ジブリ映画で有名になったと思われるこの作品ですが、僕がこの作品に出会ったのは、中学生時代です。
元々大好きなタイプの作品ですし、多感な時期に出会った事もあり、僕の中で一際輝く作品です。
先に、映画版の感想について簡単に触れたいのですが、簡単に言えば
・『この作品を有名にしてくれてありがとう』
・『作品テーマが半分なくなっていて、解決篇の驚きの種明かしも演出力不足で残念』
(小説版全37章のうち、1~21章までの内容と最後の2~3章の内容を映画では強引にくっつけている。
時間の関係上仕方なかったとも思うけど、22章以降もとても大事なんです……。
大事なテーマ2つがくっついて、初めて『思い出のマーニー』なんです……。
でも確かに、全部映画化するなら3時間ぐらい必要だよね)
・『原作の大ファンなので色々言いたい事もあるけど、悪くはなかった。アンナの寂しさとマーニーの雰囲気は、表現できていた』
というあたり。
映画が気に入った人は、原作も読んでほしいな!
導入(自分語り:作品の話は後でしますので興味ない方はスクロールお願いします)
子供の頃から、僕はずっと寂しがり屋だったのかもしれない、と今考えると思う。
学生時代、いわゆる『マジぼっち』だった時期は高校2年生の1学期だけだった。
それ以外の時期は、何人かの友達はいた。
だけど、考えてみると小学生の頃、一人遊びをしていた記憶がある。
ぬいぐるみに話しかけたり、好きな漫画のキャラクターでオリジナルエピソードを作って、一人で寸劇したり。
架空の守り神様を作って拝んだりしていた気もする。これは『リア充』な行動にはとても思えない。
中学生時代は人生で大学時代の次に楽しかった時期で、結構な数の友人がいたはずだ。
それでも僕がハマったのは『思い出のマーニー』だったり『新世紀エヴァンゲリオン』だったりした。
(あともう1作なら『耳をすませば』だけど、今回の記事の文脈にはあまり関係ない)
『現実世界』では小学生の頃から好きだった女の子にいきなりラブレターを渡して玉砕するなど、
青々としていた僕だったけど、
フィクション世界での僕の理想の恋人は、数年のあいだ、綾波レイだった。
最近こういうタイプの女の子、フィクションでもあまり観ないんだよなぁ……。
『寡黙:内向的』なのは良いけど、そこに『不思議ちゃん:天然ボケ』設定をくっつけられる事が多い気がする。
僕のアンテナが狭いだけかもしれないけど。
ヘタレだのなんだのと散々悪評があった碇シンジ君も僕はかなり好きで、
アニメ・漫画にありがちな『からっとした性格でカッコいい、登場人物』ではなく、『自分を重ねられる男の子』として凄く良かった。
自分があの立場だったら? そりゃエヴァには乗らないよ。怖い。当たり前だよ。
でも、かわいい娘が傷だらけになって、それでも無理に乗ろうとしていたら?
それでも怖くてパニックになって、だけど頑張って、少しずつ成長して、それでも悲しい事が沢山あって、逃げちゃったりもして。戦友の美少女(レイとかアスカとか)がいて、少しだけ仲良くなったり、仄かに青春したり、それでも強く孤独を抱えていて。こういうのがいいんだよ、こういうのが……。
あの作品で僕は『オタク』になったんだと思う。
『俺がロボットに乗って怪物を倒したらカッコいいぜ! モテるかも!』みたいな作品も悪いとは言わないけど、自分とはやっぱり、違うんだよね。
『解るわぁ』という意味で大好きなのは、最近だと、映画『心が叫びたがってるんだ。』の成瀬順ちゃん。
(画像があると良いと思ったのでリンクしたけど、漫画版は未読です)
うーん。昔から全然好みが変わってないな……。
さて、前置きが長すぎるよ! と自分でも思いました。本題に移りますね。
大切な友達、マーニーとの思い出
自閉症気味の少女、アンナは海辺の村で療養する事になります。
ここにあるボートはだれのものだろうと思いました。よっぽどめぐまれた人たちのなんだ。
毎年毎年、お休みになると、このリトル・オーバートンへ来られるような家族たち……。
ただ、じゃまにならないようにとか、なんにも“やってみようとしない"からとか、この先“どうあつかえばいいかわからない"からとかいう理由でここへ来させられたりするのではない、幸せな人たち……。
