前置き
ミステリでは、俗に『最後の一撃』と呼ばれる作品が幾つもある。
最後の一行で大どんでん返しをカマす、その一行に全てをかけて、全力で必殺技を放つ。
そういう作品の中から一つ選ぶのが良いかなと考えたけど、天邪鬼な僕は敢えて違うものにした。
そもそもこのジャンルは、『最後の一撃しかない』ような作品もたまにあって、
今までつまらなかったけど最後にガツンと殴られた!
サヨナラ逆転ホームラン! というのも、なんだかなぁと思うわけだ。読んだ時は興奮するけれど。
しかも、その作品が『最後の一撃作品』だというのは感想やらあらすじを読めば、何となく解る。
どういった最後の一撃がやってくるかは解らないけれど、絶対何か仕掛けてくるな! 狙ってやがるな!と思って読む。
で、見事に『ヤラれて』しまうけれど、それはその作品がそういう風に作られているのだ。
作者の技巧に踊らされてしまうわけだ。凄いけど、なんか悔しい。悔しいなぁ……
一方で、作品世界にぐいぐい引き込まれ、『最後の一撃』の存在なんて最初から疑わずのめりこみ、
その上で予想もしなかったところから『一撃』を食らうと、これはもう完敗だ。
そこで、そういった作品を幾つか考えてみたところ、3つほど候補が挙がった。
しかし、1記事で3作品もネタバレしたら大顰蹙間違いない。
というわけで、今回はこれで行く。
コリン・ウィルソン『殺人者』! 君に決めた!
コリン・ウィルソンは結構有名な作家だと思うけれど、この『殺人者』は読書メーターで驚愕の感想0件。
これなら僕がネタバレを書いても、残念がる人は少ないだろう。
むしろこの感想を読んで、興味を持ってくれる人がいたら嬉しい。
ここからはあらすじを大体バラシてしまうから、ここまで読んで興味を持った奇特な方(多分いない)はこの先は読まずに、図書館へGOだ! amazonでは古本で367円でした(記事執筆時)
ちなみに、ちょっとアダルティな描写もあるので(性犯罪もしてるし。つーか変態さんだし)、
苦手な方はその辺だけ気をつけてね!
アーサー・リンガードはいかにして幼少時代を過ごしたか、いかにして殺人を犯すにいたったか 1
語り手は精神科医のサミュエル・カーン。
だが、主人公は殺人者として刑務所に服役中のアーサー・リンガードと言うべきだろう。
この物語は、アーサー・リンガードが精神科医に打ち明けた、彼の人生の物語である。
強盗に入った時に誤って老人を殺した罪で、服役中。
農家に押し入って金を盗もうとしたら、老人と格闘になって殺してしまった。
強姦未遂、下着ドロボー、強盗2回、洗濯機の詐欺となかなか華やかな経歴の持ち主だが、いわゆる『連続殺人鬼』という感じは、受けない。殺人とは少し距離を感じる。少なくとも物語の最初のうちは。
実際には連続殺人犯でもあるのだが、この時点ではそれは明かされていない。
気が短く、癇癪持ち。そしてパニック障害を抱えている。
太り気味で、禿げていて、繊細な顔立ち。
『わたしは彼を一目見た瞬間に憐れみをおぼえた』
とはあんまりだと思うが、まぁそういう人だ。
30代前半~半ばぐらいだけど、それにしては中年臭を漂わせてしまっている、冴えないおじさんといった感じでイメージすれば良いと思う。
僕は30代などまだまだお兄さん・お姉さんだと思っているのでこの書き方は抵抗があるのだが、このリンガードをお兄さんのイメージで読むのはちょっと無理がある。
リンガードの子供時代の写真もある。
堅苦しい顔の男(父)、美人の奥さん(母)とかわいい姉(ポーリーン)と一緒に写った、赤ん坊時代の写真。
幸福な家庭の写真だ。
さてこの小説だが、なかなか油断できない。
さりげなく
本に指で大便をなすりつけているところを見つかったため
などと、不意打ち気味に変態チックな行動が挿入される。そしてそれは他の文章と全く同じトーンなのが巧いところだ。
わたしは何年間もよその物干綱から盗んだ下着を女房に着せていた、けちな泥棒を一人知っている
などなど、トーンが変わらず大真面目な顔で、ものすごい事が書かれているのが面白く、ついつい先が気になる作りだ。
