでもないので、現代日本の感覚で言えば、全然過激でもないです。
まぁ、こちとらAVとかエロ漫画とか見慣れてるんでね……。

この程度で発禁処分とは、19世紀ロシアの厳しさを(あるいは現代社会の緩さを)身をもって感じた次第です。

ついでにさらっと、『人を毒殺したこともあるが~』とスタヴローギンは語っていますが、そっちの方がずっと問題やろ!!
19世紀ロシアの価値観わかんねーわ……。

深入りはできない、キリスト教の話

ドストエフスキー作品の場合、キリスト教に詳しくないとよくわからない部分があります。
しかし、私は詳しくありません。
なので、テキトーな事をさらっとだけ書きます。

スタヴローギンの『スタヴロス』というのは、ギリシャ語で『十字架』という意味だそうです。
ということで、スタヴローギンは『キリスト役』ですね。
これなら、ピョートルとかシャートフとかに、わけのわからない慕われ方をするのも納得ですね(?)

スタヴローギンは性欲魔人で、ロリだの人妻に手を出しているし、毒殺したこともあるので、悪人であることは間違いないけど、どうも世評で言われているほどの悪人には思えませんでした。
もっと酷いサイコパスなら、フィクションにもリアルにも、山ほどいると思うのよな……。
というか彼、感情表現が薄いんですよね。何を考えているのかわかりづらいです。

個人的には、スタヴローギンを勝手に祀り上げ、権力欲にとり憑かれ、内部粛清を強行するピョートルの方が30倍ぐらいおぞましく感じました。
ソ連最悪の独裁者スターリンの影がちらつくのは、ピョートルの方ですね。

宗教話に戻りますが、マリアというキャラクターが2人出てきて、うち1人は想像妊娠をしているので、聖母マリア。もう一人はマグダラのマリアになるのでしょうが、よくわかりません。

ステパン先生の最期で、神への信仰を取り戻すシーンがあるのもドストエフスキー『らしいな』と。

確か『回想のブライズヘッド』(違ったらごめんなさい)では、神さまを信じていない人間を死の間際に無理やり改宗させるシーンがあって、胸糞悪いなと思った記憶があるし、
『異邦人』では最後まで改宗を拒否したムルソーのコミュ障っぷりに共感した記憶があるのだけど、
今回のステパン先生の改宗(?)は嫌らしい感じはしなかったですね。

西洋文学では『狭き門』なんかも、キリスト教の『いやらしさ』をビンビンに感じたんですが、
ドストエフスキー作品は『罪と罰』といい、『カラマーゾフの兄弟』といい、信仰によって救われるラストを持ってくるのが特徴かなと思います。

ただし、『罪と罰』ではリザヴェータとソーニャ、『カラマーゾフ』ではアリョーシャという現人神的な、聖女・聖人がいましたが、本作には聖人らしき人がいないのがちょっと悲しいですね。

左派はなぜ内ゲバをしてしまうのか

私、どちらかと言うと政治的には『左寄り』の人間である自覚があります。
自公政権(特に安倍・菅政権)は大嫌いでしたし、保守ではなくリベラルな人間だと思っています。

ただねぇ……。
学生運動における内部粛清も含め、どうにも革命左派は内ゲバが多い……。
ちょっとこの辺はついていけないところがあるんですよね。

ピョートルによるシャートフの内部粛清も、ほぼ全く意味のないものでした。
革命によって国を変える、というある種の野望・熱情があったはずなのに、
旧体制を打破するでもなく、たかだか無辜の市民数名を殺しただけで終わってしまう。

理想主義の行きつく先が、意味のない流血だとすれば、これほど悲しく虚しいことはないなぁと改めて感じました。

以上で、『悪霊』の感想を終わります。
全然『悪霊』を読み解けていないにもかかわらず、こんな感想を書いてしまいました!