アンナは、自分は寂しくないと思っている。
友だちがいない事も、誰にもパーティーに呼んでもらえない事も、特に寂しくはない。
けれど、実際にはそうじゃない事が、読めばすぐにわかります。
『うわべだけの友達付き合いなんて必要ない』。でも、『本音を言い合える相手がほしい』。
けれどいないから、『必要ない』と思っている。
うわべを繕って、好かれるために振る舞って、偽物の自分を好きになってもらったって意味がない。
そうじゃない。私を、本当の私を好きになってほしい。理解してほしい。そうじゃないなら、自分には要らない。
それはとても独りよがりではあるけれど、当時の僕も(今も?)そう思っていました。
恋愛などだと、よく『好かれるために』どう振る舞うべきか?というような話題がありますよね。
人を惹きつけるテクニックとか、ありますよね。自分をどう見せるのか。どうプロデュースするか。
これが巧い人は、本当に得だと思います。
だけど、そんな偽物の自分を好きになってもらったって、嬉しくない。
『本当の僕の事なんて何も知らない人たち』に、『好かれるために創ったキャラクターで』好かれて、そんなの何も意味がない。
ネガティブに考えれば単純に『甘えたい』という理由が一番大きい気もしますが、気持ちの根っこではやっぱりそう思うんですよね。
だから僕は友達も大事な人も少なくて、いつも寂しいけれど、大事だと思っている人の事は本当に大事にしたいと思っています(実際にできているといいんだけど、できていないかもしれません……)。
けど、そういうのって、『嫌われた時のダメージ』が半端じゃないんですよね。
僕は全部その人にありのままを見せて、それでNGを食らうわけだから。
それに、『自分が相手を大切にしているのと同じぐらい、相手にも自分を大切にしてほしい(勝手に期待しすぎる)』みたいな気持ちも出てくるので、あまり良い事じゃないなと、大人になってからは思うようになりました。
『浅い付き合い』もとても大事だなと思います。
それでも、『深い付き合い』を大切にしたいのは今も同じです。
そんな僕にとって、“しめっ地やしき”でアンナが出会う神秘的な友人、マーニーの存在はとても大きなものでした。
僕が本当に欲しかった友達は、マーニーでした。不思議で、神秘的で、楽しくて、どこか秘密めいていて。
僕はアンナになって、この本を読みました。
マーニーとの遊びが本当に楽しくて、いつも心待ちにしていました。
あたしが、どれほど、あなたみたいな人と遊びたいと思ってたかわからないでしょうね!
ねぇ、アンナ、いつまでも、あたしの友だちでいてくれる? いつまでも、いつまでも
そんな事を言ってくれる人は、僕の側にはいませんでした(まぁリアルだと普通なかなか言わないよね。恥ずかしいし、引かれるかもだし。でも僕は、そんな風に言ってくれる人が、本当に本当に欲しかった)。
それも、本当に大好きなお友達、マーニーにそう言ってもらえたのです。
けれど、別れはやってきます。風車小屋で、マーニーはアンナを置き去りにしたのです。
大切な友達、マーニーとの別れ
マーニーはアンナを一人ぼっちに残して、行ってしまったのでした。やみの中で怯えきっていたアンナを。
あたしは、マーニーを親友だと思っていたのに!(略)
アンナは絶対にマーニーをゆるせませんでした。もう絶対に、だれも信用するつもりはありませんでした。アンナは、もう二度とマーニーとは口をきかないと決心していました。でも、マーニーには自分を見つけさせたい、と思いました。マーニーがあのへやの窓から外を見て、舟つき場にいるアンナを見つけ、そして、自分のしたひどい、残酷なしわざを思い出すといい、と思いました。もし、マーニーに会ったら、目もくれないでいるつもりでした。でも、マーニーがアンナを忘れることはゆるされない、とアンナは思いました。あんなひどいことを人にしておいて、それをすっかり忘れるなんて
なのに、
「アンナ、だいすきなアンナ!」
「なあにい?」
マーニーの姿を一目見たアンナは返事をしてしまうのでした。
「もちろんよ! もちろんゆるしてあげる! あなたがすきよ、マーニー。けっしてあなたを忘れないわ。永久に忘れないわ」
