しんど……マジで、しんどい。
大勢力が京都を抑えているシナリオがここまでしんどいものだったとは。

なんとかクリアしましたが、1582年以降のシナリオでプレイする意欲がそがれる、そんなプレイ経験になりました。

1582年1月スタートですが、まずはイベント「甲州征伐」です。
これは武田勝頼を滅ぼす戦いですが、一瞬で倒せて徳川家康が『風林火山』もゲットできます。
そんな事をしている間に信長が本能寺の変で亡くなり、羽柴家の恐るべき猛攻が始まります。怖いです。

次は『天正壬午の乱』。北条家が1回攻め込んでくるのを撃退しつつ、真田家と同盟を結ぶだけです。
その次の『小牧・長久手の戦い』も楽勝ですが、ここで小牧山城が1つ、ポツンと尾張の国に残されます。
とりあえず、羽柴とは同盟を結んで攻められないようにしましたが、二条御所は羽柴秀吉が抑えているため、どうしても戦いは避けられません。

1542年スタートの上杉謙信で、難敵北条家と同盟を結んで避けて成功したように、
羽柴家を避けるわけにはいかないのです。

ちなみにイベント『鳴くまで待とう』は発生した瞬間に失敗しました。
意味がわからん……だいぶモチベが下がったけど仕方ないです。


さて、どうしたものか。私、考えました。
歴史上、豊臣秀吉が亡くなるのは1598年。家康が亡くなるのは1616年です。
秀吉が亡くなれば、後を継ぐのは豊臣秀頼。一気に楽になるんじゃないか!?
秀吉が亡くなるまではとにかく同盟を結び続け、秀吉が亡くなったら一気に同盟を破棄して攻めよう。
そんな甘い考えの元、来るべき豊臣戦のために有能な部下を集めるための戦争を始めました。

まず手近にいた真田家を滅ぼします。真田正幸・真田幸村など素晴らしい武将たちが手に入りました。
真田幸村は最後まで、我が徳川家を支えてくれました。
次は、上杉を攻めました。上杉景勝・直江兼続もまた最後まで、我が徳川家を支えてくれました。
ここまでで1592年。

秀吉は明智はもちろん、柴田を滅ぼし、清州織田家(だっけ?)も滅ぼし、ついでに西に進出して毛利も滅ぼす寸前です。


あまりにも肥大化して恐ろしい秀吉を避けつつ、秀吉が亡くなるまでの時間を潰すため、
最上・佐竹家を滅ぼしたりしていました。佐竹義宣はそれなりに役に立ってくれました。
そのためだけに、滅ぼす必要があったのかは謎だけど。

さて、いよいよ1599年、秀吉が亡くなりました。


その時の兵力が豊臣家112万VS徳川家30万……。同盟を破棄した途端に、一瞬で小牧山城を奪われましたw
秀吉配下の忠誠度が下がるかと思ったのに、そんな様子も一切ナシ!
福島正則とか加藤清正とか、こっちに来ないんかい!!

しかし開戦してしまったものは仕方ありません。
残っていた勢力、北条家と伊達家と結んで、反豊臣連合を立ち上げます。
ただし伊達家は豊臣の最前線に立っていないし、北条家も隣接はしていないので防衛のための援軍ぐらいにしか役立ちませんでしたが……。


1603年、豊臣家119万VS徳川家33万……変わってねぇ……。地獄のような戦争は続きます。
豊臣家はひたすら飯田城を攻撃してきますが、北条家からの頼りになる援軍に防いでもらいます。
北では魚津城の辺りでにらめっこ。たまに魚津城を取り返すこともあれば、春日山城まで敵が押し寄せて来る事もある始末です。
南は、岡崎城一帯も奪われ、なんとか浜松城を最終防衛ラインとして食い止めるありさま。

敵を捕まえたら、登用に応じない限り全員斬首していきます。
豊臣家の力を削ぐには、これしか手段が思いつかないです。
また、本田忠勝の蜻蛉切りが異常に強いので、大会戦では獅子奮迅の活躍ぶりでした。
徳川家代々の臣下としては本田忠勝と、家康公ぐらいで、他は上杉景勝や直江兼続、真田親子らの奮戦が光りましたね。結城秀康も良かったけど、寿命で1607年頃には亡くなっちゃうし。

そう、1605年あたりから、寿命で武将が次々と死んでいくんですよ。これもキツかったですね。
敵も同じ状態なんですけど、なんだかこう寂しくなります。
それも、後の方のシナリオでプレイしたくない理由の一つですね。

連合では、北条家が次々と家臣を失っていき、一門がいなくなったのか今川氏真が跡を継いでしまいました。
今川家ってww 旗が今川の旗じゃないよ!! どんどん存在感を失っていきます。

一方、伊達家は勢力を少しずつ拡大し頼れる援軍として成長しましたが、こちらが取りたい城まで勝手に取ってしまうので困ります。

九州で唯一残っている島津家は、一時は我が連合に加わり、秀頼を西から牽制してくれましたが、あるとき突然寝返って親豊臣連合に付きました。
意味がわかりませんし迷惑な奴ですが、しょせんは遠く離れた九州で勢力が接近していないので無視します。

転機が訪れたのは1614年秋あたりでしょうか。
ついに、我が徳川軍が反転攻勢に出ます! 
浜松から一気に美濃平野へとなだれこみ、尾張・美濃を統一。北も金沢あたりまでやってきました。
この時点で、豊臣家98万VS徳川家65万。
未だ豊臣家が優勢ですが、美濃の肥沃な土地を得た事で、ようやく光が差し込み始めました。

そんな中でも真田正幸、本田忠勝などが寿命で次々と死んでいく中、頼れる大将徳川家康も、寿命で倒れます。
後継者は徳川秀忠……ではなく、松平忠直を選びました(誰?)。

理由は、徳川秀忠が戦争で秀頼に捕まった上、豊臣家臣になっていたからですww
なんて頼りにならない奴なんだ……。

できれば家康存命中にクリアしたかった、彼に天下を見せてあげたかった……(注:家康ファンではありませんが)と思いましたが、仕方ない。

秀頼になるまで待たずに、1594年あたりで攻め込んでおけば間に合ったのかな? 
まぁいいです。
このゲーム、東の勢力でプレイする場合、
尾張・美濃を制覇すれば京都の二条御所まではあと一歩だということが、過去の武田信玄でのプレイでもわかっておりました。

ここからは完全に消化試合。二条御所を占領し、周囲の本城も落として(途中、伊達政宗がいくつか本城をさらっていったけどw)
1621年、遂に総無事令にてゲームをクリアいたしました。



京都を秀吉が抑えているシナリオはもう二度とやりたくねぇなぁ……。

でも、伊達政宗でプレイしたかったら、後半シナリオだよなぁ。どうすっかなぁ、と思っております。