知能が水準以下だと診断されているのに、小難しい本を読む男。
気に入らない絵に『くさい』と落書きする男。大便の絵を描く男。
同性の友人にレイプされた男。
包丁でペニスを切断する絵を描いたり、剃刀で女性器を切り裂く絵を描いたりしている。
不気味な妄想にとり憑かれている。
やった事は下着泥棒と、押し込み強盗の結果の過失殺人のはずなのだが、どうも相当ヤバそうな奴なのだ。
至る所に刺激的なフレーズがあるが、文章そのものは静かな落ち着きがある。
アーサー・リンガードはいかにして幼少時代を過ごしたか、いかにして殺人を犯すにいたったか 2
幸福な家族写真の話に戻ろう。幸せだったはずのリンガードだったが、その後、戦争で父母が亡くなってしまう。
孤児となったリンガードとポーリーンは、やがて叔父の家に引き取られ、そこでポーリーンは叔父にレイプされてしまう。狂気の渦巻くその家では、子供ながらに兄妹同士散々エロ三昧の日々が展開され、ポーリーンも徐々に染まっていく。姉のポーリーンに恋をしていたリンガードは、ポーリーンが誰にでも股を開く*『ビッチ』になっていく姿にショックを受ける。
そしてポーリーンに恋をしていたリンガードは、愚鈍で魅力がなく胸もぺちゃんこな従妹のアグネスに催眠術をかけ、数々の変態プレイを強要するのだった。
ここからは、『催眠調教――従妹を開発してヤりたい放題――』的な様相を呈し始める(それっぽいタイトルが思いつきませんでした)。
苦手な方(特に女性?)は苦手だと思うが、まぁ、そこそこ興奮した事は自称変態のDOIも認めざるを得ない。
単なる官能小説ではないのだが、こんなところまで『大真面目』なのだ。
更にリンガードが下着フェチに目覚めるエピソードまで大真面目に描かれるため、変態ではあるが下着フェチではない私も必死に食らいついた結果、「女性下着ってエロいのか?」と危うい方向に開眼しそうになった。
脱ぎたてホカホカだよ! みたいなノリではなく大真面目にやられるものだから、本当に真に受けてしまう。
危ない、危ない。これはリンガードの話だ。僕はリンガードじゃない。僕は関係ないんだ。
ちなみに、初体験はポーリーンの下着である。さすが変態リンガード君! アグネスは関係ないよ。
だって、ブサだからね。
もう一人(だったかな?)の従姉マギーにも催眠エロをするけど、マギーもブサだしね……。
興味があるのはポーリーンで、ポーリーンはいろんな男とエッチするのに、リンガードとだけはエッチしたくないからね。仕方ないからポーリーンの下着で我慢するよ(ぐすん)。
アグネスに無理やり他の男とHさせて、それを見てニヤニヤするリンガード君……
自分の金玉の臭いを嗅ぐリンガード君……いや、とまんねぇなコイツ(ヒキ気味)
そんな変態チックなエピソードの合間に、ふっと正気に戻ったようにSF作品を読みふけるリンガードのエピソードなどもあり、安心して読んでいたらいつのまにかまた、おかしな狂気の世界に迷い込んでしまうのだから息つく暇もない。何の小説に影響されたんだか、怪しい集団に狙われる妄想が止まらなくなってしまったりする。
危ない。この人、ほんと危ない。
初めて女性をレイプした時(アグネスは別扱いっぽい)、なんと女性がリンガードにメロメロになってしまう。
こんなところまで、『どこのAVだよ!』と思わなくもない。
リンガードが『レイプしていた時は興奮していたのに、相手のOKが出た途端に萎えてしまった』エピソードなどは、恥ずかしながらAVの好みにうるさい僕も思わずうなずいてしまう部分もアリ やめてやめて通報しないで 僕は犯罪者じゃないよ
*『おじさん』という表現にも抵抗があったが、『貞操観念が緩い女性』をビッチと呼ぶのも抵抗がある。
僕自身は、そういう女性に対して嫌悪感がほとんどなく、それにも関わらず、罵倒語のように思えるからだ。
しかし、サブカル界隈では『ビッチ萌え』などの単語(単なる罵倒語ではない)も使われているし、
イメージのしやすさで今回はこういう書き方をした。
驚きの結末