それが、妖精のような親友、マーニーを見た、最後の日になりました。
この後、アンナは熱を出し、そして起き上がった時、マーニーはいなくなっていたのでした。
新しくできた、暖かな居場所
しめっ地屋敷に、新しい住人がやってきました。
リンゼー一家の人々で、その中の一人プリシラとは特に仲良しになりました。
プリシラは、『マーニー』の事を知っていました。プリシラはアンナの事を『マーニー』だと思っていました。
マーニーが結びつけてくれた縁でした。
そしてアンナは、プリシラだけじゃなく、リンゼー一家の人々とも友達になっていくのでした。
その代わり、アンナの記憶の中で、マーニーの姿は少しずつ幻のように消えていきました。
忘れちゃいけない、と思っても影のように忘れていくのでした。
その事が、読んでいてとても寂しかったのを覚えています。
マーニーと違い、プリシラは『現実にいる』女の子でした。
マーニーは、寂しさのあまりアンナが作り出した『理想の友だち』でした。
やっとアンナに、現実の友だちができました。
プリシラもリンゼー一家も素敵な人たちで、とても魅力的に描かれています。
それでも、マーニーは本当に大切な親友で、それを忘れていくことが悲しくて。
けれど、プリシラはマーニーの日記を見つけました。
その事だけが、マーニーの実在を訴えているようで、本当に単なる幻なのかが解らない。
日常世界に一点、空想のはずのマーニーが不思議な存在感を持ち続けます。
映画版では駆け足でしたが、このプリシラ&リンゼー一家との出会いは、本書におけるもう一つの大切なポイントだと思いますし、映画版のプリシラではその辺りの描かれ方が弱いかなと思います。
一方原作では、リンゼー一家も含めたアンナとの交流が深く描かれていきます。
アンナはやっと『現実世界』に居場所を見つけました。
ミセス・プレストン(アンナを育ててくれているおばちゃん)とのわだかまりもリンゼー一家が助けてくれました。
世界はアンナが思っていたほど寂しい場所ではありませんでした。リンゼー一家との出会いが、アンナにそれを教えてくれました。
マーニーの秘密
ラスト、マーニーの正体の種明かしは今読んでも惚れ惚れするほどです。
更に言えば、後半に主軸となるリンゼー一家が、上巻にも少しだけ登場するあたりも巧いなと感じます。
マーニーは、第一次世界大戦の頃に実在した本物の女の子でした。
エドワードという男性と結婚したマーニーですが、娘のエズミイとは打ち解けられませんでした。
マーニーの娘、エズミイは交通事故で亡くなります。
マリアンナ。それがエズミイの娘の名前でした。
「おばあさんが亡くなって、世話をしてもらえなくなった、その小さな女の子は、ある子どものためのホームへ送られました。(略)
その奥さんは、女の子のことをとてもかわいがりました。女の子に、自分のことをお母さんと呼んでほしいと思いました。でも、どうしてかマリアンナはその人をお母さんとは呼ぼうとしませんでした。
かわりに、“おばちゃん”とその子は呼びました」
とつぜん、アンナが息を止めて、顔を上げました。
「その人は、どうしても、その子を自分のほんとうの子どもだと思いたかったので、その子の名前をかえました。
いいえ、すっかり変えてしまったのではありません。うしろの半分だけを、使うことにしたのです」
ちょっとの間、へやがしんとしました。プリシラが叫びました。
「アンナ! マリア・アンナ!」
アンナはもう、一人ぼっちではありません。
ミセス・プレストンの想いを知りました。リンゼー一家との絆もできました。
そして、一番つらい時、自分を支えてくれた大切なお友だち、マーニーの事も知りました。
僕は今でも、マーニーのような友達がほしいなと思います。
眠れない夜、外を見ると家の前の道路に入り江ができていて、そこから妖精のような金髪の女の子がボートに乗ってやってくるといいなと思います。
そして、朝が来るまでたっぷり遊ぶのです。
アンナは現実の世界に大切な友達を見つけました。
僕も、現実の世界で大切な友達を見つけたいと思います。
でも、あまりにも寂しくて、どうする事もできないときは、本を開きます。
そこに、大切な友達が待っているから。