この調子で文章を書いていくと膨大な量になってしまう。
まだまだ紹介したいエピソードは山ほどあるが、とりあえず作品の輪郭は掴んでいただけた、と思う。
この物語はリンガードという男の謎に迫る、ドキュメンタリータッチな小説だ。
だからリンガードの興味深いエピソードを次々と紹介していたら(紹介したいのはやまやまなのだが)、本1冊分の分量になってしまうのだ。
驚きの結末とは何か。
……なんてことはない。アグネスは、金髪美人だったのだ。
わたしは驚いて相手の顔をみつめた。髪はほとんどアッシュ・ブロンドに近い明るいブロンドだった。なぜかわたしは、彼女の髪はいとこたちと同じように黒く、肌も浅黒いものだとばかり思いこんでいた。
これは結構、衝撃的な文章なのだ。
アーサー・リンガードの目を通して読むアグネスは、『魅力がない事もないが、到底ポーリーンには及ばない、ややブサで愚鈍な性奴隷』だ。
ポーリーンも黒髪だし、リンガードも黒髪だし、何となく僕もアグネスは黒髪だと思って読んでいた。
実は数ページ前、語り手の精神科医がアグネスを訪ねる前に、
「顔色は青白いけど、なかなかの美人だったのよ」
という証言もあるのだ。そう書いてあるのに、何故か僕の頭には入らなかったらしい。
そして、語り手のサミュエル・カーンの頭にも入らなかったようだ。
作品全体がリンガードの視点・見方に支配され、歪められ、サミュエルだけでなく読者(少なくとも僕)の頭まで幻惑してしまった事がよく解る。リンガードの言う通りの事を信じ、リンガードの見方で物事を見てしまう。
そんなリンガード視点の白昼夢世界から、ふっと抜け出すような感覚。
アグネスは、素直で誠実で、心からリンガードを愛する女性だった。
そして、リンガードを連続殺人に駆り立てた最後の引き金もまた、ポーリーンではなかった。
ずっと、リンガードはポーリーンに恋をしているのだと思っていた。
アグネスを奴隷のように扱っているのだと思っていた。
アグネスには魅力がないから、姉の代替物でしかなかったから。
違う。リンガードは恐らく、アグネスを愛していたのだ。
リンガード流の『歪んだ』愛し方で。
そしてそれが、『正常な(?)』愛し方で生きるアグネスには、理解できなかったのだ。
もちろん、アグネスが悪いわけではない。客観的に言えば当然、リンガードの方がおかしい。
誰がどう考えたってリンガードがおかしいし、リンガードのような愛し方をする男とは離れて正解だ。
もっと正確に言うならば、リンガードの愛し方は『多数の人とはズレている』。
それが当のアグネスはもちろん、ほとんどの人から見て『愛しているようには見えない』。
実際、性的虐待にしか見えないし、まぁそういう事だ。
けれど……それでも、リンガードとアグネスは相思相愛だったのだ。ただ、愛し方が大きく違っただけで。
そしてアグネスは幸福な家庭生活を送る一方で、今でもリンガードの事を深く気にかけている。
その事を知らないまま、リンガードは死んだ。
リンガードのロッカーからパンティを盗もうとした凶悪犯に掴みかかり、殺されてしまったのだった。
この小説を読み終わった時、僕は『世界の見え方』が人によって大きく違う事を改めて感じたものだ。
いつの間にか『リンガードの、歪んだ世界の見方』に同調していた事も。
本当に歪んでいるのだろうか?
もしもリンガードのようなド変態が多数派で、そうじゃない人が少数派だったなら、『歪んでいる』という表現にはならないだろう。
一般的価値判断から乖離している事は確かだが、そもそも一般的価値判断自体が、『多数派の人間、多数派の文化』によって形成されているからだ。
そう考えると、リンガードは哀れにも少数且つ極めて特異な『ズレ』を持って生まれてきてしまった被害者のようにも映る。
コリン・ウィルソンの文体の力は極めて大きい。小説世界に読者を引きずり込む剛腕は、紛れもなく本物だ。
そうは言ってもエロ描写はちょっと……と思われる方は
をお薦めしたい。お薦めしたいが、これはこれで癖があるのでやはり好き嫌いが別れるとは思うが……。